困った、文章が書けない。
楽しくて気持ちが満たされている時に文章が書けない、これは筆を取る者としては致命傷なんじゃないかなって薄々感じている。
ここでいう「文章」とは、書類や説明文などではなく、感情や思案をもとに綴られるエッセイや小説などの事。
言葉が溢れる時って、だいたい何かに対してエネルギーを使うほどあれこれ思案をしている時だと思う。
何かに対しての怒り、苛立ち、悲しみ、苦しみ、悔しさ、後悔。なにもマイナスな事ばかりではなくて、嫉妬や妬みの他に、期待、憧れ、願望、空想や妄想だったりも、思案のもと。
なんとなく思うのはその全てに「満たされていない」という共通点がうかがえるなって。現実世界に、今この手の触れられるところに、形として無いから、頭で考えるわけで。
そういう意味で言えば私は今比較的満たされているんだと思う、そうつまり文章が書けない。更新日の開きがその事実を物語っている。
ネタは幾つもあって、書きかけも幾つもある。そこから編集して広げてみようと思うけれど、それを広げるためには感情をその内容まで落としていかなければならない。自ら進んで不幸になりに行くなんてナンセンスだと「せっかく満たされている気持ち」がそれ以上の思案にストップを掛け、結局なにも書ききれないまま今に至る。
話は少し変わるようで変わらないのだけど、好きなアーティストのライブに行った時の感想を、その都度事細かにSNSに更新する知人がいる。アーティスト側からすれば、そんなふうに感想を言葉で伝えてくれる方がきっと嬉しいに違いない。
けれどやっぱり私はそれがなかなか出来ない。むしろフェスなどでたまたま観た、初めましてのアーティストやそこまで関心の強くないアーティストの感想ほど容易に書けたりする。
これもきっと同じことで、好きなアーティストのステージでは存分に「満たされている」からなのだと思う。この満たされている気持ちを言葉に変換しようとした途端、その満たされた感覚は躍動感を失って、偽物になってしまうような気さえするのだ。
そういうわけで最近私は文章が書けない。そんなことも言っていられないので、文章が書けないという文章を書きました。おわり。