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九十二話 暴走馬車と不幸な行商人

《ゼフィロス》の王都までの旅はゆったりしたもので、道中は特に大きなトラブルもなく平穏に過ごすことが出来た。


それぞれの身の上話や夢についても散々語り明かしたので、パーティーの絆は深まっただろうとリーダーであるイデアは感じていた。


しかし面倒事というのは忘れた頃にやってくるもので、それは王都まで後一日という所まで来た時に起きた。


「後ろから馬車が来ます」

「王都までの街道は馬車の往来が激しいわね」


車輪の回転する音と馬蹄が踏み鳴らす音でアルレルトが馬車の接近を警告するが、それ自体は特段珍しいことではない。


今歩いているのは王都へ向かう街道だ、王都は国の中心である為、人と物の流通の動きが激しく幾度となく馬車が通るのを彼らも目撃していた。


「うぉ!?、結構速度を出してんな、余程急ぎなのか?」


今しがた《ゼフィロス》の横を通過した馬車の速度はネロが驚くほどで、馬車が吹き散らした風が彼らの前髪を撫でるがただ一人アルレルトの目だけが厳しかった。


「イデア、グラールに行く時に助けた行商人を覚えていますか?」

「え?、確か魔獣と野盗から助けた奴よね?、名前は確かジーノ…って嘘でしょ!?」


そこまで思い出すとアルレルトが何故そんなことを急に言い出したのか、すぐに気付いた。


「今の馬車にジーノが乗っていたの!?」

「はい、すれ違う一瞬でしたが馭者台に彼とよく似た人が乗っていたのが見えました、他人の空似かもしれませんが直感で彼のような気がします」


アルレルトの直感を無視することは出来ないし、何より彼の横顔には助けたいと書いてあった。


「行って、アル。私達もすぐに追うから」

「ありがとうございます!」


リーダーの了承を得たアルレルトは"天衣無縫"を発動して、すぐさま飛び立った。


「リーダー!、状況が全く読めないんだが!?」

「私にも是非説明してくれないか?」

「勿論よ!、説明は道中でするから今はアルを追うわよ!」


イデアとサルースは飛行魔術を使い、空を飛べないネロはヴィヴィアンの背にしがみつく形でアルレルトを追った。


一方先行して飛翔するアルレルトはすぐに猛スピードで爆走する馬車を捉えた。


見るからに暴走しており、一向に止まる気配がない。


このままでは人通りが多いこの街道で大事故に繋がる確率は大いに高い。


アルレルトは加速しながら下降し、馭者台に座り馬車を止めようと奮闘する若旦那、ジーノに声をかけた。


「ジーノさん!、お久しぶりです!」

「っ!?、えっ!?、ア、アルレルトさん!??、どうしてここに!?、というかなんで馬車と並走してるんですか!?」


思わずアルレルトを二度見して混乱する彼の様子からとりあえずジーノだと確認したアルレルトは風を切り裂く轟音の中、声を張り上げた。


「どうやら暴走しているようですが止める手立てはありますか!!」

「ご覧の通り手網が切れて制御が効かない状態なんだ!、止める手立てが思いつかない!!」


ジーノの言う通り、本来ならば馬の制御する為の手網が切れておりジーノが握るのはその切れ端のみだ。


あとは馬に合図を出す鞭を持っていたが、これは馬を止める為には使い物にならない。


『アル様、この馬たちは我を失って興奮状態になってる、止めるには気絶させるか、殺すしかないよ』

「どちらも止めた方がいいでしょう!、急に馬が止まることになれば馭者台に座るジーノと荷台の荷物が大変なことになります!」


荷台を引く馬たちが突然止まってしまえば、荷台が慣性の力で吹っ飛んでジーノも荷物もタダでは済まないだろう。


『ならどうするの?』

「アーネ、魔術で馬を正気に戻す方はありませんか?」

『あるにはあるけど僕は精神干渉系の魔術は得意じゃない』

「できるのか、できないのか、どちらですか?」

『…できると思う』

「それならば僥倖です!、発動条件は!?」

『馬が視界に入れば十分』

「了解です!、ジーノさん!、これから馬車を止めるので俺が合図を出したら荷台に入って下さい!」


アーネとの意思疎通を済ませたアルレルトはジーノに呼び掛けた。


「わ、分かった!、あとこんな時になんだけど荷台には大事な商品を積んでいて…」

「承知しています!、なるべく無傷で止められるよう全力を尽くします!」

「ありがとう!、アルレルトさん!」


泣きそうになりながらの表情ではあったが、アルレルトの言葉に希望を持ったジーノは精一杯の感謝の言葉を言ってくれた。


「感謝の言葉は馬車を止めてからですよ!、アーネ!」

『いつでも大丈夫!』

「ジーノさん!、今です!」


アルレルトの声を聞いたジーノは咄嗟に身をくるめて、荷台へ飛び込み馬たちの正面へ回ったアルレルトの懐から顔を覗かせたアーネが魔術を唱えた。


『"精神白明(マインドフラッシュ)"!』


初歩的な精神干渉系の気付け魔術により、荷台を引く二頭の馬が極度の興奮状態から正気に戻った。


あとはアルレルトの出番だ、腰から鞘ごと抜いた黒鬼を二頭の馬の首にぶち当てた。


「止まれれれれれぇぇええ!!」


アルレルトの声量は常人なら鼓膜が破れるほど大きく、さらに殺気まで込められていたので馬たちは急激に速度を落とし、やがて止まった。


「ふぅ、一件落着ですね」


アルレルトとアーネの活躍により、無事に暴走馬車は止まりすぐにイデア達も追いつくのだった。


◆◆◆◆


無事にジーノを救うことが出来たが、彼の馬車が受けたダメージは深刻だった。


「こりゃひでぇな、車軸がポッキリ折れてるよ、商人の兄ちゃん」

「そ、そんなぁ~」


止まる時に腰を打ち付けたとかでサルースの治療を受けていたジーノは情けない声を上げて、うずくまった。


「安心材料と言ってはなんですが荷台の商品は傷一つなく無事でしたよ」

「た、確かに安心材料かもしれませんが肝心の馬車が壊れてんじゃどうしようもないですよ!」


確かにジーノの言う通りで車軸というのは車輪同士を繋ぐ馬車の大切な部品であり、それが折れてしまっては馬車はもう動くことはできない。


「この切れた手網…」


アルレルトがジーノを慰めている間イデアとネロは馬車を調べていたのだが、イデアはあることに気付いた。


「リーダー、ちょっとこの下を見てくれないか?」

「ん?、何?」


イデアがネロに呼ばれて馭者台の下を覗くと何かが貼り付けてあった。


「これは……何かしら?、何かの筒みたいだけど…」

「それは多分だけど"雷筒(かみなりづつ)"だと思うぞ」

「何それ?、初めて聞いたわ」

「スラム街で生きるやつの悪知恵ってやつでな、筒の中には"ハツカソウ"って草の種を詰め込まれてるんだけど、これに外から衝撃が加わるとけたたましい音がなるんだよ」

「なるほど、敵への牽制や襲撃を報せる時に使うのね」


イデアの正確な解釈と理解にネロは頷いた。


「そんなものがここで破裂したら馬は驚いて正気を失うでしょうね」


物的証拠たちから一つの結論を出したイデアはジーノへ近付いた。


「ジーノ、貴方、誰かから恨みを買った覚えをあるかしら?」

「恨みですか?、特に覚えはありませんけど…何故そんなことを聞くんですか?」

「貴方は殺されかけたのよ、貴方に恨みを持つ誰かに事故に見せ掛けてね」

「ええ!?」


ジーノが驚くのも無理は無いが、立ち上がったアルレルトとサルースも驚いていた。


「それは本当ですか?」

「うん、残念ながらね。この切れた手網を見るといいわ」


イデアから渡されたのはジーノが握っていた切れた手網だ、よく観察したアルレルトとサルースはすぐに気付いた。


「この切り口は刃物によるものですね」

「途中まで切れ込みが入ってる、手網を使用したら切れるように細工がしてあったわけだ」


「ええ、さらに馬を驚かす大きな音を出す道具まであったらどう見てもジーノを馬車の事故に見せかけて殺そうとした奴がいるとしか思えないのよ」

「イデア君の推論は正しいだろうね、実際アルレルト君が助けなければ彼は死んでいただろう」


サルースの言うことは真実であり、アルレルトは初めて会った時に次いでまた命を救ったということになる。


「しかしここで議論をしていても仕方ないでしょう、喫緊の問題はジーノの馬車が壊れてしまったことです」

「そうね、ずっと街道に壊れた馬車を置いとく訳には行かないし、ジーノ」


イデアに呼ばれたジーノは泣き腫らした顔を上げた。


「貴方の馬車を直してあげる代わりに貴方の本店で融通をきかせて欲しいわ」


イデアの要求を理解できなかったのはアルレルトたちだ。


「ん?、イデア君、ジーノ君は行商人だろ?、本店は持っていないじゃないかい?」

「いいえ、本店があるはずよ。だって…」


イデアは知的で鋭利な視線をジーノへ向けた。


「貴方、行商人とか言ってたけど本店(ほんだな)はかなりの力を持つ商会でしょ?、行商人として商人の経験を積むための武者修行中ってところかしら?」


「な、何故そうお思いに??」


「まずは行商人のくせにそれなりに身なりがいいこと、馬が上等なこと、馬車の作りが立派なこと等々よ、上手く隠してたみたいだけど私の目は誤魔化せないわ、助けて欲しいならさっきの私の要求、呑んでくれるわよね?」


イデアの一見すると恫喝にも見えるこの交渉は初めから出来レース、ジーノに頷く以外の選択肢はないのである。


色んな意味でとことん不幸な行商人、それがジーノだった。

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