ヤドカリの中身
6/27 大幅に追加改修しました。
「次は何食べよっかな」
のんきな声で流れるレーンを眺める先輩の横顔を眺めながら、僕は聞こえない程度のため息を吐いた。
いつもはお弁当派の先輩が昼に食事に誘ってくれるくらい、今日の僕は酷い顔をしていたのだろうか。いや、間違いなくしていたのだろう。
自信を持って作成した企画が別の部に負けてしまった。
それ自体は仕方のないことだと納得している。通った企画がどこか僕の案と似ていたこともあり、入社二年目の下っ端だって会社のために何年も尽くしている大先輩と同じ事を考えてるんだぞ、と誇らしさすらあったくらいだ。
でも、そのことを知っているはずの課長から僕はメンバーを外されてしまった。一つの部から参加出来る人数は限られていて、今回の企画は社運が懸かっているから悪いが新人は選べない。そう言われてしまったら僕に何も言うことは出来ない。
でも、本音は……悔しくて、悔しくて、悔しくて堪らなくて。
それが顔や態度にも出てしまっていたのだろう。こうして先輩に気を使われてしまうくらいに。あのお弁当は夕食にでも回されるのだろうかと無理やり暗い思考から目を逸らす。
「ウニにしよう」
そんな僕の心境などそっちのけで、先輩は次の皿に手を伸ばしていた。
そして、二つ取った皿の一つをほいと僕の前に置いた。
海苔と米の上に薄い橙色が乗った軍艦が一貫。そんなに長くは回っていないと思われる艶をこれみよがしに振りまいている。
「今日の君はこれみたいだね」
僕の顔がいくら酷くてもこんな色はしていないと思う。こんな風にどろっとも……は、してるかもしれない。
そういう意味だろうかといつの間にか俯いていた顔を上げると、先輩は予想以上に優しい顔をしていた。
「私ね、会社員ってヤドカリみたいなものだと思うのよ」
橙色を嚥下した先輩は、緑茶の粉末を溶かした湯呑みを一口啜って眉を顰めた。どうやら熱かったらしい。食べる前に口紅を拭っていた唇が少し赤くなっている。
それから、やや照れたような顔をしてヤドカリの意味を説いてくれた。
「自分を守ってくれる大きなものを背負ってえっちらおっちら成長していくでしょう。殻が大きすぎるとすっぽ抜けちゃうし、小さすぎると窮屈だし、ちょうどいいものを探すのが難しいってところもそっくりだと思わない?」
やっと少し温くなったらしいお茶を啜るように飲んで、先輩は僕の目をまっすぐに見つめた。
「でも、今日の君はウニみたいに見える」
守るのも攻撃するのも自分一人で、もどかしいくせに流されるしか動きようがなくて、孤独を感じてる小さなウニ。小さい身体で一生懸命周りを威嚇しているだけの、そんな存在。
「僕は、ウニは好きじゃありません」
「そうなの? 私は好きだよ。回転しててもとっても美味しい」
知っています。さっき食べるところ見ていましたから。ちなみに僕の目の前の皿では軍艦の海苔が早くも萎びかけている。
「僕も、誰かに食べられてしまうんでしょうか」
「小さいウニのままだったらそうなるかもね」
即答。厳しいのに顔は相変わらず優しい笑顔のままで。そこに嘘を見出すことは少なくとも僕には出来なかった。
「実は私もね、昔は君みたいだったんだよ」
今度はイカを頬張る先輩。僕も負けじとタコを飲み込んだ。
昼休みは短い。それなりに真面目な話だというのに、皿はどんどん重なっていく。
「ヤドカリってね、殻を脱いだらすっごく無防備で弱い生き物なのよ。だから必死に殻を探して潜り込むの。私はそうはなりたくなくて、守られなくても戦える人間になりたくて。君よりもずっと棘々してたと思う。でもね、やっぱり、それでは自由に動くことも出来ないって気づいたの」
「それで、先輩も棘を捨ててヤドカリになったってことですか」
反射的に出たのは我ながら生意気な台詞だった。
しかし、それだけ腹が立ってしまったのは事実だ。
入社した時から先輩は本当に色々なことを僕に教えてくれた。パソコン操作も碌に出来ない、足手まといでしかない僕を笑いも邪魔にもせず、時には親身に相談にも乗ってくれて、仕事の面だけでなく人生の手本となってくれていた。
だから、僕ではなく先輩がメンバーに選ばれたことに、悔しさはあっても恨みや妬みは一切ない。
でも、その先輩から……いや、そんな先輩だからこそ、ウニを辞めて弱いヤドカリになれと言われてもすんなり納得できなかった。険悪な雰囲気がテーブルに漂ったかに思えた。
しかし、それは先輩の気にした風もない一言で一瞬で吹き飛ばされてしまった。
「ハリネズミになったのよ」
先輩は斜め上の進化をしていた。
「やっぱり棘は捨てたくない、かといってウニだと殻まで背負って動けないでしょ。行き着いたのがそこだったのよね」
ちょっと似てるし、と赤貝を醤油に浸しながら先輩は満足そうに微笑む。
確かに似てるけど、と思った僕はサーモンを取り損ねた。
「背負うのも守られるのも悪くない。でも、いざとなったら自分の足でどこでも行けるし自分の力でいつでも戦える。さしずめ私は殻付きハリネズミってところね」
能あるハリネズミはなんとやら、なのよ。ふふふと笑う先輩は鷹より隠すのが上手いようだ。
「……僕もなれますか、ハリネズミ」
「なれるわよ。棘も、殻も、捨てたくないならね」
僕は、目の前で乾きかけていたウニを口に放り込んだ。嫌いだったはずのそれは不思議と懐かしい味がした。
「さて、そろそろお昼休みも終わりかな」
いつの間にか伝票を手に歩き出している先輩に、僕も慌てて立ち上がる。勿論、財布を取り出したが受け取ってくれるそぶりもない。給料日前なのにと申し訳ない気持ちになる僕に先輩はにやりと笑った。
「いずれ回らないところも連れて行ってあげるからね」
「ハリネズミも出るところがいいです」
お返しとばかり返した僕に、難易度高いわねぇと真剣に悩む姿が一瞬本物のハリネズミに見えた気がして瞬きをする。
前を行く先輩に棘は見えない。けれど、何かを背負って戦う背中が確かに見えた。
あの背中を追い掛けて。
目指せ男前のハリネズミ。
演劇作品『モノノケノケモノ』で「〜ヤドカリ、中身は男前のハリネズミ」という部分がなんだか妙に気に入ってこんなものを書いてしまいました。とても面白い舞台だったのでDVDが出たら買うと思います。