十話 妖精の宿り木亭と今後
周囲を城壁に囲まれている辺境都市グラールは東と西で地区が別れており、冒険者ギルドが立つ東地区には冒険者御用達の店も集まり賑わっている。
"妖精の宿り木亭”もそんな冒険者御用達の宿屋の一つだった。
「ここが"妖精の宿り木亭”ですか?」
アルレルトが疑問の声を上げたのも仕方がなかった、二階建てと思われる建物を突き抜けて生える巨大な樹木があったからだ。
「そうよ、こんな派手な見た目のせいで人が寄り付かないけど良い宿屋よ」
言いながら店の中に入ったイデアの後を追って、アルレルトも中に入った。
意外にも内装を綺麗で食事用のいくつかのテーブル席と二階へ繋がる階段が見えた。
「あ、久しぶりイデア…と奥の人はどちら様?」
「ここに来たんだからお客に決まってるでしょ、お客が来なさすぎて麻痺してるわね、"シネア”」
テーブル席に肘を付いていた少女が顔を上げて告げた言葉にイデアがツッコんだ。
「えぇ!?、イデア以外のお客様!?、痛ぁい!?」
慌て過ぎて盛大にずっこけた少女は床に大きく顔面を押しつけた。
「お客じゃと!?、我が宿の一大事…あだぁ!?」
「あ、すみません」
突然視界に飛び込んできた小人をアルレルトは反射的に叩き落としてしまい、その正体に気付いて慌てて拾い上げた。
「精霊…いや、妖精様ですね」
「何をするかばか者!、我の体がぺしゃんこになったらどうしてくれるのだ!?」
手のひらに収まるサイズの羽を生やした小人、妖精にアルレルトは目を細めた。
「相変わらず騒がしい妖精ね、ニコ」
「イデアではないか、よう帰ってきたのう。また我が宿に泊まってくれるのだな!!」
「そのつもりよ、これからしばらくは彼が泊まるけどね」
「そうじゃそうじゃ、シネア!、寝とる場合では無いのだ!、さっさと接客をするのじゃ」
うざったく飛び回る妖精ニコの呼び掛けに応じて、慌てて起き上がったシネアは受付に行くと、部屋の鍵を取ってきた。
「はい、一泊銀貨一枚だよ。あ、お部屋は後ろのお兄さんと同じ部屋……痛い!?」
「彼の分も私が払うけど部屋は別々でお願いするわ」
イデアから拳骨を食らったシネアはしぶしぶ別の鍵を持ってきた。
「それじゃあアル、十分後テーブル席で」
「ええ、分かりました」
イデアとアルレルトはそう言って別れるのだった。
「皆してアルのことを恋人扱いして全くもう!、アルはそんな存在じゃないのに…」
部屋に入ってすぐ不満を垂らしたイデアだったが、恋人同士と言われて悪い気はしなかった。
今まで魔術の修練と夢を追うことに全てを捧げてきたイデアはまともに男と関わりをもったことがなかった。
冷静に思い返してみれば、仲間になってもらうとはいえ一ヶ月も関わりの薄い男と一緒に住んでいたなんて常軌を逸していた。
でもそんな常軌を逸した行動がなければアルレルトは仲間になってくれなかった、イデアはその確信があった。
「そう、アルは夢を叶える為の仲間よ。その事実だけでいい、私の感情は関係ないのよ。"レーネ”、私頑張るからね」
ポツリと呟き拳を握り締めたイデアの目には情熱と誓いの炎が強く燃え上がるのだった。
◆◆◆◆
「ニコ様はあの木を住処にしているのですね、通りで立派な木だと思いましたよ」
「ふふん、分かっておるのう、アルレルトとやら。この木は住み心地が良いのだ」
イデアが一階へ降りてくるとテーブル席に座るアルレルトとニコが楽しく談笑していた。
打ち解ける速さに驚いていたイデアにアルレルトが気付いた。
「ーーー」「!!」
軽く微笑んできたアルレルトに早速先程の決意が揺らぎそうになったイデアはぐっと堪えて、隣の席に座った。
「ニコ、個人的な話があるからアルを貸してくれるかしら?」
「む?、構わんぞ。我は家に戻るのじゃ」
そう言って住処の樹木に帰ったニコを見届けるとイデアが口を開いた。
「これからの方針について話し合いたいわ」
「分かりました、イデアの当面の目標を教えてください」
「私の今の目標は王都アリアスの地下に存在する世界三大秘境の一つ"大迷宮”の攻略よ、無論攻略を始めるには仲間も地位も足りないわ、だからアルには実績を積んでもらうわ」
「実績…この場合はギルドの階級を上げることですね」
「流石ね、その通りよ。アルには最低でも中級に昇級して欲しいの」
「目標と方針は理解しました、その間イデアは何をするのですか?」
真実かどうか怪しい噂を信じて辺境の村まで出向く無鉄砲さはあるが目標を定め、そこに至るまでの計画を立てられる聡明なイデアが時間を無駄にする筈はないと思ったのだ。
「私は迷宮都市バーバラに仲間を探しに行こうと思うの」
「俺以外の仲間ですか?」
「ええ、あと二人必要なの。優秀な探索役と有能な治癒士がね、信用できて私の夢についてこられる必要があるから見つけるのは大変だと思うけどね」
「イデアは俺を口説き落としました、イデアならできますよ」
「ありがとうアル、絶対に追いついてきてね?」
「必ず追いつきます、剣に誓って」
剣に誓う、剣士が最も大事な事を誓う時に使う言葉にイデアは嬉しさから自然と笑顔になるのだった。
◆◆◆◆
その後、戻ってきたニコやシネアと他愛のない話を続けたアルレルトとイデアはしばらく談笑していたが、日が落ちる時間にはお開きになった。
シネアが振る舞う夕食は質素だったが、丁寧に作られていて二人は満足して、部屋に戻ることが出来た。
「ーーー」
部屋に戻ったアルレルトは寝るまでの時間に神風流の型の鍛練を一人続けていた。
寝る部屋が別だったイデアの前で見せたことは一回もなかったが、アルレルトの日課であった。
コンコン、という扉をノックする音が響くとアルレルトは黒鬼を鞘に戻し、入るよう促した。
「お邪魔するわね」
「イデア?、俺に何か用ですか?」
「うん、アルに渡したい物があるのよ」
そう言ってイデアはローブの懐から細長い石を取り出した。
「古代魔術の粋が集まった"秘石”という魔導具よ、これを受け取って欲しいの」
「嬉しいですが何故そのような大切なものを俺に?」
取り出した秘石と呼ばれる魔導具が一瞬で大切なものだと見抜いたアルレルトに、イデアは驚きもせず微笑んだ。
「アルが初めての仲間だからよ、その証明だと思って欲しいわ。魔術師が自分の魔術の秘奥を渡すなんて普通はしないんだけど、秘石を渡さないとアルとの繋がりがなくなってしまう気がして…」
イデアが漏らした不安の言葉をアルレルトは抱き締めることで中断させた。
「俺も不安です、心配です。イデアはおっちょこちょいなところがありますし美人ですから、しかしその不安と心配を上回るほどに俺はイデアを信じています。イデアが現れなければ今も俺は森で一人寂しく師匠の幻影を追いながら暮らしていました」
そこまで言って魔人のことを思い出した。
「あの魔人に襲われて死んでいたでしょう、イデアは俺にとっての新しい風です、そんな君が不安を口にするなんて俺は聞きたくありません」
ギュッと抱き締められたイデアはアルレルトから伝わる温かい優しさの情念に身を震わした。
しばらく沈黙の時間が続いたが、やがて我に返ったアルレルトが慌てて離れた。
「すみません、つい抱き締めてしまいました」
「いいのよ、男の子に抱き締められるのなんて初めてだったけど案外悪くなかったわ」
イデアの言葉にアルレルトが顔を上げると既にイデアは背を向けていた。
「ともあれ秘石は受け取って欲しいわ。便利だけど私は杖があるから使わないし」
「そこまで言うのならば受け取りますよ」
後ろ向きで渡された細長い石をアルレルトは仕方なく受け取った。
「それじゃあお休み」
「お休みなさい」
足早に部屋を出ていったイデアの顔は真っ赤に染まっていたような気がした。