百四十六話 準備運動と牛人王国
アルレルトと口付けを交わしたあとは、尾を引かれる気持ちはありつつも、アルレルト本人に諭されて、イデアは眠った。
そして誰かが横に立っている気配で、イデアは目が覚めた。
「寝坊助が起きましたか」
「もう少し優しい言葉をかけられないのかしら?」
横に立っていたのはシルヴィアだった、考えうる限りで最悪の相手である、アルレルトが良かったというのが本音だ。
「そういうのは私の役目ではありません、そんなことより貴女以外は全員起きていますよ」
「え?、本当だ」
顔を上げるとアルレルトたち前衛組の四人は元気に、模擬戦をしており、少し離れた場所でサルースがそれを見守っている。
「アル君に感謝してくださいね、イデアが一番頑張ったので好きに寝かせてくださいと私たちを説得したお陰ですからね」
「ふ、ふん!、当たり前でしょ」
「何を照れているのですか、気持ち悪い」
「私によく口が悪いって言うけど自分も大概だってこと自覚してる?」
シルヴィアといつも通りの口喧嘩をしたあと、イデアは起き上がった。
「あっ、イデア君、起きたんだね」
「うん、先生は調子はどう?」
「怪我をした割には好調だよ、私としてはイデア君の方を心配したいけどね」
「私はこれでも頑丈な方よ、眠ったお陰で疲労も取れたしね」
「それは良かったよ」
「クソ!、アルレルト!、お前の反応速度をどうなってやがる!」
「文句を言われても困ります」
「レイシア!、本気を出さないと怒る!」
「ん、いいよ、本気を出す」
威勢の良い声たちが耳に届き、目線を向けるとアルレルトたちの模擬戦が激しさを増していた。
アルレルトとネロは無手で組み合い、戦っているが低い背丈を生かしてアルレルトの死角から攻めているネロに対して、アルレルトはきっちり反応し捌いている。
ネロが弱いわけでない、彼女は自分の長所を生かし戦っている、これはアルレルトが上手いのだと素人のイデアにも分かる。
一方レイシアとアーネも同じように組手を交わしていたが、ここはレイシアとアーネの実力差が如実に現れていた。
素早く拳打を放つレイシアに対してアーネは受け流しながら、反撃するもレイシアには全て防がれる。
さらに拳速が増すレイシアに対してアーネは防戦一方になる。
最終的にはアーネは捌ききれなくなり、まともに拳を顔面に食らってたたらを踏み、そこへ足払いをかけられ、地面へと倒れたところに容赦ない鳩尾への追撃が向かうが、アーネは転がり何とか避ける。
「準備運動はこれくらい、もっとやりたいなら付き合う」
「だ、大丈夫、やっぱりレイシアは強い」
二人の模擬戦が終わったところで、アルレルトに背負い投げされたネロに皆の視線が集まる。
「ぐへぇ!?」
「ネロは強いですね」
「お前にそんなことを言われても嬉しくねーよ」
「はいはい」
苦笑したアルレルトが立ち上がると、自然とイデアと目が合う。
「おはようございます、イデア」
「お、おはよう、アル」
昨日の今日でぎこちなくなってしまうイデアに対して、アルレルトは平静そのものだ。
少しは焦って欲しいものだがそうすると皆に関係がバレてしまう可能性があるので難しいところだ。
(今は大迷宮攻略に集中したいし皆に何かを言うのは全部が終わったらね、特にシルヴィアに気付かれないようにしないと)
シルヴィアに弱味を見せたらどんなことになるか、想像すらしたくないというのがイデアの本音である。
「コホン、それじゃあ作戦会議は始めましょうか」
◆◆◆◆
イデアの号令で《ゼフィロス》は集まり、イデアとシルヴィアを囲むように立つ。
「次の十一階層から始まる領域の通称は"牛人王国"よ」
「過去の文献によればここから先は牛人が蔓延る階層だそうです、おそらく本格的な迷宮攻略になるのでネロの探索役の力に頼ることになります」
「それは構わねぇけど牛人って名称の魔獣が初耳なんだが」
「牛人は牛頭の人型魔獣よ、一個体がそれぞれ強い上に群れを成す厄介な魔獣ね、脅威度で言えば小鬼と猪人を足した感じね」
小鬼の小賢しいさと猪人の繁殖力を持つ魔獣ならば、イデアの言う通り厄介だ。
「要するに牛人の群れが支配する領域という認識で構いませんか?」
「はい、その認識で大丈夫ですよ」
アルレルトの確認にシルヴィアが首肯する、続いてサルースが手を挙げる。
「それだけ聞くと"毒虫の巣穴"よりも簡単にそうに聞こえるけど、実際どうなんだい?」
「それはなんとも言い難いわね、少し話したけど大迷宮に挑んだ八割のパーティーがここで壊滅してるから、そこから先となると情報が極端に減るのよ、だから正確な難度を図るのは難しいわ」
「ただしはっきりと分かっていることもあります、一つは"牛人王国"が"毒虫の巣穴"より容易いということは決してないことと、強引な手は使えないということです」
「前者は分かる、後者は何故?」
レイシアの問いにシルヴィアは即答する。
「これ以上迷宮を破壊することを避けるべきだからです、冒険者の禁忌をイデアと私で踏み倒すのにも限度があるでしょうし、そのような力だけに頼るやり方ではどこかで必ず破綻します」
シルヴィアは一つの方法による攻略法の停滞化を懸念しているようであった。
「それには私も同意見よ、だから"牛人王国"は真正面から正攻法で攻略する、理解できたかしら?」
イデアの問いに皆が頷き、それを確認したイデアが再び口を開く。
「それじゃあ改めて、陣形は前と変わらずに罠が出てきたら前衛組が警戒して、ネロが解除する、基本方針はこんな感じよ。あとは全員がその場の状況に応じて臨機応変に動いて頂戴、誰か質問はある?」
誰からも質問は出なかったので、イデアはそこで会議を終わらせた。
◆◆◆◆
既に発見した下へ続く階段を陣形を作って《ゼフィロス》は第十一階層へと降りる。
警戒しながら先頭を歩くアルレルトはほんの少しだけ驚いた。
吹き抜けで多くの魔虫が蔓延っていた"毒虫の巣穴"とは打って変わって、普通の石壁と通路だけだったからだ。
「急に普通の迷宮っぽくなったな」
「はい、バーバラの迷宮とそっくりです、しかし見た目だけでしょう」
ネロと話しながら、アルレルトはレイシアと目配せをして前へと進む。
すると突然枝分かれした四つの通路が現れる。
「典型的な迷路からしら?、ともかく地図作成が必要ね、シルヴィア、頼める?」
「構いませんよ、ただ背中は任せますね」
「イデア、最初は…っ!」
イデアに指示を仰ごうとしたアルレルトだが、鋭い気配を察知して、即座に振り向く。
四つの通路、それぞれから棍棒を手にした数匹の魔獣が現れる。
耳を劈く咆哮を上げる魔獣は牛の頭を持つ人型の魔獣であり、アルレルトは即座にこいつらが牛人だと理解した。
「「シッ!」」
同じように警戒していたアルレルトとレイシアが踏み出すのは同時で、閃く刃が牛人をそれぞれ斬り捨てるが、振り抜いた姿勢の彼らへすかさず別の牛人の攻撃が来る。
アルレルトはバックステップし、レイシアは斜めに踏み込み避ける。
そこへイデアの援護の魔術が飛び、二匹は倒れ伏す。
「"神風流 天刃"」
「"音斬流 飛音"」
残った数匹もアルレルトとレイシアの飛ぶ斬撃で、両断され、襲ってきた牛人は全滅させられた。
残心を終えた後二人は共に血払いをして、剣を鞘に納める。
「アル、レイシア、怪我はない?」
「ありません」
「ない」
「二人から見て牛人の所感はどう?」
「単体の脅威は冒険者で言えば中級ならば倒せる程度です、ただ…」
「今みたいに多人数で連携してくるなら、脅威は上級」
「え?、こいつら連携してたのか?」
「正確にはしようとしていました、その前に俺とレイシアが倒してしまったので」
牛人の死体から魔石を取り出していたネロの疑問にアルレルトが答える。
「ん、最初でこれなら下へ降りればもっと高度な連携を取ってくる可能性がある」
「それなら戦闘の指揮は私が取るわ、臨機応変に行動は変わらないけど、それでどうかしら?」
イデアは目配せでシルヴィアに確認を取る。
シルヴィアは広域魔力探知で地図作成をしている最中だったが、片目を瞑って了承してくれた。




