出会い
「さいってー!!」
「いってぇ……」
パンッといういい音を立てて私の頬を叩いて、泣きながら走り去って行った女の子。
電車で見かけて好きになった、とかで告白されて断っていたけれど、会社の前で待ち伏せされて、1度抱いてくれたら諦める、と言われて断り続けるのも面倒になって関係を持った。
解散しようとすれば連絡先を、と縋られて断っても諦めなくて、再度の告白を断ったら思いっきり頬を叩かれた。
私の言い方が悪かったのは否定しないけれどさ……そもそも約束を守らなかったのは向こうだし、これって私が悪いの?
金曜の夜ということもあって人通りが多いし目立って仕方がない。関わりたくないのか、避けられてるけど。
会社の近くのホテルでなんて失敗した。会社の人に見られていないといいけどな……
キスやセックスに特別な感情なんてなくて、求められれば必要とされている事が実感できてその時は満たされるけれど、後には虚しさだけが残る。
最中に言葉を求められて言うことはあっても、そこに気持ちは伴っていない。
抱いたからって恋人のように振る舞われても困るし、同じ感情は返せない。関係が壊れるのなんて一瞬だ。どうせ壊れるなら大切な人なんて要らない。
「はぁー」
叩かれた頬がヒリヒリ痛む。あの子爪長かったし、傷になってそうだなぁ……
一夜限りの相手にこうやって叩かれるのは初めてじゃないけど、こんな顔で帰って母と遭遇したら説教されることは間違いない。考えただけでめんどくさっ!
反対されてるけど、毎日寝に帰ってるだけだし、やっぱり一人暮らしを考えるか……
連絡をくれていたのは誰だったかな、と端に避けて座ってメッセージを見ていると絆創膏が差し出された。
「良かったら使って?」
「……え? あ、え?」
反射的に受け取ってしまって、顔をあげれば濃紺のスーツ姿の綺麗なお姉さんが立っていた。
「遊ぶのも程々に、ね? お大事に」
自分の頬をトントン、と指さして、ふわり、と微笑んで去っていく後ろ姿を呆然と眺めて、ハッと我に返って慌てて追いかけたけれど見失ってしまった。
「ーそれで?」
「ふわっといい匂いがして、バリバリのキャリアウーマンって感じだった。お礼も言えなかったし、また会いたいな」
「侑がそんなこと言うなんて珍しい。というか初めてじゃない?」
遊び相手のところに行く気にもなれなくて、一人暮らしをしている同期の奈央の家に転がりこめば、頬の傷を見て盛大に笑われて、一部始終を話すことになった。話さないと泊めてくれないって言うし。貰った絆創膏はなんだか勿体なくて使えていない。
「そうかも。普通さ、関わりたくないじゃん? それなのに優しいよなぁ」
「確かに。私なら見捨てるわ」
「うわ、ひどっ!」
「いや、自業自得」
「だってしつこいからさー。1回シたら諦めるって言うから」
「そんな訳ないじゃん。どうせ優しく抱いたんでしょ? むしろ逆効果だから」
はぁ、と呆れたようにため息をつかれた。
「で、その人の連絡先は聞いたの?」
「いや、惚けてたら見失った」
「もう会うことはないかもねー」
「うっわ、そういうこと言う??」
人が気にしてることを……あの場所で待ってたらまた会えるかな?
仕事終わりにあの人に会った場所で通り過ぎる人を眺めるようになってひと月経った。毎日待っていた訳じゃないけれど、これってもしかしてストーカー? 自分がキモすぎて引く……もう諦めた方がいいのかな……
なんでこんなに会いたいのか、感じたことが無い気持ちにそわそわする。
もう一度会って、ただ一言お礼が言いたかった。ただの気まぐれだったのだろうけれど、確かにあの時、優しさに救われたから。
帰ろうかな、と歩き出そうとすれば、少し離れたところでおじさんに腕を掴まれている女性を見かけた。なんか困ってそうな雰囲気。背中を向けていて顔は見えないけれど、背格好が何となくあの人に似ている気がした。
人通りが多いのに、関わりたくないのか足早に通り過ぎていく人達。私が頬を叩かれた時もそうだったなぁ……まあ、明らかな修羅場だった私に関わりたいと思う人は居ないか。
助けに入るとお礼を、とかしつこくされるから出来れば関わりたくないんだよなぁ……でも、助けに行きそうな人はいないし、あの人は声をかけてくれたんだよね。
「おじさん、僕の彼女に何か用ですか?」
「あ? ……兄ちゃんもきれーな顔してんなぁー」
「それはどうも。手、離して貰えます? 嫌がってるので」
「なっ……」
おじさんと女性の間に入って、掴まれていた手を離させればふわっとあの時と同じ香りがした。
「待たせてごめん。どうする? 警察呼ぶ?」
「警察!?」
「ううん、いい」
振り向かずに女性に確認すれば、いい、と返答があったから見逃すことにした。あぁ、声までよく似てる。
「おじさん、飲み過ぎには気をつけてね?」
「あ、ああ……」
おじさんを掴んでいた手をパッと離せば慌てたように人混みに紛れて行った。
「お姉さん、大丈夫でしたか?」
「すみません、助かりまし……た……ってあれ?」
振り返った私のことを見たお姉さんが目を見開いた。もしかしたら、と思ったけどやっぱりそうだったんだ。やっと会えた。
「いいえ。こちらこそ、先月は絆創膏ありがとうございました。お礼も言わずすみません」
「やっぱりあの時の子だ。傷、残らなくてよかった」
そう言って1か月前と同じように微笑む顔から目が離せなかった。お姉さんも私のことを覚えていてくれたことがどうしようもなく嬉しい。
「お姉さん綺麗なんですから気をつけてくださいね」
「サラッと言うなぁ……駅まですぐだし大丈夫。って説得力ないか」
眉を下げて苦笑する表情を見て、私が守ってあげたいな、なんて思ってしまう。私なんてお呼びじゃないだろうけど。最近の私はなんだかおかしい。
「危ないので送りますよ……って私も怪しいか」
「私……? あれ、もしかして女の子?」
ほぼ初対面みたいなものだし、断られるだろうなと思っていたら不思議そうに首を傾げられた。
「あ、はい」
「さっき、僕の彼女、って」
「ああ。そう言った方が面倒が少ないかなって」
女って分かると余計絡まれそうだったし、幸い見た目も男性に間違えられたりするからバレないかなって思ったけど予想通りだった。
お姉さんには女の子との修羅場を見られちゃってるし、男だと思われてたのも無理もないか。
「お家はこの辺ですか? あ、言いたくなかったらいいですけど」
「最寄り駅は××駅」
「え? 家も同じです」
まさかの同じ最寄り駅。この前もここで見かけたし、会社がこの辺なのかな? 会社ももしかして近かったりして?
「うわ、凄い偶然」
「また変な人がいるかもなんで、良ければ一緒に帰りません?」
「うん」
並んで歩き出せば、歩幅が違うからか早足になっていて、慌ててペースを落とした。
「ありがとう」
ちょっと恥ずかしそうに見上げられて、胸がギュッと締め付けられたような気がした。
電車に乗れば、通勤ラッシュの時間帯ではないけれどそれなりに混んでいて座れそうになかった。
小さくて埋もれちゃいそうなお姉さんの前に立って広告を眺めていれば電車が揺れて、よろけたところを咄嗟に抱き寄せてしまった。
柔らかいし、いい匂いがする。
「……っ、すみません」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
上目遣いで照れたように微笑まれたら私もなんだか照れてしまって、自然にゆるむ口元を手で隠した。
なにこれ……物凄くドキドキする。慌てて離れたけど、心臓の音聞こえてなかったよね?
2駅だからすぐに最寄り駅についたけど、ここからどうしようか……さすがに、家まで送るのは迷惑だよね。
「家を知られるのは嫌だと思うので……連絡先聞いてもいいですか? 何かあれば連絡して下さい」
「あ、うん」
気づけば、連絡先を聞いてしまっていた。私のスマホに登録された玲依の文字。
「れいさん……」
「えっと、ゆう、でいいのかな?」
「はい。ゆうで合ってます」
「ゆうちゃん」
名前を呼ばれて、自分を認識してもらったようで嬉しい。呼び捨てでいいんだけどな……でも優しい声で名前を呼んで貰えるだけで充分か。
「……はい。山崎 侑です」
「高野 玲依です」
「「ふふっ」」
お互いの名前すら知らなかったことに何だか笑えてしまって、しばらく2人で笑いあった。
「ゆうちゃんって学生さん?」
「一応社会人4年目です」
「あ、そうなんだ」
「そんなに子供っぽく見えます?」
「そんなことないよー」
玲依さん、そんなに笑いながら言っても説得力ないです。可愛いけど。
「うわ、絶対嘘だ! これでも22になったんですけど!!」
「22? 6、いや、7歳下かー。ゆうちゃん若いなぁ」
優しく微笑まれて、今日何度目か分からないけれど見蕩れてしまった。大人のお姉さんって感じ。
「玲依さん、お家、ここから近いですか?」
「うん。すぐ近く」
「気をつけてくださいね」
「うん。ゆうちゃん、今日は本当にありがとう」
玲依さんを見送って家まで歩き出せば、家が見えたところで到着の連絡と今日のお礼のメッセージが届いた。返信は散々悩んで、やっとの思いで良かったです、とだけ返した。
ベッドに寝転んでスマホを開いたけれど、返信は来ていない。話が続くような、もっと違う返信できただろ私……
お読み頂きありがとうございます!!