42 監禁
少しだけひんやりとした風が吹き抜ける寒々しい土地に、私とルシアン様の2人だけが取り残されました。
「ルーナリアちゃん、早く行くよ。おいで」
にこにこと笑顔で私に差し伸ばしてくるその手を取らず、小さくお辞儀だけします。
「ありがとうございます、ルシアン様。でも、私1人で馬を操れないし、ここは砦からも距離がそんなに開いていないし、歩いて行こうかと思います」
「ふぅん、あっそ。アルフレートの手はあんなに嬉しそうな顔しながら取るのにね」
相変わらずにこやかな笑みを浮かべていますが、なんだかその顔があの時の事を彷彿とさせて、思わず唾を飲み込んでしまいます。
「ははは、そんなに警戒しないでよ。あ、もしかして、あの時の事思い出した?」
「……あの時は、美味しいお茶をご馳走さまでした……」
揺れる心を必死に抑えながら、綺麗な笑顔を浮かべるルシアン様に、少しだけ引き攣ってしまった微笑みを返しました。
「あはははは! 凄いじゃん! どうしたの!? そんな嫌味も言えるようになって、随分逞しくなったねぇ」
「……嫌味……? あ、あの、お茶がとても美味しかったのですが?」
「あはははははは! やっぱ君ってサイコーだわ! 天然! すげーわ!」
お腹を抱えて大笑いし続けているルシアン様のその笑いがなんだか怖くなって、思わず一歩後ろへ下がってしまいました。
「ははは、どした? 怖くなった? 愛しの『お兄様』がいなくなっちゃったから、寂しくて堪んないんだよねぇ」
笑いすぎて目に溜まった涙を拭いながら、にこやかな笑みを浮かべて私に近づいてきました。
その笑顔も怖くなってしまい、また一歩後ろへ下がってしまいます。
「はははは。ルーナリアちゃんは、『お兄様』がいないと何も出来ないんだよね。気持ち悪いぐらい、大好きだよね『お兄様』の事。本当、頭おかしいんじゃない? 前も言ったよね? あれ、君が生きてると皆が不幸になるって教えてあげたよね? 大好きな大好きな『お兄様』も不幸になっちゃうよ?」
ルシアン様は綺麗な綺麗な笑顔のまま、どんどんと近づいてきます。
震える手をグッと握りしめると、また一歩下がりそうになった脚をぴたりと止めて、ルシアン様に笑顔を向けました。
「……アルは、もう『お兄様』ではないんです、ルシアン様。私の『旦那様』です。それに、私がアルを幸せにします」
「……ふぅん」
私の言葉を聞いた途端、ストンと表情を無くしたルシアン様は、ぼんやりとした状態で見つめてきました。
紺碧の瞳は昏く瞬き、何を考えているのかちっとも分かりませんでした。
夕暮れの光が、ルシアン様の顔を朱く照らしています。
時折吹き抜ける風が優しく頬を撫で、その度にルシアン様のこがね色の髪を弄ぶかのように舞わせています。
繋がれている鹿毛の馬が、草を食みながら時々ふと何かを思い出したかのように顔を上げていました。
「……ルシアン様、砦に戻りましょう!」
ルシアン様の様子が怖くて怖くて仕方がなかったのですが、無理やり笑顔を作ると明るく振る舞いました。
(アル兄様……)
今は傍にいない愛しい人の姿を、温もりを、全てを思い出しながら、泣きそうになる自分を懸命に抑えます。
「…………砦には、戻らない…………そうだ。最初から、こうすれば良かった…! ははは! そうだっ! ははははっ……」
「ルシアン、さま?」
ルシアン様の瞳が急に輝いたかと思うと、空を見上げて晴れ晴れとした笑顔を浮かべました。
その様子に最早惧れしか感じなくなり、身体を震わせながら笑い声を上げている第二王子の姿をただただ見守ります。
「ははは。さ、おいで、ルーナリアちゃん。俺と行こう」
最初と同じように、にこにこと笑顔で手を差し伸べるルシアン様を見て、頭の中に警鐘が鳴り響きました。
「っいや!」
その手を無視すると、砦の方向へ向かって全速力で駆け出します。
「っはぁっ……! っはっ……!」
すぐに息が切れてしまう自分を情けなく思いながらも、持てる力の限りを振り絞って走ります。
(砦に行ったら、フェリシアがいる……!)
「バカだよね、君って本当に」
すぐ耳元からルシアン様の感情を無くした声が聞こえてきて、目を見開きました。
微かな息遣いが、フッと入ってきます。
「あっ……!」
首元に今まで味わった事のない衝撃を受け、自分の身体が崩れ落ち目の前が真っ暗になっていくのを感じました。
私の身体を抱きしめる、お兄様ではない人の温もりを感じ、全身に鳥肌が立ちます。
「アル……」
愛しい人の名前を口に出しながら、薄れゆく意識の中見たのは、酷く泣きそうな顔をしたルシアン様の顔でした──
♢
(ん……)
ひやりとした冷たい空気が頬にあたりました。
隙間風が吹いているのか、どこからかヒューヒューと外気が入ってくる匂いを感じます。
ゆっくりと目を開けると、木で出来た壁がちょっと遠くに見えました。
壁にある窓からは、柔らかな月明かりが差し込んでいます。
目だけを動かして周囲を観察していくと、ルシアン様の姿は見えないようでした。
どうやらここは小さな小屋のようで、小型の火魔法具によって僅かな灯火が揺らめいています。
簡素的なベッドの上に寝ていた私は、ゆっくりと半身を起こしました。
……ジャラ……
見ると、左足首に石で作成されたと思われる鎖がついていて、それはベッドの足にしっかりと固定されていました。
(ルシアン様の魔法で、石で作った……?)
自分の右手に魔力を込めて、その石を得意の火魔法で溶かそうと試みます。
ですが、防壁魔法のようなもので守られているのか、何度行使しても鎖を焼き切る事が出来ませんでした。
「……ダメか……闇属性で鎖の魔法に干渉しながら火魔法を行使すれば、焼き切れるはずだけど……アル兄様と違って、魔法の2重行使も出来ない……」
情けなさに、大きく息を吐いてしまいました。
自分に出来ることはないかと、周囲をキョロキョロと観察していきます。
「アル兄様は魔物の殲滅に行ってる……状況は分からないけど、場所を示せればきっと……」
結局いつも守って貰うしかない自分に幻滅しながらも、今出来る精一杯の事をしようと知恵を尽くします。
ーーガチャ
「あれぇ? もう起きたの?」
パッと声のした方を見ると、にこにことした笑みを浮かべたルシアン様が立っていました。
「案外早かったね。さ、ご飯食べなよ。砦に取りに行ってたんだ。俺王族だからどこでも顔パス」
「……」
綺麗な笑顔を浮かべる第二王子様を、無言のまま睨みつけます。
「あれあれ? お腹空いてないの? 何、この場所気に入らない? しょうがないっしょ。俺飛行魔法苦手でさぁ。近くなのはここぐらいだし」
ゆっくりと近づいてくるとベッドに腰を下ろしたのですが、なるべく距離を開けるようにサッと移動しました。
「ははは、そんなに警戒しなくても……てか、バカだよね本当君って」
(あっ!)
声を上げる間も無く、気が付いた時には両手を掴まれたまま押し倒されていました。
すぐそこにルシアン様の紺碧の瞳があり、僅かに荒い呼吸音が聞こえてきます。
「っ! いやっ! やめてっ!」
なんとか身を捩って手を振り解こうとするのですが、私を掴むルシアン様の手はびくりとも動きません。
脚をバタバタとさせながら、逃れようと必死になります。
「ははは、無理だよ無理。ルーナリアちゃんそんなに細っこいのに、力で敵うわけないでしょ。てか、ほら片手でも充分」
ルシアン様は掴んでいた手を離すと、一瞬で片手だけで私の手首を掴むと頭の上で固定しました。
何度も何度も腕を動かそうとしますが、微動だにしませんでした。
「ほらね。無理でしょ。はぁ……でも、もう絶対処女じゃないよねぇ。残念……」
空いた方の手で私の秘所を服の上からゆっくりと撫でていきます。
その感触で全身鳥肌が立ち、涙がぽろりと溢れ出ました。
「いくら治癒魔法が得意って言っても、欠損部分を補うのってやっぱ無理だったんだよねぇ。何度か処女膜が再生できないか試した事もあったけど、やっぱ駄目だったし」
私の秘所に何度も触れながら、心底残念そうな顔でその部分を見つめます。
「いやだっ! 離してっ! いやっ!」
ルシアン様に覆い被されながら、最大限の力を振り絞って暴れまくります。
「無駄だよ。っと……!」
「……っっ! ……やっ!!!」
無理やり上着を脱がされ、シャツが破られ、胸元が大きく開かれました。
簡易的な下着をつけていますが、外気に肌が晒されるのを感じて、またも鳥肌が立ちました。
「……へぇ……すげーな。アルフレート……」
私を見下ろすルシアン様が昏い目をしながら、ツッと鎖骨辺りを撫でました。
そのままその手が、今度はお腹の部分に触れていきます。
「あっ!」
くるりと腕を捻られて後ろを向かされて、微かに震える背中の上部分が露わになりました。
「マジですげぇ。こんなに痕つけて、自分のもんだってすげー主張してやんの」
以前よりはその数を減らしたものの、今でも身体のあちこちに残してくれている痕に、次々と触れていきます。
「……マジで、ムカつく……」
耳元で囁かれたと思った瞬間、ルシアン様の身体の重みがなくなり、両手が自由になりました。
「っっっぁっ……!!」
一瞬、脳内を焼き切るような激痛が全身を襲い、身体を思いっきり仰け反らせました。
次の瞬間には身体の痛みは全て消え去っていったのですが、まだ脳に痺れるような余韻が残っていて、身体が小刻みに震えます。
目からはボロボロと涙が溢れでて、荒い呼吸を何度も繰り返しながら、身を守るかのように背中を丸めベッドの上で小さくなりました。
「これでよし。大丈夫、その髪好きだから、そこは切ってないから」
「……っ……ぃ……」
痛みで停止していた脳がやっと動き出した中自分の状態を見ると、服がボロボロになっていました。
風魔法で身体中を切り刻んだその後すぐに治癒したのか、肌には傷一つありませんでした。
ですが自分がされた事を理解した途端、全身がガクガクと震えてきます。
(アル兄様……!)
愛しい人の顔を思い出し必死で今戦っている彼に想いを馳せると、震える身体と怯える心を抑え込み、呼吸を整えていきます。
(……大丈夫、私は闇属性が使える……全属性に干渉出来るのだから、魔法の行使に干渉すれば、魔法行使は出来なくなる……!)
「何やってんの? そんな背中見せて……はは。丸まっちゃって可愛いねぇ。それで抵抗してるつもり? 俺の子どもを孕んだら、君も諦めるでしょ。さ、俺のノアプティア、おいで」
(ノアプティア……?)
とてもとても甘い声で私ではない名前を呼ばれ、一瞬思考が停止しました。
ですが、すぐに近づいてくる気配を感じた私は、自分の身体を抱え込むと触れさせまいと身を固くします。
魔力展開を感じたらすぐに対応できるように、闇属性の魔力を練り上げます。
「っつっ!!」
肩の辺りを噛まれた痛みで反射的に身体がのけ反り、涙がぽろりと溢れ落ちました。
「ほらほら、そんなに固くならないで。そんな事しても無意味だから」
魔法行使なら闇属性で対応できますが、肉体的なものでは敵いません。
ベッドから転がるように落ちると、纏わりつく鎖を無視して近くの窓へと向かって走り出しました。
「無駄な事しないの」
肩を掴まれた私は、ルシアン様のいるであろう方向に大きく腕を振り上げながら、がむしゃらに大暴れします。
「いやっ! 絶対にいやっ!! ぃやっ!!」
ーーッゴンッ
衝撃で目の前がチカチカしました。
その場にずるずると倒れ込むと、クラクラする頭と痛みが遅れてやってきます。
「あぁ〜。君軽いから、ちょっと叩いただけで吹っ飛んじゃったね。ごめんごめん」
言われて、頬を叩かれた勢いで壁に頭をぶつけたんだとぼんやり理解しました。
口の中が切れたのか、血の味がします。
「逆らった罰で、すぐには治癒してあげないよ。もう痛いの嫌でしょ? 大人しく俺に抱かれた方がいいよ」
艶然とした微笑みを浮かべながら私を見下ろしたルシアン様が、蹲ったままの私に手を伸ばしてきました。
「絶対に、いや」
痛みを感じ取っている身体の反応で、自然と溢れてくる涙を流しながらも、ルシアン様を強く睨みつけました。
半身を起こすと、伸ばしてきたその手を叩き落とします。
「私は、アル以外の人に抱かれるなんて、死んでも嫌です」
「……へぇ。自分の闇の力で結界が修復出来るって分かっていい気になってんの? ──呪われた血の分際で」
私の精神を抉ろうと思っているのか、以前もぶつけた言葉を、うっすらとした嘲笑を貼り付けた顔で吐き捨てました。
ですがカーティス家の話を聞いた私にとって、もはやその嘲りは何の意味もありません。
例え周囲にどれだけ呪われた血だと言われようとも、私自身はこの身に流れるカーティスの血に誇りを持っているからです。
「私は、カーティスの血に連なる者。闇を司るこの身に流れる血は、呪われてなんかいない。むしろ、誇らしいと思っているわ」
窓から差し込む月明かりを背に、仄暗い顔をしたルシアン様に心からの微笑みを返しました──