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 晴斗の車を見送ると雪は2人が遊び始めるのを待っていたように弱くなっていた。庭にうっすらと積もった雪が雫の心をわくわくと高鳴らせる。そんな娘の姿を見て雫の母親は安堵したように微笑む。

「雪遊びするなら早くしないとね。春の雪はすぐに溶けてしまうわよ」

 母親は雨音からボストンバッグを受け取ると1人家の中へと入っていった。

「始めようぜ」

 雨音は幼さの残る笑顔を雫に向けた。

「うん」

 2人は庭に行き、バケツに雪を集め始めた。雫も手伝いながら、雨音は慣れた手つきで雪山のトンネルを作り上げて行く。雫も夢中になって雪の滑り台を作った。2人はまるで昔に戻ったように小さな遊び道具を雪で作っていった。一通り出来ると雨音は雫の顔を見て笑った。

「なに? 何で笑うの?」

「鼻真っ赤。子どもみたい」

 雫は何だか恥ずかしくなって手で鼻を隠すと雨音は覗き込むように質問をした。

「楽しい?」

「……楽しい……」

 それは久しぶりの感覚だった。雫は何もかもを忘れてただ雨音との雪遊びを楽しんでいた。

「俺も」

 そう言って雨音はほっとしたような優しい微笑みを雫に向ける。その笑顔に雫の胸がドキンと大きく反応した。雫は思わず両手で自分の頬を隠す。そうしていれば背の高い天音には熱く火照る困り顔は見えないだろう。ちらりと彼の方に目線をやると紺色のブレザーがすぐ近くにあった。そのブレザーからは全てのボタンがもぎ取られたように姿を消し、切り取られた糸だけが残っていた。生意気だけど気取ることのない雨音は昔から男女問わず人気者だった。雫は見たくないものでも見たように目をそらす。

(告白……されたのかな)

 そう考えるだけで胸が苦しく軋む。雫は動揺している顔を見られないように、より深く両手で顔を隠した。しかしそれが余計に彼の目を引いてしまった。


「手、痛い?」

 雨音は赤くなった雫の指先に手を伸ばす。そして頬を抑える雫の手ごと大きな手で包み込んだ。雨音の手も雫と同じくらい冷たい。それなのに彼女の顔は内側からどんどん熱くなっていく。雨音はその熱に気付かず、ふっと笑みをこぼす。

「こんなこと昔もあったよな」

「え?」

 雫は目線だけを雨音に向けた。雨音の瞳に情けない顔をした自分が映る。

「覚えてなくても無理ないよ。初めて雪遊びした時のことだし」

 雨音は懐かしそうに目を細めた。



 それは雨音が言葉を覚えてまだ間もない頃のことだった。

 その日も雫は庭で1人きり雪を集めて、レインのための遊び道具をつくり続けていた。そして小さな雨音が母親と共に家に遊びに来た。母親たちがおしゃべりを楽しむ横で雨音は黙々と雪山を作る雫を窓ガラス越しに見つめていた。雨音の母親が席を立ったタイミングで雫の母親は雨音に声をかけた。

「雫が気になる?」

 雨音はこくんと頷く。

「ああやって遊び道具を作ってお友達を待っているのよ」

 雫の母親が言うと何を思ったのか雨音はガラス窓をコンコンと叩いた。するとそれに気付いた雫が家の方を見る。雫の母親が窓を開けると雫は雨音へと近づいた。

「どうしたの?」

 すると雨音は雫を見上げて言った。

「楽しい?」

 雫はその言葉にドキリとして返事が出来なかった。一人きりレインを待つ雫の雪遊びは楽しくはない。雫は涙ぐみ俯く。


「ねえ、雫、雨音君も一緒に遊びたいんじゃないかしら」

 雨音は澄んだ目で雫を見つめていた。

「一緒に遊ぶ?」

 すると雨音は大きく頷く。雫が雨音のために雪うさぎを作ると彼は嬉しそうに大きな声で「うさたん」と言った。それがあまりに可愛らしくて雫は当初の目的も忘れ、雨音のために雪で色々なものを作った。雨音は雪でできた小さな滑り台を興味深く見つめた。

「しゅべりだい、ちいさいねぇ」

 雫は雨音の隣にしゃがみ込み一緒に滑り台を見つめる。

「うん、これは雪の子の滑り台なの。雪の子は私の大事な友達なのよ」

 言葉にすると涙がこぼれそうで雫は両手で頬を抑えた。すると雨音は雫の前に立ち、手を伸ばす。雨音の小さな手は雫の手に重なった。


「てって、いたい?」

 雨音は心配そうな顔で首を傾げる。彼は冷たさで赤くなった雫の手を見て、手が痛くて泣きそうなのだと思ったようだった。

「ありがとう、あーちゃん」

 雫が言うと雨音は嬉しそうに笑った。心に染み入るような優しい温かさに雫の寂しさが溶けていく。レインと会えなくなってから雪遊びの楽しさを思い出させてくれたのは雨音だった。



「あったね、そんなこと」

「あの時は小さかったけど今は雫の手が隠れるくらい大きくなった」

 雨音が雫の手を握ったまま得意げに言う。小さく柔らかかった手は男らしく筋張っているけれど、それでもあの頃と同じ白くて綺麗な手だった。

「あーちゃんは変わらないよ」

 雫の言葉に雨音はムスっとした顔をしていた。

「変わっただろ。俺、大きくなるためにガキの頃からすげー牛乳飲んだんだからな」

 雫は思わず笑ってしまう。大きくなるとは宣言していたが、まさかここまで大きくなるとは思っていなかった。それでも雫にとって雨音がかわいい幼馴染であることに変わりはない。

「見た目が変わっても心は変わらないってことだよ」

「そんなこと言ってじいさんになっても子供扱いするのかよ。約束しただろ?」

「約束?」

 雫は首を傾げた。

「名前だよ」

 不満気なその顔に昔の面影が重なる。すると不意に幼い頃の雨音の声が頭に響いた。

『俺がデカくなったらあーちゃんって呼ぶなよな』

 雨音の瞳の輝きはあの頃と何も変わっていない。雫にはその純粋さが眩しすぎて目を逸らした。

「でもあーちゃんはあーちゃんだから…」

「約束破るのかよ」

「私ね、あーちゃんにはそのままでいてほしいの。あーちゃんには大人になんてなってほしくないんだよ」

 雫は自分でも何を言っているんだろうと混乱しながら俯いた。しかし、雨音は自分と目が合うように両手で頬を持ち上げた。

「嫌だね。俺は雫と一緒に大人になりたい。そしてこれからも一緒に雪遊びがしたい。じいさんばあさんになっても2人で雪の子たちに滑り台を作ってやりたい」

「あーちゃん……」

「じゃないと雪の子がかわいそうだろ?」

 雫は悲し気な笑みを浮かべた。

「雪の子なんておとぎ話を信じるのは子どもだけだよ」

 雨音は目を見開いてそれ以上何も言わずに空を見上げた。いつの間にか雪は止み、雲の間から陽が差している。雫の母親が言った通り、雪が弱くなると積もった雪はもう溶け始めていた。気づけば庭に雪遊びができるような雪はほとんど残っていない。2人が作った滑り台が溶けるのも時間の問題だろう。

「あーちゃん、雪遊びはもう終わりだね」

 雫が手を離すと雨音は黙って庭を出て行ってしまった。

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