七十二話 黒影の魔女と天才
食事を終えて、雨が止む頃には日が落ちていた。
「雨が止むまで待ってたら日が暮れちゃったわね」
「そうですね、俺は闇夜に乗じて逃げられるので助かりますが」
「…本当に私と一緒に来なくていいの?」
「その件はさっき断ったでしょう?、一緒に居ればイデアの立場が悪くなってしまいます」
「それは分かってるけど…っ!」
言い募ろうとしたイデアをアルレルトは片手で制した。
「心配してくれるのはとても嬉しいですが俺には俺の戦いがありイデアにはイデアの戦いがあります。俺は自分の戦いに集中しますからイデアも同じようにしてください」
「…分かったわ、それなら絶対に生き残るって約束して」
「約束します、イデアもですよ?、リーダーがいなければ何も出来ませんからね」
即座に約束してくれたアルレルトの言葉にイデアは美しい笑みを浮かべた。
「勿論よ、それとフルグラス派のことは気にしないでいいわ」
「…本当にいいのですか?」
「構わないわ、アルは何も気にせず自分の望むままに戦って」
「ありがとうございます、イデア」
感謝をしたアルレルトにイデアは頬を緩めたまま飛行魔術で飛び去った。
「アーネ、今から《獣使い》を斬りに行きますよ」
『い、今から!?、流石に早いと思うけど?』
「時間をかける理由はないでしょう?、《獣使い》を討たなければこの街での平穏はありません」
驚いたアーネに説明したアルレルトは走り出した。
目指すのは特区にある《獣使い》オーリックの研究塔だ、場所は既にシルヴィアから聞いているし地図も見せてもらったので頭に入っている。
「アーネ、《獣使い》のことについて何か知っていますか?」
『ほとんど知らない。でも改造した魔獣を従えるから本人の戦闘力はそんなに高くないって聞いたことがある』
「なるほど、改造した魔獣というのは?、魔獣を人が従わせるのは不可能に近いと思うのですが…」
アルレルトの疑問は当然で魔獣とは瘴気から生まれる人を喰らう化け物であり、人と共存するのは不可能であるはずだ。
『僕もよく知らないけど《獣使い》は自ら魔獣を造れるらしい』
「…魔術はなんでもありですね」
アルレルトはそう嘆息したが、アーネを狙う理由が何となく分かった。
(獣繋がりでアーネを狙ってる?、それとも……いえ、考えるのは止めましょう)
どうせ斬る相手のことを深く考えても仕方がない、考えるべきはどう斬るか、それだけだ。
『それでも《獣使い》の実力を過小評価はしない方がいいと思う』
「それは当然です、常に最悪に備えるのが戦前の心得ですからね」
『アル様にはいらない助言だったね』
「いえ、心配してくれてありがとうございます」
頬を緩めたアルレルトに肩の上に乗るアーネは恥ずかしくて、俯いた。
そんなアーネの頭をアルレルトが撫でていると、特区へと繋がる巨大な門が見えてきた。
「ーーー?」
門へ近付いたアルレルトはふと何か違和感を感じて、周囲を見回すと先程まで空を飛んでいた魔術師たちが居なくなっていた。
(何かおかしい、魔術師の街で一人も魔術師がいなくなるなど…)
疑問が結実する前に街灯の影から黒い影が盛り上がって人が現れた。
「腰に剣を下げトビリスを連れた黒髪の男、お前の名前はアルレルトかな?」
「っ!?」
アルレルトは驚愕しながらも一歩下がって黒鬼の鞘を左手で掴んだ。
「瞬時に構えた、戦い慣れてるね、そしてその反応はアルレルトに間違いないね」
「…アーネ、逃げて下さい」
『えっ?』
アーネはポツリと呟かれたアルレルトの言葉が信じられず、彼の顔を覗くとアルレルトの表情は歪み冷や汗が垂れていた。
「あの魔術師はおそらくイデアの並の力があります、アーネを守りながら戦える自信が今の俺にはありません」
『そんな!?』
アルレルトの弱気とも言える言葉にアーネは驚愕した、今までアーネがそんなことを言ったことはなかったからだ。
「行ってください、アーネ」
『嫌!』
「え?」
『絶対に嫌!、もうアル様を置いて逃げたりしない、逃げるくらいなら私も一緒に戦う!』
「しかし…」
『分かってる!、僕の実力が足りないことくらい、でもアル様の足手まといにはならない!』
強い意志の籠ったアーネの目を見たアルレルトは反対の言葉を飲み込んだ。
「背中は任せますよ」
「うん!」
人獣の姿に変わったアーネはアルレルトの言葉に強く頷いた。
「話は終わった?」
「はい、律儀に待っていてくれたのですね」
「待つよ、すぐに甘美な戦いの時が始まるからね!!」
目の前の魔術師から莫大な魔力が放出され、足元の影が膨れ上がった。
「私の名はニュクス!、さぁ、すぐに死なないでよ!、アルレルト!!」
「望むところです!」
ニュクスの姿が掻き消えた瞬間、アルレルトは神速の抜刀を振り抜いた。
「"神風流 鳳凰剣"!」
「"影爪"!」
ドンッ!、という二つのものが衝突した鈍い音が響きアルレルトは自身の剣が魔術で伸長された凶爪に受け止められたのを悟った。
(刃が通っていない!、ならばっ!)
ニュクスはもう片方の影爪を反対側から振り下ろそうとして、アルレルトの回し蹴りが飛んできたので攻撃を止めて受け止めた。
「食らえ!」
「"影羽"!」
アーネの拳がニュクスの側頭部を捉える前に彼女の背中から伸びた影がアーネを吹き飛ばした。
アルレルトの蹴りを食らってやや仰け反りながらの反撃にアーネは驚きながらも防御して綺麗に受身を取った。
「"神風流 荒風"!」
アルレルトはアーネの方は注視せず迷わず仰け反ったニュクスへ前進し、首と胸を狙って斬り下ろした。
ニュクスは両手の影爪を伸ばして、斬撃を防御すると剣を弾かれて姿勢が安定しないアルレルトへ向かって突撃した。
「っ!」
「"影爪撃"!」
二方向から振り下ろされる漆黒の凶爪に対して、間合いを見切ったアルレルトは後方に跳んで躱したが構わずニュクスは前に踏み込んできた。
(魔術師なのに前に出てくるのか!?)
アルレルトは初めて見る魔術師の戦いに困惑しつつも、冷静にニュクスと打ち合いを繰り広げた。
戻ってきたアーネはニュクスの背中に蹴りを食らわせようとして背中から伸びる無数の影が攻撃してくるので接近するのをやめて攻撃するタイミングを計った。
「やるね!、アルレルト!、それならこれならばどうだ!、"影喰"!」
ニュクスの漆黒の爪が獣の顎門のように変形し、アルレルトの腕を狙った。
アルレルトはわずかに腰を落として、斜に構えた刃で持ってこちらを喰らおうとする顎門を受け流した。
「"斬風"!!」
そのまま剣先を背中に回してから、袈裟に振り下ろしてニュクスを吹き飛ばした。
しかしニュクスは背中の影を地面に刺して、強引に留まり変形していない方の爪をアルレルトの顔を狙って振り抜いた。
アルレルトは先程と同じように紙一重で避けようとしたが一瞬爪が伸びて頬を切り裂かれた。
「ぐっ!、爪が伸びた!?」
「アル様!」
ほとんど地面に吸い付くような前傾姿勢のアーネはアルレルトの声を聞いて、ニュクスに吶喊した。
「パンチ!」
「"影喰"!」
半身で振り向いたニュクスは影の顎門をアーネへ向け、アーネは攻撃を止めて顎門に飲まれないように上顎と下顎を掴まえて踏みとどまった。
「アーネ!、"神風流 朱雀剣"!」
「なっ!?」
アルレルトの方へ目を向けたニュクスは逆袈裟からの抜刀に対応できず空中に打ち上げられた。
正確には斬撃の威力を受け流す為にわざと飛んだのが、それを見抜いたアルレルトは迷わず追撃する為に跳躍した。
空中では地上のように動くのはアルレルトでも難しい、それを根底に置いた策だったがアルレルトに脳裏にある一つの事柄が天啓のように降ってきた。
(奴の杖は何処だ?)
魔術師は杖を持つ生き物の筈だが、ニュクスの両手には杖らしきものは握られていない。
一瞬アルレルトのように杖を使わないのかもと考えたが、膨大な魔力を持つ魔術師に杖は必須だとイデアは言っていた。
「っ!?」
既に上段に黒鬼を構えたアルレルトは空中で回るニュクスと目が合った瞬間、己の失策を悟った。
「"影羽撃"」
ニュクスの背中から伸びた六枚の影の羽がアルレルトの腹部にめり込んだ。
「があっ!?」
凄まじい速度でアルレルトは吹き飛ばされ、遠くの建物に激突した。
「悪いね、アルレルト、私は杖を必要としない魔力操作の天才なんだ」
《黒影の魔女》ニュクスは防御が間に合わず薄皮一枚斬られた首元を撫でながら、影の羽を広げて不敵に笑うのだった。
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