EPISODE Ⅳ ALL YOU NEED IS ESCAPE
Ⅰ
一日目──────
体中が燃え上がるような熱に包まれ、意識は朦朧としていた。体温計のドット表示は、四十度を指している。
会社へ連絡しなければならないのだが、汗だくの体は何一つ動こうとしない。妻も子も、心を許せる友人もいない。ただ一人の孤独な中年男として、私はベッドに横たわっていた。
何も考えられず、食欲も失せ、ただ眠るしかなかった。窓の外には、薄暗い街明かりが滲んでいた。まるで、私の心の奥底を覗き込んでいるようだった。
二日目──────
意識が戻った時、部屋は薄暗く、時刻すら判別できなかった。体中が重く、関節は激痛に苛まれていた。インフルエンザか、それとも悪寒戦慄を伴う風邪か。
かろうじて動く左手を使い、枕元のスマートフォンを掴み取った。ディスプレイには、会社からの着信履歴がずらりと並んでいた。無断欠勤、という事実に背筋が凍る。熱にうなされている間に、一体どれだけの時間が過ぎたというのだ。
「ああ、これはまずい」
どうにかして会社に連絡をしなければ。だが、この体では到底無理だろう。熱は益々高まり、意識が遠のいていく。
三日目──────
意識が戻った時、部屋は薄暗く、時刻すら判別できなかった。体中が重く、まるで鉛を身につけたかのよう。一体、どれほどの時が過ぎたというのか。奇妙なことに、腹は全く減っていなかった。
「いったい、何が…」
記憶を辿ろうとするが、断片的な映像しか浮かんでこない。夢か現実か、判別もつかない。ミミズか蛇か、あるいはそれらの混じり合ったようなものが、私の体中を這いずり回っていたような…そんな不気味な記憶が、断片的に蘇ってくる。
まだ体は思うように動かない。まるで、この部屋に釘付けにされたかのようだ。
四日目──────
誰かがドアを叩く音。けたたましいチャイムの音。それはまるで、私をこの部屋から引きずり出そうとするような、執拗な音だった。ついに、助けが来たのかもしれない。そう思ったのも束の間、音は途絶え、再び静寂が部屋を包み込む。
薄暗い部屋の中で、私は重い体を起こすことができない。睡魔が私をどこまでも深く、どこまでも暗い淵へと引きずり込もうとしている。
スマートフォンは、いつの間にか電池が切れて真っ暗になっていた。外の様子は全くわからない。一体、どれだけの時間が過ぎたというのだろうか。
六日目──────
ようやく意識が戻ったとき、部屋は薄暗く、時刻すら判別できなかった。体中が重く、まるで鉛を身につけたかのようだ。
一体、どれほどの時が過ぎたというのか。鼻を突くのは、生臭く、腐敗臭に近い、形容しがたい悪臭だった。自分の体から発せられるその異様な匂いに、思わず顔をしかめる。
シャワーを浴びなければ。そう決意し、ベッドから這い出した。体は思ったよりも軽かった。数日間、何も口にしていないせいで、すっかりやつれてしまったのだろう。
鏡に映る自分の顔は、まるで別人のようだった。やつれた頬、虚ロナ瞳。鏡の中の男は、どこか見覚エノない、得体の知れない存在のように思えた。
七日目──────
空腹感が、まルデ生き物のように私の内臓を食い荒らす。喉の渇きは耐え難く、唾液すら出ない。だが、これまで愛していた料理の名前が、一つも頭に浮かばないのだ。
「一体、私は何を欲しているのか?」
昼間の光は、まるで私ヲ焼き尽くす業火のように感じられ、一日中部屋に閉じこもっていた。外の世界へ出るべきだとわかっている。
しかし、コノ姿を見られるわけにハイカナイ。
十日目──────
昨日、深夜。私はいつものように、近所を彷徨っていた。そして、不意に隣に住む女とばったり出会ってしまったのだ。
彼女は私を見るなり、まるで魂を抜かれたかのように、地面にへたり込んだ。
「ば、化け物…」
と、震える声で呟く。その声は、まるで私の正体を看破されたかのような、生々しい恐怖に満ちていた。
「グォォォォォォォォオオオガガアアアゥゥ」
(訳=大丈夫ですよ、化け物なんかじゃありませんよ。隣に住んでいる西ノ日野です)
そう言って、彼女の肩に手をかけた。だが、その瞬間、背後から冷気が流れ込み、私の心臓が凍りついた。
黒いスーツに身を包み、虚無僧笠をかぶった男達が、まるで暗闇から這い出てきたように現れたのだ。彼らの瞳には、生きた人間に対する感情など、一片も感じられなかった。
「見つけ、くっさ、臭いエグ。お前が最近この辺で、人や動物をやたらと食い散らかしとる変異体やな」
黒いスーツに身を包み、虚無僧笠をかぶった関西弁訛りがキツい男は、有刺鉄線をぐるぐる巻きにしたバットを、まるで生きた生物のように扱っていた。そのバットのヘッドが、まるで私を誘うかのように、ゆっくりとこちらを向く。
何が起きているのか、さっぱり理解できない。ただ、この状況が異常であることだけは確信していた。隣人の女を助けたいという気持ちもあったが、何より、この場から一刻も早く逃げるべきだと感じた。
アパートの二階から飛び降りる。それは、明らかに無謀な行為だった。だが、後には引けない。男達は、私を簡単には逃がしてくれそうにない。足場となる共用廊下の塀に飛び乗ると、下を見下ろした。地面が、途方もなく遠く感じられた。
十三日目──────
虚無僧達は、私を執拗に追ってきた。銃声が夜空を切り裂き、私の体は鉛の雨に打たれた。だが、奇妙なことに、痛みはほとんど感じなかった。まるで、この世界が、どこか現実から切り離されているかのように。
「オオガガガァァァゥゥル!」
(訳=ワタシが何をしたというんだ!)
そう叫びながら、私は腕を振り払った。すると、私の指先から、グロテスクな触手が伸びて、虚無僧達を絡みつかせた。まるで、悪夢の中で見たような、粘液にまみれた怪物の手足だ。
私は一体、何に変わってしまったのか。この狂気の淵から、どうすれば抜け出せるのか。
昼間の光は、私の目を焼きつくす。私は地下へと逃げ込んだ。薄暗い地下商店街は、まるで私だけの隠れ家のように思えた。
しかし、人間の血の味を覚えてしまった私は、もはや普通の生活には戻れない。夜になると、野良猫や野良犬を捕まえ、生きたまま血をすすっていた。そして、なによりも、人間ハウマイノダ。
Ⅱ
片田は、鈍く光る機械の腕に手をやり、その関節一つひとつに神経を集中させた。左腕に埋め込まれたこのメカニカルアームは、彼女の分身であり、同時に、彼女の呪いでもあった。
メンテナンスのために、片田は今日もあの商店街へと足を運ぶ。神解唖々噛對商店街。1.2キロメートルにも及ぶ商店街は、まるで異形の生物が蠢いているかのようだった。無数の店がひしめき合い、それぞれが独自の光を放っている。
神解の中心という立地もさることながら、周辺には旧居留地や南南町といった歴史ある地区、メリケリルパークやハノバーランドといった近代的な商業施設が点在し、この街は、時代が入り乱れた魔術的な空間のように感じられた。
唖々噛對駅、神解駅、旧居留地・大角前駅、みなと唖々噛對駅、西唖々噛對駅、花熊駅。数え上げればきりがないほどの駅が、この商店街にアクセスを提供している。
片田は、そんな商店街の雑踏の中に身を置きながら、どこか他人事のように周囲を見渡していた。
つい先日のことだ。些細な任務中に、左腕に搭載されたレールキャノンが暴走寸前となった。一髪のところで惨事を回避できたものの、周囲を灰燼に帰すほどの威力を秘めた兵器が、制御不能という事実は、私を戦慄させた。
ユーコからの叱責は当然だった。彼女は、まるで私を子供のように叱りつけ、一刻も早くこの問題を解決するよう指示してきた。
通常であれば、このような事態は私にとって歓迎すべき出来事だろう。任務から解放され、自由な時間を与えられる。
しかし、今回のケースは異なる。私の身体の一部が、もはや私の支配下になく、いつ暴発するかわからないという不安が、私を苛んでいる。
商店街の四丁目付近にある、一見、何の変哲もないマンホールは隠し通路の入り口であり、その先には地下商店街が広がっていた。
片田は、メンテナンスで何度も来ていたので、少し周囲を警戒してから、地下に降りた。
誰も知らない、街の深奥に潜む闇。華やかな商店街の真下には、昼の光が決して届かない、もう一つの世界が広がっていた。
そこは、闇屋がひしめき合い、銃器や薬物が堂々と取引される、アウトローたちの楽園。この地下商店街の存在を知る者はごくわずか。
表世界の秩序からこぼれ落ちた者たち、あるいは、それを求めてこの場所へ足を運ぶ者たちだけが、その暗黒の扉を開けることができる。
「ユーコさんから聞いてますよ、片田さん。さあ、こっちへ」
地下街の薄暗い通路を、男は足早に歩いていく。後をついていく片田は、生きた機械である左腕に不意に重みを覚えながら、錆びついた看板の下をくぐった。
藤部商会。
いかにもな丸眼鏡をかけた老人が、作業着に身を包み、片田を迎えた。六十代だろうか。白髪は短く刈り込まれ、表情はどこか硬い。
「いつも世話になります」
片田の言葉に、老人は無言で頷く。
「早速拝見しましょう」
片田は、ジャケットを脱ぎ捨て、露出した左腕を藤部に差し出した。メカニカルアームは、彼女の体の一部として、滑らかに動作してきたが、今回の任務でその機能に限界が来たようだ。
「ほう、なかなかの酷使ですね。ジョイント部分の摩耗も激しいし、レールキャノンの熱変形も深刻です。一週間ほど、お預かりさせていただければ、修復できるでしょう」
藤部の老練な眼差しが、メカニカルアームの損傷部分に釘付けになる。まるで、古びた機械仕掛けの時計を修理する時計職人のようだ。
「その間、代替えの義肢は用意していただけますか?」
片田の問いかけに、藤部は一瞬考え込んだ後、頷いた。
「それなんですけどね、片田さん」
藤部は、奥の作業場から、無機質な金属製のハードケースを持ち出した。
「開けてみてください」
藤部の言葉に促され、片田はケースのロックを解除する。すると、
「これは…?」
片田は、それを手に取り、感触を確かめる。黒光りする既視感の塊。ま、まさか、これは、
「こちらは、あなたのために特別に製作した、特別な物です。」
藤部は、、穏やかな笑顔で説明を続ける。
「こ、これを私に?」
「はい、ユーコさんからのオーダーで取り寄せて私が調整しました、どうですか?ご機嫌でしょう?」
ユーコの邪悪に歪むしたり顔が、片田の脳裏を掠めた。私の命を脅かす新たな章の始まりを告げていた。藤部は、義肢の神経インターフェースについて、まるでエンジンのチューニングについて説明するかのように、早口で説明を始めた。
このナノワイヤーが、君の脳と直接リンクして…とか何とか。正直、ちんぷんかんぷんだったけど、とにかく、私の腕は今、高度な機械と一体化しているらしい。この既視感全開の黒光りする腕が、これから私を生き抜かせるための道具になるのか、それとも私を滅ぼす凶器になるのか。
「よかった、ピッタリですね、これは最高銃といいまして……」
コ◯ラやん、コブ◯っぽいというか、◯ブラそのものだ。
「片田さん、これ、バイソン77マグナム。ユーコさんが『渡してくれ』って。このホルスターは、私からのサービスってことで。」
ますますコブ◯だ。こういう細かいディテールに拘る癖が、実にユーコらしいと片田はしみじみと思った。
「このマグナムは分かるんですけど、最高銃の弾は?どういう仕組みなんですか?」
片田は、バイソン77マグナムをホルダーに納めると、左腕に装着された、黒光りする最高銃に視線を落として聞いた。
「はい、最高銃は片田さんの精神エネルギーを弾丸として放ち、引金を引く必要もなく撃てる、威力は光線銃やレールガンをも凌ぐ、片田さんの気分次第でとてつもない威力を発揮出来ます」
藤部は、片田に向け、複雑な相転移現象を伴う量子力学兵器の原理を滔々と語り始めた。片田は、意識のクォンタを弾丸として射出、因果律を無視した非局所的な効果を誘発する、といった概念に、いや、コ◯ラやん、要するに宇宙海賊だろ?と、葉巻を咥えた赤いナイスガイを想起した。
トリガーを引く必要性すらなく、射手の精神状態が直接出力に影響するという事実は、片田の常識を根底から覆すに十分だった。
「そ、その、片田さん、こう構えて下さい」
藤部が左腕を垂直に上げて、右手を左腕の最高銃に添えるジェスチャーを、片田にしてみせた。
「こ、こうですか?」
片田が、腑に落ちない顔で最高銃を言われた通り構えた。
「ひゅー、心臓の鼓動は8ビート!」
そう嬉しそうに言った、藤部の屈折した熱心さが、何の事かさっぱり分からない片田は、まるで、T.M社でトリップムービーを見た、ジョンソンみたいな気分だ。
精神エネルギー弾?引き金を引かなくても撃てる?そんな馬鹿な。片田は、思考を一旦辞めて、現実的なコストについて考える事に切り替えた。
「藤部さん分かりました、それでお代の方なんですけど?」
「ああ、お代の方はユーコさんから、いただきましたよ。何も聞いていませんか?」
「はい、何も聞いてないです」
片田の脳裏を、電撃が走るかのように、不吉な予感が駆け巡った。
「ええとですね、メカニカルアームのほうは直しますよ、一週間ぐらいで、そこでなんですけど、片田さんに一つお願いというか交換条件で依頼をさせていただきたい」
もはや断れないだろう、どんな依頼でも。
ユーコが、この前の清子の一件で車を買い替えに行ってる間、メンテナンスに行って来いと、やけにすんなり了承した。ニタニタ笑っていた理由はこれだったのか。片田は、黒光りする最高銃に義手を装着し、暗い天井を見つめていた。
「最近、この地下街の東出口付近で四十五年ぐらいやってた骨董品屋の店主が病気で亡くなりましてね、そのテナントが競売にかけられたんですけど、そのテナントを購入した者や出入りする人間が次々に失踪しまして、それを調査して欲しいんですよ、おそらく変異体がらみだと思いましてね」
「了解です、ありがとうございます藤部さん、左腕を一週間で直してもらえるなら、それまでに調査を終わらせます」
「あ、後、片田さん、最高銃は心で撃つんですよ、最高銃の放つビームは暗闇でみえない相手でも、片田さんが感じて念じれば、誘導弾として追尾していきますから」
さらっと凄い事を言うな。片田は嘆息し、ジャケットに袖を通した。そして、藤部に敬礼のつもりで頭を下げ、このイカれた技術者の巣窟から逃げ出すようにして、藤部商会を後にした。
Ⅲ
黒装束の男達は、虚無僧笠の影に顔を隠しながら、廃墟と化した骨董店の奥へと消えていった。彼らの足跡は、埃まみれの畳の上に残された黒い影のように、静かに深みを増していく。
「くそっ、何もねぇじゃねぇか」
男は、埃まみれになりながら、ため息をついた。廃墟と化した骨董店の薄暗い空間に、男達の荒い呼吸だけが響き渡る。
「ガラクタの山盛りか。こんなところに、いんのかよマジで?」
相棒の男は、そう呟きながら、古ぼけた木箱を蹴り倒した。木箱は音を立てて崩れ、埃が舞い上がった。
「ほんまにこんなガラクタの中に、おんのかアイツ?」
そう呟くと、有刺鉄線がぐるぐる巻きにされた黒いバットで、棚の上にある段ボール箱を、関西弁の虚無僧がフルスイングでぶっ叩いた。
「オオタニサーン!」
他の虚無僧達がふざけながら叫んだ。
「誰が二刀流や、俺は門田や、共通点バットだけやろうが!野球あんま好きやないねん。もし、化け物がここで解体してんなら、もっとくっさい臭いとか、せめて、被害者の血痕ぐらいあるはずやろ」
門田は、散らかった足元の段ボール箱や、ガラクタを避けて、他の虚無僧達に店内の捜索を任せたぞと、荒れた店内から外に出た。
骨董店の薄暗い玄関で、門田は虚無僧笠を地面に叩きつけた。包帯でぐるぐる巻きになった顔は、まるでミイラのようだ。深いため息をつき、煙草に火をつけた。吐き出された煙が、薄暗い空気をゆらめかせた。
そのときだった。黒いスーツに身を包んだ女が、腰にぶら下げた、ドでかいリボルバーが不釣り合いなほどに輝きながら、門田の前に現れた。
「誰やお前は?」
「幽合会の片田と申します」
そういうと、片田はフリーランスクリーナー《対変異体民間個人事業者》のライセンスカードを見せ、事情を説明した。
「ああ、ユーコさんの所の人か、ごっついリボルバー腰にぶら下げて、べっぴんなのにおっかないわ」
煙草の煙を吐きながら門田が片田をいじる。
「凶商の方達もここの調査に?」
「せや、なんやこの店に出入りしよったら帰ってこーへんて、もう何人や分らへんぐらい失踪者が出とって凶商も依頼があってな」
「中、見せてもらっても構いませんか?」
「ええけど、ガラクタしかあらへんで」
片田は、息を潜めて店の中へと足を踏み入れた。薄暗い店内には、埃をかぶった古道具たちが、まるで眠るようにひっそりと佇んでいた。無数の段ボール箱が積み上げられ、その隙間からは、古書や古い玩具が顔をのぞかせている。
まるで、時間の流れが止まったかのような、重苦しい静寂が支配していた。片田は、足音を立てないように慎重に、その迷宮へと足を踏み入れていった。
「な、なんもあらへんやろ?」
門田が追いかけてきて片田に聞いた。
「ここ、何かありそうです」
片田は、店奥にある木造の鏡台の様な家具を横に移動させると、壁をコンコンとノックした。
「この壁、空洞ですね」
「ほんまや、音がちゃうやん」
片田は、壁の下段に視線をゆっくり滑らすと奇妙な窪みを見つけた。
「これかな」
片田がその窪みに指を入れて力を込める。
「マジかいな」
ギギギと軋みながら、壁だと思っていた扉が開いていく、門田が虚無僧達を呼び寄せて、扉を開けるのを手伝わせた。
「くっさ〜ヤバい臭いするんやけど」
隠し扉の先は真っ暗で何も見えない、しかし、とんでもない悪臭がする。
「暗すぎてなんも見えへん、なんか灯りないんか?」
門田が、虚無僧達に灯りを探して来いと指示を出した。片田は中には入らず、手で口と鼻を押さえながら、店内から外に出て行った。
「どしたんや?」
「匂いが臭すぎて、耐えられなくて、こほっこ、こほっ」
片田は、あまりの悪臭に咽せていた。まぁ、あの扉の奥に変異体がおったら任しとけと、門田が自身ありげに、可愛いとこあるやないかと笑い飛ばして、片田の肩をパーンと叩いた。
門田は、片田に外で待っていろと言い残すと、ペンライトを持って来た虚無僧達を伴い、隠し扉の中へ消えて行った。片田の左腕につけた腕時計は、深夜23:30を標示していた。
Ⅳ
ペンライトの仄かな光が、薄暗い廊下の奥へと差し込む。その先に、梵字が刻まれた銃身を携えた二つの影が、静かに佇んでいた。
虚無僧の姿をした男達だ。彼らの背後には、バットを手に、包帯に顔面を覆われた門田が続いた。重厚な扉がゆっくりと開かれ、彼らはその闇へと足を踏み入れる。
「ヤっバっ、臭過ぎるな、ひどい匂いや」
「動物の死骸でも腐ってるんですかね?」
「ヤバいっすよ、こんな匂い嗅いだ事ないすよ」
三人は息を潜め、慎重に進む。生温かい湿気を帯びた壁には、無数のひび割れが、まるで生きた生物の血管のように走り巡っていた。
やがて、視界が開けた。そこは、薄暗い空気を含んだ、広大な空間だった。天井は高く、無数の蜘蛛の巣が、まるで過去の出来事を写し出すかのように、複雑に張り巡らされていた。埃っぽい空気が、彼らの鼻腔を刺激し、肺の奥底まで染み込んでいく。
「えっぐ」
思わず門田が叫んだ。突如、ペンライトに照らし出された惨状。虚無僧たちの視界に飛び込んできたのは、まるで精肉店のショーケースのごとく、無惨に切り刻まれた人間の肉片だった。腐敗が進み、蛆が這い回り、生臭さと死臭が鼻腔を叩く。血溜まりは、黒く変色していた。
「当たりすね」
「せやな」
三人は、息を潜めながら、足音を立てないように注意しながら、少しずつ前進していた。
「あっ、えっ……」
誰かの声が、闇の中から漏れ出た。その直後、乾いた音が響く。ペンライトが床に叩きつけられたような音だ。
「なんや?」
門田は、ペンライトの光を、薄暗い空間に向けて照らし出した。その視線の先には、先ほどまで虚無僧の姿があったはずの場所がぽっかりと空いていた。彼は、心臓が大きく跳ねるのを感じた。
「おい、」
嗄れた声が響き渡る。しかし、返事はない。彼は、ゆっくりとペンライトを天井に向けた。そのときだった。ポタリと、何かが落ちてくる音がした。彼は、反射的に顔を上げ、天井を見上げた。
「お、おわああああ」
虚無僧は、震える手で銃を握りしめ、引き金を何度も引いた。けたたましい銃声が、狭い空間を震わせ、弾丸は、光の先にある闇へと消えていった。彼の視界に捉えられたのは、黒く蠢く、ねじれた触手だった。
彼は、発狂寸前の絶叫を上げながら、さらに引き金を引いた。しかし、鉛の弾丸は、その異形の肉体には何ら効果を示さない。むしろ、その攻撃は、触手をさらに激昂させた。
「あ、あかんわ、出るぞ」
銃火の閃光が、血塗られた祭壇を照らし出す。無数の触手が、まるで生きた蛇のように、絡み合い、蠢いていた。その中心には、発砲した虚無僧が捕らえられていた。彼は、絶叫すらままならないまま、深淵へと引きずり込まれていった。
硝煙が、生臭い肉の香りと混ざり合い、狭い空間を、ありったけのファックが充満していく。門田は慌てて、もう一人の部下の腕を掴み、必死にその場から逃げ出した。心臓が、高鳴り、肺が裂けそうになる。だが、後ろから聞こえる、肉を喰らうような音を振り切るように、暗中を二人は走り続けた。
「えらいこっちゃ」
生暖かい硝煙が、門田の鼻腔を刺激する。門田は、心臓が裂けそうなほどの鼓動を感じながら、必死に扉を叩きつけた。重く、鈍い音が響き渡り、ようやく扉は開いた。彼らは、その狭間から、まるで地獄の業火から逃げるように、隠し部屋の外へと飛び出した。
門田は、生温かい汗が掌を濡らすのを感じた。閉めた扉越しに聞こえる、生々しい肉を裂くような音。それは、もはや人間の出す音ではない。
「あかん、出るぞ」
嗄れ声の命令が、静寂を破る。門田は、放心状態でボーッと突っ立った、もう一人の虚無僧の腕を掴み、店外へと飛び出した。冷たい夜風が、彼らの熱気を吹き飛ばす。振り返ると、薄暗い店内から、恐ろしい影がこちらを窺っていた。
門田は、震え上がる部下の肩を掴んだ。しっかりせいと、身体を揺らすが、部下は微動だにしない。堪らず、門田は渾身の力で部下をしばいた。鈍い音が響き渡り、虚無僧はようやく我に返る。二人は、必死でシャッターを叩きつけるように閉めた。
「変異体や、クソヤバい奴や」
「いたんですね、あの扉の奥に」
片田は、まるで他人事のように、淡々と告げた。その声には、感情の起伏はほとんど見られなかった。
門田は、震える手でジッポライターに火を近づける。何度やっても炎は灯らず、焦げ付きの匂いが鼻をつく。
「落ち着いてんなあ、あんた、とにかく銃が効かんし、ここは一旦、し、仕切り直しや」
ようやく灯った炎に、門田は震える手で煙草を近づけようとした。その瞬間、
「危ない!」
片田の絶叫が、静寂を打ち破る。次の瞬間、二人の体は、何かに突き飛ばされたかのように、前方へ投げ出された。
「ガシャン」
けたたましい金属音が、狭い空間を震わせた。同時に、重く鈍い音が響き渡る。シャッターが、まるで生き物のように内側から押し破られ、無数の黒い触手が、けたたましく飛び出した。
それらは、まるで獲物を狙う蛇のように、素早く、そして容赦なく、片田たちを捉えようとしていた。片田は、本能的に体を投げ出し、間一髪のところで、その襲撃をかわした。
「おい!増援や!そ、それとなんか強い武器持ってこさせー!」
地面に腹這いになりながら、包帯の間から見える血走った赤い眼で、門田が叫んだ。もう一人の虚無僧は、震える手で拳銃を握りしめ、こちらを見やる。
「…了解っす」
虚無僧は、そう呟くと、よろめきながら立ち上がった。薄暗い地下街、コンクリートの壁に赤く染まった血痕が、彼の足跡をたどる。
「あなたは行かないんですか?」
「可愛いネーチャン残して逃げたら、カッコ悪いやん、このまま貸し作んのも嫌やし」
片田の、この状況下における異常なまでの冷静さは、門田の神経を逆なでするように響いた。門田は背筋を凍らされた。どないなっとんねんこいつは?ブッ飛んでんな幽合会、ハンパないでこいつ、気合い入り過ぎやろ。と、門田は激しく動揺したが、男のプライドというには儚い、ただの根性で何とか精神を持ち堪え、右手にバットを強く握りしめて、起き上がった。
Ⅴ
「で、どうする?」
門田は、周囲の気配を凝らしながら、片田の耳元で囁いた。
「……そうですね。では」
片田は、一瞬、考え込んだような素振りを見せると、静かに頷いた。そして、手のひらを見せ、簡単なサインを送る。
二人は、まるで暗闇に棲む動物のように、素早く動き出した。シャッターが降りている店と店の間を縫うように、影のように走り抜ける。
「ギギギギギギギギギギギギ……」
鈍く、重々しい金属音が、静寂に終止符を告げた。まるで、巨大な生き物が、最後の息を吐き出すような、生々しい音。穴が開いたシャッターが、力なく地面に叩きつけられる。
店内に差し込む光が、薄暗い路地に影を落とした。二人の息遣いが響く。片田と門田は、互いの視線を交わすことなく、一点を見つめていた。
店内には、何もない。あるいは、まだ何も現れていないだけなのかもしれない。二人は、次の瞬間を待ち受けていた。
「ガラガラガラ……」
甲高い金属音が、緊張感を破壊した。まるで、眠っていた街が、不意に目を覚ましたかのよう。骨董品屋のすぐそばにある、小さな定食屋のシャッターが、ゆっくりと持ち上がる。
店内から現れたのは、小太りの男。頬には、夜の冷気に紅潮し、疲れた表情が浮かんでいる。男は、シャッターを閉めながら、斜め向かいにある骨董品屋をじっと見つめた。
「ボロシャッターが落ちた音かよ、びっくりさせやがって」
ぼそりと呟くと、男は鍵をポケットにしまい、こちらへと足を向けた。男の足音が、アスファルトの上をコツコツと響く。
片田は男の姿を捉えていたが、門田はまだ気づいていなかった。男の足音が近づき、かすかな気配が辺りに漂う中、門田は有刺鉄線バットを握りしめ、今にも殴りかかりそうな勢いで待機している。
片田は、バイソン77マグナムを抜き、安全装置を解除した。彼女は、男が次の動きに出るのを待ち構えていた。
男が、門田の隠れ場所の前まで辿り着いたその時、突如として、暗闇から一人の影が現れた。顔中を包帯でぐるぐる巻きにし、有刺鉄線バットを振りかざした門田の姿に、男はその光景に言葉を失い、思わず声を上げた。
「うわああああ、何だあんた?」
「チッ、危ないから、はよ、去ねや」
門田は、男に向かって手を振り、不快感を露わにした。
「なんやねん、はよ行けやー!しばくぞ!」
と、荒い声で命令する。男は、その場に凍りつき、恐怖に震えていた。
「うわああああああああああ!」
男の悲鳴が、静寂を破る。門田は、さらに怒りをあらわにし威嚇した。男は、その場から逃げ出そうとしたが、恐怖に足がすくんでいた。
そのとき、重低音が叫び声に重なる。片田が、バイソン77マグナムを発射したのだ。男は恐怖のあまり、その場に崩れ落ちた。
「後ろです!」
門田の背後には、形容しがたい異形が蠢いていた。その黒く粘稠な触手は、蛸やイカを連想させる軟体動特有の、不定形生物を思わせ、男の胸から無数の瘤として生え出していた。両手両足は残存していたが、頭部は存在していなかった。
片田が発射した弾丸は、異形の肉体へと叩き込まれ、触手の肉片が飛び散った。無数の触手が、門田たちを貪り食らうべく、空気を震わせながら迫りくる。
「た、助けてくれ」
男は、逃げる。必死の形相で、門田の横をすり抜けようとする。だが、その瞬間、男の身体は、まるで黒曜石を砕いたような無数の破片に砕け散った。
いや、砕け散ったのではない。男の身体は、無数の黒い触手に捉えられ、引き裂かれ、そして、一点に集約されていく。まるで、砂時計の砂が、一点に集まるように。男の絶叫は、生きたまま体内に飲み込まれる恐怖を物語っていた。
「オラァ」
門田が咆哮する。握りしめた有刺鉄線バットを、力強く振りかぶった。その目は、触手の化け物をロックオンしていた。次の瞬間、バットは風を切り裂き、化け物の触手に叩き込まれた。
「ググアアアアアアア、ワタシ、ハ、ニシ、ノ、ヒノ、デ、ス」
「やかましいわ!ボケェ!化け物が」
門田は怒号をあげて、有刺鉄線バットを振り回した。バットが黒い触手に叩きつけられるたびに、鈍い音が響き渡る。
しかし、触手はまるでゴムのようにバットを弾き返し、化け物に有効な一撃を与えられない。その様子を目にした片田は、バイソン77マグナムの撃鉄を起こし、化け物に近づき始めた。距離を詰めて、片田は銃口を化け物に向け、引き金を引いた。
「クソッッッツ!このタコが!」
門田の右腕が、黒い触手に絡め取られてい。バットごと。
「アホが、右腕一本ぐらいくれたるわ、俺から離れろや、ネーチャン!」
門田は怒声を張り上げ、片田に視線を向けた。そして、バットの握りにあるボタンを力強く押し込んだ。爆音が轟き、黒煙が視界を遮る。強烈な爆風で、門田は後方に吹き飛ばされ、右腕から大量の血が噴出した。右肘から先は見当たらなかった。
片田は、炎に包まれた化け物に近づき、バイソン77マグナムの引き金を引いた。しかし、空撃ちの音だけが響き渡る。弾が尽きていたのだ。銃をホルスターに戻し、片田は次の行動を考え始めた。
化け物の体は徐々に冷却され、炎の色は赤からオレンジへと変化していった。ゆっくりと、しかし確実に、片田の方へと向きを変え、無数の触手をうねらせながら距離を詰めてくる。門田は、爆発の衝撃で意識を失っていた。
「最高銃は心で撃て…………でしたっけ」
片田は唇を結び、左腕に力を入れた。拳を握りしめ、触手の化け物に向ける。右手を左腕の肘窩にあてがい、深呼吸をする。そして、体内の空気をすべて吐き出しながら、念じ、一点に集中した。
「キュオーーーーーーン」
という悲鳴のような音が響き渡る中、片田の左前腕はロケットパンチのごとく飛び、触手の化け物の胸部を貫いた。黒い空洞が大きく開いた。
「グオオオオオオム……」
深いため息のような唸り声を上げ、化け物は前方に倒れ込んだ。左前腕を失い、黒光りする最高銃を握ったまま、片田は倒れた化け物に銃口を向けた。しばらくすると、サブマシンガンを携えた虚無僧達が、負傷した門田のもとへ駆けつけた。
「門田さん大丈夫すか?腕どしたんすか?」
虚無僧の一人は、血を噴き出す門田の右腕を凝視し、止血剤を注入した。高濃度のアドレナリンが血管を収縮させ、出血を止める。他の虚無僧二人が、気を失いそうな門田を両脇から支え、ゆっくりと持ち上げた。
「あ、あれすか?あの変異体すか?」
気絶から目覚めた門田が、微かな声で担ぎ上げてくれた虚無僧に耳打ちした。門田から何か耳打ちされた虚無僧が、無数の黒い触手の塊を指差した。
「撃て撃て、その化け物を始末しろ!」
ハンドサインが落ちた瞬間、虚無僧達は訓練された殺し屋と化した。サブマシンガンのトリガーを引く指は、もはや誰のものではない。自動的に、律動的に、弾丸は触手の化け物へと叩き込まれていく。まるで、細胞分裂のごとく、弾丸は増殖し、標的を覆い尽くす。
触手は、弾丸の雨に打たれ、みるみるうちに黒く染まっていく。だが、そのグロテスクな姿の中に、どこか人間らしさの名残を見た気がした。銃弾に打ち砕かれた両手両足。それは、かつて人間であったことを証明する、最後の証だったのかもしれない。
片田は、最高銃の銃口をダラリと下げて門田を見た。包帯の隙間から見える門田の眼には光は宿っておらず、思ったより深刻な状態である事が伺えた。門田は、部下達に両脇を支えられて、西出口の方へ歩き出した。
マガジンを空にした虚無僧達も、これ以上は弾の無駄だと射撃を止めて、門田達を追いかけるように踵を返した。
Ⅵ
「う、うわああああ、クソッ、何だこいつ!」
片田、門田の最後尾を歩いていた虚無僧の一人が、血の気のない顔で叫んだ。先ほどまで無力な塊にしか見えなかった黒い物質が、虚無僧の胸部に食い込み、まるで生きているかのように脈動している。そして、虚無僧を引きずり込むように、両側の建物の隙間へと消えていった。
「まだ生きてやがったのか?探せ!逃すなよ!」
サブマシンガンを肩に担ぎ、虚無僧達は、シャッター街の間を縫うように進んでいった。人気のないシャッター街は、静けさに包まれていた。足元には、無数の空き缶や壊れた家電製品が不気味に散乱している。風向きによっては、生ゴミの悪臭が鼻をついた。
一人、また一人と、虚無僧達が姿を消していった。見えない、何か得たいの知れない化け物が、彼らを飲み込んでしまうかのように。
「クソッ、どうなってやがる」
最後の一人になってしまった虚無僧は、サブマシンガンを肩に担ぎ、薄暗い路地を睨みつけた。街灯はほとんどが壊れており、影が長く伸びて、虚無僧を飲み込みそうになる。彼の心には、不吉な予感が影を落としていた。
虚無僧は、拳を握りしめ、深呼吸をした。そして、再び路地を進み始めた。彼の足跡は、湿ったアスファルトに小さな跡を残すだけだった。彼もまた、黒い影に飲み込まれる。
片田は、数秒前にそこにいたはずの虚無僧達の気配が消えた事に気づいた。サブマシンガンの金属が放つ独特の冷たさ、彼らの独特な呼吸音、それらがまるで幻のように消え去っていた。
西出口へ向かう門田たちの背後を、ゆっくりと後退する。眼を閉じ、心拍数を意識的に下げる。外界からのノイズを遮断し、感覚を研ぎ澄ませる。聴覚は、かすかな足音、風の音、そして…遠くに聞こえる機械音に集中する。視覚は、暗闇の中でわずかに光る塵、壁のひび割れ、そして…影の中に浮かび上がる不自然な動きに注意を払う。
嗅覚は、汗、火薬、そして…何か見慣れない化学物質の匂いを嗅ぎ分ける。彼女は今、この廃墟となった建物の中で、生き残るために五感を最大限に活用している。まるで、この建物自体が一つの巨大な生物であり、彼女はその生物の脈動を感知しようとしているかのようだ。
集中力が臨界点に達した瞬間、片田は左腕の最高銃に右手を添えた。眼を閉じ、呼吸を整える。周囲のノイズを遮断し、ターゲットに意識を集中する。彼女の脳内では、複雑な計算が瞬時に繰り広げられていた。距離、風速、標的の動き、そして、最高銃の射角。
「キュオーーン」
高周波音が響き渡り、白い光が最高銃から放出される。それは単なる光ではなく、高エネルギー粒子ビームだった。ビームは空気中を曲がり、廃墟となった建物の隙間を縫うように飛んでいく。
標的に直撃した感覚だけが片田の脳内に拡がる。そして、目を開けた片田の視界に現れたのは、黒い触手に取り込まれた、虚無僧の焦げた首なし死体だ。
「キュオーーン、キュオーーン、キュオーーン」
連射音が響き渡る。白い光が次々と標的を貫き、黒い触手と肉体を蒸発させる。まるで、精密な手術が行われているかのように、片田は標的を確実に仕留めていく。
「グオオオオオオム、シュルシュル」
不快な低音が、廃墟と化した街に響き渡る。頭部のない、黒いスーツを身に纏った異形の存在が、無数の黒い触手を生やし、片田に向かってゆっくりと迫ってくる。その姿は、まるで生物兵器か、あるいは未知の生命体だ。
「一気に……解放する…………」
片田は呪文のような言葉を呟き、最高銃を構えた。目を瞑り、イメージする。そして、両眼をゆっくり開けた。
「キュオーーーーーン」
想像をはるかに超える白い閃光が炸裂した。それは、単なる爆発ではなく、まるで空間そのものが歪んだかのような、強烈なエネルギー放出だった。触手の化け物を眩い光で包みこんだ。衝撃波がシャッター街を揺るがし、耳鳴りが止まない。
「やり過ぎちゃったかな」
最高銃から立ち上る煙が、闇に紛れようとしていた。先ほどまでそこに存在していたはずの、黒い触手の怪物は、跡形もなく消滅している。
「あ…あんた一体何者なんだ?」
門田を担いでいる虚無僧が片田に聞いた。
「カリフォルニアドリーム」
「え?幽合会の人でしょ?」
片田の耳が仄かに紅く染まっていった。
片田はあれ〜私の左腕?と、わざとらしく最高銃の上に被せる左腕を探す素振りを見せる。そして、門田と虚無僧たちに軽く頭を下げると、スマートフォンを片手に、薄明かりが灯るシャッター街へと消えていった。
その姿は、まるで、先ほど化け物を屠去った冷徹なサイボーグクリーナーでは無く、どこにでもいる、OLのようだった。
「ふっる、コブラやんけ、がはっごほっ……」
「コブラってなんすか?」
仲間の虚無僧達に両脇を支えられていた、門田の口角が少し上がった気がした。
西ノ日野、そう、誰も彼を知らない……
screaming out an sos
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See you in the next hell…