タイムマシンに乗らなかった男【超短編】
三十代も半ばを過ぎ、すっかりオッサンである。
何が楽しくて、毎朝毎朝好きでもない会社に行き、夜遅くまで働いているのかわからない。
帰宅すれば、娘も息子も寝ているし、そもそも嫁すら寝ている。
朝早く起き、夜遅くに帰る生活を週五日も六日もやれば疲れる、休日くらいゆっくり寝たい。
別に好きで働いている訳では無い(むしろ嫌い)にも関わらず、休日は家族サービスをしろと意味不明なことも言われる。
嫌いなことを週五日も六日もやらされた挙げ句にサービスまでしなくてはいけない、奴隷ですか?
なんのための人生、こんなはずじゃなかった人生。
そんな時、タイムマシンはやってきた。
あまりに突然だったから、大きく驚き、大きく騒ぐタイミングを逸したが、ともかくタイムマシンは男を乗せてやってきた。
タイムマシンに乗ってきた男は言った。
『さあ、これに乗って人生を変えようじゃないか!』
『人生を変える?』
私が怪訝な顔をしていると、男は笑って言った。
『競馬の万馬券や買えば億万長者になれる株を、未来から教えて欲しいと思ったことはないかい?』
あるに決まっている、私は頷いた。
『なら、やっていいよ。』
『何を?』
『いま言ったことをさ。万馬券でも大化けする株の情報でも、二十年ばかり前の自分に教えてあげるといい。きっと、二十年前の君も、その情報を欲しているだろう。』
言うにゃ及ぶ。
この二十年で世界は大幅に変わったのだ。
私はタイムマシンに片足を乗せた。
『そうだ!これで君の人生は変わる。億万長者になって、もう働く必要も無くなるし、家も大きな家に住めるし、美女も沢山寄ってくる。』
それを聞いて、ひっかかることがあった。
『なあ、人生が変わったら、家族はどうなる?』
『新しく築くことになる。決まっているじゃないか。』
若くして億万長者になり、会社にも行かなくなったら、おそらく今の妻とは出会わないだろう。
そして、きっと子供達も。
『大丈夫さ。誰と結婚するかなんて気にしなくても良い。選り取り見取りじゃないか。』
妻と結婚するとき、どんな気持ちだったっけ。
子供が出来たとき、どんな気持ちだったっけ。
子供達の笑顔、どんな気持ちになるんだっけ。
私は、乗りかけたタイムマシンから降りた。
『降りるのかい?輝かしい人生はすぐそこだよ?勇気を出せば、変われるんだよ?』
それでも乗らない私を見て、男は何度も首を横に振りながらタイムマシンと共に去って行った。
またいつもの日常があった。
朝早く、満員電車に詰め込まれる。
うんざりするような朝のルーティン。
会社についたら、夜遅くまで仕事が待っている。
電車の中吊り広告を見て、日曜日は遊園地に行こうと何故か思った。