未雪のささいな事情
「……あなたの相手をしたのは、兄のことを思い出したからかもしれないわね」
「ん? 兄?」
考え事をしていて危うく聞き損ねるところだったが、兄と言ったか?
僕が聞き返すと、突然彼女はハッと目を見開いてから、一気に細めた視線を僕に向けてくる。
「私、さっきから延々と自分のことについて話してしまっているような気がするわ。不気味ね。これは褒めているわけではないけれど、あなた、聞き上手なの?」
「聞き上手? 自覚はないけどな。それで、お兄さんが何だって?」
「…………。ただで聞けると思ったの? お金を取るわよ」
「お金払ってまで聞きたいとは思わない!」
「…………まあ、ついでだからただで聞いてもらっても構わないわ。機会を拾ってあげましょう。『捨てる神あれば拾う神あり』よ」
「高嶺が言うと悪口に聞こえるな、その諺」
「ええ、悪口だもの。……私の兄は小説家だったのよ。南野大路という名前に聞き覚えはある?」
「南野大路……ないな。聞いたことない」
「そうね、しょうがないわ。一作しか本を出してないし、その本も売れずに無名のまま終わってしまった人だから」
「……お兄さんが小説家だったのか。高嶺も読んだことがあるんだよな」
「愚問ね。兄が作家デビューする前から、兄の小説を読ませられたのだから。作家論じみたことも当時聞かされたわね」
「道理で、高嶺は小説を書くわけでもないのに、書き手視点の感想をくれるな、と思ったよ」
「それはどうも。兄に毒されたのね、私も」
そう毒づく彼女だが、遠くを見つめるような眼差しはどこか寂しげだった。
彼女の兄のその後のことは訊かない方が良いだろう。
「だから、昔の兄を思い出して、感想を求めてくるあなたを拒めなかったのかもしれないわね」
「ありがたいよ」
「酷評しかしていないけれどね」
「それでも良いよ。……次に書きたい小説も決まった」
「ひょっとして、それもまた私が読まなければならないのかしら?」
「ああ。他の誰に読んでもらうことがあったとしても、高嶺に最初に読んで欲しい」
「…………キザな言い方。生意気な男ね」
高嶺は、やれやれ、と肩を竦めた。が、返事を待ち続ける僕に、ポツリと呟くようにこう告げた。
「良いわよ」




