五話 魔術と泉の魔獣
魔獣、それは瘴気と呼ばれる負の力が集まることにより生まれる人喰いの怪物。
一部の例外を除いて人が住まない森に発生するのが常であり、魔獣が巣食う森には人は決して住むことが出来ないというのがこの世の常識だ。
「これだけ凶悪な魔獣が居る森に住むなんて正気じゃないわ!」
「俺は正気です。現に十八年間この森で生きてきました」
多くの木々に囲まれる中で方々から襲ってくる魔猿を撃退しながら叫んだイデアにアルレルトは冷静に返した。
「魔猿の群れは上級の冒険者でも手こずる相手なのよ!?」
「確かに彼らはずる賢いですからね、ただの動きが速いだけの魔獣だと侮っていると足元を掬われます」
木に登って上から襲ってくる魔猿たちに意識を向けていると、地上から数匹の魔猿が襲ってきた。
「俺に任せて。"神風流 荒風”」
魔術を放とうとしたイデアを制して、前に出たアルレルトの連撃が魔猿を斬り裂いた。
「"魔散弾”」
死角から襲ってきた魔猿と上から襲ってくる魔猿をイデアは二本の杖を巧みに使って、二方向に魔弾を放って撃退した。
魔猿をある程度撃退したところでアルレルトたちはその場を離れた。
「今日はやっぱりの魔獣の様子がおかしいですね」
「昨日も似たようなことを言ってたけど何がおかしいの?」
走りながら血振りをして刀を納めたアルレルトの呟きに追随するイデアは反応した。
ある程度で離れた所でアルレルトは立ち止まった。
「魔猿はバカなので人を襲う魔獣なのですが、あそこまで腹を減らした魔猿の群れを見るのは初めてです」
「それって森の生態系が変わってるってこと?」
「それしか考えられません、昨日襲ってきた魔鷲も腹を好かせていました。確実に彼らの餌を横取りした魔獣がいますね」
「これからどうするの?」
「討伐するつもりです。無論まずはどこにいるか探し出すところからですがその前に休憩しましょう、この先に泉があります」
森を知り尽くしているアルレルトの指示に素直に従うイデアはこの調査の目的は達成されたものの、アルレルトの目的は分からなかった。
(私をどうこうしようとかそういうつもりはないみたいだし、私の実力を見るため?、それとも他に理由が…?)
色んな可能性を考えるイデアだったがこれといった理由は思いつかなかった。
そんなことを考えているうちに目的地の泉に到着した。
「随分と戦い慣れているように見えましたが誰かに師事していたのですか?」
「ええ、フルグラス派の賢者フルルに師事していたわ」
「なるほど、そのフルグラス派というのは流派なのですか?」
「そうよ、魔術師の間でも魔術に対する考え方が別れているのよ、私が師事するフルグラス派は基幹三流派の一つね」
休憩の間の雑談として振ってきた話題にイデアは積極的に乗っかった。
「私のフルグラス派は簡単に言えば手数が正義よ」
「手数…つまりは発動する魔術の数ですか?」
「正解よ、私たちが杖を二本持つのも手数を増やすためね」
「理にかなっているのですね、もう一つ聞いてもいいですか?」
「構わないわよ」
「魔術とは具体的に何なのですか?、俺は剣士ですが興味があります」
アルレルトの思わぬ言葉にイデアは目を丸くして、嬉しさから笑みを浮かべた。
「魔術とは魔力とイメージによって現実を変化させる事象のことを指すわ、たとえば…」
イデアが右手で持つ白い杖の先から小さな水球が現れ、どんどん大きくなった。
「今は膨らむ水の塊をイメージして魔力を杖に流して現実に介入しているわ、魔力とは万人が持つ燃料で杖は魔術の発動体よ」
「杖が無ければ魔術は使えないのですか?」
「例外はあるけど基本的にはそうよ、魔術師にとって命の次に大切なものね」
説明は終わりとばかり水球を破裂させたイデアは杖を腰帯のホルダーに戻した。
「私も杖を使えば魔術を使えるのですか?」
「積極的ね、あれだけの動きができるなら魔力の扱いは無意識下で出来てるってことだから可能性はあるわよ。後は才能と訓練次第ね」
「可能性があるのならばやってみる価値はあります、戦える手段が増えるだけで生き残る確率も上がります」
「その言い方、やっぱり何度か死にかけたことがあるのね」
「ありますよ、師匠に殺されかけたこともありますし魔獣に食い殺されかけたこともありますよ。イデアも師匠に殺されかけた経験があるのでは?」
ジト目で言ったイデアの言葉にアルレルトは平然と返し、イデアは苦い記憶を思い出して唸った。
「うぐっ、思い出したくないことを思い出させないでよ」
「ふふ、それは失礼しました」
柔らかく笑ったアルレルトに対してイデアは頬を膨らませた。
「休憩はこれくらいにして…!」
言いかけたアルレルトが突然抜刀すると泉から何が飛び出してきた。
「イデア!、泉に何かいます!」
触手のようなものを斬り捨てたアルレルトの叫びにイデアは迷わず杖を抜き、泉に向かって魔術を放った。
大量に放たれた魔力弾によって大きな水飛沫が上がり、思わずイデアが目を細めると触手が襲ってきた。
「!?」「"神風流 荒風”」
前に出てきたアルレルトが触手を全て斬り捨て、二人は共に後ろに下がった。
「助かったわ!」
「お気なさらず、来ますよ!」
泉から這い上がってきたのはねっとりした粘性の液体で泉から再び襲ってきた触手を排除したアルレルトとイデアは魔獣の正体を言い当てた。
「「魔粘体!」」
二人は触手を避けて森へ下がるとイデアが魔術障壁を展開した。
「泉に潜む魔粘性を討伐するのは困難です。ここは逃げるのが吉です」
「駄目よ、あの魔獣を放って置く気なの?」
魔術障壁に触手が次々衝突する光景を見ながらアルレルトは毅然と言い返した。
「イデアの言いたいことは分かりますが、リスクの方が大きいです」
「魔粘性を放置する方が危険だわ、私を信じて、私なら魔粘性を倒せるわ」
自信を込めて白と黒の杖を構えるイデアにアルレルトはすぐには頷くことは出来なかった。
「信じて、アルレルト。私は夢を叶える女よ、こんな所でくたばらないわ」
「分かりました、イデアを信じます。しかし一つ条件があります」
アルレルトは漆黒の愛刀を一瞬見てからイデアを見詰めた。
「イデアの本気を一切包み隠さず見せてください」
「!?、気付いていたの?」
「いいえ、ただの勘です」
完璧に隠していたつもりだったイデアは勘とはいえアルレルトに見破られたことに驚いた。
「背中を任せる相手が本気ではないというのは懸念要素です」
「確かにその通りね、アルレルトが信じてくれるなら私も誠意を見せないといけないわね」
再びイデアの前に出たアルレルトは身を屈めて前傾姿勢を取った。
「"神風流 突風”」
魔術障壁が消えると地面を砕く勢いで踏み込んだアルレルトの突きが触手を吹き飛ばし、泉から盛り上がっていた魔粘体の体に風穴を空けた。
「"古の理よ・真を歪め・疾く走れ・裂雷”!」
黒杖から放たれた緑色の雷が魔粘体の体を引き裂き、ボロボロにしながら泉を侵食した。
緑色の雷を放ちながら、白杖で二つ目の魔術を展開したイデアは大きく跳躍した。
「"古の理よ・虚を露呈し・焼き尽くせ・滅炎”!」
漆黒の火炎と緑色の雷が合体し、泉を蒸発させる勢いで魔粘体の体が爆発した。
大量の水蒸気が発生し正面に居たイデアは跳ね飛ばされた。
森に隠れていたアルレルトはそんな水蒸気に紛れて、逃げる何かを見逃さなかった。
「逃がしません」「!!?」
この世の闇が凝縮したような真っ黒の魔粘体の核を風を纏ったアルレルトは両断した。
バラバラに細かく斬り捨てたアルレルトはトドメに鉄靴で踏みつけて、すぐさま水蒸気の中を脱出した。
水蒸気を脱出したアルレルトは吹き飛ぶイデアを見つけると、地面を砕いて大きく跳躍しイデアを抱き止めた。
空中で一回転し身を捻ったアルレルトは見事に地面に着地した。
「無事ですか?」
「爆発を貰う前に下がったから無事よ、助けてくてありがとう。まさか魔粘体が自爆するとは思わなかったわ」
「イデアの魔術を脅威に感じたのでは?、それと逃げた核は破壊したので御安心を」
「本当!?、あれだけ大口叩いといてアルレルトに後始末をさせたみたいね」
落ち込むイデアをアルレルトは優しく諭した。
「落ち込む必要はありません、俺だけではあの魔粘体は倒せませんでしたから。イデアには感謝しています」
「そう言って貰えると嬉しいわ、それでこれからどうするの?」
「一度家に帰って態勢を整えましょう、魔粘体は凶悪な魔獣でしたが森の異変の元凶ではありませんから」
アルレルトの言葉にイデアは頷き、意見を一致させた二人は家へと帰るのだった。