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藍―AI―  作者: 葉月瞬
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 その日の夜。

 いくつも並ぶテーブルを囲んで男達が荒々しい笑い声を立てていた。酒色を帯びているところを見ると、どうやら酒を酌み交わしているようだ。マスターがカウンターの奥で客の注文に応じている。下卑た笑い声の中に、かすかに珠玉の音色が混ざっている。酒場の奥まったところで吟遊詩人が美声を披露していた。

 宿屋の一階は酒場になっていた。夜ともなると程よい賑わいを見せている。この街の工夫などが出入りしているらしく、お世辞にも余り上品とはいえない部類の店だ。店は噂話で持ちきりだ。やれ、隣町が消えただの、そういえば青い火の玉みたいなのを見た気がするだの、あれはどこそこの新兵器だの、と事実を脚色も交えて話し合っている。その酒場の奥に、インディゴが気になっていた気配の持ち主がいた。彼女は歌を歌っている。他愛も無い御伽噺だ。どこかの国の姫君が竜にさらわれて閉じ込められていたところを、どこかの国の王子様が助けに行く話。竜の正体は実は悪い魔法使いで、魔法使いと戦うために王子は魔法の鎧に身を包んでいったのだという。それでも魔法使いの攻撃は激しく、あわや、やられそうになったところを妖精が助けてくれたのだ。他愛も無い御伽噺。けれども真実味を帯びていた。

 インディゴが無防備に近付いていくと、吟遊詩人の女はにこりと微笑み席を立った。まるで最初からインディゴが来ることを予期していたかのようだ。その振る舞いにハーベイは怪訝な顔をした。

「こんばんは。インディゴ・ブルーさん」

 酒場の工夫たちは突然鳴り止んだ音楽に、怪訝な顔をして吟遊詩人のほうを振り向く。吟遊詩人はそんな工夫たちに、にこりと笑って愛嬌を振りまく。

 近付いてみてはじめて気づいたのだが、その吟遊詩人の女は人類だった。ハーベイと同じだ。紗の布地を頭にかぶり、その白磁の肌を半分隠しているようだ。その面には屈託のない微笑が溢れている。身に纏っているのは、刺繍の入った長い布地を袈裟懸けにかけ、肩のところで止めている。下着は簡易的な貫頭衣だ。

「お姉さん、私のこと知ってるの?」

「ええ、あなたのことは良く知っていますよ」

 ハーベイは警戒して、インディゴを庇うように吟遊詩人の女との間に入った。

「あんた、何者だ」

「ここでは話せません。上に行きましょう」

 上とは宿屋の部屋のことを指している。この女もこの宿屋に部屋を取っているのかと、ハーベイは一つ頷いた。インディゴは吟遊詩人の女の意向に同意する意思を示している。

 宿屋兼酒場の主人に断りを入れてから、階段をゆっくりと上っていく吟遊詩人。その後に静かについていくインディゴとハーベイ。酒場に居た常連客たちは静かに見送り、やがて酒飲に没頭し元の喧騒に戻っていった。


 二階の一室。この部屋は吟遊詩人にあてがわれた部屋で、質素でいながら造りはしっかりしていた。部屋の中央には四角いテーブルと椅子が二つ。窓際にベッドがあつらえてあった。調度品らしい調度品は無く、衣装戸棚があるくらいだった。全て木製である。

 自分の部屋に案内した吟遊詩人は、さて、と言い置いてから一拍置いた。しばし考える素振りを見せ、暫瞬の後に言葉を続けた。

「あなたは、仲間を助けたいと思っていますね? 多大な犠牲を払うでしょう。北に行きなさい。あなたには足りないものがあります。あなたはここより北の町に行って、ある人に会わなければいけません。それは過酷な旅になるでしょう。しかし、あなたの友達を助けたければ、その人に会うべきです」

 吟遊詩人は真っ直ぐとインディゴを見据えて話している。鈴とした声音で、歌うように言葉を紡いだ。ここでいう“あなた”がインディゴを指しているのは間違いがないだろう。インディゴが一拍置いて口を開いた。

「あなたは、何故私のことを知っているのですか?」

「あなたのことなら全てを知っています」

 間をおかずに、躊躇いも戸惑いも見せずに言い切った。完全に、自分を信じている言動だった。

「全て。全てと言ったな。あんたに何が解る。……この子の何が解るっていうんだ!」

 たまらずにハーベイが口を出した。それを受けて吟遊詩人がハーベイを真っ直ぐに見据えて言い放つ。

「私はこの子の全てを知っています。未来も、過去も。この子には、信じてくれる人々は居ません。村人も、両親も。あなたを見送ってくれた人たちは一人も居なかったでしょう?」

 その言葉を聴いて、インディゴは悲色を浮かべた。

「あなたは、何者なんだ」

 ハーベイがインディゴを代弁するかのように言った。

「私の名前はルリィ。見ての通り吟遊詩人をしています」

「吟遊詩人……その言葉をそのまま鵜呑みにしろと?」

「そうして頂けると助かります」

 彼女の頭を覆っている紗がさらりとなびく。どうやら小さくお辞儀をしたようだ。優雅でいて、嫌味がない。洗練された大人の女性だ。そのように出られると、もう何も言うことは無く、ただ彼女を信じるしかなかった。


「どうする?」

 二人にあてがわれた部屋にて、ハーベイが開口一番に言った。言外にあの女を信用していいのか、と言っている。瞳は信じていない。見ず知らずの他人をあまり信用するものではない、と瞳で物語っていた。

「私は信じてもいいと思っている」

 インディゴが言った。何故かはわからない。しかし、あの人には何か特別な匂いみたいなものがある。それを感じ取ったのだ。だから、この宿屋に来た。だから、あの女の人の話を聴いた。信じてもいい。あの女の人なら。ハーベイは、インディゴのその言葉から得体の知れない何かを感じ、戦慄を覚えた。

「しかし――」

 と、ハーベイは言い募る。しかし、彼女は得体の知れない存在だ。少なくとも、我々にとって益になる情報かどうかは今の時点では解らない。安易に人を信じるものではない。旅においては。旅においては、もっと慎重になるべきだ、と。旅についてまだ何も知らないインディゴに、反論できる筈も無かった。でも――、私は私の感覚を信じたい。ただ、それだけ。ただそれだけなの、と言ってインディゴはベッドに潜り込んでしまった。こうなってはもうお手上げだ。やれやれ、従うしかないのか。と、溜息をついて寝床にもぐるハーベイ。明日はあの女を信じて北へ行くしかないか。と呟いた。

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