七十九話 魔術模倣と転移事故
シルヴィアとの決闘から一週間後、イデアはしばらく《双杖の塔》に篭っていた。
その理由はカイゼルがひっきりなしに送り込んでくる子飼いの魔術師に会わないようにする為と、新たな魔術を習得する為だった。
「現在イデア様は"秘奥の間"におり、何人も通すなと言われております」
「カイゼル卿よりトスハンネス家のハリスが来たと伝えてくれ、そうすれば分かる」
「イデア様は何人も通すなと言われております」
カイゼルによって送り込まれた子飼いの魔術師数人を纏めるハリスは要領を得ない魔術人形の言葉にとうとう堪忍袋の緒が切れた。
「もういい!、人形風情では話にならん!」
「お、おやめください!、ハリス様、この塔の魔術人形は…!」
「無駄なことを止めなさい、彼女たちは《人形狂い》の芸術品よ。貴方たち如きには傷一つつけられないわ」
激高したハリスを止めようとした魔術師の耳に清廉な少女の声が聞こえてきた。
「《双杖》様!」
イデアの声に聞き覚えがあるハリスが喜色めいて周囲を見回すがイデアの姿はどこにもなかった。
「クソ親父の命令か、なにか知らないけど邪魔よ。即刻消えなさい、五秒以内に消えなかったらこの塔にいる全ての魔術人形をけしかけるわよ?」
イデアの声が魔術人形から聞こえてると気付いた頃にはイデアの脅しは終わっており、魔術師たちを囲むように百体近い魔術人形たちが脇に整列していた。
「「!!?」」
驚愕した魔術師たちは慌てて《双杖の塔》から出ていった。
それを見届けたイデアは魔術人形との接続を切って、魔術人形たちを自動状態へ切り替えた。
「ふぅ、魔術人形が優秀で助かるわね」
《双杖の塔》の管理と整備を務める魔術人形は魔術人形という魔術道具を確立したことで魔術史に名を刻む《人形狂い》の作品であり、歴代の《双杖》の改造を幾度も受けたこの塔の魔術人形は防衛機構としてはとても優秀だ。
また掃除や洗濯などの雑事をこなしてくれるため、魔術の研究で引きこもることの多い歴代の《双杖》には重宝されてきたと聞く。
当然、この街の魔術師が大嫌いなイデアも高性能なこの塔の魔術人形には随分と助けられている。
一息ついたイデアは傍に浮かべていた紅茶のカップを手に取って飲み干すと、一冊の本を本棚に戻して杖を向けた。
「ええと、"移動系魔術の応用論"は読み終わったから次は《空魔》の論文ね、"検索・空魔論"」
イデアが本棚に魔術を唱えると、高速で本棚の中の本が入れ替わり、数冊の本が少し飛び出た。
《双杖の本棚》と呼ばれる本棚であり、歴代《双杖》の魔術知識の全てが納められており、当代の《双杖》のみしか閲覧することができない為、外ではその存在は半ばよもやま話だと思われていたりする代物だが現実に存在するものだ。
イデアにとってはただの便利な引き出しでしかないのだが。
イデアは飛び出た全ての本を魔術で浮かべて、開くと椅子に座ってからじっくり時間をかけて読み込んだ。
「空間魔術は距離の短縮が主軸だけどアイツの真似をするだけじゃ芸がないわね」
イデアが行おうとしているのは"魔術模倣"と呼ばれる超高等技術でグレスベルトの配下であるリアドが使っていた空間魔術を真似しようとしていた。
使えたら便利そうという単純な理由だが、そのために空間魔術に関する論文を読み漁っていた。
「空間跳躍の方が消費魔力が少ないけど空間転移なら…」
色々と呟きながら試行錯誤するイデアは杖を抜いて、空間魔術を試しに使ってみた。
イデアの隣の空間に裂け目が現れて、さらに足元の空間に裂け目を作って、最初の裂け目に風の玉を撃ち込むと足元の裂け目から撃ち込んだ風玉が現れた。
「これが空間跳躍ね、それなら…」
さらに多くの実験を繰り返して、空間魔術への造詣を深めるイデアだったが、先駆者が残した論文とイデアが持つセンスのお陰でさらに深化させた空間魔術を取得できた。
「これならアルやネロを緊急避難をさせることができるし、試しに跳んでみようかしら」
二本の杖で魔力を制御して、転移する先をどこにしようかと考えていると脳裏に先程仲間たちのことを考えていたせいか、アルレルトの顔が浮かんできてしまった。
「あっ!?、まずっ」
気付いた頃には時すでに遅くイデアは《双杖の塔》からアルレルトのいる場所へ転移するのだった。
◆◆◆◆
イデアが空間魔術の研究をしている頃、アーネを肩に乗せたアルレルトはサルースを探していた。
そろそろ退院しようかと考えていたので、それをサルースに伝えるためだった。
サルースを探しながら廊下を歩いていると、向かいから数人の伴を連れた壮年の男が歩いてきた。
「ーーー」
アルレルトは男の容貌にイデアの面影を感じて目を見開いた。
「…私の顔になにかついているのかな?」
「いえ、知り合いに似ていたので少し驚いただけです。不躾に申し訳ありません」
アルレルトの言葉に男の後ろに控えていた一人が出てこようとしたが、男本人がそれを制した。
「いやはや、君のような礼儀正しい青年はレーベンでは中々見かけないな。外からやってきたのかな?」
「冒険者のアルレルトと申します」
アルレルトの言葉に男は興味深そうに頷いた。
「なるほど、冒険者か。何のためにレーベンにいるのかは知らないが面白いな。その顔と名前は覚えておこう」
それだけ言い残して壮年の男と伴の者たちは去っていった。
『多分かなり高位のフルグラス派の魔術師、それに…』
「イデアと似ていましたね」
イデアの年齢からしてあの壮年の男が兄弟というのはありえないので、イデアがとても嫌っていた父親なのだろうか。
「父親…ですか」
アルレルトには馴染みの薄い存在だ、よってこのことは胸の内に置いておくことにした。
「アーネ、このことは誰にも言わないようにしてください」
『うん、分かった』
躊躇なく頷いてくれたアーネに笑みを深めつつ、再び歩き出した瞬間突然目の前に人が現れた。
「!?」
驚愕したアルレルトは一歩下がろうとして、突然現れたのがイデアであることに気づいて考えるよりも先に身体が動いて、イデアを抱き止めたが落下するイデアを支え切れずアルレルトはそのまま廊下に押し倒された。
「アル…様?」
アルレルトが倒れる前に肩から降りて人獣化したアーネが見たのは、唇が触れるギリギリで見つめ合うアルレルトとイデアだった。
「わ、わわわ!?、ご、ごめんなさい!、アル!、押し倒したちゃったけど怪我はしてない!?」
一瞬で顔を真っ赤にしたイデアはすぐに立ち上がろうとしたが、腰に回ったアルレルトの腕のせいで立ち上がれなかった。
「い、いえ、背中が少し痛いだけで怪我はないと思います」
「よ、良かった、あぅっ!?」
安堵したイデアの脇腹をアーネの蹴りが強襲して、イデアは横に吹き飛ばされた。
「痛っ!?、何するのよ!、アーネ!」
「アル様を押し倒した罰、死ぬといい」
精一杯の恨み節が篭ったアーネの言葉にイデアは驚きつつ、再び放たれた蹴りを躱した。
「ちょ!?、今顔を狙ったわね!?」
「潰れても僕は困らない」
「私は困るのよ!?」
アーネから逃げ回るイデアのせいで一気に騒がしくなったが、至近距離で美しいイデアの顔を直視したアルレルトは早鐘を打つ胸を抑えつつ頬が赤いまま立ち上がった。
深呼吸して動悸を抑えてからアーネを注意した。
「アーネ、とりあえず落ち着いてください。俺は何ともありませんから」
「ーーーアル様に感謝するといい」
憤懣やるかたないという態度は隠さず、イデアにそう告げたアーネはトビリスの姿に戻ってアルレルトの肩の上に乗った。
「イデア、大丈夫ですか?」
「え、ええ、大丈夫よ」
アルレルトの手を取って立ち上がったイデアはアルレルトの頬が赤くなっていることに気付き、なんだか恥ずかしくなって顔を背けてしまった。
「「ーー」」
アルレルトはそのイデアの頬が赤くなっていることに気付き、二人の間にほんのり甘い空気が流れるのをアーネは感じてアルレルトの耳朶を叩いて不満を露わにするのだった。
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