EPISODE IX ALL YOU NEED IS BLOOD
I
「だいたいですね〜ユーコさんは、いっつも後先考えないから」
「も〜分かった、分かったからさ〜」
「にゃにが分かったんですか!何が?」
唖々噛對四丁目の焼き鳥屋「へるふぁい屋」のカウンター席。十杯目のハイボールを煽り上げ、片田は赤ら顔でユーコに絡んでいた。日頃の鬱憤をぶつけるように、だらしなく酔っ払い、やれやれとため息をつくユーコの視線の先には、頬を赤らめた片田の顔が浮かび上がっていた。
「だからですねー、あっ」
片田が酔って隣の客の肩に触れた。
「す、すいません、大丈夫れすか?」
「私は大丈夫です、だいぶ良い酒を飲んでらっしゃるようで..」
片田の隣には、黒いレザーコートを羽織った男がいた。男の肩は異様に盛り上がり、まるで鎧をまとっているかのようだった。水平に刈り込まれた黒髪と、黒い肌、漆黒のサングラスが、男の顔に陰影を落としていた。その風貌は、一般人とは到底言えない印象だ。
「すいません、うちのポンコツがご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて、私は別にかまいませんよ」
ユーコは、片田を粗雑に自分の席に押しやって、ぺこりと頭を下げた。角刈りの男が放つ、独特の鉄と血の香りに、ユーコの鼻がヒクついた。まるで、同業者か、あるいは、それ以上の修羅を感知したかのようだった。
「私、こういうものです」
「ほう、ユーゴーカイ。クリーナーの方達でしたか」
「はい、私が代表のユーコ•那加毛で、こっちの酔っ払いが助手の片田です」
「私はエリックといいます、合衆国でフリーランスクリーナーをやっているものです」
ユーコが名刺をエリックに渡すと、エリックも自分の名刺を渡し返した。
「エリック•権田さん」
「そうです、エリックと呼んでいただいてけっこう」
隻腕の店員が運んできた砂ずりを、片田がコリコリと食べながら、ユーコ達のやりとりを聞いている。エリックのジョッキが空になり、店員がエリックに視線を向けると、片田が飲んでいた物とユーコが食べている皿と同じ物を注文した。
「エリックさんは日本に何しに来たんですか?」
ユーコが単刀直入に聞いた。
「オフに余り仕事の話はしないんですが、同業者なら話は別だ。まあ余り詳しくは話せないですが、ある男を追ってまして」
「ああ、すいません。そうですか」
エリックが隻腕の店員からハイボールのジョッキとユーコが食べていた梅肉ささみとこころ (タレ) を受取り、話しを続ける。
「まあ、よくあるケースですよ、そいつが日本に潜伏しているみたいで」
ユーコは、ふむふむと首を縦に振りながら、ビールの入ったコップを口に近づけてエリックの話しに耳を傾ける。そんな他愛もない話しを、一時間ぐらい繰り広げていた所、
「おっと、ヘンデンさんでしたか、大丈夫ですか?」
「え、あ、ああ、ちょ、ちょっとあんた」
目が座った片田の顔色が土色に変わり果て、今にも吐きそうな雰囲気を醸し出している。
「すいません、エリックさん、私達はこれで…」
「かまいませんよ」
ユーコは、いそいそと泥酔して動かなくなった片田を担いで会計を済ませて店を出た。
店先まで送ってくれたエリックの、ニカっと笑った時に見せるセラミックの白い歯がユーコの記憶に残った。そして、ユーコは心の中で、エリックに限界角刈りと勝手に渾名をつけると、ほくそ笑んだ。
Ⅱ
街灯がぼんやりと照らす深夜の歩道。生暖かい夜風が、女の肩にかかるブロンドの髪をなびかせた。膝上丈のホットパンツから覗く生足は、月の光を浴びて白く輝き、歩幅を刻む度にふくらはぎがふっくらと揺れる。若そうな男が、その数歩後ろを、楽しげな足取りでついていく。
「で、今から何処行くの?」
「いいから着いてきて、ヤバいから」
男は、その屈託のない笑顔に射抜かれた。都会の喧騒の中で、ふと見かけたその笑顔は、まるで一服の清涼剤のように男の心に染み渡った。箍が外れたように、男は薄笑いを浮かべながら、その女性の後を追った。二人は、亜々噛對駅から南へ下り、大角デパートの裏手に広がるオフィス街を東へと進んだ。
雑然とした裏通りは、昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、街灯の光がアスファルトを鈍く照らしていた。金髪の女性が着ている黒いTシャツの背中には、血のように赤い文字で「D.E.A.D」と大書されていた。その物騒な文字が、男の視界にちらりと飛び込んできたが、高揚した彼の心には、さざ波一つ立てなかった。
「どこまで行くんだ?」
男は、平静を装いながら尋ねた。
「もうすぐよ。ほら、着いた、ここ」
女性は、蠱惑的な微笑を浮かべながら、地下へ降りる入り口を指差した。薄暗い階段の入り口には、まるで門番のように、屈強な体躯の男が仁王立ちしていた。その厳めしい風貌は、一般人を寄せ付けない威圧感を放っていた。
「大丈夫、大丈夫。私と一緒なら顔パスよ」
女性はそう言ってのけたが、その言葉にはどこか空虚な響きがあった。促されるまま、男は内心の躊躇を押し殺し、セキュリティの前に進み出た。女性がその屈強な男に、意味ありげなウインクを送ると、信じられないことに、男は無造作に二人を通した。
地下へと続く階段は、じめじめとして薄暗く、淀んだ空気が鼻をついた。二人は、重い扉の向こうに広がる喧騒を背に、階段を降りて行った。クラブの入り口を抜けると、騒音と熱気が容赦なく押し寄せてきた。会場の奥には、一段高く競り上がったステージがあり、その中央に設置されたDJブースに向かって、群衆が蠢いていた。二人は、その人波を掻き分けながら、奥へと進んでいった。行き交う人々の目は虚ろで、快楽を追い求めるだけの、抜け殻のようだった。
重低音が腹の底に響いた。鼓膜を震わせるだけでなく、内臓を直接揺さぶるような音。ドレッドヘアにサイバーなサングラス、片方のイヤーカップを外したDJが、暗い穴倉のような空間を支配していた。光は洪水だった。様々な色、様々な強さの光が、予測不可能なパターンで飛び交い、踊る群衆の輪郭を曖昧にしていた。
男は、こんな場所に、オフィスビルの地下に、こんなクラブがあることを知らなかった。熱気と湿気と、微かに甘いアルコールの匂いが混ざり合った空気が、肌にまとわりつく。確かに、何かが起こっていた。それは否定しようのない事実だった。金髪の女の背中を追って、男は群衆の奥へと進んだ。
彼女の金色の髪が、闇の中でかすかな道標になった。途中、誰かに強く押され、よろめいた。振り返ると、誰もいなかった。あるいは、群衆の波に飲み込まれて、見えなくなっただけかもしれない。彼女の姿も、見失ってしまった。
男は一瞬、焦燥を感じた。だが、すぐにそれを振り払った。どうでもいい、と彼は思った。どうでもいいことなのだ。音楽がすべてだった。ねじれたシンセの音、刻むようなビート、そして、すべてを飲み込む重低音。
男は、その場で踊り始めた。踊る、というより、音に身を委ねた、という方が正確かもしれない。周囲の人間とは、明らかに異質だった。彼らの視線が、男の存在を際立たせていた。それは好奇心ではなく、むしろ警戒、あるいは軽蔑に近いものだった。彼らは、男を異物として認識していた。男は、再び金髪の女を探した。だが、彼女はどこにもいなかった。蜃気楼のように、消えてしまったのだ。
バーカウンターへ向かうことにした。酒が必要だった。喉が渇いていた、というより、この異質な空間との間に、何らかの緩衝材が必要だった。その時、誰かと肩がぶつかった。男は舌打ちをし、振り返った。ストロボの光が、その男の顔を断続的に照らし出した。金髪、蒼白い肌、深い彫り。そして、氷のように冷たい、碧い瞳。その視線が、男を射抜いた。
男は、心の中で呟いた。一体ここはどこなんだ?感じの悪い奴らばかりだ。The Prodigyの「Firestarter」が、頭の中で鳴り響いた。あの攻撃的なビートと、甲高いボーカルが、男の神経を逆撫でする。まるで、この場の雰囲気を象徴しているかのようだった。
背後から、DJの声が聞こえた。
「イェーイェー、盛り上がって来たな、じゃあそろそろいつもの奴やるか、準備はいいかみんな?レッツパーティー!」
その瞬間、歓声が爆発した。同時に、何かが降ってきた。最初は、それが何なのかわからなかった。冷たく、粘り気のある液体。顔にかかり、髪を濡らし、服に染み込んでいく。見上げると、天井のスプリンクラーから、赤い雨が降り注いでいた。血だ。間違いなく、血だった。
血のシャワーを浴びた群衆の顔が、変化し始めた。下顎が縦に裂け、左右に大きく開く。そこから、太く、長い舌がだらりと垂れ下がり、降り注ぐ血を貪り舐めている。それは、異様な光景だった。人間が、人間以外の何かに変貌していく過程を、男は目の当たりにしていた。吐き気を催すような、生理的な嫌悪感が、彼の内臓を締め付けた。
「うわあああああああああ」
男は叫んだ。足元が滑り、前のめりに倒れた。血で濡れた床は、まるでスケートリンクのようだった。
「ノームがいるぞ」
「へへへ、踊り食いにでもするか?」
顔を上げると、化け物たちが彼を取り囲んでいた。彼らの顔は、もはや人間のそれとは言い難いものに変形していた。大きく裂けた口、そこから覗く鋭い歯、そして、異様に長い舌。彼らの目は、獲物を捉えた肉食獣のそれだった。
「わああああ、やめろ、やめてくれ」
男は懇願した。恐怖で声が震え、涙が滲んだ。だが、彼らの耳には、男の声は届いていないようだった。彼らは、男を獲物としか見ていなかった。その時、背中と下半身に激痛が走った。同時に、激しい眩暈が彼を襲った。視界が歪み、回転する。
最後に彼の目に映ったのは、大きく横に開かれた口から突き出た左右の牙、そして、男の鼻っ柱目掛けて伸びてくる、ギザギザとした触手だった。それは、化け物の喉の奥から伸びてきたものだった。男の意識は、そこで途絶えた。あるいは、途絶えたように感じただけかもしれない。
Ⅲ
「ID?」
クラブの入り口で、巨大な肉の塊が、眉間に深い皺を刻み、睨みつけていた。黒いサングラスの奥にある目は、まるで死んだ魚のようだった。エリックは、水平に刈り上げられた髪、黒いレザーコートという、いかにも堅気ではない風貌だった。彼は、左の口角を僅かに上げた。セラミックの白い歯が、暗闇の中で鋭く光った。それは、友好的な笑みというより、むしろ捕食者のそれだった。
地下へと続く階段は、湿気を帯び、カビの匂いが鼻をついた。セキュリティの巨体は、エリックの不意打ちの回し蹴りをまともに喰らい、悲鳴を上げながら階段を転がり落ちていった。鈍い音が、地下の奥底から響いてきた。
「探したぜ、ブラッドサッカー共。今からお望み通り、ミンチパーティーを開催してやる」
エリックは、低い声で呟いた。その声には、明確な殺意が込められていた。彼は、腰から素早くコンパクトなサブマシンガンを抜き出し、両手に構えた。それは、まるで彼の身体の一部であるかのように、自然な動作だった。彼は、ゆっくりと階段を下りていった。エリックの蹴りを喰らい、入り口の扉の前で倒れ伏したセキュリティの男が、苦悶の表情を浮かべながら叫んだ。
「誰だ貴様は?クリーナーか?」
彼の顔は、恐怖と混乱で歪んでいた。エリックは、男に微笑みかけた。それは、冷酷で、残酷な微笑みだった。次の瞬間、サブマシンガンから火を噴いた。乾いた銃声が、地下空間に反響した。男の身体は、痙攣し、黒血を撒き散らしながら、動かなくなった。
そこに残されたのは、ただの肉塊だった。エリックは、その肉塊を一瞥し、再び階段を下り始めた。彼の目は、その奥に潜む狂気を隠そうともしていなかった。銃声に気付いた異形の客達が、クラブ入り口から出てくる所を、エリックのサブマシンガンが無慈悲に餌食にしていく。
「ハメ技は、好みじゃないんだ」
ニカっと笑ったエリックが、軽く中腰になってタメの様な動作をとった後、クラブの入り口扉を、飛び回し蹴りでぶち破って壊した。
「クリーナーか、クソッたれ」
誰かがそう叫んだ、血の匂いがエリックの鼻腔を刺した。クラブの扉を押し開けると、そこは地獄の宴会場だった。いや、もっと正確に言えば、阿鼻叫喚の屠殺場だ。かつて音楽と酒と退廃が渦巻いていたであろう空間は、今や異形の化物たちの巣窟と化していた。彼らは皆、顎が不自然に割れ、そこからヌメヌメとした長い舌を突き出し、獲物を求めて蠢いている。
「フルハウス、か。悪趣味な冗談だな」
エリックは呟いた。その声は、乾いた風の音のようだった。化物は飢えた獣のように彼に飛びかかった。エリックはそれを迎え撃つ。研ぎ澄まされた動き、無駄のない所作。それはまるで、長年培われた習慣、あるいは本能に刻まれたプログラムのようだった。蹴りが炸裂し、化物の体は悲鳴を上げる間もなく吹き飛ぶ。同時に、彼の指は素早くサブマシンガンのマガジンを交換していた。機械的な正確さ、冷徹なまでの効率。銃声がクラブに木霊する。それは音楽のリズムを嘲笑うかのような、断続的な破裂音。化物は肉片と化し、床に散乱する。それはまるで、抽象画の具材のようだった。
DJブース付近から、一際異様なオーラを放つ化物が現れた。女だ。かつてはそうだったのだろう。今は、鋭利な爪を伸ばし、けたたましい叫び声を上げる、ただの獣だ。その姿は、欲望と絶望が混ざり合った、見るもおぞましい光景だった。
「まだ踊り足りないのか?」
エリックの声は冷たく、嘲るようだった。女は汚い言葉で応えた。
「死ねよ、クソ!クリーナー」
エリックはサブマシンガンをホルスターに押し込んだ。女の爪が描く軌跡を、彼は容易く見切っていた。彼の両手には、カランビットナイフが握られている。虎の爪を模した湾曲した刃、グリップエンドのリング。それは、彼の身体の一部と化していた。
「爪が長すぎる。手入れが必要だな」
エリックは言った。その口元には、微かな笑みが浮かんでいる。それは、獲物を前にした捕食者の余裕、あるいは、狂気を孕んだ愉悦のようだった。
「は?」
女は意味を理解できなかった。エリックの指がナイフのリングをくぐり、手首のスナップを利かせてナイフを回転させる。その動きは流れるように滑らかで、同時に稲妻のように速い。彼は女に肉薄し、刃を振るった。
「死、ね、、、、ク」
女の言葉は途切れた。彼女の視界は、万華鏡のように歪み、崩壊していく。無数の線が彼女の体を切り裂き、彼女は床に崩れ落ちた。それはまるで、ガラス細工が砕け散るようだった。黒血が広がり、床を黒く染めていく。それは、この世の終わりを告げる、不吉な色彩だった。
「Yo dj give me a Biggie Smalls (ヨー、ディージェイ、ビギー、スモールスをかけてくれよ)」
「…wait wait OK (…まて、まて、オーケー)」
音が止んだ。粘着質な静寂がフロアを覆い尽くした。エリックの乾いたリクエストが、ねじれたドレッドヘアのDJに突き刺さる。DJは一瞬、痙攣するように身を震わせた。まるで何かに取り憑かれたように、エリックのリクエストに応えるふりをしながら、隠し持っていたショットガンの銃口をエリックに向けようとした。だが、その刹那、エリックのサブマシンガンが火を噴いた。鈍い金属音と共に、DJは崩れ落ちた。
「DJならdigっとけよBiggieはよ」
エリックはニヤリと笑った。口角の隙間から、不気味なほど白いセラミックの歯が覗く。視線は左右に振られ、周囲の異形と化した客たちの動向を冷徹に見据えている。左右には、まだ数十人の化け物が潜み、獲物を定める獣のような目でこちらを窺っていた。張り詰めた空気が流れた後、エリックがステージに向かって走り出した瞬間、左右の客たちが一斉に牙を剥き出し襲いかかってきた。
「悪いな、今日はファンサービスは無しだ」
ステージへ向かうエリックのコートの裾から、黒い球体が三つ、無機質な音を立てて床に転がり落ちた。
「ドーーーーーーン」
腹の底に響く轟音と業火が背後で炸裂する。エリックは振り返らず、ステージ袖に頭から飛び込んだ。飛び散る肉片、焦げ付く皮膚、断末魔の叫び。それらはすべて、背後の地獄絵図の一部と化した。エリックはバックヤードへの通路を、ためらいなく進んだ。
「Dammit (デムッ)、時間をかけ過ぎたか」
肩を落とし、乾いた声で吐き捨てた。エリックの目に映ったのは、もぬけの殻となった楽屋と、地上へと続く搬入用エレベーターだけだった。
Ⅳ
「実録、とある掃除屋 (クリーナー)のモーニングルーティン!さて、今回のモーニングルーティンを紹介していただけるのは、フリーランスクリーナーのハヤブサさんです」
幽合会事務所内に、スマホから某有名動画サイトが再生される音声が聴こえる。
AM/5:00 起床──────
ハヤブサが目を瞑って、腕を組んだまま部屋の壁に寄りかかっている。すると、
「ぷおおおん、ふぉぉぉん…」
法螺貝の音色が響くと、ハヤブサの瞼が開いた。忍刀をゆっくり背中に装着すると、余りの速い動きに残像を残してフレームアウトする。
「ギャハハハ、あー腹痛い、無理無理、ちょっと片田、これ見てよ」
ユーコが、目の端に涙を溜めてスマホのディスプレイを、ノートPCで作業中の片田に近づけて見せた。
「目覚ましのアラーム音、法螺貝なんですね、え、ええ、動き速っ、終わり?これがハヤブサさんのモーニングルーティンですか?」
その動画を、二人で見ながらケタケタ笑っていると、事務所の扉が開いた。
「いやー、厄介な事になりましたよ、ユーコさん」
「え?聞きたくないんですけど?」
「まあまあ、そう言わずにこれを見て下さいよ」
頭をボリボリ掻きながら、魚家 (うおいえ)がユーコに資料を手渡した。
「D.E.A.D…ね、知らなーい、ヤバいの?」
「ヤバいなんてもんじゃないですよ、世界中で暗躍する闇組織です」
「で、それがどうしたの?」
資料にざっと目を通したユーコの視線が、いつもより険しい表情の魚家に向けられた。
「それがですね、昨夜未明、唖々噛對と四宮の間にある、地下ナイトクラブでそのD.E.A.Dと思われるグループが、あるクリーナーに殺られたんですよ」
興味なさげに読み終えた資料を、ユーコが片田に渡した。
「それで?」
「その、D.E.A.Dの死体を見に行ったんですけど、変異体というか連中、全員毒蜘蛛と一緒で強化人間の類いでして..」
「で、私達に何か関係があるんですか?」
「はい、近々D.E.A.Dと毒蜘蛛の幹部同士が、南南町の近くにあるドラゴンビルで何らかの取り引きを行う情報を掴みまして、その、一網打尽に出来ないかと..」
あからさまに面倒だなと、大きな溜め息をついたユーコへ、資料を見終えた片田が、絶対受けないで下さいという強い眼差しを送っている。
「またチャイニーズマフィアとドンパチ、私達だけじゃやれない、戦力差がありすぎるでしょ?」
「はい勿論、ユーコさん達以外にもクリーナーに依頼してます。ユーコさん達にやってもらいたいのは毒蜘蛛の幹部、青毒ことチィンの方です。D.E.A.Dの方は、米国から来たクリーナーの..」
魚家が言いかけたその時、事務所の扉が開いて見覚えのある角刈りサングラスに、黒いレザーコートを着たエリックが入って来た。
「久しぶりですね、ユーコさん!あ、魚家さんに片田さん」
「ああ、焼き鳥屋の…エリックさんどーも」
「すでにお知り合いですか?」
「飲みニケーションしただけですよ、数日前にね、片田さん酔いは覚めましたか?」
「すいません、全然覚えてなくて、もう、だ、大丈夫です」
ニカっと口角を上げながら片田の方を見るエリックに対して、少し恥ずかしそうに視線を逸らして、下を向いた片田の耳が紅く染まる。
「それで、エリックさんの方は誰が標的なの?」
「はは、私の標的はオークインという主に薬の密売や誘拐、殺人をやってるクソ野郎ですよ」
ユーコは首肯き一つ。表情に変化はない。しかし心の内では、こんな面倒な事態にどうして私が巻き込まれなければならぬのか、一体どれほどの報酬が得られるというのか、と複雑な思いが渦巻いていた。実のところ、この件は厄介きわまりない。
「お願いします、ユーコさん」
「じゃあ、これぐらいで?いける?魚家さん」
ユーコは魚家へと近づき、二人して報酬の交渉へと入ると、魚家はこう言った。
「ええ、キツいなぁ、ははは、ユーコさんこれぐらいでしょ?常識の範囲内でお願いしますよぉ」
魚家は一歩も譲る気配を見せず、ユーコは苦渋の表情を浮かべながら首肯いた。その交渉の結果に、魚家の眉間の皺が次第にほぐれ、ユーコへと微笑みを向ける。
「そういえばユーコさん、この前の玉重の診療所の件、こちらで調べたんですけど、ゾンビの死体以外、ゾンビって死体って言わないな、まあ、要するに何も出て来ませんでしたよ、何もね」
ユーコは、魚家の言葉を遮るようにして、虚空を見つめた。
「そう。何もない、か……」
ユーコは腑に落ちない感じで呟いた。
「じゃあ、ユーコさんとエリックさん、お願いします。取り引きは今週土曜の夜。ドラゴンビル付近で落ち合うという事で、詳細はまたこちらから連絡します」
そう言うと、魚屋は薄笑いを浮かべながら、人懐っこい犬のように周囲に気を配った。そして、「助かります」と、自嘲気味に呟き、こめかみを掻いた。その直後、男の顔は豹変し、携帯電話を片手に、険しい表情で事務所を飛び出した。
「まさか、会ったばかりのユーコさん達と仕事をするとは、どーかお手柔らかに」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
それじゃあと、エリックが事務所を出ようとした時、片田が立ち上がって、深々と頭を下げた。ユーコもそれに倣い、頭を下げる。エリックが去った後、ユーコはスマートフォンを取り出し、誰かと密談を交わす。片田は、魚家から預かった資料を片手に、ノートパソコンに向き合った。ドラゴンビル、青毒のチィン、D.E.A.D。その名前は、まるで、暗号のように彼女の脳裏に刻み込まれた。
「あんた、あの、焼き鳥屋の片腕の店主と知り合いなの?」
ユーコの声が、片田の背後から響いた。
「はい、レイさんは剣術の師匠です。何か問題でも?」
「ふーん、剣術の師匠、ね。ところで、あんた『男達の挽歌』って映画を知ってる?」
「ああ、チョウ・ユンファのやつですよね?面白い映画ですよね。」
「そう、最っ高でしょ?あの、二丁拳銃の銃撃戦のシーンとか、痺れる〜」
ユーコの碧眼が鋭く光った。まるで、片田の心の奥底を見透かされているような気がした。片田は、ユーコがまた何か企んでいることを直感した。
V
深夜、霧雨が教会のステンドグラスを滲ませる。鈍色の明かりが、重厚な扉に影を落としていた。それを蹴破るように現れたのは、スポーツバッグを担いだ武器屋の男だった。黒のパーカーは雨に濡れ、髪は乱れ、いかにも胡散臭い。男は、無数の蝋燭が作り出す薄明かりの中を、教会の奥へと進んでいく。
中央の十字架を背に、四列目に座る女。金髪が肩に流れ、静かに祈りを捧げている。男は、彼女の後ろ姿に釘付けになった。まるで、この教会の闇に咲く一輪の花のようだった。男は、女のすぐ横に腰を下ろした。
「教徒か?」
男の低い声が、静寂を破る。ユーコは、僅かに唇を歪め、こう答えた。
「いいや、ここは落ち着くの」
それは、二人だけの合言葉のようなものだった。男は、彼女の言葉に満足げに笑みを浮かべ、共に天井を見上げた。彼等の視線は、無数の蝋燭の光に揺らめき、まるで、この教会に隠された秘密を覗き込んでいるようだった。
「それで、用意してくれた?」
「勿論、見てくれ」
武器屋の男が、黒い大きなスポーツバックのファスナーを開けると、大量の弾丸とベレッタ92FSが二丁、散弾銃、日本刀、手榴弾等が入っていた。
「弾丸の細工は?」
「注文通りだ、この弾丸なら強化人間でも耐えられないだろう。ブラッドサッカーの方に効くかは、知らんがな」
「最高ね、いつもありがとう」
「いやいや、ユーコさんは分かってらっしゃる、トレンチコートにマッチ棒、サングラスまで。ユーコさんこそ、いつも最高ですよ」
マッチ棒を唇の端で遊び、ニヤリと片方の口角を上げたユーコが、男に微笑んだ。
「支払いはいつも通り公安につけといてね」
「毎度ありがとうございます」
キャップの鍔を指で掴んで、武器屋の男はユーコに深々と頭を下げた。その瞳には、一抹の寂しさと、彼女への複雑な感情が入り混じっていた。ユーコは、男から受け取ったスポーツバックを肩に掛け、教会を後にした。古びたステンドグラスから漏れる薄暗い光が、彼女の影を長く伸ばす。月明かりに照らされた十字架が、彼女の背中に重くのしかかるように見えた。そして今、彼女は新たな闇へと足を踏み入れるのだろう。
Ⅵ
Saturday PM.8:00──────
「それでお願いします、ユーコさん、片田さん、エリックさん、御武運を。じゃあ、私はこれで失礼します」
魚家は、そう告げると、南南町の広場を背にした。ネオンサインが乱反射する中、彼の背中が人ごみに紛れていく。
「結局、正面突破ってことですか?」
「うん、シンプルが一番でしょ」
「私もユーコに賛成。ブラッドサッカーと毒蜘蛛をぶっ潰すだけだ。ナイスじゃないか」
片田は、ニヤリと笑い合うユーコとエリックを横目に、肩をすくめた。ドラゴンビルは、南南町の少し南にある栄町通り沿いの一見普通のビル。彼らは、ビルの正面玄関前で武器の最終確認を終えると、エリックを先頭に、ユーコと片田が続く。
「ド派手にかまそうぜ!」
エリックがそう言うと、ユーコはマッチ棒を咥えたままニヤリと笑った。夜なのに二人ともサングラスって、一体何なんだ。片田は内心突っ込みながらも、ため息をついた。「ま、いいか」と肩をすくめる。
「ガシャーーン!」
エリックの蹴りが、自動ドアを粉々に砕いた。受付には誰もいない。左右の通路から、D.E.A.Dの連中と毒蜘蛛のチンピラどもが、次々と現れる。ユーコは、ベレッタを構え、容赦なく引き金を引いた。片田も散弾銃をぶっ放す。エリックは、サブマシンガンを両手で握りしめ、まるで楽器を奏でるように、連射を繰り返した。
「クソッ、クリーナーか」
「让老板知道 《ボスに知らせろ》」
ブラッドサッカーと毒蜘蛛のチンピラ、両方の最後尾にいた者達が奥に走り出した。
「逃がすかよブラッドサッカー」
エリックが、サブマシンガンを乱射しながら他のブラッドサッカー達を肉塊に変えて、逃げるブラッドサッカーの生き残りに向かって背後から突進した。両手に握られたカランビットナイフで抵抗するブラッドサッカーの首を切り落とし、身体を細かくスライスした。
「片田っ!」
ユーコの叫びに呼応して、片田が逃げるチンピラを追って突進する。ユーコは、他のチンピラの銃弾を何発も肩や脇腹に被弾しながら二丁拳銃の連射で撃破していく。
逃げるチンピラの背後から、片田がすっと背中の鞘から刀を抜いて斬りかかると、チンピラの頭の先から真っ二つに身体を斬り裂いた。
「じゃあ、ユーコさん俺はこっちから行くよ、最上階でまた会おう」
ニカっと口角を上げたエリックの口から、セラミックの白い歯が光って見えた。
「ええ、私達はこっちから行きます、また後で」
マッチ棒を歯でコロコロ転がして、ニ丁拳銃を構えたユーコが、ニヤリとエリックの方を向いて笑顔で返答した。エリックとユーコ達は二手に分かれて、アークインとチィンが居るであろう最上階を目指して床に転がる、ブラッドサッカーやチンピラの死体を避けて歩き出した。
最上階、応接室──────
「何の騒ぎだ、侵入者だと?またあのクリーナーか、しつこい奴め」
「清洁工? 赶快摆脱它 《クリーナー?さっさと始末しろ》」
防犯カメラの映像を確認した毒蜘蛛の手下が、D.E.A.Dの手下とチィンにユーコ達とエリックが、ビルに侵入して来た事を告げた。
「ほう、クリーナー三人でここに乗り込んで来るとは相当腕が立つんでしょうな?まあ、それは良いとして、おそらく公安にこの取引がバレていますね、そちらの方が問題ありだが」
金髪をセンター分けにした髪に、透き通る様な碧眼を凶々しくギラつかせ、肌は蒼白く、生気が全く感じられない。まるで、死人の様な表情をした不気味な黒いスーツ姿の男が、焦るアークインとチィンに言った。
「内通者か」
長髪にサングラス顎髭を蓄えた、顔半分にトライバルのタトゥーがひしめく悪い面構えに黒いスーツを着た、アークインがチィンの背後に並ぶ護衛の手下達の方へ、サングラスの黒いレンズ越しに視線をやる。
「へんないいかかりはよせ、まだうちにうらきりものかいると分かってないな」
銀色の長髪を頭の後ろで束ね、深い切り傷が顔半分に刻まれた顔、暗い青色のスーツに身を包んだチィンがアークインに辿々しい言葉で言い返した。
「まあまあ、そんな事を今考えている場合じゃないですよ、話を取り引きに戻しましょう。我が社が提供するこの薬で何とかなるでしょう、サンプルをお二人にお渡ししておきますから」
金髪の男がテーブル中央に薬が入ったアタッシュケースをすっと開いて左右のソファーに座るアークインとチィン達の前に差し出す。
「これが例の奴か、楽しみだ」
「さそく、使わせていたたきます」
金髪の男から薬を受け取った、アークインとチィンの間に流れていたピリついた雰囲気が、少し和らいだ。
「一時的に身体の再生能力をかなり向上させる薬です。ですが、副作用で化け…」
凄まじい爆発音と銃撃音に会話が遮られた。どんどんその音が、応接室のソファーに座る三人に近づいて来るのが分かった。
「相手はたった三人だぞ、さっさと始末しろ」
「照这样下去,我们的面子就要丢了,赶紧除掉吧。《このままでは我々の面子が丸潰れだ、早く始末しろ》」
アークインとチィンが、背後に立つ部下達に怒声を上げた。
「おそらくあなた達の部下では無理でしょう、今差し上げたサンプルを試す良い機会ですよ、是非お試しください」
ニチャリと口角を上げた男は、凶々しい碧眼で、アークインとチィンの顔に視線をゆっくり左右に移動させながら言った。
Ⅶ
エリックは、最上階に着いたエレベーターのドアが開くと同時に両手に構えたサブマシンガンを連射して、待ち構えていたブラッドサッカー達を蜂の巣にした。
細くて狭い廊下を進みながら襲いかかって来る、ブラッドサッカー達をカランビットナイフで斬り裂いていく。そして、『白虎の間』と標示されたプレートの横の白い扉を回し蹴りでぶち破ると広くて真っ白な内装の部屋に辿り着いた。
「しつこいにも程があるってもんだぜ、ハンターエリック」
声が聞こえたと思った瞬間、エリックに向かって銃撃音が何度も炸裂した。
「アークインやっと会えたな、こんな遠い国にまで逃げやがって」
アークインの撃ったショットガンの弾を、横に素早い側転で避け、両手にカランビットナイフを握りしめたエリックが立っている。
「まあ、ハイドアンドシークもここで終わりだ、ハンターエリック、お前はここで死ぬんだからな」
再びショットガンの引き金に指をかけたアークインの背後から、手下のブラッドサッカー達がわらわらと出てきてエリックを取り囲んだ。
「ぶっ殺せ」
深い溜め息を着き下を向いたエリックに、ブラッドサッカー達が襲いかかる。エリックは、両手に握られたカランビットナイフで、ブラッドサッカー達の首を次々と斬り落とす。背後にいたブラッドサッカーを、回し蹴りで突き飛ばして距離を取ると、再度接近して首を斬り落とした。
「ウォーミングアップは終わりか?さっさとかかって来いよクソ野郎。俺が怖いのか?」
斬り落とされて床に転がるブラッドサッカーの頭部を、エリックの右足がぐちゃっと踏み潰した。アークインの方へ顔を向けたエリックは、ニカっと笑を浮かべる。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ、エリック、俺は組織の命令で動いてるだけだよ、あんたの力になれる。何でも話すよ、だから見逃してくれ、お願いだ」
手に持っていたショットガンを床に落として、エリックに、ぶるぶる震えながら命乞いをするアークイン。
「最低だな。不愉快だお前は」
「待ってくれお願いだ、丸腰で無抵抗の俺を殺さないでくれ、頼む」
祈る様に両手を握り締めて、跪いたアークインが、エリックに向かって頭を下げる。
「じゃあ、お前は助けてくれと命乞いをした人々を助けたのか?誘拐した人達を一人でも救ったのか?」
エリックがカランビットナイフをホルダーに戻すのと同時に、アークインの手が動き、光を反射する注射器が彼の首に突き刺さった。
「助けなかったし、救わなかったな、たぶん」
サングラスが床に砕け散り、現れたのは血走った、まるで獣のような赤い瞳だった。顔色は青白く、口からは白い泡がこぼれ落ちる。その異様な姿は、もはや人間というより、何かの実験の産物かのようだった。
アークインの絶叫が、狭い空間を震わせる。エリックは反射的に腰に手を伸ばし、サブマシンガンを抜き出した。次の瞬間、銃口から火花が散り、鋭い銃声が響き渡る。アークインの体は、まるで人形が糸を切られたように、数回痙攣し、そして力なく床に倒れ伏した。
「You bad matherfucker」
そう侮蔑の言葉を呟いたエリックは、倒れたアークインに背を向けた。
「ハハ、ハハハ、全然効かねーよエリック、すげーなこの薬、マジで不死身になれんじゃねぇかよ」
エリックが振り向くと、そこには血走った目でショットガンを構え、狂気じみた笑みを浮かべるアークインの姿があった。銃口は、まるでエリックの心臓を射抜くかのように、一点を見据えている。
西側非常階段──────
ユーコと片田は、ドラゴンビル西側の非常階段を登っていた。
「ユーコさんが撃ってる弾丸凄いですね、チンピラ達が前回みたいに強化人間にならないじゃないですか」
「そうねー、今の所、雑魚には有効みたいね。あのブラッドサッカーっていう、顎が割れたグロい奴に効くか不明だけど」
「どんな細工がしてあるんですか?」
「アンチドーテよ。以前、戦った時から強化人間のデータは取ってたの。変異体じゃなくて、ただのドーピング野郎には効くみたい」
なるほど、さすがだ。解毒剤的なものが弾に仕込んであって、それが作用して身体の変化を止めているのか。過去のデータと照らし合わせながら、片田は頭の中で様々な可能性を模索していた。10Fの標示された扉に手をかけ、息を潜めて隙間から中を覗き込むユーコ。心臓が鼓動を早めながら、彼女は慎重に扉を開けた。
「誰も居ないみたい」
静かに、片田とアイコンタクトを取るとユーコは、銃を構えたまま扉から廊下にすっと入った。片田もユーコの後に続いて廊下に出る。狭くて細い廊下を二人で進むと大きな扉の横に、『青龍の間』と書かれたプレートを見つけた。
「ここじゃないんですか?チィンて奴がいるの?」
片田の言葉に、ユーコは身構え、トレンチコートの内ポケットから手榴弾を取り出した。そして、ニヤリと笑みを浮かべる。
「ボンッよ」
「ちょ、待っ……!?」
二人で扉から距離を取り、ユーコが手榴弾を扉に向かって放り投げた。轟音が、廊下を震わせた。爆発は強烈で、白煙がすべてを覆い隠し、耳鳴りが二人の平衡感覚を狂わせる。
「スゴッ!火薬の量多過ぎない?」
ユーコは、マッチ棒を歯で転がしながら、ニヤリと笑った。二丁拳銃を構え、爆発で吹き飛んだ扉の奥へと足を踏み入れる。
「杀 《殺せ》」
ユーコの身体は、まるで糸で引かれた人形のように跳ね上がった。無数の銃弾が彼女の肉体を貫き、鮮血が飛び散る。だが、ユーコの意識は途切れなかった。彼女の目は、銃口の先にいるチンピラ達を捉えていた。
その時、ユーコの背後から、黒い影が躍り出た。片田だ。彼女は、ユーコに向けて銃弾を放つチンピラ達を、横からなぎ払った。刀が閃き、チンピラ達の首が宙を舞う。黒血が、壁を黒く染める。片田の動きは、ユーコよりもさらに速かった。
「痛〜、最悪だわ」
「谁是不朽的? |《不死身かこいつ?》」
身体中のあちこちから流血したユーコが、片田から逃げようとするチンピラ達に、怒りの二丁拳銃を叩き込む。二人の周りには、チンピラ達の無惨な死体が転がっていた。
「ほう、いいうてた、ワタシのしたて働かないか?」
ユーコ達の背後から、銀髪をなびかせ、紺碧の暗きスーツを身につけた、顔半ばに深き傷跡を刻んだチィンが、軋み声を上げる扉を蹴破って現れた。
「あんたがチィンね」
「そのとおり、わたしにつかないか?」
「いいからそういうの、面倒くさいから」
ユーコは、青白い炎を吐き出す鉄砲をチィンの胸に向け、引き金を引いた。チィンは、鋭い閃光を伴い、金属製の三節棍を巧みに操り、弾丸を華麗に避けた。
「你真是个傻瓜,浪费了你的机会 《チャンスを無碍にするとは、愚かな奴だ》」
「大きなお世話よ」
ユーコは、二丁拳銃をチィンに向け、雨あらしのごとく弾丸を叩きつけた。その轟音に呼応し、片田は鬼神の如く斬りかかった。チィンは、三節棍を振り回し、二人を華麗に嘲笑う。その間隙を縫い、ユーコは片田に鋭い視線を投げかけた。
「你输了 《あなたの負けよ》」
「别傻了 《バカな事を言うな》」
ユーコが唐突に中国語で何かを叫び、チィンの注意を一瞬逸らした。その隙をついて、片田の左腕が変形し、レールキャノン砲が作動。強烈な白色光と轟音が響き渡り、チィンを直撃した。チィンは、反射的に後退しながら、自らの首に注射器を突き刺した。高出力エネルギーによる熱で、チィンの左半身は完全に焼失し、焦げた肉片が散乱していた。
「ぐあああああ」
チィンの低い呻き声が室内に響いた。
「言ったでしょ、あなたの負けよ」
銃口をチィンの頭部に向けたユーコが呟いた。
「ふは、……ふふふ」
仰向けに倒れたチィンが、まるで狂人のように笑い出した。ユーコは、チィンの異様な様子に不気味さを感じつつ、銃を構えた。しかし、チィンの左半身は、肉眼でも確認できるほどの速さで再生し始めていた。
驚愕したユーコは、連射を開始したが、チィンの体はまるでゴムのように弾丸を弾き返す。そして、チィンの皮膚は青黒く変色し、目が赤く光り輝いた。ゆっくりと立ち上がったチィンは、ユーコの銃弾を浴びながらも、まるで痛みを感じていないかのように笑みを浮かべていた。
「如果这是王牌的话我就赢了 《それが切り札なら私の勝ちだ》」
チィンは完全に変異していた。皮膚は青黒く変色し、ザラザラとした質感に変わっていた。赤い目がギラギラと輝き、まるで異形の生物のようだった。ユーコと片田に視線を向けると、握りしめた三節棍を振り回し、ユーコめがけて力強く叩きつけた。ユーコは吹き飛ばされ、壁に激突し、無力に床に倒れ込んだ。
「来点酷吧,机器人 《さあ、かかってこい、サイボーグ》」
片田は、床に倒れたユーコに視線をチラッと向けた。目の前で三節棍を構えて立つチィンを、冷たく細めた目で捉え、刀を握る指先に怒りを流し込んだ。
Ⅷ
白虎の間──────
「どうしたハンターエリック、もうお終いかよ」
「ごはっ…クソ野郎」
エリックは全身から噴き出す鮮血に染まり、膝をついて呻いていた。彼の苦悶に満ちた顔を見て、アークインの顎が、まるで割れたガラスのように二つに割れた。そこから、長い舌がべろりと現れ、エリックを嘲笑うように蠢いていた。
「じゃあ、そろそろ終わりにしようや。俺も忙しいんでね、ビジネスの途中なんだ。お前のナイフや弾丸も、俺を傷つけられやしない。俺は、不死身だからな」
ショットガンの弾倉に、アークインが弾を再装填する。その金属音が、エリックの鼓動と重なり合う。刻一刻と迫るアークインの足音。逃げ場はない。絶望が、エリックを飲み込んでいく。
「命乞いするなら、俺の部下にしてやってもいいぜエリック、嫌ならここで死にな」
「断る、俺を殺してみろ」
「バカが」
交渉は決裂した。アークインが、ショットガンの銃口をエリックに向けて発砲する。エリックは、かろうじて動く右手に握られたカランビットナイフに力を込めたまま、前転してアークインの横から斬りかかった。
「無駄だよバーカ、俺を切ってもすぐにくっついて元通りだ、痛くも痒くねぇ」
「なら良かったな」
ナイフが肉を抉り、黒血が噴き出す。しかし、その傷口は瞬く間に塞がり、まるで何もなかったかのように元に戻る。エリックの瞳は、狂気の淵を覗き込む。彼は、まるで機械仕掛けの殺戮兵器と化したかのように、カランビットナイフを振るい続ける。鋭い金属音が響き渡るたびに、アークインの体には無数の傷痕が刻まれていく。だが、再生能力を持つ肉体は、それを嘲笑うかのように、傷跡を消し去っていく。
「だからなんだよ、死ねよ角刈り」
血飛沫が舞う中、斬りつけられているアークインが、至近距離でショットガンの銃口を接近して来たエリックに向けて、鈍い低音と共に炸裂させた。
「がはっ」
身体から血飛沫を上げて後方へ飛ばされ、エリックはそのまま床に仰向けに倒れた。
「今のは効いたろ、クソ角刈り野郎」
「ハハ、効いたぜクソ野郎。だがお前の負けだ…」
「…何を言っ」
アークインは身体に違和感を感じた。エリックは、アークインの身体を無意味に斬り裂いていたのではなく、斬り裂きながらアークインの体内に隠し持っていた小型の丸い手榴弾を仕掛けていた。
「ハ?」
アークインの身体が、爆発と共に四方八方に飛び散った。黒い血飛沫と肉片が、バラバラと床に降り注ぐ。呻き声を上げて、腹の辺りを手で押さえたエリックが、立ち上がる。
「お前みたいなクソ野郎の部下に誰がなるんだ?給料全部ピンハネされんだろ」
エリックは、身体から血を流しながら、よろよろと床に転がるアークインの頭部へ近づいて行く。サブマシンガンを乱射し、アークインの肉片が見えなくなるまで引き金を引き続けた。
青龍の間──────
「现在投降,这是你的损失 《もう降参しろ、お前の負けだ》」
片田は、刀を握りしめていた。刃は、チィンの三節棍に阻まれ、まるで石壁にぶつかったようだった。蹴りも、打撃も、まるで意味をなさない。チィンの身体は、異形の力に満ち溢れ、反射速度は常人の域を超えていた。
片田は、静かに息を吐き出した。体中の筋肉が悲鳴を上げている。それでも、片田は刀を構え直した。低い姿勢で呼吸を整え、チィンを睨みつける。
「好吧,再用左臂枪开一枪 《いいだろう、もう一度その左腕の銃を撃って来い》」
三節棍を構え、チィンはニヤリと笑った。その瞬間、片田の刀が稲妻のように走る。だが、チィンは余裕綽々、三節棍を操り、片田の斬撃をいなし、躱していく。まるで、踊るように。片田が、水面蹴りで足元をすくおうとしてもチィンは、ひょいと軽やかに飛び上がり避けた。その瞬間、片田が右手に握られた刀を、斜め上に振り抜く。チィンは、その斬撃を三節棍を凹の字にして防いだ。
刹那、片田の左腕が再び変形する。レールキャノン砲の先端から白い光が放たれようとした時、チィンの口角が上がるのが片田の視界に入った。チィンは、三節棍を真ん中で分割し二つに別れさせた。
そして、両手に持った金属製の棍から隠した刃を覗かせ、片田の左腕を斬りつけて完全に破壊した。メカニカルアームがバラバラに飛び散り、片田は後方へと退いた。右手に握られた刀が、辛うじて最後の抵抗を示している。だが、その表情は、絶望に染まっていた。
「クソッ、誘われた」
「你要如何用一只手臂打我?|《片腕でどうやって私に勝つつもりだ?》」
チィンの声は、不気味な響きを帯びていた。三節棍が結合し、構えを取る。その時、ユーコが立ち上がった。壁際から二丁拳銃を手に取り、チィンに向けて乱射する。
「你还活着吗?|《お前まだ生きていたのか?》」
チィンは、ユーコの放つ弾丸を三節棍で弾きながら、余裕の表情で呟いた。弾丸は、まるで雨粒が傘に当たるかのように、軽くいなされていく。やがて、ユーコの銃から乾いた音が響く。弾切れだ。ユーコは、弾のなくなった銃を床に叩きつけるように投げ捨てた。
「闭嘴看着,我会杀了这个机器人然后再对付你 《黙って見ていろ、このサイボーグを殺してからお前の相手をしてやる》」
ユーコの視線が、片田に向けられた。その瞳は、何かを伝えようとしている。片田と視線が絡み合うと、ユーコの目が、片田の足元に転がるチンピラ達の死体、そして、その傍らに置かれた青龍刀へと誘導されたかに思えた。ユーコは、左の瞼を三度、ゆっくりと閉じた。それは、片田にとって、遠い記憶を想起させた。
Ⅸ
七年前──────
焼き鳥「へるふぁい屋」の店内は、宵闇迫る街の喧騒とは裏腹に、一種異様な熱気に包まれていた。テーブル席の一角では、柄の悪そうな男達が騒ぎ、その声が静かな店内に不協和音を奏でている。片田は、そんな喧騒を背に、一人カウンターでハイボールを傾けていた。
「お客様、もう少し静かにしていただけませんか?他のお客様もいらっしゃいますので。」
店主の声は、穏やかだが芯があった。しかし、男達はそれを意に介する様子もなく、むしろ挑発的な態度で店主に絡み始めた。
「ああん?文句あんのか、焼き鳥屋?」
一人の男が立ち上がり、店主に詰め寄る。その顔は、酔いと悪意に歪んでいた。
「いえ、もう結構です。お代は結構ですので、お帰り下さい。」
店主は、冷静さを保ちながら、男達に退去を促した。しかし、男たちの傍若無人な振る舞いは、エスカレートするばかりだった。別の男が、テーブルの箸立てから大量の箸を掴み上げ、床にばら撒いた。さらに、店主の頭に飲みかけのジョッキを逆さまにし、ビールを浴びせた。
「殺すぞ、片腕コラ!舐めてんのか、ああ?」
男達は、大声で凄み散らす。その様子を、片田は鋭い視線で見ていた。次の瞬間、信じられない光景が展開された。店主の片腕が、まるで何事もなかったかのように、流れるような動きで床に散らばった箸を拾い集め始めた。
しかし、それは単なるパフォーマンスではなかった。店主が拾い上げた箸は、次の瞬間、空中に放たれていた。そして、男達の脳天に正確に叩きつけられたのだ。男達は、蚊の鳴くような声も出せずに崩れ落ちた。店主の顔には、先ほどの穏やかな表情は消え、冷酷な殺気がみなぎっていた。
「てめ、あ、ああ……」
男達は、濡れた顔を歪め、恐怖に震えなが
ら、慌てて店を出た。その一部始終を見ていた片田が、店主に近寄って行く。
「あ、あの、すいません……」
片田は、何度も頭を下げながら、店主に声をかけた。
「はい、すぐ片付けますんで、お騒がせしました」
店主は、落ち着いた口調で答えた。
「いえ、あのう、わ、私、こういう者です」
片田は、店主に名刺を差し出した。
「フリーランスクリーナーの片田さん、ですか?私に何か御用で?」
店主は、名刺に目を通し、片田に問いかけた。
「はい、その……私を弟子にして下さい!」
片田は、意を決して言った。
「弟子に?」
店主は、目を丸くした。それが、片田と焼き鳥「へるふぁい屋」店主、レイとの出会いであった。
青龍の間──────
「来吧,这是最后一次,机器人 《さあ、最後だかかってこいサイボーグ》」
再び、チィンが三節棍を構え直す。片田は、深く息を吐き出した。まるで、覚悟を決めたかのように。右手に握られた刀に、渾身の力を込める。低い姿勢で刀を構え、チィンを睨み据える。
その時、静寂を破る音が響いた。ユーコが咥えていたマッチ棒を壁に擦りつける、小さな音。だが、それは、嵐の前の静けさだった。その瞬間、片田の姿が消えた。これまでとは比べ物にならないほどの速さで、片田はチィンに向かって駆け出した。
右手に握られた刀が、床に転がる二本の青龍刀を妖しく浮かび上がらせた。まるで操られているかのように、青龍刀は空中で静かに回転し、光を反射した。片田の動きは、研ぎ澄まされた刃のように無駄がなく、一瞬の内にチィンへと迫った。右手の刀は、まるで閃光のようにチィンの頭上から振り下ろされる。
チィンは、迫りくる脅威に反応し、三節棍を器用に操って防御した。しかし、その刹那、空中にあったはずの青龍刀が片田の手に吸い寄せられるように現れ、チィンに襲いかかる。片田の片腕は、まるで生き物のように青龍刀を操り、流れるような連続攻撃を仕掛ける。チィンは、再び三節棍を二つに分断し、防御の構えを取った。その時、チィンの視界はスローモーションのように流れた、 何かがおかしい。チィンは、本能的な危機感に全身を包まれ、両手に持つ棍で防御した。しかし、それは既に遅かった。
片田は、再び空中に現れた青龍刀を掴み、頭上で棍をX字型に交差させた。がら空きになったチィンの眉間に、青龍刀が深々と突き刺さる。そして、そのまま真っ二つに斬り下ろされた。チィンの身体は、まるで人形のように二つに分断され、再生を試みるかのように細い糸が蠢き始めた。その時、ユーコの叫び声が片田の耳に届いた。
「片田、離れなさい!」
真っ二つになったチィンの身体の間に、導火線に火が点いたダイナマイトが投げ込まれた。轟音と爆煙が辺りを包み込み、飛び散る肉片と黒い血の雨が降り注ぐ。
「無茶苦茶しすぎでしょ、ユーコさん」
片田は、刀を杖のように床に突き刺し、よろめきながら立ち上がった。ユーコは、屈託のない笑顔で片田に視線を合わせた。
「これぞ、奥義、南斗爆殺拳よ」
「ただダイナマイト投げつけただけじゃないですか、どこが拳法なんですか?」
「まあ、いいじゃない。あんた危なかったっしょ、マジで」
片田は、ユーコの無茶苦茶な戦いぶりに呆れながらも、チィンを倒した事には安堵した様子だった。
X
最上階、応接室──────
応接室の扉を開けたのは、ユーコ、たった一人だった。片田は、後から行きますからと、チィンとの戦闘ダメージを露わにして、床にへたりこんだ。
「ん、おやおや、これは、ユーコじゃないか?久しぶりだな、二十年振りぐらいか」
ユーコの前に立つのはユーコの父、ノース•幅戸、その人だった。ユーコは、無意識のうちに二丁拳銃をリロードしていた。そして、躊躇うことなく、その銃口を幅戸に向けた。引き金が引かれる。銃弾は、躊躇うことなく幅戸の身体を捉え、血飛沫が舞い、背後の窓ガラスには、まるで蜘蛛の巣を張り巡らせたかのような亀裂が走った。
「冷たいな、二十年振りに再会した父親に、鉛玉をブチ込む娘がいるかね」
幅戸は、弾丸で穴が空き、血で汚れた衣服を、どこか他人事のように見ながら、ユーコに言った。
「なんであんたがここに?」
「まあ、ビジネスだよ、ビジネス、まずいな警察が時期に来るな、厄介だなー警察」
「母さんや私だけじゃない、ジェシカや数え切れない人々を実験材料にしたあんたを、私が父親だと、本当に思ってんの?」
「おかげで不死身になれたじゃないか、母さんは無理だったがね。そんなに怒らなくてもいいじゃないかユーコ」
悪びれる様子もなく、何が気に食わないんだと、苦笑する幅戸の顔を見た瞬間、ユーコは、キレた。腰にあるナックルガード付きファイティングナイフを抜き、我を忘れて猛然と斬りかかった。その時、
「今は忙しくてね、遊ぶのはまた今度にしよう、ユーコ」
幅戸は、まるで煙のように、いきなり窓ガラスを突き破り、夜空に消えた。ユーコは、突然目の前から消えた幅戸を見失い、茫然自失としていた。その時、ヘリにワイヤーアンカーで引っ張り上げられる幅戸の姿が、彼女の視界に入った。
そして、暗い夜空に、黒い点となり、溶けていく。ユーコは、その夜空を、ただ、見つめていた。背後から、エリックが、ユーコの右肩にそっと触れた。片田が、心配そうに近づいてくる。
「どうしたんですかユーコさん?ナイフ持ってめっちゃ怖い顔して」
「いや、何でもない、別に…」
「任務完了だな、焼き鳥でも食いに行こう」
血だらけの体で、ニカッと口角を少し上げたエリックの口から、セラミックの白い歯が光った。ノース•幅戸、あいつは必ず、私が地獄に送ってやると、ユーコは心の中で呟いた。
──────
See you in the next hell…
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解説 D.E.A.Dは、正式名称を
「デッドリー・エリート・アソシエイション・ディビジョン」
D.E.A.Dは、世界中にメンバーを抱えており、その中には政治家、ビジネスマン、軍人、科学者など、あらゆる分野の著名人が含まれている。
D.E.A.Dは、その影響力を使って、世界中の政治、経済、軍事、科学、文化などをコントロールしている。
D.E.A.Dは、変異体を使った、あらゆる手段を駆使して人々の命を奪うことも、戦争を引き起こすことも厭わない組織である。
合言葉解説 映画「男達の挽歌3」の冒頭シーンを見ていただければ、なるほどなってなります。
今回の挿入曲
Know the Ledge / エリックB&ラキム
Sleeping In My Car / ロクセット
Firestarter / The Prodigy
Gimme the Loot / ノトーリアス•B.I.G.
今回のED曲です、是非読み終えたら聴いて下さい。
DEPARTURES / globe




