三十四話 擬態と魔虫の女王
「空気が……変わった?」
十五階層へ降りる階段を探すべく歩いていると突然アルレルトがポツリと呟いた。
「階段を見つけたよ、リーダー」
アルレルトの発言に怪訝な顔をしていたイデアだったが、ネロの指した方向に視線を向けた。
「階段ね、結局あれからは魔獣には一度も出会わなかったわね」
「魔獣がいないのは良いことじゃない、リーダー、早く十五階層に行こうよ」
ネロに急かされるイデアだったが、どうしても嫌な予感がチラつき決断できなかった。
「アル、さっき空気が変わったって言ってなかった?」
「え?、あ、はい。なんだかとても重苦しい空気に変わった気がします、この空気を感じた時はろくなことに…!?」
アルレルトが言い終わる前に周囲の壁が動き出した。
「グルルルゥ!」
「まさか…!?」
「「「「ギュイイイイイ!!!」」」」
ものを擦り合わせたような不快な魔獣の鳴き声が全周囲から聞こえ、そこ初めて周囲の壁が迷宮の壁ではなく魔虫の群れだということに気付いた。
咄嗟にパーティーを囲む魔術防壁を張れたのはイデアの魔術師としての技量を表していた。
「「「「ギュイイイイイ!!」」」」
「リーダー!、ヤバイよヤバイよ!?」
パキパキという罅が走る音が聞こえてくる、おそらく百を超える魔虫の力にイデアの結界が負けつつあるのだ。
「イデア、後どれくらいもちますか!」
「一分が限界よ!」
アルレルトの問いに怒鳴るように返したイデアは魔術を発動しながら思考を加速させた。
(迷宮の壁に擬態する魔虫!!、この窮地を打破するには群れに押し潰される前に走って十五階層に逃げ込むしかない!)
そこまで目標を決めたところで具体的な策案の思考に移るが魔虫がいるのは全方位。
アーネは個の力は強いが殲滅力に欠ける、ネロは戦力外、ヴィヴィアンは荷物を抱えているために群れには突っ込めない。
(実質的に打開できる力があるのは私とアル!)
「アル!、前に聞いた魔術師の範囲魔術を破った剣技は振るえる!?」
「振るえますが今の俺では全ての魔虫は斬れません」
「半分お願い!、もう半分は私がやるわ!」
「!!、分かりました!」
アルレルトは凛々しく頷き、イデアと背を向け合った。
「ネロ、アーネ。私とアルの間に、ヴィヴィアンもよ」
「イデア、結界が解けるまでの時間は?」
「今からきっちり三十秒後よ!」
アルレルトは鞘から黒鬼を抜き、大上段に構えた。
「"風よ・吹け・風よ・鳴け・風よ・散れ・風よ・祈れ・風よ・力を授け給え"」
アルレルトを中心に凄まじい風が渦巻き、ネロは目を見開いた。
「迷宮で風!?、一体どこから…!?」
驚くネロの声を聴きながら集中していたイデアも驚いていた。
(完全に無風の空間で私の結界内なのに風が吹くなんてどんなカラクリか気になるけど…)
アルレルトに関する思考を止め、目の前の魔虫を残らず一撃で殲滅できる魔術をイメージする。
「"古の理よ・虚を露呈し・無を否定せよ・焼き尽くせ"!」
きっかり三十秒の時間が過ぎた瞬間、結界が割れるように消えた。
結界が消えたことで目の前のアルレルトとイデアに一斉に襲いかかった魔虫の群れは二人が放つ死の気配に気づけなかった。
「"秘剣・龍爪"!!」
「"滅炎咆哮"!!」
鮮烈な風の斬撃と波濤の如き火炎が襲いかかる魔虫たちを纏めて切り裂き、燃やし尽くした。
「今よ!、皆十五階層まで走って!」
イデアの号令で弾かれたように走り出したアーネたちは一直線に十五階層の入口に向かった。
「ふぅ、ふぅ、!?」
先頭を走りながら息を整えていたアルレルトの視界に漆黒の何かが映り、咄嗟に刃を合わせた瞬間凄まじい力を感じた。
耐え切れないと刹那の瞬間に悟ったアルレルトは地面を蹴って、吹き飛ばされた。
すぐ後ろにいたネロ、アーネ、ヴィヴィアン、イデアをも飛び越えて、アルレルトは後方に吹き飛ばされた。
「ぐっ!?、ネロ!!」
受け身をとって着地したアルレルトは自分のすぐ後ろにいた探索役の名を叫んだ。
アルレルトを吹き飛ばしたのは明らかに他の魔虫とは一線を画す巨大な魔虫。
その体躯は挟み撃ちにされた時に会敵した魔虫よりもさらに大きく、胸部から生える脚はまるで獲物を狩る鎌のようでその虫顔は酷く歪んでいた。
「ギュイイイイイ!!!」
あまりにも唐突な怪物のような魔虫の登場に惚けていたネロに襲いかかった魔虫だったが、アルレルトの叫びによって我に返ったネロは横に飛んだ。
ネロが魔虫の鎌脚を避けるのに合わせて、アーネが拳を叩き込んだ。
「ぐぅ!?」
まるで金属同士がぶつかるような硬質な音が響き、アーネは苦悶の表情を浮かべた。
「ネロ、こっちに来て!」
その光景を見たイデアはアーネと魔虫の間に魔術障壁を展開し、ネロを呼んだ。
「ギュイイイイイ!!」
明らかに他の個体とは違う魔虫は魔術障壁を破ろうと張り付いた。
「二重の魔術障壁で抑えるのが精一杯!、"強化種"か"異常種"の魔虫よ」
「痛い、外殻が硬すぎる」
「アーネ、拳は無事ですか?」
吹き飛ばされたアルレルトは即座に復帰して、アーネを心配した。
「大丈夫、少し腫れただけすぐに治るけどあの魔獣は私と相性が悪い」
「俺が斬ります、先程の失態はそれで帳消しと言うことで」
アルレルトはネロに向けて言った。
「ほ、本気であの魔獣に勝負を挑む気?、アルレルトの強さは分かってきたけど相手は強化種か異常種だよ!?」
強化種、異常種、どちらも同種の魔獣より遥かに強い力を持つ魔獣のことを指す。
目の前の魔虫は恐らく異常種であろうとアルレルトは当たりをつけていた。
「これは予測ですが壁に擬態していた魔虫が強化種で目の前のコイツは奴らを生み出した異常種ではないでしょうか」
「その予測には全面的に賛成よ、つまり今私たちを食い殺そうとしてる女王様を討伐すれば安全に十五階層に飛び込めるわ」
イデアの言葉に頷き、アルレルトは鞘に納めた黒鬼の柄に触れた。
「アルレルト、あの魔獣を切れるの?」
「切れる、この刀と神風流があれば正面から両断してみせます」
アルレルトはネロの問いに自信を込めて頷き、腰を落として黒鬼の柄に手の平を乗せた。
「イデア、いつでも」
「アル、勝ってね」
「言われるまでもなく」
アルレルトの言葉を聞き届けて後ろに下がったイデアが魔術障壁を解くと咆哮を上げて魔虫の女王が襲ってくる。
「ギュイイイイイ!!」
「"神風流 朱雀剣"」
決着は一瞬だった、霞む速度で振るわれたアルレルトの剣が強力であった筈の外殻をものともせず魔虫の女王を袈裟に斬った。
「アルと相性が良かったようね、黒鬼の斬れ味とアルの剣の腕があれば魔獣の外殻だろうと紙屑同然ね」
「いや、並の剣じゃないのは分かるけど普通の剣士には無理だよ」
感心するイデアにネロが珍しく突っ込んでいたが、アルレルトは魔虫の死骸から何かを発見した。
「これは…秘石?」
「似て非なるもの、強い魔獣の心臓で魔石と呼ぶ、高く売れる筈」
「アーネの言う通りよ、これくらいの大きさなら金貨数枚にはなるわ」
アルレルトが拾ったのは漆黒の石で一瞬秘石かと思ったが、これは魔石と呼ばれるもので高く売れるそうだ。
「窮地に陥ったかいはあるということですか」
「そうね、魔石はアルが持ってて今は十五階層に降りることを優先しましょう」
思わぬ窮地に陥った一行たちだったが、アルレルトとイデアの奮闘で無事に切り抜け、高価な魔石を入手することに成功するのだった。




