EPISODE X ALL YOU NEED IS HATE
「夢はいつもわしらを苦しめるものだ。悲しい夢はわしらの夜を台なしにし、楽しい夢はわしらの昼を傷つける」
『地獄』 ─────アンリ•バルビュス
I
「追い詰めた、駐車場の中にいる」
「了解」
片田に無線で告げると、ユーコは両手に握りしめたハンドガンの弾倉を交換し、駐車車両の陰に身を潜めた。
「畜生、クソクリーナーどもがぁ、ぶっ殺してやる。お前を切り刻んで食ってや、ガァア」
野島の顔は醜く歪み、皮膚はザラついた爬虫類の如く変貌を遂げていた。
「アギエゲウガアラアァァア」
筋骨隆々となった野島の咆哮が背後から轟く。ユーコは姿勢を低くし、銃を構え、野島の死角からゆっくりと接近した。
「もう終わりだ、野島!」
躊躇なく引き金を引く。ハンドガンの轟音が響き渡り、野島の巨体が跳ねたが、倒れこむ気配はない。
「グルォガガ、オマエハ、ダレダ?」
野島は下を向いたまま、ユーコの方をじっと見つめ、ぎろりと睨みつけた。ユーコが「私は、ユー…」と呟きかけた瞬間、野島の頭蓋骨はまるで熟れた西瓜が割れるように炸裂した。脳漿と血塊が、真っ黒な粘土細工のようにユーコの顔面に叩きつけられる。
「最悪…ちょっと、片田あんた」
ユーコの声は、黒血と肉のシャワーを浴びせられたにも関わらず、冷静さを保っていた。しかし、その瞳には動揺の色が滲み出ている。
「私じゃないです、ユーコさん、後ろ!」
「は?」
振り返ったユーコの視界に飛び込んできたのは、迷彩柄の兵士達だった。彼等は、半円状にユーコを取り囲んでいた。
「あんた達なんなの?」
「武器を捨てろ。そして、両手を上げてこちらに向けろ」
兵士の一人が、冷徹な声で命令する。ユーコは、地面にハンドガンを叩きつけ、両手をゆっくりと上げた。
「よし、そのまま、動くな」
兵士たちの視線は、一点に集中している。ユーコが少しでも動きを見せれば、容赦なく引き金を引くだろう。ゆっくりと屈もうとしたユーコが、腰に手を伸ばした瞬間、地獄絵図が繰り広げられた。兵士たちの銃口から火花が散り、銃弾がユーコの体を貫く。
血飛沫が舞い上がり、ユーコの体が揺れて後方に倒れた。しかし、彼女の体は再生を始めていた。銃弾の跡がゆっくりと塞がり、まるで何もなかったかのように元に戻っていく。
ユーコは、左手を腰に伸ばし、蒼い瞳を夜空に据えつけていた。血に染まったアスファルトに仰向けに横たわる彼女は、まるで星を見上げる子供のように無垢で、そして怒りに満ちていた。一人の兵士が、アサルトライフルを構え、ゆっくりとユーコに近づいた。彼の足跡は、静かに月の光を飲み込んでいった。
蒼い瞳は、まるで宇宙の深淵を覗き込むよう。腰の下に隠されたカランビットナイフに、人差し指が食い込む。兵士の銃口が、彼女の視線の彼方、果てしない闇へと消え入りかけたその時、彼女の唇に一抹の笑みが浮かんだ。鋭い刃が、不意に兵士の足首を掠める。
刃が兵士のアキレス腱を切り裂いた。ユーコの顔には、邪悪な笑みが浮かんでいた。両足で兵士の足を挟み込み、そのまま地面に前のめりに倒す。ユーコの脇腹に、鈍い痛みが走る。被弾したようだ。銃を乱射しながら覆い被さる体勢で倒れてきた兵士の喉に、ユーコは左手の端から突き出たナイフの刃を当て、躊躇なく引いた。
兵士は言葉にならない呻き声を上げ、喉から鮮血を垂れ流す。そのまま喉を掻っ切った兵士に、ユーコの右肘が相手の顔の前に来るようにして左右の頚動脈を絞め上げた。兵士を盾にした状態で立ち上がるユーコに、残りの三人の兵士が躊躇なくアサルトライフルを発砲する。無数の銃弾を肉盾にした兵士の身体が激しく揺れる。
そして、盾にした兵士の腰辺りをユーコは、銃撃している兵士達の方へ蹴り飛ばした。正面にいた兵士にユーコが盾にした兵士が抱きつくように押し出される。左側にいた兵士の銃口から射出される火花がユーコの視界を遮った。
乾いた重い音と共に放たれる銃弾を、ユーコは研ぎ澄まされた体捌きでかわしながら、兵士の右腕をカランビットナイフで何度も刺した。刺されて体勢を崩した兵士を、ユーコは右手で手繰り寄せ、右側にいた兵士に銃口を向けさせて引き金を引かせる。
右側にいた兵士もユーコに向かってアサルトライフルを連射したが、盾にした兵士に着弾して左右の兵士達を同志撃ちにした。抱きつく様に持たれかかった兵士の死体を、蹴り飛ばした正面にいる兵士が、ユーコに銃口を向けて引き金を引こうとした瞬間、兵士の視界がホワイトアウトし意識が消失した。ユーコは、背後から迫る熱風を感じて中腰になり、咄嗟に左側に飛んで避けた。
片田が、ユーコの背後からバスターライフルで兵士を狙撃したからだ。撃ち抜かれた兵士の胴体は爆ぜ、消失していた。
「あっぶなー」
ユーコは静かに立ち上がり、左手に持ったカランビットナイフを弄びながら腰のホルダーに収めた。喉を掻き切られた兵士の死体からアサルトライフルを奪い取り、
「ったく、舐めやがって」
ユーコは被弾した脇腹に遅れて訪れる激痛に顔を歪めながら、奪ったアサルトライフルのマガジンを抜き取り、残弾数を確認した。手慣れた手つきでマガジンを装填し直すと、兵士の死体をまさぐって身元を特定できるものを探したが見つからなかった。
「で、状況は?」
「はい、もう大丈夫そうです」
無線を切ったユーコが、他の兵士の死体からアサルトライフルのマガジンと、手榴弾を全て回収して、駐車場の角に停車した車に乗る片田と合流し、助手席側のリヤドアーを開けて乗り込んだ。
「私達、ハメられたって事?」
「今の状況だと野島は私達を誘き出すための囮で、ハメられた可能性が高いですね」
「目的が分から…」
ユーコの声を遮ったのは、ポケットの中で揺れるスマホだった。
「ユーコさん今、大丈夫ですか?魚家です」
「どーも魚家さん、ええ、大丈夫じゃないけど大丈夫」
「今、どちらですか?」
「税関前の駐車場だけど」
「無事なら良かった、ハヤブサ君がやられました。ちょっと不味い事が起きまして、今から事務所で会えますか?」
「15分ぐらいあれば戻れると思います」
「じゃあ、詳しい事は事務所で」
「了解」
ユーコは通話を切り、片田に視線を戻した。その時、ヘッドライトが照らす先に、奇妙な影が浮かび上がった。先程殺したはずの三人の兵士達が、ゆらゆらと身体を揺らしていた。
Ⅱ
「嘘、タフなやつら」
「どうしますユーコさん?」
殺されたはずの兵士達が、首から注射器を抜き取ると、ナイフを構えてユーコ達が乗った車に向かってゆっくり歩いて来た。
「しゃらくさ、この死に損ないども」
後部座席のウインドウを全開にしたユーコが、先ほど奪い取ったアサルトライフルを構えて撃ちまくる。兵士達の身体を銃弾が激しく揺らす。だが、後ろに倒れる事はなかった。そして、ユーコの放った銃弾の雨をもろともせず、ゆっくりと前進して来る。
「ユーコさん、全然アイツらに効いてません」
「これならどう?」
ユーコはそう言いながら、手榴弾を宙空に放り投げた。手榴弾は弧を描き、兵士達の頭上へと吸い込まれていく。爆発音は、耳をつんざくばかりの轟音となって駐車場に鳴り響いた。
吹き上がる火炎と爆風。兵士達は手足を吹き飛ばされ、肉体は四散した。だが、それはほんの一瞬の出来事だった。まるでスローモーションを見ているかのように、兵士達の体からミミズのような細い筋繊維が蠢き出す。欠損した肉体はみるみるうちに再生し、兵士たちは再び立ち上がった。
「あちゃー、出られそうにないかも?」
「そうですね」
片田はユーコの言葉に短く答えると、運転席から身を乗り出した。そして、ハンドルから手を離すと、両手にブラストグローブを装着した。その手つきは、迷いがなく、熟練した職人のようだった。片田の顔は、冷静さを保ちながらも、戦闘への覚悟をにじませていた。
「殴り殺せる?アイツら再生するみたいだけど?」
「このブラストグローブ試してみたかったんで、丁度良いです」
片田は運転席のドアを開けると、車からゆっくりと降りた。
そして、ボクサーが試合前に見せるような、軽くリズミカルなステップを踏みながら、体の各部を慣らしていく。その動きは、これから始まるであろう激しい戦いを前に、心身を研ぎ澄ましているようだった。
ユーコもまた、片田に続いて車から降りると、手にしていたアサルトライフルの銃口を、ナイフを構えて迫りくる兵士たちに向けた。
「行きます」
片田はそう言い放つと、兵士との距離を一気に縮めた。ナイフの切っ先が迫るが、片田はダッキングで難なくそれを避ける。
そして、兵士の懐に潜り込むと、左右の拳を炸裂させた。
「素手で不死身の俺に…」
片田の打撃を受けた兵士の肉体が、まるで内側から爆発したかのように破裂する。
「だから不死身だっつんてンダ…ロ」
片田は、左右から同時に襲いかかってくる兵士たちにも、素早い体捌きから打撃を叩き込んだ。
「身体が内部から…オロ」
「何をし…ガバスッ」
兵士達の身体が次々と破裂し、黒い血飛沫と砕け散った肉片が辺りに降り注ぐ。片田の動きは速く、そして正確だった。兵士達は、再生する間もなく、次々と片田の拳によって破壊されていく。
「ヤバッ⁈北斗◯拳」
ユーコがアサルトライフルを構えたまま、片田の近くまで歩み寄ろうとした時、背後から冷たい声が響いた。
「さすがにただの傭兵ごときじゃ勝てないか、幽合会のお二人さん」
ユーコは足を止め、ゆっくりと振り返った。
「誰よ、あんた」
駐車場の出口の方から、闇のように黒い人影が近づいてくる。その人物は、ユーコの姿を認めると、嘲笑うかのように口を開いた。
「あなた方クリーナーを始末しに来た、西行と申します。アンチクリーナーとでも言いましょうか」
白く染め上げられた髪と髭。老人は、生ける屍のような蒼白な顔をしていた。西行。老人はそう名乗った。まるで、この世の住人ではないかのように、静かで、ゆっくりと、しかし確実に二人に近づいてくる。
「アンチクリーナー?何それ?要するに、唯の殺し屋かテロリストって所?」
長い白髪を風に流し、黒いスーツに包まれた西行は、その胸ポケットから小さな瓶を取り出した。古びた硝子の瓶の中には、得体の知れない液体が満ちている。西行は、誰に聞かせるでもなく、ひとりごちるように何かを呟きながら、その液体を一口で飲み干した。喉を通り過ぎる感触を確かめるように、静かに目を閉じた。
その様子を、片田はただ黙って見つめていた。しかし、西行が瓶を飲み干した瞬間、片田の表情が変わった。まるで何かのスイッチが入ったかのように、鋭い眼光が西行に向けられる。片田の体は、瞬時に低く構えられ、西行に殴りかかろうとしたその瞬間、その拳は、片田自身もよく知る、見慣れた忍刀によって阻まれた。
「片田さん、あなたの相手はその忍者だ。そう怖い顔で睨まないでいただきたい」
「ハヤブサさん、なんで?」
深紅に染まったハヤブサの瞳は、まるで血を吸い込んだ宝石のようだった。その強烈な赤色は、片田の視線を釘付けにする。ハヤブサは、片田の顔をじっと見つめている。しかし、ハヤブサは一言も発しない。沈黙は、まるで重い足枷のように、片田の体にまとわりつく。
「私の相手は不死身の再生者、ユーコ•那加毛、あなただ。」
「へぇ、あんたその忍者を操ってて、私の能力も知ってんだ。ヤバ」
「あなたよりはヤバくないですよユーコさん、殺しても死なない。……いや死ねな」
西行の言葉が宙に消えるよりも早く、ユーコの指が引き金に触れた。アサルトライフルの銃口から火花が散り、乾いた轟音が静寂を切り裂く。
「無駄無駄」
西行は、ユーコの放った弾丸が自分の体を貫くのを、まるでスローモーションを見ているかのように感じていた。痛みは感じなかった。ただ、体が揺らぐ。それだけだった。
笑みを浮かべたまま、西行は自分の体を見下ろした。ユーコの弾丸が撃ち抜いた箇所を中心に、片田が殴り殺した傭兵たちの肉片が、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように集まってくる。黒い血が糸のように伸び、肉片同士を繋ぎ合わせる。欠損した肉体は、まるでパズルを組み立てるかのように、急速に再構築されていく。
その光景は、異様でありながらも、どこか神聖な儀式を見ているようだった。肉片が集まり、血が循環し、失われたものが再び形を成していく。西行の体は、まるで死から蘇ったかのように、再び完全なものへと戻っていく。
「まさか西行って、ネクロマンサー西行。五年前、市民病院で五百人以上殺して姿を消した…ネームドの」
「御名答、私がネクロマンサー西行だ。まあ、そう呼んでいるのは、お前らクリーナーや警察だけだがね」
アサルトライフルを構えたユーコの額に汗が滲んだ。西行が両手の手指で印を結び呪詛を唱えると、口から紫煙をふぅーと吐いた。
頭部のない野島の死骸と片田が狙撃した傭兵の死骸が、西行の足元に磁石の様に吸い寄せられ西行と融合していく。西行の身体を覆う肉片が鎧の様に変化した。
「何でもありね」
そう呟きながらユーコは、空になったマガジンを落として次のマガジンを再装填する。
「撃ってこないなら、こちらから行かせてもらおう」
西行の拳は、すでに人間のそれとはかけ離れた異形の塊と化していた。肉の鎧で覆われた拳が振るわれると同時に、無数の肉の触手が蠢きながらユーコに向かって伸びてくる。それはまるで、意思を持った触手の群れが、獲物を捕食しようとしているかのようだった。
ユーコは、迫りくる触手を視界に捉えながら、アサルトライフルを乱射した。銃口から放たれる弾丸は、触手に命中するたびに肉片を飛び散らせるが、触手の勢いは衰えない。
ユーコは、弾丸を撃ち尽くす前に触手の射程距離から脱するため、走り出した。背後から迫りくる触手の気配を感じながら、ユーコはひたすら走り続けた。
「しつこ、グロいしマジ無理」
弾丸を掻い潜り伸びてくる触手を、避けるために駐車された車の影にユーコが飛び込んだ。
「隠れても無駄だぞ」
西行がまた腕をブンと振るい肉の触手をユーコが隠れた車に向けて放ち、駐車された車を突き破り軽々と宙にぶん投げた。
「アホね」
西行の視界に飛び込んで来たのは、オーバースローで思い切り手榴弾を投げこむ金髪を靡かせ碧眼を光らせる、ニチャリと邪悪に顔を歪めるユーコの表情だった。
「何だ?」
西行の足元で手榴弾が爆発した。爆風を背にユーコは、乗って来た黒い4WDに向かって走り出した。
Ⅲ
忍刀を構えたハヤブサの、必殺の間合いに入らぬように片田は左腕を下げ、右拳を顎の横に持ってくるデトロイトスタイルの構えをとって間合いを測る。ハヤブサが間合いを詰めた瞬間、袈裟斬りで片田を斬りつけた。
忍刀の斬撃をかわし、右拳をハヤブサに向かって突き抜ける様に伸ばそうとした瞬間、ハヤブサの左腕の肘から先がだらんと下がるモーションを視界に捉えた片田は、咄嗟に左側へ飛び避けた。ハヤブサの変形した左腕の砲口から、凄まじい高熱と爆炎が放たれた。
「ブラストグローブじゃ勝てないか」
そう呟きながら片田は、頭の中でハヤブサとの戦闘展開をシュミレーションする。左腕のレールキャノン砲を近距離で撃ち合えばお互い無事ではいられないだろう、こっちは一発だがハヤブサは両膝からも撃ってくる、何度シュミレーションしてもお互い消し炭になるイメージしか浮かばなかった。
片田は立ち上がり、体勢を整えてステップを踏みながら左腕を下げて、再びデトロイトスタイルの構えをとった。ハヤブサの忍刀から放たれる斬撃をかわしながら、片田は左拳から鞭の様にしなるフリッカージャブを叩き込む。熾烈な削り合い、刀をかわして懐に入ったとして、近づき過ぎるとキャノン砲の餌食になってしまう。
片田は、どうにもこうにも、ハヤブサとの間合いを詰められずにいた。素手での戦いでは、いかに相手に近づくかが鍵となる。だが、ハヤブサはそれを許さない。しばらくの間、両者は膠着状態に陥っていた。
先に動いたのは、片田だった。ステップを踏みながら、半身で弧を描くように、ハヤブサの周りを移動する。ハヤブサは、忍刀を低く構えた姿勢から、片田の足元を狙って斬りつけた。片田は、バックステップで斬撃をかわそうとしたが、駐車している車が邪魔で下がれない。車を乗り越えるように飛び上がった。その瞬間、ハヤブサの動きが止まった。
「Scheiße」
最悪の状況に自分の迂闊を呪った片田は、乾いた喉から絞り出すようにドイツ語の悪態を吐き捨てた。
飛び上がった片田に向けて、ハヤブサは両膝の部分を開き、キャノン砲を撃つ体勢に入った。強力な高熱と衝撃波が放たれる。手遅れだ。まずい。そう思ったが、片田にできることは、顔の前で両腕をクロスさせ、両膝を胸に向かって上げ、できるだけダメージを抑えるために防御の姿勢を取ることだけだった。
その時、片田の真下にあった車が、ハヤブサのキャノン砲を遮るように横転した。ユーコがアームパッドから伸びたワイヤーアンカーで、車を引っ張り起こしていたからだ。
「あんたマジで何やってんの?手加減してたら死ぬよ?そいつはもう、死んでんの!」
爆風と破壊された車の残骸を、片田は身に浴びながら、無線から響くユーコの辛辣な声を聞いた。左眼に飛び散る車の破片が視界を奪い、後方へ吹き飛ばされて倒れた片田が起き上がった時、周囲の喧騒が耳から遠ざかった。全身がひとつの殺戮機械と化すような感覚。目標は、ただ目の前にいるハヤブサを撃破すること。
ハヤブサのキャノン砲は、おそらく右腕に残る一発のみ。あらゆる雑念を払い、意識を研ぎ澄ます。左眼を閉じ、ステップを踏みながら左腕を下げ、右拳を顎の横に構える。デトロイトスタイルの構え。
ハヤブサが低い姿勢で近づいてくる。見える、さっきよりもハヤブサの攻撃や動きが手に取るように見える。ギリギリのところで斬撃をかわし、左腕から放たれるフリッカージャブを叩き込む。当たる、しかし、ブラストグローブの効果をもってしても、ハヤブサの身体は破裂しない。
徐々にハヤブサの忍刀を振る速さに慣れ、避けてはフリッカージャブを放つという迎撃行動が、まるで機械のように自動化されていく。もう何度ハヤブサに打撃を与えただろうか、わからない。だが、身体が勝手に動いている。
片田の打撃をまともに受け続けるハヤブサが、左肘から先をだらりと下げ、キャノン砲を撃つ素振りを見せた。ブラフだ。左肘から飛び出た砲口からは、やはり何も出ない。ハヤブサは右手に握った忍刀を上段から振り下ろした。
片田は、その上段から振り下ろされる忍刀を両手で白刃取りし、思い切りハヤブサの腹部に中段蹴りを叩き込んだ。忍刀を奪われ、片田の蹴りで後方へ飛ばされたハヤブサが、右肘から先をだらりと下げ、キャノン砲を撃つ構えを取ろうとした瞬間、ハヤブサの視界から片田が消えた。
「撃破」
背後から片田の声が聞こえた。ハヤブサの上半身が下半身から切り離され、どさりとアスファルトの上に落ちる。虚空を見つめるハヤブサの頭部。片田は握った忍刀をハヤブサの咽喉に突き刺した。
Ⅳ
遠くでユーコが何か喚いている、だんだん聴覚が明瞭になってきた。はっと我に帰った片田が辺りを見渡すと、忍刀が咽喉に突き刺さったハヤブサの上半身と、立ったままの下半身が視界に入った。
「助けてー、ちょっとー片田」
声のする方へ片田が視線をやると、西行の身体から伸びた肉の触手に両手両足を拘束されたユーコが見えた。
「忍者を屠ったか、こいつよりお前の方が厄介だな」
「え、ハヤブサさん」
片田の足首をハヤブサの手が握っている、するとハヤブサの赤い眼からレーザーが照射されて、
「32 04 61 04 23 98 63 03 49 5110」
という数字が片田の身体に写し出された。
「それがハヤブサさんの、…了解しました」
片田はハヤブサに突き刺した忍刀を引き抜いて、地面に横たわるハヤブサの上半身を右手で抱き抱えた。
「ありがとう、ハヤブサさん」
西行がユーコを触手で拘束したまま、片田の方へ新たな触手を伸ばして来た。
「お前達は良い傀儡になりそうだ」
伸びて来る肉の触手を忍刀でいなしながら、片田が西行へ向かって突進して行く。西行の肉の触手を掻い潜る最中、片田の脳裏に誰かの記憶の断片が流れ込む。少年とその父親が歩きながら話している。
「おとう、大きくなったら、おとうの様な立派な忍者になりたい」
「本当にそう思っておるのか?ハヤブサよ、忍者とは一体、何のために生きている?物心つくやつかぬ幼い頃から厳しい忍術の修行に駆り立てられ、標的の元へ差し向けられて命を的に働かねばならん。
もし捕らえられた時は、如何なる拷問を受けようとも実を吐かず、名を明かさず、ひたすら死を願うべし。
死地に行って脱する事、叶わざる時は、火を持って己の顔面を焼き、」
少年が続ける、
「火なき時は顔面を刃にて損ない、万に一つも何人たるかを知らせるべからず。
闇の最中に生まれ、闇の最中に死ぬ、これ忍者の生きる道、死する道と心得るべし」
父親が足を止めて少年の顔を見た。
「忍者には誇りも喜びも、許されないんだぞ」
「でも、おとうの様な立派な忍者になりたい」
「忍術をお前に伝えるべきではなかった。
どこか、争いのない静かな所で、お前と暮らしたかったな」
片田の閉じたられた左眼から、一筋の血が頬を降る。
「やるな小娘、片手では無理か、ならば…」
西行がユーコの触手による拘束を解いて、迫って来る片田の方へ集中させる。片田は、ハヤブサの上半身を右腕で抱いたまま、西行との距離を詰めた。西行は触手を壁のように変態させて片田の接近を阻んだ。
「斬れるものなら斬ってみろ、それ以上、近づけまい」
「外道、滅殺」
片田の唇が動いた時、ハヤブサの声が聴こえた気がした。ハヤブサの右腕の肘から先がだらんと下がり、キャノン砲の砲口が高熱を帯びる。片田は忍刀から手を離し、左腕のメカニカルアームを変形させてレールキャノンの砲口を、西行が作り出した肉の壁に向けた。
ハヤブサと片田が同時にキャノン砲を放った。超高熱の熱線に西行の肉の壁が光に包まれ焼かれていく。
「危ないな、今のは危なかった」
西行が纏っていた死肉の鎧が溶かされ、腐肉が焼ける様なえげつない悪臭を身体全体から漂わせて膝をついている。
「今のが切り札なら、お前の負けだ」
西行が印を結んで何か呟こうとした瞬間、轟音を伴った白い光と共に物凄い衝撃波が、膝をついたまま印を結んでいた西行の半身をごっそり消失させた。
「ちっ、少しズレた、やっぱこれ反動が強すぎて私にはキツい」
ユーコがバスターライフルで狙撃していた。
「まだよ、片田っ!仕留めて」
ユーコの声が無線から鳴った。片田は地面の忍刀を拾い、バスターライフルにごっそり焼かれて半身を欠損した西行に、右手に抱いていたハヤブサの上半身を西行に重なる様に置いて、忍刀で串刺しにした。
「ぐわああああ、まだだ、まだ死なん、肉体なぞ幾らでも死肉を使って再生出来る。私が何年生きてるいるのか知ってるか小娘?」
「知るか、ボケ、です。」
そう吐き捨てた片田が踵を返して走り出した。
「ユーコさん!ここから出来るだけ離れて下さい!早く!」
「え、なんで、ええ!?」
片田が戸惑うユーコの腕を掴んで、西行から離れるように全力で駆けようとした瞬間、凄まじい衝撃波と熱風を伴う大爆発が起こった。二人は吹き飛ばされ、地面に転がる様に倒れた。
キーンと嫌な耳鳴りと背中の辺りで衣服が焦げた臭いがする、ユーコと片田は脳が揺れて意識が朦朧とした状態で、目だけを動かして辺りを見る。顔を歪めたユーコの碧い視線と片田の視線がぶつかった。
Ⅴ
「いったー、もう何なのよあの大爆発は?」
「あれは、ハヤブサさんです。私じゃないです」
「はあ?コスプレ忍者はあんたがぶった斬って殺したじゃない」
片田がユーコに耳打ちして告げた。
「32 04 61 04 23 98 63 03 49 5110、ポケベルのやつか、じ、ば、く、3、ふ、ん、至急、ファイト…なるほどね」
「あの、ユーコさん、私、傷だらけでこのクソ重いバスターライフル担いでるんですけど」
「あんたそのバスターライフルめっちゃ高いの、大事だからもう一回言うわ、めっちゃ高いの」
ユーコの歪んだ表情と、碧い瞳から片田に注がれる凄まじい圧力が片田を沈黙させた。
「Oh bye for now…」
ユーコのスマホが鳴った。
「えええ、着信音、T-BOLAN?」
片田が顔を顰めて、電話に出るユーコを見ている。
「はい、大丈夫、今向かってるわ」
事務所で待つ魚家からの連絡だった。通話ボタンを押して電話を切ったユーコが、ポケットにスマホをねじ込み、二人とも寂しい表情のまま、黙って事務所の方向へと再び歩き出した。
「ユーコさん、片田さんも大丈夫ですか?お二人ともそんなにボロボロになって…」
事務所に帰ると魚家がおろおろしながら二人を出迎えた。
「アンチクリーナーだとかほざいた、ネクロマンサー西行ってネームド倒したわよ」
「えっ!?、ええ、ネクロマンサー西行って、五年前に市民病院で五百人以上殺した」
ピリッとした表情に変わった魚家が、頭を掻きながら吸いかけの煙草を灰皿にねじ込んだ。
「そうよ、そいつが忍者操って襲って来たのよ、それより野島を追って行ったらハメられたのよ!一体どうなってんのよ、説明して欲しいんだけど」
「それが、ハヤブサ君が襲われたのは、クリーナーの日常を動画サイトに投稿された事が原因で、おそらくその動画を制作していた関係者からクリーナー達の住所を聞き出して襲っていたらしいんですよ」
「あ、あの実録モーニングルーティンの奴、じゃあ忍者以外のクリーナーも?」
「はい、ハヤブサ君を入れて十名が殺害されていました。ハヤブサ君の遺体を病院に搬送している途中に遺体が消えたと報告を受けまして」
「ふーんそれで、野島の件は?」
「野島はおそらくユーコさん達、というかクリーナーを誘き出すための、ただの囮だった可能性が高いですね」
「そう、本当にクリーナーをハントする目的だったの、ネクロマンサー西行って何者なの?」
「西行は、本名、西原行雄。百五十年前に凶異商会を創業した男です」
「ふーん、凶商の、はっ?百五十年前?どゆこと?」
「そうなんです、西行が凶商を興した後、三十年ぐらいして蒸発しまして、今の凶商に関わってないんですが五年前に突然現れて、市民病院で大虐殺を起こした、としか分からないです」
ユーコと魚家が眉間に皺を寄せて、頭を抱えていると、
「Oh bye for now…」
ユーコのスマホから流れるT-BOLANの着信音が事務所内に充満していく。
「はい、幽合会のユーコ•那加毛です。どちら様でしょうか?」
「もしもし、ユーコか、久しぶりだな、私だ、西行を始末したらしいな」
金髪碧眼、死人の様な蒼白い顔、ドラゴンビルで逃した、ユーコの父親、ノース•幅戸の忌々しい低い声がユーコの鼓膜を揺らした。
「は?まさかあんたの仕業なの?」
「まあ、彼は充分役に立ったよ、おかげで準備もすんだ、この電話を切った時、神解は生まれ変わり、世界で唯一、ラスとミュートが共存する素晴らしい街へと進化する」
「何言ってるか全然分かんないんだけど」
「すぐに分かるさ、じゃあエンジョイしてくれたまえ」
そこで通話が切れた。すると、事務所にいる全員のスマホが一斉に、緊急アラートを知らせる警報音をけたたましく響かせた。
「地震?一体何の警報だ?」
「まさか、これって…」
ユーコが言いかけた瞬間、強い振動が事務所全体、いや、ビル全体を揺らしている。魚家が慌てて机の下に潜り込む、片田は冷静にノートPCを畳んで周囲を警戒している。ユーコは、スマホのディスプレイをじっと見ながら操作していた。暫く揺れが続いた後、ゆっくり振動が治ってきた。
「もう、大丈夫ですかね?」
机の下から魚家が恐る恐る尋ねた。
「一応、治りましたね、揺れ」
「どういう事か全く分からないわ」
片田が窓の外を指差して目を見開いている。
「何?」
片田が指差す窓の方へユーコが視線を向けると、
「一体何が起こってるの、これは…」
三人は窓の外を見て驚愕した。
Ⅵ
税関前駐車場から立ち上る豪炎が、黒い夜空を茜色に染めている。首辺りが酷く痛む、鼠が首の辺りを啄んでいる、頭だけになったらしい。
「ク、クソが、こ、小娘どもに遅れをとったわ、だがな、まだだ、まだ終わらんぞ、クソ鼠め、やめんか、ゴボァ…がっ」
西行の視界に、見覚えのある革靴がこちらへ向かってくるのが見える。
「ヤブ医者か」
「西行さんユーコにやられましたか?随分酷い有り様で」
「相方の機械人の方が手強くてな」
眼球を限界まで上の方へ向けると、片方の口角が上がった金髪碧眼の男、ノース•幅戸が私を見下ろしている。
「ヤブ医者、その辺の死体を持ってきてくれんか?後、こ、この鼠」
西行が言い終わる前に、ノース•幅戸の革靴が鼠をグチャっと踏み潰した。そして、何処からか上半身しかない兵士の死体を西行の首に近づけて頭部をまた革靴で踏み潰して置いた。
「まあ仕方がない、応急処置って奴です」
西行が低く、地の底から響くような呪詛を唱え始めると、信じがたい光景が目の前で繰り広げられた。無残に横たわっていた兵士の死体が、まるで意思を持つかのように西行の首へと吸い寄せられ、その肉塊がむき出しの骨と骨、臓器と臓器を縫い合わせるように融合していく。グチャリ、ブチリと不気味な音が響き、見る間に異形の肉体が形作られていく。
「いやぁ、しかし興味深い。あなたのその死体再利用技術、医療ではなく呪術でしたか?ぜひとも研究したいものですね」
ノース・幅戸は、融合した兵士の体がビクビクと痙攣するのを冷徹な視線で見つめながら、両手を地面に突き立ててゆっくりと起き上がる西行に声をかけた。
「それで、これからどうすると?」
ノース•幅戸は西行を見下ろすように問いかける。彼の顔には、苦痛か、あるいは新たな力を得た歓喜か、判別のつかない歪んだ表情が浮かんでいた。
「あなたのその死体再利用技術に、私の作ったこのアンプリチューヘドロン石を足せば、次は勝てますか、西行さん?」
そう言いながら、ノース•幅戸は掌に載せた真紅の石を私に見せつけた。それは、闇の中でも脈打つかのような、深淵な赤色を凝縮した塊。無限の面を持つその幾何学的な輝きは、この世の理を超えた力を秘めていることを示していた。奴の顔に浮かぶ、気色の悪い邪悪な笑み。全く嫌な奴だ。
──────
See you in the final hell…




