EPISODE XI ALL YOU NEED IS HELL
Though I do hate as i do hell-pains,
(地獄の苦しみと同じくらい憎い)
─────ウィリアム•シェイクスピア
I
畏怖と混乱に満ちた光景が、ユーコ達三人の目に焼き付いた。
それは、現実の秩序が崩壊し、悪夢が具現化したかのような、異様な光景だった。地震の震動が静まると、窓の外には変わり果てた街並みが広がっていた。建物は崩壊し、瓦礫の山と化していた。
そして、信じられないことに、人々が重力に逆らって空中に浮かび上がっていた。まるで塵が風に舞うかのように、彼らは夜空へと吸い込まれていく。ユーコ達は、この世のものとは思えない光景に、言葉を失った。
「こ、これは、何が何だか…」
魚家は、窓を通して見える異様な混沌と無秩序に理解が追いつかなくて、逡巡してから無意識に煙草を咥えて火を点けていた。
「あ、あれ、見て下さい」
焦る片田の指差す方をユーコが覗いた。窓から地上に視線を移すと、助けを求めて喚きながら逃げ惑う多くの人々、それを追う血に飢えた異形の変異体達の姿が見える。
「これの何処が共存なの?要するに何でもありの世紀末じゃ…」
ユーコの言葉を遮る様に、大きな地響きと共に不快な重低音が聴こえる。
「え、何あれ、嘘…ありえない、ひ、人が集まって巨人に…」
ユーコの視線の先には、空中に舞い上がる人々をブラックホールの様に吸い寄せて構築されていく、巨大な人型の肉塊で構成された巨人が現れた。全長十五メートルぐらいだろうか、空中に舞う人々を吸収しながらその巨大な人間の塊は、鈍足ではあるが悠然と街を破壊しながら闊歩していた。
「外に出たら変異体に襲われるかあの巨人に、一体、何が起こっているんだ?」
魚家が頭を掻いて、煙草の煙を吐きながらスマホを操作しだした。ユーコもスマホで誰かに連絡している。
「で、これからどうしますか、ユーコさん?」
片田がユーコに聞いた。
「そうね、この災害を引き起こしているのは、どうやら私の父、ノース•幅戸が元凶みたいなの」
「ユーコさんの父親が?ノース•幅戸とは一体何者なんですか?」
魚家がスマホのディスプレイを見ながらユーコに聞いた。
「死体を蘇生する研究をしてた、イカれたドクターって所かな」
「死体を蘇生?どうしてユーコさんは、ノース•幅戸が元凶って分かるんですか?」
「ドラゴンビルの時に会ったのよ、二十年ぶりかな、あいつ最上階にいたの、そして薬を毒蜘蛛とD.E.A.Dに流してた」
「あの時、いたんですか?」
「殺そうとしたら逃げられた、そして、さっき電話がかかって来て、何だっけ、変異体と非変異体が共存できるように神解は、生まれ変わるとかって言ってたの」
ああ、分かる。ユーコもだいぶイカれているが、父親はもっとクレイジーなんだと眉間に皺を寄せて、魚家は電話の操作を終えた。
「今、公安から正式に依頼が来ました。
ノース•幅戸の件は、まだこちらで確認できていないんで最優先はあの巨人の排除だそうです」
「ふーん、簡単に言っくれるじゃない公安、全く、駐車場で倒したネームドと合わせて、たっぷり請求させてもらうから」
「は、はい、でもユーコさん、どうするんですか?この状況で?」
「もう手配は済ませたの、とりあえず藤部商会へ行きましょう」
「外、出れますかね」
煙草を揉み消した魚家が、肩をすくめてユーコに聞いた。
「まあ、降りかかる火の粉は振り払うまでよ、でも私達は決して正義の味方でも何でもないから、一般人が目の前で襲われてても手は出さない。私達はクリーナーであって、警察じゃないから」
ユーコの冷淡な言葉に、片田も同意の視線を魚家に向けている。
「あ、忘れてた、駐車場で車爆発したからどうしよう、歩きかー、ダルいなあ」
「バスターライフルまた担いで行くんですか?」
「大丈夫よ、もっと良いの用意してるから」
碧い瞳を輝かせたユーコが、片田の顔を見ながら口の端を不気味に歪ませた。嫌な予感がする、何をさせられるか、たまったもんじゃないと片田は露骨に表情を曇らせた。魚家が上着をめくり、ショルダーホルスターから銃を抜いて二人に言った。
「じゃあ、行きましょう」
Ⅱ
事務所を出て三人が地上に出ると、街のあちこちで悲鳴や喚き声が聞こえる。変異体が一般人に襲いかかっているのを度々目にしたが、三人は無視して唖々噛對商店街の地下にある藤部商会を目指して進んだ。
「こんな数、相手にしてたら弾が幾つあっても足りないでしょ?そもそもロハで仕事する気ないけど」
「はい、最優先はあの巨大な肉塊の巨人です」
魚家に軽口を叩きながらユーコは、行く手を阻む変異体に迷わずハンドガンを発砲する。片田も強襲して来る変異体に散弾銃で応戦した。魚家は、襲って来る変異体を容赦なく排除するユーコと片田の後を、肩をすくめながら着いて行った。
「もうすぐです、あのマンホール」
片田の視界に地下街への入り口のマンホールが見えた時、
「よお!幽合会のお二人と魚家さん」
「君は、門田くん」
「久しぶりやないすか、えらい事になってますね」
魚家に話しかけながら門田は、近寄って来る変異体の頭部を有刺鉄線バットで、さも当たり前かの様に、血を吸う蚊を反射的に叩くかの様に、フルスイングで吹っ飛ばした。
「皆さんどこに行くんすか?」
「はい、藤部商会さんの方へ」
「ああマジすか、僕も行きますわ、何か会社行ったら誰もおらんくてね、困っとったんですよ、わけ分からんすわ、ほんまに」
「分かった門田くん、じゃあ一緒に行こう」
ユーコと片田が、マンホールの蓋を開けて地下街に降りて行った後を、魚家と門田が後に続いた。地下街は特に変わった様子はなく、変異体が無差別に人々を襲ったりしてはいなかった。
「で、ユーコさんあんなでっかい巨人みたいなのどうやって倒すんですか?あれはごっついで」
門田が歩きながらユーコに話しかけていると、
「ユーコさん、お待ちしておりました、準備は出来てますよ」
藤部商会の店先で主人の藤部がユーコに手を振っていた。
「お久しぶりです、藤部さん」
ユーコが笑顔で黙礼する。
「注文はメールで確認しました、これを使うのは、確か北解道で大きな熊の変異体、クマドンでしたか、それが出た時以来かと…」
藤部が指差す方へ視線を移すと、そこには全身に巻くハーネスと、腰部周辺に装着する一揃いの装置が二つ置かれていた。
「嘘、またこれですか」
片田が頭を抱えて項垂れた。
「巨人と戦うならこれでしょ」
邪悪な笑みを浮かべたユーコが、項垂れた片田を見つめている。
「藤部さん、コマコマくんの方は?」
「はい、部品が高くて一両だけ完了していますよ、あちらに」
ユーコは、嬉しそうに全身ハーネスを装着してから、腰部に全方向機動装置を装備した。続いて片田も渋々、全身ハーネスと全方向機動装置を装備している時、
「ユーコさん、お待たせしました」
デスメタルバンドの読めないロゴが刺繍されたキャップに長髪、武器屋の店主が手に箱型の鞘を四つ抱えてユーコ達の方へ近寄って来た。店主がユーコの前まで来ると、
「時は来た、それだけだ」
ユーコが店主に言い放つ、合言葉だったようだ。
それを聞いた店主は、にやにやしながらユーコに箱型の鞘を手渡した。
「おおおお、素晴らしい!ユーコさんやりますね」
箱型の鞘を腰に装備したユーコを見て、藤部が感嘆の声を上げた。
「ありがとう、支払いはいつも通り公安につけといて」
ユーコがニチャリと口角を上げ、顔を邪悪に歪めて魚家の方を見ながらそう言うと、魚家は肩をすくめて店主に黙礼している。
「門田さん、んー、言いにくいわね、門やん、ちょっといい?」
「は、はい、なんすか?」
ユーコが暇そうに突っ立っていた門田に、何か耳打ちしている。
「ええんですか?自分がコマコマくんに乗ってサポートするんすか、任して下さい」
耳打ちし終わると、ユーコが藤部から受け取った小さめのアタッシュケースを門田に渡した。
「魚家さんはこれからどうするの?」
「はい、クリーナーを一人呼んでるんで合流したら動きます」
ふーんと、ユーコがこくんと頷くと、門田にコマコマくんの操作を説明し出した。片田は、腰部に装着した箱型の鞘の上部にあるカートリッジ式のガスボンベを確認した。ボンベに充填したガスの噴射によってワイヤーアクションや移動の加速を可能にするからだ。
そして、箱型の鞘から両手で超硬質スチールを用いた専用ブレードを抜くと、剣の柄と兼用の操作用トリガーの接続を確認した。
「まいど!ユーコはん!片田はん!そんで、門やん!」
「スゴっ!この機械、喋るんすか?門やんて、なんで俺だけ渾名やねん!」
門田は、アリグモを模した灰色に塗られたボディーの多脚型思考戦車、コマコマくんの腹部にあるコックピットにツッコミを入れながら乗り込んだ。
「準備OKね、それじゃあ巨人を駆逐しに行くわよ」
「あ、あのユーコさん、あれ、お願いしてもよろしいですか?」
藤部と武器屋の店主が、二人並んでユーコに向かって傾注している。ユーコが嫌がる片田を横に整列させると、そこに居た全員が握った左手を腰の後ろに回して、右手で作った握り拳を左胸に突き当てた。
「心臓を、捧げよ」
Ⅲ
神解市崩壊、数時間前──────
神解ポートタワー5F展望台
「いい眺めだ、しかし、これで見納めか」
金髪碧眼、死人の様に青白い顔をした男、
ノース•幅戸がガラス越しに見える神解の夜景に視線を巡らせながら呟いた。
「幅戸さん、お久しぶりです」
「これは、西原社長、お久しぶりです」
ノース•幅戸に声をかけて会釈したのは、凶異商会代表取締役、西原昭雄だった。
「それで、先代は上手くやれてますかな?」
「おそらく、西行さんなら大丈夫だと思います。ネームドですからね」
「例の石は、手に入りましたか?」Δ
コツコツと革靴が床を鳴らす音が、時が止まった展望台の床に響き渡る。
「見つけわ、ノース•幅戸、そして、西原昭雄」
ダークブラウンの髪を揺らして、翠色の双眸を周囲に巡らせる清子が、静止した時の中をノース•幅戸と西原の方へと歩いて来る。
「凶異商会社長、西原昭雄とノース•幅戸、変異体を作り出す物とそれを殺してビジネスにする犯罪者二人。人類の敵であり、どうしようもない悪党ね」
清子は、独り言を言いながらナイフを取り出すと、躊躇なく西原の胸に突き刺した。
「とりあえず、あんたは殺すわ。ノース•幅戸と手を組んでマッチポンプ、いやイカれたモンキービジネス。製薬会社と医者の関係ね、凶商は公安が解体するでしょ」
その時、清子の全身の血の気が引いた。ノース•幅戸の眼球がギョロッと動いて、碧い瞳が西原の胸にナイフを突き刺した清子を見ている。ノース•幅戸の身体がガクガク震えて金縛りを無理やり解くように動き出した。
「あ、ありえない」
「君がVIのサイキックか、待ち侘びたよこの時を、返してもらおうか?私のアンプリチューヘドロン石、あれは私が研究開発した物だ」
徐々にノース•幅戸の身体の動きがスムーズになっていく。
「驚いているねぇ、君は自分が時間を止めていると本当に思っているのかね?哀れだな、答えはノーだ」
ノース•幅戸の視線がガラス越しの夜空に向いている。その視線の先には雲が流れていた。清子は、西原に突き刺したナイフを引き抜くと、ナイフの切先をノース•幅戸へ向けた。
「エレクトリックウェーブ、電磁放射、それと認めたくないが念動力の融合、そんな所だろ。それが君の能力の正体、さらに増幅機を身体の何処かへ埋め込んで使ってるな、それが時間停止のトリックだろ」
不味い、これ以上は、本当に不味い状況になってしまうと清子の頭の中で警報が鳴り響く。清子が握ったナイフでノース•幅戸に斬りつけようとした瞬間、左肩の辺りに衝撃が走って、身体が急に重くなり地面に崩れ落ちた。
「君から時間停止能力をとりあげたら、残るのは、何も取り柄の無い、ただの小娘だろう」
銃口から立ち上る硝煙が霞むと、ノース•幅戸の口角がニチャリと上がった表情がそこにはあった。
「がは、あっ、はぁはぁ、はぁ」
清子に刺された西原昭雄の呼吸が荒れてそのまま倒れた。清子のエレクトリックウェーブがすでに解けていたようだ。
「返して貰うよ」
ノース•幅戸がゆっくり清子に歩み寄ると、左肩から血を流しながら憎悪の目で清子が睨みつけている。
「そんな怖い顔をしてると可愛い顔が台無しだな」
徐々に広がる真っ赤な血溜まりの地面に、
横たわる清子の身体を弄って、血を濃縮したような赤色のアンプリチューヘドロン石を奪い取った。ノース•幅戸が陰惨な笑を浮かべている。清子の視界が暗くなって、意識が飛ぶ。
Ⅳ
唖々噛對商店街の地下にある藤部商会を後にしたユーコ達は、全方向機動装置を使いこなしてビルからビルへワイヤーを射出しながら巨大な肉塊の巨人に向かって夜空を駆ける。片田もユーコの後を追って飛んでいく。
門田は、コマコマくんのコックピットから魚家やユーコ達とワイドスクリーン越しに通信しながらさらにその後を追いかけていた。
地上の光景はまさに地獄で、襲いかかってくる変異体に抵抗する者、無惨に惨殺される者、ひたすら逃げ惑う人々で溢れかえっている、考る恐怖の全てがそこにはあった。巨大な肉塊の巨人は、JR四宮駅南にあるMundo神解ビル方面へ向かっていた。
「見えてきた、思ったよりデカい」
腰部に付いた左右のワイヤーを射出しながら、ビルの谷間を疾走するユーコが叫んだ。
「あれ、どこ狙えば倒せるんですか?」
至って冷静な片田が、空中を疾走するユーコについていきながら聞いた。
「そうね、こういう敵は大体、内部に心臓みたいな核があってそれを破壊すればいいんじゃない?知らんけど」
巨大な肉塊の巨人が、接近してくるユーコと片田の方へゆっくり巨体を向けて相対する。
「最っっっっ高、たまらないわ、このヒリつき、ゾクゾクするじゃない」
常軌を逸した速度に加速して、腰の超硬質スチールを用いた専用ブレードを両手に握りしめたユーコが、夜空に弧を描く様に飛翔して巨人に斬りつけた。無数の人々の肉塊で構成される巨人の左腕から血飛沫と人々の悲鳴が、闇夜に不快なノイズを響かせた。
ユーコは、巨人の左腕に着地してブレードを突き刺して切り裂きながら、血飛沫と断末魔の間を一気に巨人の頭部へと駆け上がる。
片田も巨人の右腕に斬りつけ着地して、ユーコと同じくブレードを突き刺したまま、右腕を切り裂きながら巨人の頭部へ駆け上がる。
地上では門田が、コマコマくんに搭載されたグレネード弾を巨人の足にぶち込んで、コマコマくんの前腕からガトリング砲を撃ちまくっていた。
「地獄や、これこそ地獄や」
この状況を、コマコマくんのコックピットにあるワイドスクリーンで観ながら、邪悪な笑みを浮かべてえらく嬉しそうに巨人に斬りかかるユーコと片田の姿を見た門田は、心底身震いした。
巨人の頭部は、無数の人々のぐちゃぐちゃになった身体で構成されていた。巨人の頭部へ左右の腕から駆け上がったユーコと片田が、巨人のグロテスクな顔面を挟んで両手に握ったブレードを振り回して、巨人の頬にあたる部分を破断する。
肉片と血飛沫がとめどなく飛び散り、ブレードの刃で削ぎ落とされていく。巨人の両腕が頭部の方に折りたたまれ、ユーコと片田の位置に迫って来た。ユーコと片田に切り刻まれる巨人の口が大きく開いた時、
「口臭いわね、はい」
ニチャリと口角を上げたユーコが、鼻を摘むジェスチャーを交えて、手榴弾を二つ大きく開いた巨人の口内に放り込んだ。それを見た片田が腰部に付いたワイヤーを射出してその場から素早く離脱する。
ユーコは、自分の身に迫って来る巨人の腕に腰部に付いたワイヤーん射出して、くるりと肘部分に飛び移った。巨人の両手がユーコと片田に破断された頬を押さえた瞬間、手榴弾が爆発した。巨人の顎から上の部分と両手の指が、爆風で弾けとび大量の肉片と血の雨を降らせた。
頭部から離脱した片田は、巨人の背中にワイヤーを射出して、身体を跳ね上がらせ、うなじにあたる部分に急接近しながら左腕のメカニカルアームをレールキャノン砲に変形させて放った。巨人のうなじ部分が高熱と衝撃波にさらされ、肉塊が溶けてうなじ部分に大きな空洞が出来ている。その赤黒い空洞から見覚えのある人影が這い出て来た。
「貴様か、今度は必ず殺してやる」
無数の肉の触手に上半身を繋がれた、下半身が欠損した状態の男だった。額の中央に赤い石が埋め込まれた顔から、凶々しい黒い眼差しを片田に向けた。税関前の駐車場でハヤブサの自爆によって爆殺したはずのネクロマンサー西行だった。片田の表情が一瞬で険しくなり、ワイヤーを射出して離脱した。
「ユーコさん、巨人を操っているのは西行です、うなじの中に居ました」
「そう、死んでなかったんだ、なら西行がこの巨人の核なのね」
そう片田がユーコに短い通信を終えた。巨人の肘からワイヤーを射出してユーコがうなじに向かって飛び出した。片田も巨人の左側に建つビルの屋上からワイヤーを射出して飛び上がると、うなじに向かって飛び上がった。
巨人のうなじにユーコが片田より先に、縦に回転しながら斬りかかると、巨人の両手がうなじを庇う様に重ねられた。ユーコは、回転を止める事なく重ねられた手の甲を斬りつける。片田もユーコと同じく、縦に回転しながらユーコと同様に巨人の手の甲を斬りつける。しかし、どれだけブレードで斬っても分厚い肉塊に阻まれてうなじには到達しない。
二人の回転が止まって、巨人の手の甲に着地した瞬間、ユーコと片田の足首に肉の触手が巻きついて、そのまま手の甲の中に取り込んだ。
「なんなのこれ」
両手の甲から二人を取り込んだ巨人の両手が左右に開げられると、左右の拳の中にユーコと片田がぐっと握られていた。ユーコと片田が巨人の拳の中で激しくもがいていると、ユーコが爆破した巨人の頭部が再生されて大きく口を開こうとしている。
「ぐぅぅぅ、まさか、私達を食べようっての?」
ユーコが握られた巨人の左手が、ゆっくり口の方へ上がっていく。片田は、さっき撃ったばかりのレールキャノン砲を巨人の拳の中で再び撃った。
片田を握った拳の指が爆散したが、片田の左腕のメカニカルアームも破壊されて、爆発の反動で巨人の拘束が緩んで地上に落下して行った。大きく天を仰いで開かれた巨人の口内に、ユーコの身体が放り込まれた。
Ⅴ
地上に落下して来た片田を、門田が乗るコマコマくんがキャッチした。
「片田はん、大丈夫かいな?」
コマコマくんの言葉に反応して片田の途切れていた意識が戻った。腹部にあるコックピットから降りて来た門田が、片田の側まで寄って来て、
「これを、ユーコさんがあんたに渡して欲しいと言われたんや」
門田がアタッシュケースを開けると、サイコキャノンが収められていた。
「これでやれって事ですか…了解です」
片田は、腰部の全方向機動装置を重そうに外し地面に置いた。サイコキャノンを壊れた左腕のメカニカルアームに取り付ける。コマコマくんが接続をサポートして、片田の左腕に黒く光るサイコキャノンが装着された。
「門田さん、コマコマくんをお借りします」
「お、おう、もうその全方向なんちゃらはダメなんか?」
「はい、さっき巨人に握られた時に壊れたみたいなんで」
片田はコマコマくんの上部に立つと、両眼を閉じて、深く息を吐いて集中した。
「コマコマ、巨人の真下へ行け」
「了解やで〜片田はん!」
「ほんまに大丈夫なんか、あんた一人で」
コマコマくんの上に立つ片田に門田が聞いた。
「サイコキャノンのパワーは精神力の強さによる、そして、今の私は怒りの絶頂をむかえている。
今の私ならあの巨人も吹っ飛ばしてみせます」
片田は、眼を瞑ったまま左腕のサイコキャノンを構えて右手を左肘に添えた。
巨人口内──────
遠い記憶の中、笑顔の母がロシア語で何か話しかけてくる。優しい歌声、カチューシャが聴こえる。母の温かい手が頬に触れた。夢、母はもういないのだから、これは私の記憶の断片、走馬灯ってやつなのだろうと、ユーコは思った。記憶の断片は、映写機をコマ送りした様に、目まぐるしく場面を変えていく。
父の姿が見える、研究に明け暮れる父と過ごした事は無かった。家でも出会う事は無く、ほとんど母と一緒にいるか、一人でいた。母が病に侵され倒れた時も、父の姿はそこには無かった。十七歳になった時、初めて父に名を呼ばれた気がした。
そして、薄暗い研究室で実験台にされ、身体をいくら傷付けてもその傷口はあっという間に塞がった。私を見つめる父のあの碧い目が憎かった。その父の側に私と同い年ぐらいの背の高い少女が立っていた。紫色の髪が印象的なジェシカという名前だった。
揺れる、全身が押し潰された様に痛い。身体が生暖かい、そして耐え難い悪臭がユーコの鼻を貫いて咽せた。
「くっさー無理無理、は?」
巨人には歯が無くユーコは、咀嚼されずに丸呑みにされていた。目を開けても真っ暗で何も見えない、そして、身体に張り付く細い肉の触手に気が付いた。
どこからか声が聴こえる。
「まだ何かしてくるのか、あの機械の小娘、まあ、無駄だ」
西行が巨人を操っている、声はユーコの位置から前方の少し下方から聴こえた。
「ん、どこに行った?どこにいるあの小娘」
巨人の口内の闇の中、肉の触手に拘束されて這いつくばるユーコの口角が上がり、碧い瞳の奥に邪悪な炎が灯された。
巨人、尾骶骨下──────
「片田、巨人の口内にいるわ、あんたがぶっ放したら、うなじの西行は私が殺る」
「ユーコさん、…了解です、あ、あの加減出来ないかもです」
「は?ガガガガ」
ユーコの返答をノイズが遮って、コマコマくんの上に立ったまま、片田がサイコキャノンの銃口を頭上の巨人に向けた。片田の脳裏にハヤブサの最期が過ぎったが、深く、深く集中状態に入りイメージする。口内にいるユーコの位置、うなじで見た西行の姿。
「一気に解放する…………」
片田は、呪文のように呟き、目を瞑ったまま左肘に右手をそえてサイコキャノンの銃口を巨人の尾骶骨下に向けた。無念無想、音のない真っ白い世界に到達した片田が両眼を開いた、その瞬間、
「キュオーーーーーン」
特大の純粋な白い閃光が、巨人の尾骶骨下を光に包んで、凄まじい衝撃波が巨人の頭部の先まで駆け抜けていた。巨人の身体が横に割れて、肉塊が溶けながら倒壊していく。
ユーコの目の前に白い閃光が走った後、暗闇に光が差して、片田のサイコキャノンに溶かされたグロテスクな肉塊が夜空と重なる。身体に張り付く細い肉の触手の拘束が緩んだ瞬間、ユーコが全身に力を漲らせた。両手に持ったブレードで肉の触手を切り裂いてその場から跳ね上がった。視界に無数の触手に繋がれた、西行の上半身がユーコの視界に入った時、
「おおおおりゃあああああああああ」
ユーコが空中で腰部に付いた左右のワイヤーを射出して、ブレードを叩きつける様に西行の身体を破断した。
「貴様ぁぁぁ」
ユーコは、西行の身体や肉の触手をブレードで刻みながら、額に埋め込まれた赤い石に視線を移した。
「それね」
「やめろ、や、やめてくれ」
ユーコが西行の頭部を掴んで、ブレードの刃を首に突き立てて、ノコギリを引くように首をはねた。ユーコは、西行から飛び散った返り血を浴びながらニチャリと口角を上げて西行の額に埋め込まれた赤い石を鷲掴んでもぎ取ると、西行の生首を地上に投げ捨てた。
巨人だった巨大な肉塊が倒壊していく。片田は、コマコマくんの腹部のコックピットに乗り込んで門田がいる場所を目指してその場を離れた。ユーコは、西行からもぎ取った赤い石を懐にしまい、腰部に付いた左右のワイヤーを射出しようとすると、
「え、嘘でしょ?ガス切れ」
ワイヤーが射出されず、ユーコは考えるのを辞めた。倒れる巨大な肉塊に腹這いになってしがみついた。ユーコと片田が巨人と戦う姿を見ていた門田の前に、西行の生首が落下して来た。
「うわっ、キモっ、爺さんの生首て、えげつない事なってるやん」
門田が煙草の煙を吐きながら言った。西行の目がぐりぐり動いて、目の前に立つ門田の襟についた凶商のバッジを確認すると、
「お前、凶異商会の者か?丁度いい、死体を持って来てくれんか?今すぐ」
生首が喋った事に驚いて、咥えた煙草を落とした門田が、固まった。
「何をしておる?聞こえんのかお前?私は凶異商会創業者、西原行雄だぞ、早くしろ!」
創業者?何言ってんねんと考えこんだ門田が、右腕の先をブラスターガンに変形させて西行の生首に銃口を向ける。
「アホか爺さん、創業者?百五十年前やぞ?ただのボケ老人やろ、いや、ボケゾンビか」
「無礼者!最近の若い者は、全く…」
門田のブラスターガンの銃口がストロボの様に蒼白く何度も光った。西行の頭部が黒く弾けて空中に霧散していく。
Ⅵ
「かはっ、さ、最悪、痛ー」
ユーコが崩れ落ちた巨人の肉塊の中から呻きながら、ドロドロに溶けていく肉の海の上に立ち上がる。
「ユーコはん、大丈夫でっか?」
「大丈夫、大丈夫よ、あんた達は、大丈夫そうね」
近寄って来たコマコマくんとその傍らに立つ片田に、ユーコが言った。
「目標は、倒しましたね、これからどうします?」
「そうね、西行と手を組んで神解をこんな地獄に変えた奴がいるのだけど…」
そこに、一台の警察車両と見覚えのあるハーレーが接近して来た。車を運転する魚家とバイクに跨がるジェシカだった。
「やりましたねユーコさん」
魚家が車を降りてユーコに駆け寄って来た。
「なんとかね、魚家さんこのギャラはたんまり貰いますから!それで今度は何?ノースの居場所は、分かったの?」
「はい、ノース•幅戸の居所は、神解ポートタワーです。それが、この件に凶商が絡んでいると上から情報が入りまして…」
魚家が眉間に皺を寄せてユーコに言った。
「なるほど、ノースが変異体を作って、それを凶商が狩るとか、そんな所でしょ、全く」
無言で頷く魚家に、ユーコが天を仰いだ。
「クリーナー狩りも、フリーランスが最近増えて凶商にしたら面白くないとか」
くだらないと顔を横に振るユーコが、ジェシカの方を見た。
「あいつは、生かしておくのは我慢ならないから、依頼がなくてもやるけど」
「この事態を引き起こした凶商は、私達がおそらく解体します。ノース•幅戸に関しましては、VIからエージェントKがノース•幅戸に拘束されているらしいとの救出依頼がありまして、生死不問で」
「VIから、それで居場所が分かった、ふーん、じゃあ、そのKが絡んでるって事?」
「はい、エージェントKがおそらくノース•幅戸に接触していると思われます」
ユーコは片田の方を見て、
「決まりね。こうなりゃ、たんまり稼がせてもらいますか」
そう口を尖らせてユーコが言った。
「ちょ、待てや、魚家さんその話しほんまなんすか?」
門田が魚家の背後から現れた。
「ああ」
「それでか、会社行ったら誰もおらんし、上の奴等が好き勝手やって、忍者のおっさん殺られたらしいやん?」
魚家が門田の方を向いて頷く。
「なら、俺も好きにやらせてもらうわ、アホらしいやんけ、クソが。今から俺は、フリーランスになりますわ」
そう言って門田は凶商の社章バッチを、投げ捨てた。
「ユーコさん、藤部さんと武器屋の店主から渡して欲しいとある物を預かってまして」
魚家がユーコと片田を伴い、警察車両のバックドアを開けた。
「これです」
「最高!ついに完成したのね!アーマードマキシマムスーツ!!!」
魚家がユーコと片田に渡したのは、精神感応金属の繊維で造られた人工筋肉を内蔵した、通常の三十三倍以上の力が出せるらしい黒と赤色、二着のスーツだった。スイッチである襟元を閉めると、人工筋肉がパンプアップしてパワー増幅を開始する。防弾・耐熱の機能も併せ持つ。
アーマードマキシマムスーツに碧い瞳を輝かせるユーコに魚家が、OYと書かれたハードケースを手渡し、片田には赤いアーマードマキシマムスーツ、パイソン100マグナムという強力なリボルバーとガンホルダーを渡した。
「ちょ、着替えるわよ片田!」
「これって私、ただのコ◯ラじゃ」
ユーコが、戸惑う片田を急かして着替え出した。門田と魚家の前にいつの間にかバイクを降りていたジェシカがぬっと割って入り、着替えを覗くなよと無言の圧力をかけて、壁の様に立ちはだかった。魚家と門田は、180cmぐらいある大柄なジェシカの冷たく暗い視線を感じとり、二人で煙草を吸いながらその場を離れた。
「痺れるわ、最高ねこれ」
「なんで私のだけ赤なんですか?」
キャッキャッとユーコが、赤いアーマードマキシマムスーツ姿の片田を、コブラいじりしている光景を見る門田と魚家は、絶対敵にまわしてはいけない二人だなと、顔を見合わせた。
両腕にアームパッドを装着したユーコが、細かいことはいいんだよと、片田をニヤリと笑いながら見た。その他の装備を点検し終わると、魚家と門田を呼んだ。
「それじゃあ、憐れなVIの、K救出作戦と行こうじゃないの」
「はい、ユーコさん、いつもすみません」
「魚家さんが謝る必要は無いでしょ?これは、ビジネスよ、ビ•ジ•ネ•ス」
ユーコが被りを振って、警察車両に片田と乗り込んだ。
Ⅶ
神解ポートタワー前──────
鼓型の美しい神解ポートタワーの外観は、世界最初の独特のパイプ構造で、紅い鉄塔の美女とも称されている。神解ポートタワー近くまで来るとユーコ達は、車を止めた。後部座席からルームミラー越しに、ユーコが魚家に視線を合わせて言った。
「凶商の連中がサブマシンガンを持ってうじゃうじゃいるじゃない?どうすんの?」
「おそらく、警備兵ですね、突破するしかありません」
「じゃあ、皆殺しかな。片田、殺るよ」
ユーコの冷淡な言葉に驚いた魚家が問いかける。
「あれ、変異体じゃないですよ?」
「ええ、でもどうぞって通してはくれないでしょ?こっちに気付いたら、たぶん撃ってくるんじゃ…」
ユーコの言葉を遮って、警察車両に気付いた虚無僧がサブマシンガンを撃って来た。銃弾の嵐を受けて、割れるガラスの破片を浴びながら、慌てて車両から三人が転げ落ちる様に車外へ流れ出る。
「上等じゃない」
ユーコと片田が、アーマードマキシマムスーツの襟元を閉めて人工筋肉をパンプアップした。片田が視線を魚家に向けると、
「あ、当たっちゃいました」
苦笑いを浮かべた魚家の、スーツの左肩辺りが血で滲んでいる。
「ジェシカ!」
ユーコの叫び声を聞いたジェシカが、銃弾の雨を掻い潜り、駆け寄って来た。
「魚家さんをお願い」
「…………了解」
ジェシカが魚家に近寄るのを見てから、
「さあ、地獄をはじめましょう」
邪悪に歪んだ顔の口角を上げたユーコと、眉間に皺を寄せ殺気に満ちた眼差しの片田は、腕をクロスさせて頭部を防御しながらサブマシンガンを乱射する虚無僧達の方へ飛び出して行った。
サブマシンガンを乱射する虚無僧達に向かって、門田がコマコマくんの前腕からガトリング砲を速射して虚無僧達を薙ぎ払い、熾烈な銃弾の中を疾走するユーコと片田を援護する。
「おおおおおりゃああああああ」
ユーコが、アーマードマキシマムスーツの人工筋肉で強化された肉体を駆使して、サブマシンガンを持った虚無僧に飛び蹴りを顔面に喰らわし、左手で虚無僧笠を鷲掴みにしてから右手に握ったナックルガード付きファイティングナイフで首を掻っ切っていく。
片田は、パイソン100マグナムで淡々と虚無僧の身体を吹っ飛ばしていき、近接戦闘になった虚無僧にはブラストグローブで殴りつけ、虚無僧達の身体が余りにも脆く破裂した。
ユーコは、足元に転がる虚無僧達の死体を弄る。まず、サブマシンガンとマガジンを奪い取ると、さらに「ご機嫌だな」と、口笛を鳴らして死体の腰から手榴弾をもぎ取った。
神解ポートタワー入り口から続々とサブマシンガンを乱射しながら出てくる新手の虚無僧達に精密な射撃を的確にヒットさせて排除していく。ユーコは、碧い双眸をギラつかせ何日も餌を喰らってない飢えた野犬の様に、虚無僧達を喰らい尽くしていく。
殴殺、撲殺、斬殺、銃殺、絞殺、あらゆる手段を使ってユーコと片田は、迫り来る虚無僧達を虐殺していく。ユーコと片田の周りは、虚無僧達の身体から撒き散らされた血の海と、切り裂かれ欠損した身体の残骸で埋め尽くされている。凄惨な光景は、まさに地獄そのものだった。
凄まじい殺戮の嵐が過ぎた後、返り血でべっとり汚れたユーコと片田が、神解ポートタワーの正面入り口の前に辿り着いた。
「ユーコさん、俺ちょっと魚家さんとデカいねーちゃん見てきますわ、後から行きます」
門田が血塗れのユーコに声をかけたが、ユーコは無言で門田に視線を合わせて、小さく頷くだけだった。ユーコのギラギラした碧い双眸と邪悪に歪んで口角が上がった表情を見た門田は、逡巡し、激烈な悪寒が全身に走り、コマコマくんの腹部のコックピットに飛び乗り、恐怖に身体を震わせながら魚家達の元へ走り去った。入り口の自動ドアをユーコと片田が入ると、
「だ、誰だ、お前達は?」
「やめなさい、給料安いんで」
ユーコが言い終わる前に、サブマシンガンの銃口を向け待ち構えていた虚無僧達に、片田のパイソン100マグナムの銃口が火を吹いた。強力な銃弾を受けて虚無僧達の身体に穴が空き、血飛沫と肉片が飛び散り、壁に叩きつけられる様に吹っ飛んだ。
ひゅ〜と口を尖らせたユーコが片田を一瞥して、エレベーターに乗り込む。ユーコが迷わず、最上階の5F展望台行きのボタンを押した。片田はパイソン100マグナムの空の薬莢を床に落として、弾丸を再装填しながらユーコに聞いた。
「他のフロアは、いいんですか?」
「バカは、高い所が好きでしょ?」
ニチャリと不敵な笑みを浮かべたユーコが片田の顔に視線をやる。そして、液晶のデジタル表示が5Fを示し、エレベーターの扉が開いた。
Ⅷ
神解ポートタワー5F展望台────
ユーコと片田は、アイコンタクトをとると、左右に別れて柱を中心に円形の廊下を進んだ。ユーコの方が先に開けた空間に着くと、
「ユーコか……西行を倒したのか?」
金髪碧眼、歪んだ顔に邪悪な笑みを浮かべたスーツ姿の男、ノース•幅戸がユーコに問いかける。ノースの傍らに、肩から血を流したまま意識を失っている、エージェントKこと清子がいた。
「なんとかね、あのキモい爺さん、あんたが復活させたの?」
血を流して傷つき、意識を失っている清子を一瞥したユーコが答えた。
「ああ、今度は上手くいくと思ったが、お前達の事を少し甘く見ていたな」
ノースがユーコの碧い視線が清子に送られたに気づくいた。
「……ん?このスパイか?VIだったか、イギリスの諜報機関だろ。ずっと私が作ったアンプリチューヘドロン石を狙っていたな。」
ノースが口角を上げてユーコの顔を見ながら言った。
「はぁ、……あんたなんも変わんない、その自分以外は低脳なゴミクズ、ただのモルモットに過ぎないみたいな考え方」
ユーコはそう言うと、サブマシンガンの銃口をノースに向けて躊躇なく引き金を引いた。ノースの身体を銃弾が貫く、だか、身体をビクビクと揺らしただけで、何事もなかったようにスーツに開いた穴を見てノースは嘆息した。
「あの役立たず、アンプリチューヘドロン石を与えたのにな。まあ、西原が居ればいいか……うーん、このスーツは気に入ってたんだがな..」
「西原?凶商の社長の?」
どうやらノースと凶商の西原が、やはりこの地獄を作りだした首謀者で間違いない。
「いいかユーコ、この街はラス(非変異体)とミュート(変異体)が共存するロールモデルになるんだ。お前がクリーナーをやれていたのは、私達のおかげだ。なあユーコ、私の仕事を手伝ってくれないか?」
両手を広げたノースが、ニチャリと邪悪な笑を浮かべてユーコに問いかける。
「手伝う?私にあんたの手下になれっていうの?無理無理、だってあんたは、ただのイカれたテロリスト。全く救いようのない老害」
ユーコはそう言いながら、自分と同じ再生能力を持つノースを、どうするか思考を巡らせる。手札が少ない、片田と合流するまで時間を稼がなければ、そう思考するユーコは、手に持ったサブマシンガンを床に投げ捨てると、ナックルガード付きファイテングナイフを腰から抜いた。
「今日で終わりにする、あんたとの腐れ縁」
ユーコは、そうノースに吐き捨てるように言うと、ナイフの切先を邪悪に笑うノースの顔の方へ向けた。
片田──────
片田が円形の廊下を進むと、床に血を流し倒れる虚無僧の身体を床に這いつくばりながら貪る様に食す、スーツ姿の男がいた。
「最悪です、人喰いゾンビがいます」
片田は、そうユーコに通信すると、不愉快そうにパイソン100マグナムの銃口を虚無僧の身体を貪り食っている男に向けた。床に這いつくばって、虚無僧の身体をガツガツ喰らっていた男が食べるのをやめて、ゆっくり銃口を向ける片田の方へ身体を起こし振り向いた。
「何だお前は?誰だ?」
口元から垂らした赤い血でワイシャツを濡らした男が片田に問いかけた。男の問いには答えず、片田はパイソン100マグナムの引き金を引いた。男の頭部に着弾し、脳漿をぶちまけながら後方に倒れた。頭部を撃たれて倒れた男が低い声で呻き声を上げると、身体がびくんびくんと跳ねて揺れる。片田がさらに倒れた男に発砲する。
「イタイ、イダ、ア、」
男の身体が激しく痙攣してから、悍ましい姿へと変貌していく。男の身体は、分厚くなり、身長もニメートルを越える大柄な変異体へと変貌した。
元の壮年男性の面影を微塵も残さないその変異体は、ゆっくり立ち上がると、異常に盛り上がった左肩に出現した大きな眼球をぐりぐり動かして片田の方を見ている。
片田は、パイソン100マグナムをガンホルダーに戻すと、ブラストグローブの裾を引っ張り、強く握った拳を作って眼前の変異体に殴りかかった。変異体の左腕の骨が変形して、長い角のような鋭利な尖った骨が現れ、殴りかかる片田を迎え撃つように突き刺してくる。
片田は、その尖った骨をギリギリでかわしながら変異体の懐に入り拳を数発叩き込んだ。普通の身体なら破裂するはずだが、変異体は、全く微動だにしなかった。
「硬い」
そう小さく呟いた片田は、スウェーバックして変異体の鋭利な角の攻撃を避けて、一旦距離をとる。変異体が鋭利な角に変化した骨を片田の方へ向け、じりじりと距離を詰めて来る。片田が半身になり左、右と構えをスイッチしながらステップを踏んでいると、
「ぐっ……はあっ」
鈍い衝撃とともに左脇腹に突然走る激痛。片田は、フロア中心の柱の壁に叩きつけられた。変異体の変化していなかった右腕から樹木の様な太い鞭の触手で左脇腹を打たれたからだ。アーマードマキシマムスーツを着ていなかったらおそらく致命傷だっただろう、不味い、非常に不味い状況だ。
片田は思考する。そして、集中し眼を閉じて呼吸を整える。肋骨が折れたか、ヒビが入ってしまったのか、呼吸がきつい。変異体が倒れた片田に近寄って来た瞬間、
「泣けますね」
片田が左腕を取り外して最高銃を撃った。
眩い白い光線が変異体を貫き、変異体の胸部中心に大きな空洞が見えた。肉が溶けて煙を纏ったまま、変異体が後ろに仰向けに倒れた。片田が左脇腹を押さえたまま立ち上がって、歩き出そうとした時、
「Scheiße、想定外です」
ドイツ語で悪態をついていると、変異体がゆっくりと胸部の傷口を再生しながら起きあがろうとしている。片田はとりあえずユーコと合流するため、踵を返して走りだした。変異体も急に走り出した片田を追って歩き出す。走る片田の前に、ファイテングナイフを構えたユーコの背中が見えた。
「ユーコさん、ヤバいです」
「そうね、そいつが凶商の社長、西原昭雄らしいわ」
背中合わせにユーコと片田が話していると、
「西原社長は、この小娘に刺されて死にそうだったから私が治した、お前達では、私達を止める事は出来ない」
ノース•幅戸がにやにやしながら床に転がる、空の注射器を踏み潰した。片田を追って来た西原が再び右腕の鞭の様に伸ばした触手を振りかぶった瞬間、Δ
「クソババア……あんた掃除屋なら何とかしなさい、よ」
静止した時の中で清子がユーコに言った。
「まだ生きていたのかね、無駄だ君と私以外は、動けないだろう?何がしたいんだ?」
ノース•幅戸が銃口を清子に向けた。
「やるじゃんクソガキ」
ユーコのアーマードマキシマムスーツが、碧く発光して、固まった片田を担いでノース•幅戸に突進した。
「バ、バカな、何故、ユーコが動けるんだ」
突進して来たユーコを、前に避けたノース•幅戸が、立っていた位置がユーコ達と入れ替わっている事に気付いたのは、彼の胴体が頭部と両足とが切り離され吹っ飛んだ後だった。西原の触手の攻撃で壁に叩きつけられて、バラバラになったノースの身体が再生しようと、白い小さな蟻の大軍の様な糸束が床の上で蠢いている。
「やるじゃないか、さすが私の娘だ」
「あんたの娘だと思った事は一度も無い」
動き出した時の中で、片田が状況が把握出来ないと視線を周囲に走らせる。そして、西原がバラバラになった肉体を再生させる、ノース•幅戸を触手で掴み覆い被さる。大きく縦に開かれた悍ましい口の様な胸部に取り込み出したのだ。
「クソ、止めろ、おい!西原!何を…」
ノース•幅戸がバラバラになって、上がっていた口角を下げたユーコが静かに呟いた。
「因果応報ってやつの最たるものね」
そして、徐に懐に隠し持っていた赤い石を、清子の胸部をナイフで開いて、ねじ込もうとした時、冷たい違和感を感じた。
「かっ、はあ、がはっ、があああああ」
「あんたに死なれたらノーギャラなの、ようこそ、不死身の世界へ、ク•ソ•ガ•キ」
椅子に座る血塗れの清子の身体が、ビクビクと全身を痙攣させる。
「もっとやさしくしなさいよ!ク、、クソババア!」
血反吐と悪態をユーコに吐きながら清子が立ち上がった。
「で、どうしますユーコさん?」
サイコキャノンを構えた片田がユーコに視線を送る。
「一か八か、さよなら満塁逆転ホームランよ。まあ、最後の切り札は、あんたよ片田。私のかけた保険が上手く作用すればね……」
ユーコはガラス越しに、西原と一体となったノース・幅戸を見つめていた。その視線の先には、光学迷彩で姿を消し、景色に溶け込もうとするコマコマくんの姿があった。コマコマくんはユーコに向かって手を振っていた。ドロドロに溶けて、もはや人の顔の形を留めていない西原の頭部の横に、ノース•幅戸の頭部が出現した。
「クソ、こんな醜い姿に、だがまだだ、お前達に勝ち目はないぞ、ユーコォォォォ」
ユーコ達に向かってノースが言った。
「本当、よく喋るバカね」
ユーコがコマコマくんに左眼でウインクすると、コマコマくんが両腕のガトリング砲をガラス越しに西原とノースの融合変異体に連射して銃弾を浴びせた。
ユーコは、再びアーマードマキシマムスーツをパンプアップさせた。ガトリング砲から放たれる銃弾を喰らって身体を揺らす西原とノースの融合変異体へと、突進していく。
時間がスローモーションに流れる、コマコマくんのガトリング砲の銃弾が止むと鞭の様な触手を振りかぶるのが見えた。ユーコは、その触手より速く加速して、背後に回り込み、大きな背中をよじ登る。その時、ユーコの背後にジェシカの姿があった。
「ジェシカ、お願い」
ジェシカが、鉈でユーコごと西原とノースの融合変異体を串刺しにした。
「片田!全力でぶっ放しなさい!」
「…………わああああああ」
ユーコの怒号が飛ぶ。片田の悲痛な咆哮とともにサイコキャノンから一際、眩い白い光線が放たれた。しかし、遅かった、融合変異体の胸部から触手が現れ、片田のサイコキャノンの軌道を変えたのだ。
「そんな……」
ユーコの微かな呟きが聞こえた。その瞬間、融合変異体の鞭の様に変化した右腕が振りかぶられ、サイコキャノンを再び構えた片田に向かって打ち下ろされる。その時だった、清子が眼を閉じて呟く。
「IR=(−T)アイアールマイナスティー、リバース」
清子の身体に内蔵された電磁波増強チップが、清子自身の念動力と共鳴し、時間反転の対称性をぶち破り宇宙の因果律が乱れる。
それは、宇宙の広大な時間の布地に、まるで漣を立てるかのようだった。時間の海に逆らうように、エントロピーの秩序が再編され始める。融合変異体から放たれようとした攻撃は、その生成の痕跡を辿るように過去へと遡っていく。散逸したエネルギーは凝縮され、宇宙の因果律の網目が、清子の意志のままに組み替えられていくようだった。
IX
スティーブン・ホーキング博士は、時間ループは物理法則に反すると考えた。もし、過去へ行こうとすれば、エネルギーが無限大になり宇宙が壊れてしまう。また、タイムトラベルが本当に可能なら、未来人が現代に現れているはずで、そうした証拠はどこにも無い。だから、時間ループはSFの世界だけの話だと、しかし、それも、ただの予想に過ぎない。
「で、どうしますユーコさん?」
サイコキャノンを構えた片田がユーコに視線を送る。
「一か八か、さよなら満塁逆転ホームランよ。まあ、最後の切り札は、あんたよ片田。私のかけた保険が上手く作用すればね……」
ユーコはガラス越しに、西原と一体となったノース・幅戸を見つめていた。その視線の先には、光学迷彩で姿を消し、景色に溶け込もうとするコマコマくんの姿があった。コマコマくんはユーコに向かって手を振っていた。その瞬間、清子の脳に、ユーコが語りかける声がする。
「やれたのね、で、これ何回目?聞いてんでしょ?私の声?いや意識か、クソガキ」
「これがあんたの保険て訳?100回超えてからいちいち数えてないわよクソババア」
「トライアンドエラーの最たるもんね、まあ、片田が躊躇するのは分かってた、けど、あんたそもそもあいつの心読めないの?」
「そんなのとっくに試したわよ!あいつ読めない、融合したから。二つの意識がぐちゃぐちゃになって訳わかんないのよ!」
「確率二分の一じゃないのか。まあ、上手くいくまでやるとして、最後は頼んだよ清子」
「あんた、この貸はデカいからね」
「あいつ倒してからにしてよねー貸とか」
「クソババア」
「ぷっ、清子シマムラ」
「えっ、ちょっ、なんであんたそれを!?」
そこでユーコの声は途絶えた。清子の鼓膜に、ユーコが奥歯をカチカチと鳴らす音だけが微かに聴こえた気がした。ドロドロに溶けて、もはや人の顔の形を留めていない西原の頭部の横に、ノース•幅戸の頭部が出現した。
「クソ、こんな醜い姿に、だがまだだ、お前達に勝ち目はないぞ、ユーコォォォォ」
ユーコ達に向かってノースが言った。
「Пусть он вспомнит девушку простую,
И услышить, как она поет,
Пусть он землю бережет родную,
А любовь Катюша сбережет.
(プスチ オン フスポームニト ジェーヴシク プラストゥーユ
イー ウスルィーシチ カカァナ パヨート
プスチ オン ゼムリュ ベリェジョート ラドヌーユ
ア リュボーフィ カチューシャ ズベリジョート)
(彼に純真な少女を思い出させて、彼女が歌うのを聞かせて、彼に祖国の地を守らせて、
カチューシャは愛を守る)」
ユーコがロシア語でカチューシャの曲を歌いながら、コマコマくんに左目でウィンクする。コマコマくんは、その合図を理解し、両腕のガトリング砲をフル回転させ、西原とノースが融合した変異体に銃弾の雨を浴びせた。ユーコは、再びアーマードマキシマムスーツをパンプアップさせた。ガトリング砲から放たれる銃弾を喰らって身体を揺らす西原とノースの融合変異体へと、突進していく。
時間がスローモーションに流れる、コマコマくんのガトリング砲の銃弾が止むと鞭の様な触手を振りかぶるのが見えた。ユーコは、その触手より速く加速して、背後に回り込み、大きな背中をよじ登る。その時、ユーコの背後にジェシカの姿があった。
「ジェシカ、お願い」
ジェシカが、鉈でユーコごと西原とノースの融合変異体を串刺しにした。
「片田!全力でぶっ放しなさい!」
「Wir entfliehen dem schwarzen Wald der Zeit.
(ヴィア エントフリーエン デム シュヴァルツェン バルト デア ツァイト.)
(私たちは時間の黒い森から逃れる。)」
ユーコの怒号が飛ぶ。片田のサイコキャノンから一際、眩い白い光線が放たれた。西原とノースの融合変異体の頭部以外全てが消し飛ぶ。ジェシカは、咄嗟に床へ伏して避けた。清子は、奥歯を強くカチリと鳴らすと、音速で走り出した。片田の撃ったサイコキャノンの衝撃波で、西原とノースの融合変異体の頭部、ユーコの頭部と右腕が、ガラスを突き破り空中に投げ出された。
「Мама ждет тебя в аду, чертов папа.
(ママ、ンデェヨッツィヴェアヴァド、チェルトフパパ)
(地獄で母さんが待ってるわ、クソ親父)」
そうロシア語で囁くユーコの唇が動いた。ユーコが右手に握った手榴弾を、融合変異体が再生しようとしている首元にねじ込もうとしたが、再生途中の首元から現れた触手によって弾かれた。しかし、その瞬間、音速で突進してきた清子が、空中に放り出された手榴弾を掴み取り、ユーコの右手に投げつけた。
そして再び融合変異体の首元にユーコが手榴弾をねじ込んだ。
「ユーコさあああああああああぁぁぁぁん」
ニチャリと邪悪な笑みを浮かべたユーコの顔が、絶叫する片田の視界に入った。落下する西原とノースの融合変異体が、爆発する音が夜空に響いた。片田は焦燥し床にヘタレ込んだ。清子がサイコキャノンの衝撃波で破壊された窓際まで歩いて行くと、視線の先に壊れた窓枠に引っかかるワイヤーアンカーを捉えた。
「カッコつけ過ぎよ、クソババア…」
ジェシカが清子の背後から歩み寄り、ワイヤーアンカーの方へ手を伸ばした。
X
三年後──────
「真島が路地に入りました」
「了解」
蜥蜴の様な風貌の男が路地に逃げ込む。その背後から金髪碧眼、碧い双眸をギラつかせた小柄な黒いスーツの女が歩いて来た。
「何なんだ?ミュートにラスが勝てるとでも思ってんのか?」
蜥蜴男が女に向かって爪で切りつけた。女は、その爪を避けて右拳を蜥蜴男の腹に叩き込んだ。
「ぐはあっ、ま、待ってくれ、俺は何も知らないんだ、本当だ」
「なら、何故逃げたの?」
「そりゃあ、怪しいラスに追われりゃ逃げるだろ?」
女がハンドガンの銃口を蜥蜴男の眉間に突きつけた。
「あ、あんた、い、一体誰なんだ?」
「私は、ユーコ•那加毛、掃除屋よ」
ユーコが引き金を引いた。
──────
See you in the next heaven someday somewhere…




