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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

死に対する恐怖

作者: ホウラ

初めてエッセイを書きました。

参考にはならないと思いますがどうぞお読みください

 みなさんは「死」というものについて深く考えたことがありますか?そもそも最近の若者は「死」について考えることは少なくなっていると思います。


 歴史が紡がれるにつれて、人々の食生活や周囲の環境なども変わってきており、どんどん人間の寿命は延びてきています。


 わたしは過去に「死」に直結しそうな事故や、大きな事故、病になったことがありません。だからこそ、高校生になるまでは「死」というものが身近にあることをあまりなんとも感じてませんでした。


 「死」について、考え始めたのは、ちょうど高校3年の受験前くらいになります。わたしの高校では大学と高校が連携しており、内部推薦というものがあり、あまり勉強することもなく、ただ遊んでいました。しかし、ただ遊んだり、睡眠をとるだけという自堕落な生活は、どんどん日が過ぎて行きます。1日1日が過ぎていくのが速いなと思うと、自分がどの年齢で死ぬかもわからないが、「死」にどんどん近づいていっていると感じるようになりました。


 人間の寿命は長くて100歳以上も生きることができます。しかし、平均寿命は80歳くらいであり、また事故や病気などで死ぬ確立も低くはありません。確かに学生から見ると、寿命はまだたくさんとあります。しかし、万が一事故などが起きてしまうと、どんなに屈強な人でも「死」に直面してしまうのです。また、病気という「死」の原因もあります。病気は年をとれば取るほど免疫力も弱くなり、かかりやすく、そして効きやすくなってきます。また、若者でもすぐに死んでしまう病気なども存在しています。


 確かに、今の現代では医療なども発達しており、病気で死ぬ人は少なくなってきています。しかし、いないわけではありません。


 だからこそ、1日1日の時間を大切にしていくことが重要なのです。


 わたしは高校、大学で宗教について学んでいます。ここからはその宗教の観点も交えて、「死」というものについて語っていきたいと思います。


 「死」というものについて考えたことがある人、悩んだことがある人はたくさんいます。しかし、あくまでも自分が死ぬまでの一生について考える人が多く、自分が死んだあとのことについて考える人は少ないでしょう。


 死んだあとはわたしたちはどういう存在になるのか、どこに行くのか。そういうことを考えて生きたいと思います。


 まず、死後の世界について考えていきたいと思います。みなさんは死後にどこに行くかなどを考えたり悩んだことはありますか?天国や、地獄という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。そして、よく聞く言葉が、死んだら天国に行くことができる。悪い行いをすると天国へは行けなく、地獄に落とされる。


 しかし、わたしは天国と地獄が相対関係にあるとは思いません。天国の概念はもともと、キリスト教など外国の宗教の中で出てきます。ヨハネの黙示録には空から天使が降りてきているくらいです。日本の仏教にも天道というものがありますが、これは六道とよばれる人間の罪のひとつに過ぎません。


 そして、地獄という概念は外国と日本とでは大きく異なります。日本の地獄はこの世界に対する人間の罪を罰する場所であるが、キリスト教では神様に対する人間の罪を罰するという、対象が違います。


 このことより、キリスト教での天国の概念と日本の仏教の地獄の概念とが組み合わさって今のみなさんの考えになっているのです。つまり、日本の仏教では天国という場所が存在しません。


 では、悪いことをしていない、地獄に落とされない人はどこに行くのか。日本の仏教の中に浄土真宗という宗派があります。ここでは、浄土というとてもありがたい場所に死んだら行けると説いてあります。


 でも行けるのは、その宗教を信ずる心があればこそ。では、日本のように無宗教であるひとたちは死んだらどこに行くのだろうか。


 わたしは「死」というものについて調べている中で、ある記事を発見しました。それは、意識を失うほどの重症や死にそうになった人が、生還後に、夢で死後の世界が見えたというものでした。


 あるものは、金色の草原で歩いていた。あるものは自分の家でくつろいでいた。あるものはなんでもほしいものが全てある場所などです。


 わたしはこのコメントを読む前までは、死後の世界というものは「無」であると思ってました。死んだら何もない空間に行き、何も考えられない、なにもできない、感じられない。そういう怖いことを予想していました。


 しかし、このコメントを読むことで、もしかしたら自分の死後の世界は自分にとって最良の世界であるのかもしれないと思うようになりました。


 しかし、新たな疑問も出てきます。ニュースなどで生まれ変わった人が出てくるというものです。全員が全員生まれ変わっているのかはわかりませんが、それでも信憑性の高い事例も存在しています。


 では、わたしたちがもし生まれ変わるとしたら「わたし」という概念はどこに行くのでしょうか。ニュースなどで生まれ変わっているものを見ましたが、ほとんどが口調などは今の人間の人のものであり、前世の人の記憶しか残っていない感じでした。それでは、生まれ変わった場合、「わたし」という概念は消えて新しい誰かになってしまいます。このとき、「わたし」はどこにいるのでしょうか。生まれ変わった人間お心の中で意識を共有しているのでしょうか?なぞがどんどん深まっていきます。


 生まれ変わりに関することは宗教でも語られていることは少なく、ほぼ独断と偏見でわたしたちが考えるしかないようです。


 さて、ここまで「死」について話しましたが、みなさんはどういう考えを持っているでしょうか。考えが違ったり、そこは違うだろうと思う人もいるかもしれません。人それぞれ考え方は違うのです。


 しかし、決まっていえること、それは人間誰もが「死」への恐怖を少なからず持っているということです。自殺をする人も恐怖をもっているからこそ、躊躇したり時間をかけたりします。しかし、それが悪いことではありません。死ぬことが怖いからこそ、今を必死に努力して長生きしようとするのです。


 人間は知恵を磨き、知恵を使う肉体を手に入れ、どんどん生きることへ執着します。しかし、だからこそ、ここまで発展することができました。「死」に対する恐怖をもっていないことを逆に恥と思うように生きていかなければならないのです。


読んでいただいてありがとうございした。

これからもエッセイなど書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いしますm(_ _)m

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