書き換えられた三連音符
博之は人気のミュージシャンだった。名前を聞けば誰でも知っている極めて有名な音楽グループのギタリストだった。
そのグループは、もう十五年も日本のポップス界をトップグループとして牽引してきた。 彼らが作り、そして歌う歌は、ハードなロックもあれば、咽び泣くようなバラードもあった。
特に、彼ら独特のメロディーラインから生まれる曲は、多くの人々の心を揺さぶり、我が国だけでなく、英語バージョンとなって欧米の有名歌手によっても歌われていた。
彼らのグループは、ボーカルの秀二をリーダーとした五人グループで、二人の他にはドラム担当の達也とキーボード担当の秀徳、そしてベース担当の大輔がいた。
彼らは、皆同じ高校の同級生だった。高校時代に音楽好きの仲間が集まってバンドを結成し、それぞれ進んだ大学は異なったものの、その後もバンド活動を続け、名のあるアマチュアコンテストで優勝したことをきっかけに、大学を卒業する直前にデビューを果たしたのだった。
運良くそのデビュー曲がヒットし、その後もいくつかヒットが続くにつれて、彼らのポップス界での地位は不動のものとなっていた。
彼らが歌う曲は、全てリーダーの秀二が作っていた。
秀二のメロディーメーカー、そしてアレンジャーとしての才能は素晴らしく、次々と作り出される曲は人々の心を捕らえていた。
たまに、他の歌手のために秀二が曲を作ることもあったが、それもミリオンセラーになることがしばしばあった。
つまり、その音楽グループは、一言で言えば秀二で持っているようなものだった。
秀二が作詞、作曲、アレンジをした曲を秀二自身が歌い、あとのメンバーは伴奏とバックコーラスを担当するといった、まさしく秀二中心の秀二のグループだった。
時折テレビ出演しても、映るのは秀二ばかりで、博之を含む他のメンバーは間奏の合間に僅かに映るだけだから、熱狂的なファンを除けば、顔もほとんど知られていない。秀二はたぶん総理大臣より有名だが、他のメンバーは官房副長官ほども知られていないのだろう。
しかし、有名かどうかなんて博之には重要ではなかった。好きな音楽をやって、皆に喜んでもらえて、ついでに十分稼がせてもらったし、これまで本当に楽しかったのである。
もうメンバーも四十代に近くなろうとしていたが、まだまだ、ヒット曲を作り上げて、あと二十年位は頑張ろうと誓い合ったところであった。
ところが、とんでもない不幸が博之を襲ったのであった。
それは癌であった。
彼の肝臓に巣くったガンは、徐々にその体を蝕んでいた。
なんとなく疲れた、だるいといった感じはあったものの、ライブコンサートを主体とした彼らの音楽スタイルにおいては、メンバーの一人の体調不良によりコンサートを中止することは簡単ではなかった。
博之自身が高をくくっていたせいもあるが、病院で精密検査を受診したときには、相当に病状が進行していたのである。
彼が四十才前という若さも不運であった。ガン細胞は若いほど増殖が早いし、急激に悪化しやすいのであった。
直ちに外科手術が行われた。その結果、肝臓以外の臓器にも一部転移が見られ、それも含め肝臓の四分の三が摘出されたが、とてもこれで安心できるようなものではなかった。
医師は、彼の妻に状況を伝えるとともに、彼には希望を無くさないよう十分に配慮しながら八十パーセントの真実を伝えた。
博之がどういう思いでそれを聞いたのか、今となっては知りようもないが、ただ、彼の妻の話では、それ以来ほとんど何もしゃべらなくなってしまい、時々、「そうか…」、「そうなんだ…」といった独り言を呟くようになってしまったとのことであった。
彼が、どんなことを考えて何を思っていたのか、それも分からないが、一度、妻の香織と積極的に会話したことがあった。
「香織、オレ達のバンドの音楽って良く売れているけど、本当にいい曲なのかな?」
「ええ、とってもいい曲よ、みんな素晴らしいわ。毎年一枚しかアルバムを出さないけど、みんなミリオンセラーじゃないの…」
「いや、最近は名前だけで売れているんじゃないかって…、本当にいいのかな…」
「名前だけで十五年も売れ続けるかしら? 本当に素晴らしいからよ」
ベッドの上で座って窓の外を眺めていた博之は、香織の方を向き直すと言った。
「でも、その素晴らしい曲を作っているのは秀二なんだよな。秀二ひとりだけ、残りのメンバーは誰も曲作りに参加していないんだよ」
「…」
「そうなんだよ。うちのグループは秀二のグループであって、秀二がいれば、あとのメンバーはギターができる、キーボードがひける、ドラムが叩けるやつがいればいいんだよ…」
「秀二さんが曲を作っているって言っても、よくメンバーに相談して書いているじゃないの。コード進行でもどっちのコードを使えばいいかとか…。そう言えば、この前の曲では最後にアッチェレランドから転調のアイデアを考えたのは博之じゃなかったの?」
「あまいよ…、そんなの楽器ができてちょっと音楽をやっていれば誰でも提案できるんだよ、本質的な創造力には程遠いよ…。その証拠に、秀二以外は何一つ独りで曲を書いたことなどないんだから」
「そうじゃなくって…、秀二が書いた曲は、博之を含めたメンバー皆で作った曲だっていうことよ」
「一部に参加していたって、結局は秀二の才能で成り立っているんだよ。せいぜい孫悟空がお釈迦様の掌の上で暴れているように、秀二がいなきゃただのバンドであって、とっくに消滅しているよ…」
博之はそう言うと、再び窓の外に目を向けた。
「博之、暗く考え過ぎじゃないの…。たくさんのファンが博之たちのライブコンサートを待っているのよ、そんなこと考えずに早く元気にならなくっちゃ…」
「病院のベッドの上にいるからかも知れないが、秀二以外のオレ達は何だったのだろうと、ふと思うんだよ…」
「…」
「オレ達は、別にオレ達でもなくて良かった。ただ、ギターがうまくて、キーボードが人より弾けて、ドラムが上手に叩ければ誰でも良かったんじゃないか。結局、死んだ時、何が残るのだろうって…。秀二はいいよな、たくさん曲を書いて、それが残るんだもの。モーツアルトは死んでもその音楽は永遠に人々の心に残ったし、ピカソの絵は現実のものとして後世に残った。でも、モーツアルトのコンチェルトを最初に演奏した人なんて、それは光栄なことと思うけど結局何を残したんだ?」
「何か残すことが生きていることかしら? 私はそうは思わないわ…。でも、博之達の音楽はレコードとして永遠に残るじゃないの…」
「違うんだよ…、オレのギターの演奏なんて、秀二が書いたスコア通りに弾いているだけなんだよ。いや、弾かされているだけであって、別にちゃんと弾いてくれる人間なら誰でもいいんだよ」
「誰でもいい訳ないわ、博之には博之のテクニックがあるし、アドリブも凄いわ…」
「オレよりもっとうまいヤツがゴマンといる。実際にテクニックではずば抜けたヤツがいるが、そいつらが有名になって稼いでいるかというとそうじゃない。オレなんか秀二と高校の友人だったから、たまたまうまくメンバーになれた。本当に運が良かったんだ…」
「そんな考えを持っちゃいけないわ…。今は入院しているから暗く考えるのよ、さあー、元気を出して…」
そう言いながら香織は、どうすれば博之の滅入った気持ちを払拭できるか考えていた。
「ねえ博之。あなた、本当に自分に才能が無いって思っているの?」
「才能? ああ無いよ…」
「博之は、これまで必死に曲を書いてみたことあるの?」
「だめなんだよ、全然湧いてこない。たまにメロディーが湧いてきても少しもいいメロディーだと思わないんだよ」
「本当に死に物狂いで考えたことがあるの? 本気で取り組んだことがあって?」
「作曲なんて、ヒラメキだよ。何かの拍子にふっとメロディーが現れるものであって、ウンウン唸って考えても出てくるものじゃないよ…」
「本当かしら? それは努力したことの無い人が言っているのであって、真実は、皆ウンウン唸って作っているのじゃないかしら?」
「そんなことはないよ、所詮才能だよ」
「才能があったとしても努力は必要だわ…」
「それは、多少の努力は必要だろう」
「いい博之、あなたは今、入院中の身だから何もすることがないじゃないの。もちろん体は辛いとは思うけど、頭は大丈夫なはずよ。もし、出来るんだったら、一生懸命作曲してみたらどうなの? 秀二さんに負けないくらいの素晴らしいメロディーのヒット曲を書くつもり頑張ってみたら?」
「無理だよ、とても…」
「でも、博之は死んだら何も残らないって言ったじゃないの、だったら残せるように頑張るのが男じゃないの…」
「…」
「それとも、単に一人のギタリストだったって終わってしまうの? 向上心の無い博之は、私嫌いよ!」
「…」
「いいから努力、努力。頑張ってみてよ、私も応援するわ…」
香織は、博之の目を見詰めながら、両肩をつかんで揺すった。
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秀二が入院中の博之を見舞いに来たのは、その翌日だった。
二時間近く二人は話し合っていたが、結局のところ、博之の方が自分のためにグループのコンサート活動が中止状態のことを謝り、秀二からは、気にするな、皆良い休養になっている、この気にゆっくり充電して元気になって、また派手に活動しようじゃないか、といった話しばかりであった。
秀二が病室を出てエレベーターホールに向かった時、見送りに付いてきた香織に向かって彼は言った。
「どうなの、本当のところは?」
「お医者様は、転移もあって芳しくないって…」
「じゃ、放射線治療や抗癌剤は?」
「もう、始まっているの…」
香織の目は、涙で潤んでいた。
「そうか…、とにかく頑張って…」
「ええ、でも私…、一番気にしているのは、博之の精神状態なんです…」
「どうしたの?」
「博之が言うには、結局、グループの一員として自分でなくても良かった、ギターのうまい男がいれば誰でも良かったんだって…。それにひきかえ、秀二さんはいいって…」
「オレのどこが?」
香織は、秀二に昨日あった博之との会話を話した。
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「ふーん、そんなこと考えていたんじゃ、益々暗くなって、病気に負けてしまうよ」
「そう、そう思います…。何とか気持ちの上で元気にならないと…」
「まったく、その通りだ。でも、どうすればいいんだ…」
その時、香織は秀二の方に向き直って言った。
「秀二さん、実は私にいいアイデアがあるんです」
「いいアイデア?」
「そう、でも秀二さんにご協力頂かないと出来ないことで、もし、ご協力願えるのなら…」
「なに、いったい?」
「それは…」
香織は、秀二の耳元に唇を寄せると自分の考えを話し始めた。
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それから、二週間程過ぎ去ったある朝、博之の精神状態に当然変化が現れた。
博之がギターを取ってくれと言ったのである。芸能人の端くれとはいえ博之の病室は個室であったため病室で多少ギターを弾いても問題は無かった。
入院中ほとんどギターに触ろうとしなかったため、指ならしでもするのかと香織が見ていると、ポロンポロンと一音ずつたどたどしく弾き始めた。
そして、弾きながら顔を上げずに香織に言った。
「急いで、五線譜を買って来てくれないか?」
香織は、慌てて病院を飛び出したものの、病院の朝は早く、八時前ではどこの楽器店も文房具店も開いていなかった。
結局、香織が十時過ぎに病室に戻った時は、博之は新聞紙の余白に五線を引いて音符を書きなぐっていた。
「いいメロディーでも出来たの?」
「凄いよ香織。閃いたんだよ。いい、聞いてくれる?」
博之は、メロディーラインを弾き始めた。哀愁の漂うスローバラードから始まり、最後は緩やかなアッチェレランドから高音の全音符につながるといった、ギター演奏とはいえ人が歌い上げているようだった。
「とってもいい曲だわ…」
「コード進行はこうなるよ…」
さらに、博之は演奏を続けた。
「凄いじゃない! 本当にいい曲だわ」
「初めてだよ、突然に閃くなんて、それもこんなに素晴らしいメロディーを…」
「だから言ったじゃない、頑張って努力すればそのうちいい曲が書けるって…」
「そんなに頑張っていないよ、突然閃いただけだよ」
「じゃ、博之には才能があったんじゃないの?」
「才能が有るも無いも、本当にいい曲かどうか、他の皆にも聞いてみないと…」
「そうね、秀二さんに連絡してみるわ」
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その夜には、さっそく秀二が訪れた。
「いい曲が書けたんだって?」
「いい曲かどうか分からないけど、突然書けたんだ」
秀二は、博之が奏でるギターをじっと聞いた。そして、それが終わると言った。
「素晴らしいよ、本当に。次のオレ達の新曲にしよう。さっそく詞を付けなければいけないな。作詞と編曲はオレに任せてくれないか…?」
「いいとも、この上作詞なんてとても出来ないし、アレンジは秀二の才能に任せるよ」
博之は、にこやかに言った。
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その後、秀二の手によってその曲は完成させられ、単に「バラード」と名付けられた。
早速、新曲としてリリースしようということになり、入院中の博之もレコーディングだけならを条件に医師から了承をもらい、スタジオに向かい久し振りにメンバーとともに演奏し、歌ったのだった。
大方の予想通り、テレビなどのマスメディアになかなか登場しない上、コンサート活動も中止中の人気音楽グループが久々に出した新曲は注目を集めた。
しかし、もっと重要なことは、その曲「バラード」が素晴らしかったことである。
ゴールデンタイムに放送された悲恋のテレビドラマの主題歌に使われたこともあって、瞬く間にヒットし、二百万枚にも及ぶ大ヒットだった。
実際のところは、テレビドラマの方が「バラード」人気の恩恵を受けていたのかもしれなかった。事実、そのドラマの題名を放送直前に「バラード」に変えてしまったのだから。
いずれにせよ、この「バラード」一曲で、博之は優れたメロディーメーカーとしての地位を掴んでしまったのであった。
博之は明るくなった。自分しか出来ないことがあるんだという自信が湧いてきたようだった。
それからは、ベッドの上でギターを手に五線譜と睨めっこの日々が続いたのである。
一度、香織は言った。
「私が言った通りでしょ、努力すれば出来るって…」
「分かったよ、分かったよ。香織の言う通りだよ…」
「そうよ…」
「でも、たまたまかも?」
「そうじゃないわ、きっと。そうじゃないことを証明してよ」
「分かったよ、もう少し待ってくれ、また努力するから…」
博之はとても精力的になり、元気になったとも思われたが、それは、ほんの短い時間であった。他臓器へも転移したガン細胞は、博之の体を確実に蝕んでいた。
黄疸症状が顕著に現れ始め、げっそり痩せてくると、目も虚ろになり、苦しそうに肩で息をするようになった。
次第にうわ言を言うようになり、肝性昏睡に陥り、ついには香織の呼びかけにも満足に応えないようになってしまった。
結局、彼は、四十才前の短い人生を終わってしまった。
それは、「バラード」を書いてから、まだ半年後のことであった。
彼のベッドの回りには、書きかけの譜面がたくさん残されたが、どれも途中段階で投げ出されたもので、最後まで書かれたものは「バラード」以外には一つも無かった。
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博之の通夜の席だった。
病院から二通の手紙が届けられた。
それは、博之の亡骸が搬出された後、枕元のワゴンを整理していた看護師が引出しの裏から見つけたものだった。
一通は香織あてに、もう一通は秀二あてに書かれた博之からの手紙だった。
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香織へ
本当にありがとう。ちょうどデビューする前の年だから、香織と出会ってから十六年、結婚してからは十三年も本当に幸せだったよ。
何が良かったって、いちいち言い表せないが、香織に出会ってから不幸だって思ったことがないことが、一番幸せだったんじゃないかな。
喧嘩もしたし、怒鳴ったこともあったけど、いつも先に謝ってくれたのは香織の方だったよね。なんて我が儘な男だといつも思われていたんだろうね。
たくさん迷惑かけた上に、何のお返しも出来ずにさっさと死んじゃうなんて、すごく失礼だよね。ごめんね。
謝らなければならないことは、たくさんあるけれど、一番は、子どもが出来なかったことだよね。いつも、こんなに子どもが出来ないのなら、付き合っていたころにあんなに心配するんじゃなかったって言って、笑っていたけれど、本当はとっても悲しかったんじゃないかな。
ボクが死んだ後は一人ぼっちだけど、秀二もいるし、他のメンバーもいるし、きっと淋しくないよね。
でもいいんだよ、誰かと結婚したって。まだ若いんだし、子どももいないんだから、大恋愛して幸せになってくれるんだったら。
最後に、香織のお陰で無理だと思っていた曲が自分の力で書けたことが、本当に嬉しかったよ。これで、生きていた証しが何か残せたような満足だよね。
あんなに、ヒットするなんて思いもしなかったよ。ああ、そう言えば、そんな曲もあったんだよね、なんていつか思えるように「バラード」が皆の心の中に残れば嬉しいよね。
とにかく、ありがとう。そして、香織を幸せに出来ずに死んでしまってごめんなさい。
香織は、ずっとずっと頑張るんだからね。
さようなら。
博之より
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秀二へ
本当にお世話になりました。
高校時代に秀二からバンドのメンバーに誘われてから、ずっと迷惑のかけどうしでした。 秀二があの時、私を誘ってくれたからこれまで好きなバンドをやってくることが出来ました。私よりもっともっとテクニックのある人間が大勢いたのに、そんな連中をしり目にこれまでやってこられたのも秀二のグループに入れたからです。
ずっと、いつか借りを返したいと思っていたのに、最後の最後にまた大きな借りを作ってしまいましたね。
「バラード」は、本当にいい曲ですね。素晴らしいですよ。
きっと、秀二がずっとあたためていた曲で、二日や三日で作れる曲じゃないですよね。あんないい曲を私と香織のために…。
あの日、香織が五線譜を買いに出掛けた時、ベッドの枕の下にあるマットレスの中から受信器と小型スピーカーを探し出しました。
俗に、催眠療法とか睡眠療法とか言うものですね。
私が寝ている間に、秀二が作った「バラード」を何度も聞かせて、いかにも私が自分で閃いたように思わせる…、そうですよね。
私も朝目覚めた時に、自然に素晴らしいメロディーラインが湧いてきて、もう少しで本当に自分の閃きかと思うところでしたよ。
ただ、私の目から見れば、やっぱり秀二の色が出ていました。
自分で閃いたと思ったメロディーを追っていくうちに、これは、秀二の曲じゃないかって…。
モーツアルトにはモーツアルトの色があるように、秀二には秀二の色があります。もう何年も私は秀二の曲を演奏してきたのですよ、間違える訳がありません。
マットレスの中にその装置を見付けた時は、驚きとともに一瞬怒りが込み上げてきました。でも、良く考えてみれば、きっと香織が考えて仕組んだことなんだろうって…。
その何日か前に、香織と話した事を思い出しました。
香織が五線譜を買って戻ってくるまでの間、何度も繰り返して考えました。
結局、このまま騙されようって…、それが結論でした。
本当に良い曲ですね「バラード」は。
秀二の書いた曲の中でも最高なんじゃないですか。少なくとも私は一番好きな曲ですよ。
少し悔しかったから、符点音符のところを三連音符に書き換えたりしましたが、秀二は私の直したとおりアレンジして、書き上げてくれましたよね。
今になって、やっぱり三連音符は変だったかなと思いますが…、でも、とても嬉しく思っていますよ。本当に秀二の気遣いには涙が出ます…。
「バラード」の後、自分自身の力で他の曲を書こうとしたりもしましたが、やっぱりお話にならなかったですね。そもそも才能のない私には無理な話しで、バカみたいで笑っちゃいますよね。
最後のお願いです。このことは、香織には絶対にないしょにしておいてください。ずっと、秘密のままでお願いします。
最後まで、私自身が作曲したと思って騙されて死んでいったことにしてください。香織を悲しませたくないのです。
それから、一人残った香織をよろしくお願いいたします。まだそんな歳でもないですから、誰かいい人と一緒になれるよう、応援してやってください。
「バラード」作曲の印税、申し訳ありませんね。全て香織に入って秀二にまったく行かないのですから。
香典にしちゃ大き過ぎますよね。もちろん、香織は返すと言うでしょうが、秀二はきっと受け取らないでしょうね。最後の最後のご迷惑申し訳ありません。
達也、秀徳、大輔の三人のメンバーにもよろしく。
いつまでも、いつまでも秀二の音楽活動が続き、心に残る名曲がまだまだ生み出されることを願っています。さようなら。
博之より
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秀二が博之からの手紙を読み終えて顔を上げた時、ちょうど香織も博之からの手紙を読み終えたところだった。
香織の頬をひとすじの涙が伝って落ちた。
秀二は言った。
「なんて書いてありました?」
「ええ…、自分の力で作曲できて、生きていた証しが残せたから良かったって…、そう、嬉しかったって…。秀二さんには、何を?」
涙声で香織は言った
「えっ…、同じだよ…。嬉しかったって。最後まで自分の書いた「バラード」を自慢していたよ。特に、終り近くの三連音符のところは凄いだろうって…」
「ほんと、良かったわ…」
「ああ、とっても良かった…」
そう言って後ろを振り向いた秀二は、博之からの手紙を無造作にポケットに突っ込むと、どこへ向かう訳でもなく一人歩き始めた。
「博之、最高だよ、あの三連音符は…。本当に…」
歩きながらつぶやいた秀二の頬にも、涙が伝って流れ始めていた。
(おわり)
今回の作品は、これまでのような最後のオチで読者を驚かすようなものではなく、そういう意味では、作品のオチを途中で当てようと考えた方には、大変申し訳ありません。
この作品を書くに当たって、当初は、いわゆる「催眠療法」で人を騙すことを考えたのですが、途中で、それを逆手にとって、騙されたことにしたらどうなるか? と考えたことから、このようなものになりました。
本当は、このようなオチのない小説の方が私としては好きなのですが、いずれにしてもネタが思い浮かばないとなかなか難しいですね。
それで、題名にもなっている三連音符(通常は略して「三連符」とも言いますので、以下は「三連符」と記載します)について、一応、説明しておきます。
通常、音符の長さは、一、一/二、一/四、一/八、一/十六、一/三十二といったように「二の倍数の逆数の組み合わせの長さ」で出来ていて、これを使って譜面は書かれています。
しかし、たまに一/三の長さを使うこともあります。これが三連符で、これを使うと曲の中でメリハリが効いたりして、ちょっとした味が出ます。二/三の長さの二拍三連符なんていうのもあるのですが、これは、三連符よりもっと微妙な違和感があって、これをうまく使うと非常に効果的ですね。
三連符の例えとして、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」を歌って見れば分かりますが、この曲の最初は三連符の連続です。(うえの・はつの・やこう・れっしゃ・おりた・…)そうでしょう。決して、三拍子ではありませんので、気を付けてください。
一方、間違いやすいのが、ベートーベン(最近はベートーヴェンとも書きますがNHKなどではベートーベンを使っていますね。ただし、間違ってもヴェートーヴェンとは書かないように、これはとても恥ずかしい間違いになってしまいます)の交響曲第5番「運命」です。あの有名な出だしの、「ダ、ダ、ダ、ダー」のところの最初の三つの「ダ」は三連符ではありません。リズムは、一/四休み、一/四ダ、一/四ダ、一/四ダなのです。だから、一/三の「ダ」が三つでは無いのです。
ベートーベンは、驚くべきことに曲の始まりに一/四の休みを入れたのです。これは、彼が大天才と言われる所以の一つです。
つまり、曲の始まりの最初に空白のページを作ったようなもので、じっくりと「運命」を聞けば分かりますが、この空白のページが何度も繰り返され、人々を引き付けてしまうとのことです。
すなわち、「運命」は「ダ、ダ、ダ、ダー」が繰り返されるのでなく「ン、ダ、ダ、ダ、ダー」が繰り返されているのですが、お気付きになりましたでしょうか?
さて、「津軽海峡冬景色」の最初は三連符ですが、では、都はるみさんが歌う「北の宿から」の最初の部分のリズムはどうなっているのでしょうか?(あなたかわりはないですか、よごとさむさがつのります…)ですが。これは三連符でしょうか?
カラオケでは深く考えることなく歌うことができても、いざ譜面に書き出そうとすると悩んでしまいますね。楽器などを演奏される方は、一度、「北の宿から」のリズムを書き出せるかチャレンジしてみてはいかがでしょうか。小林亜星さんの作曲です。ショパンのピアノ協奏曲第一番に少し似ていることころもありますが、リズムは大変独創的に思います。
全く余談ですが、若い人にこのリズムの話をしたところ、「北の宿から」の曲を全く聞いたことも無いし、知らないとの返事になりました。それ以上は聞きませんでしたが、都はるみさんも小林亜星さんも知らないかも?
考えてみれば「北の宿から」は1975年の曲ですから、知っている人は悲しいことに相当な年配になりますね。
最後に、本作品は2000年(平成12年)2月26日に作成したものです。