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認識論

千人世界

作者: 新井アラ

 人口千人の小さな惑星に、花屋のひろは住んでいた。


 今日も両手に花束を携えて、散歩がてらの配達を行っている。晴れやかで澄んだ空の元、林の木陰を通り抜けていく。



 差し詰め十数分。涼やかな風を肌に感じながら、一歩一歩と土を踏みしめていくと、暗黒色の丸太の積み重なったログハウスがしゃんと建てられていた。



 二、三度戸を叩くと、ぎぃと扉を軋ませながら、眉毛の太い白髭親父が出てくる。彼は木こりの尋司じんじだ。博は抱えていた花束を尋司に手渡す。すると尋司は、堀の深い顔に笑みを浮かばせて、こくりと頷いてから花束を手に取った。


 尋司は毎年妻の誕生日、こうして花束を購入しているのを博は知っている。博は配達し終えると、のんびりとした足取りで、町の方へと向かっていった。



 広場はバス停のすぐ近くに位置していた。地面は扇状の石畳となっており、アンティークな時計塔が細長く聳え立つ。その塔の下で博は、柚乃ゆずのと落ち合う予定だった。


「博。遅かったわね」


 彼が時計塔に辿り着いた時、既に柚乃はそこで待っていた。博は慌てて時計を見上げるも、時刻は0時43分。約束の時間の、凡そ15分も前だった。


「ごめん、待たせた?」

「別に、今来た所よ。それより早く行きましょう? 今なら1つ前のバスに乗れるわ」


 柚乃は胸を膨らませては、嬉々とした声音で博を急かすように手を引いて、停車していたバスに乗り込んだ。


 窓の外は、見慣れた景色が延々と流れていく。鼻唄を歌うように柚乃は、博の隣でうきうきとして頬を綻ばせていた。柚乃は写真家だ。普段は記念撮影などを生業としている彼女だが、それとは別に、趣味で風景写真を撮っている。


 今季向日葵の咲き頃だったので、町から少し離れた花畑に向かっていた。博はいつもこうして、交際している柚乃に付き添っているわけだ。


「見えてきたわよ」


 博はバスに揺られてうつらうつらしていると、興奮気味な柚乃に袖を引っ張られた。前のめりになって、目前の景色に感嘆の息を漏らす柚乃。そんな彼女の様子に、博はふっと笑みを零す。間もなくしてバスが停車した。


 2人は顔馴染みの運転手に軽く会釈をすると、さっと車外に飛び出す。


 快晴の空の元、見渡す限りでは向日葵が咲き誇っていた。日に当てられた花弁は、水滴に反射して虹色に煌めいている。その上に影をつくる蝶たちは、色鮮やかな体躯を美しく躍らせていた。


「綺麗だね……」

「そうでしょう!」


 目を輝かせ、思わず口に出す博。柚乃は自慢げに鼻を高くし、愛用の一眼レフを構えた。ファインダーを覗き込み、溌溂とした笑みを浮かべる柚乃であったが、その表情は見る見るうちに蒼白になり、艶やかな唇はこわばっていく。


「どうかした?」


 博が控え目に尋ねると、柚乃は肩を震わせ、口をぱくぱく開閉させながら、風車の佇む方へ人差し指を向けた。指で示す方向に目を向けようとした博だったが、途端に柚乃の身体から力が抜けて、博へと倒れ込んでくる。咄嗟に柚乃を抱き寄せる博。彼女は眉間にしわを寄せ、悶え苦しむような表情をしていた。


「だっ、大丈夫? 頭痛?」


 確かに柚乃は辛そうに、手の平で額を押さえていた。しかし彼女はゆっくりと首を振る。そして再度、風車が立ち並ぶ方へ目配せした。

 一体何があるんだと、博は訝しげに視線を移す。すると向日葵が咲き揃う奥に、なにやら不自然な凹みがあった。


 目を凝らして、博はぎょっとする。遠目に見ても分かるほど、そこらの向日葵色が、赤黒く染められていた。


 そして花々の隙間から、花畑の管理人がその姿態を覗かせる。管理人が、血塗れに横たわっているのが、垣間見えたのだ。



*



矢渡やわたり先生、それってどういう……」


 清潔感の保たれた、研究所のある一室。研究者の矢渡とその助手である土田つちだは、深刻そうな面持ちで話し合っていた。


「私達は―――何故ここに存在しえるのか、考えた事はあるか?」

「えっ」


 突拍子もない発言に、土田は目を丸くする。しかし、矢渡は冗談の1つも口に出した事が無い。何か考えがあるのだろう。土田は思考する。


「まぁ、人並みに考えた事はありますけど」

「そう。誰もが思案するわりに、皆『どうでも良い』と思考停止する。可笑しいと思わないか?」


 矢渡は自嘲気味の薄笑いをした。普段決して笑わない先生の貴重な笑顔だ。土田は口角を吊り上げそうになって、慌てて表情を整える。


「でも、人ってそんなものじゃないですか? 訳も分からず生きて、訳も分からず死んでいく。結局生前も生後も死後も、同じっていう」

「なるほど、土田さんらしい意見だ。それでも私は、きっと――」


 そこまで言って矢渡は、デスク前から立ち上がった。そして沈痛に顔を歪めて、よろめきながら自室へと向かう。土田は肩を貸そうとしたが、本人から拒まれた。


 翌日。ノートに考えを記した矢渡が、自室で首を吊っているのが見つかった。


 花畑の管理人が自殺する、数日前の出来事だった。



*



 葬儀屋の山村やまむらは、頭の中で矢渡が残した言葉を反芻していた。図体のデカい彼だったが、以前よりもより一層猫背になって、その体躯は小さく見える。


 やつれた顔を正すように、両手でパンと頬を叩く。その拍子に、咥えていた煙草が床に落ちた。


 山村は髪を掻き分けて、広いおでこを指でかく。心中は穏やかでなかった。


 ここ最近、途端に葬式の回数が増え、山村は寝る間も無く働いているのだ。証拠に彼の目の下には、くっくりと隈が浮き出ている。


 きっかけは矢渡の自殺。次に助手が後を追って死んだ。事件が報道されると、同時に矢渡のノートも公開されたのだが、それを読んだ何人かが同様に首を吊った。遺族や死んだ奴の恋人が、不幸に耐え兼ね海に飛び込んだ。集団ヒステリーを引き起こし、村の長が鎌を振り回した。精神病を患った患者が、鋏で腹を切り裂いた。


「不運とは重なっていくものだな……」


 山村は後に過労で死んだ。



*



 博は歩いていた。その手には総やかに菊やユリの花束が抱えられている。そこから一本白色の菊を取り出すと、木に縛られた縄を解き、地面に落ちた男に添えた。


 森の樹木にはちらほらと、老若男女が吊るされている。自然豊かなこの樹海も、ただの自殺スポットと成り果てた。


 博は死体を見かける度に転がっている椅子などを用い、地面に下してから、横に花を添える。それを延々と繰り返しながら、やはり歩を進めていた。


 生気を感じさせない博の無表情。しかし対称的に博は、背筋を真っ直ぐに伸ばし、迷いなく切り開かれた道を進んでいく。



 目的のログハウスに到着した博は、二、三度戸を叩く。返事はない。博は無言で家に立ち入る。室内では尋司が腰掛けに体を預け、茫然と口を半開きにして、どこか遠くを見据えていた。尋司の目線の先では、彼の妻が首を吊っている。


 博は尋司に声をかけるでもなく、彼の妻の足元に黄色の菊を置いた。



*



 町中はしんと静まり返っていた。商店街に賑わいは無く、広場ではいつもの子供のはしゃぎ声が虚しくも聞こえない。広場の管理人なら、癌にかかって死んだ。おかげで時計塔の針は、1年前から止まっている。

 博は歩いた。町中を回った。死人を見かける度に花を送った。足りなくなったら花屋の自家まで帰った。


「ねぇ。花屋のお兄ちゃん」


 出し抜けに背後から声を掛けられる博。彼を引き留めたのは、今年で小学三年生の勇人ゆうとだった。とはいっても、職員が死んで小学校は休校中だが。


「僕のお兄ちゃんにも、花を……あげて?」


 勇人は今にも泣き出しそうな表情で、博に哀願した。彼の兄は失踪中だ。


「…………」


 博は勇人を冷め切った目で一瞥すると、彼の手に一本の菊を押し付けた。そして前に振り向き、一定のペースを保って歩んでいく。


「あ、あぁ、うぅう」


 去り際に、幼少年の歔欷の声音が、寂しく脳内で反響した。



 博は心身ともに疲れ切っていた。葬儀屋が死んでからというもの、代わりに博が花を贈っている。おかげでこれまで散々、知人の死体を目の当たりにしてきた。

 今日も町を回った折に、自室のベッドに倒れ込む。そんな日々を送っている内に、実に半年が経過した。



*



 世界は、博と柚乃の2人きりになっていた。博が最後に見かけた死人は勇人。森林で兄に寄り添うように息を引き取っていた。

 目が覚めると博は、とある決意をし、痩せ衰えた足を運んで柚乃の家に向かった。


 ガチャリと音をたて、柚乃は玄関に姿を現す。博は一安心した。ここ暫くは柚乃の家に訪れていなかったからだ。


「急にどうしたの……博」


 柚乃は痩せこけた手で、窪んだ眼を擦る。生きているだけの死人の様だった。博は安らかな笑みを浮かべて、ポケットから四角い箱を取り出す。結婚指輪だった。


「言いそびれちゃってたし……もう、たった2人きりになっちゃったけどさ。これからも、その……最期まで。一緒に……いてほしいなって」


 博の声は寂しげに震えていた。目尻から頬を伝い、一筋の涙が流れている。枯れ切ったはずの博の涙が、流れていた。

 柚乃はショックを受けた様だった。顔に悲痛の色を浮かばせ、口を結んで押し黙る。


「どうして……何も言ってくれないんだよ」


 責め立てるような博の口調に、柚乃は身じろぎした。辺りを静寂が支配する中、遂に柚乃は沈黙を押し破る。


「ごめんなさい……あなたと2人きりで、どうやって生きていけば良いのか……本当に、分からない……分からないのよ……!」


 柚乃の顔は蒼ざめて、瞳孔は開ききっていた。その表情の裏には、途方もない気苦労と焦燥感が伺える。彼女は扉を開けっ放しに身を翻して、ふらふらと奥の部屋へと向かっていった。が、転んだ拍子に頭を打って、そのまま動かなくなった。博は深いため息を吐いて、玄関横の柱に背を預ける。


 すぅと息を吸って、博は澄み切った空の向こう側を見据えていた。


「…………」


 無自覚に柚乃の死体に目を向けると、彼女が愛用していた一眼レフが転がっている。博は無心に近寄って、カメラを拾い上げた。そしてカメラロールのボタンを押す。


 真っ先に浮かび上がってきたのは、森で柚乃の弟が首を吊っている写真だった。


 千の生活があり、千の職があり、千の幸せがあっても、皆結末は同じなんだ。


 突として強烈な眠気に襲われた博は、ただ眠るように息を引き取った。



*



 これで千人死んだ。計画は早くも失敗に終わったのだ。


「幸せとは難儀なものだな。環境に恵まれ、念願が叶い、どれだけの幸福を促しても、自身が操られていると知った弾みにこれだ」


 またやり直しか。面倒だ。地球で誰かが呟いた。

そろそろ長めの短編小説が書きたい所です。そうすると「ふたりきりの世界征服」みたいに設定考えないといけないので時間掛かりますが……。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんというか、物悲しいですね。 この世界は実は○○なんじゃないかって話はよくありますけど、もしも本当にそうであるって判明したら私達もこんな結末になっちゃうんでしょうか。
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