わたしのユメ
道端に咲いていたタンポポの揺れる仕草が可愛らしくてずっと眺めていたら、娘に笑われた。「どうしたの?」亡くなった妻とそっくりな微笑みを浮かべて頬を擦り寄せてくる娘は、こう言っては親バカなのかもしれないが可愛いものだ。まだ先月6才になったばかりの一人娘。
ちなみにこの子のユメは、ホウキに乗る魔女になること。保育園でそう先生に言い張ったら、いいユメだねって言われて褒められたらしい。
割と現実的な世界の仕事をしているせいか、その事に自分はつい苦笑いを零してしまう。微笑ましいのはそうなのだが、どうしても本気で笑ってあげる事ができないでいる――自分はそんな若い父親をやっている。
「おとーさん、ボール投げしよ! カンッて打つやつ!」
腕を重ねて右から左へ振り回すぎこちない仕草を見るからに、恐らく野球の事だろう。運動神経もあまり良くない女の子なのだが、何故か野球のような球技が好きな子だ。
それならスポーツ選手になりたいと思わないのだろうか。子供のユメなんて優柔不断なのは、自分の経験からしても分かっているつもりだけれど、だったら”魔女”よりも現実味のあるユメだとは思わないだろうか。
でも深く考えるのはやめることにしている。所詮6才児の思い描くユメ。子供たちが個々に持つ頭の中の世界そのものが”ユメ”という名を名乗っているだけなのかもしれない。
ユメとは……、なんだろう?
「――今日は魔法の練習、しないのか?」
しかし子供目線で話の相手をしてやると、向こう側は針に掛かったように喰い付いてくるものだ。娘はいつも、テレビか何かの影響で意味不明なカタカナ語の羅列を呟くという仕草を家ではよく見せいていた。
「だってぇ……、おとーさんが運転中の時は静かにしなさいって」そういえばそんな風に叱ってしまったこともあったか。自分が記憶していない事まで子供はハッキリと脳裏に焼き付けているから何を覚えているか恐ろしいったらありゃしない。自分も何故か娘ぐらいの時、父親に「晩酌の邪魔だけはするな」と叱られたのを覚えてしまっている。大事な事よりそんな事の方が重要視できる時期なのかもしれない。
すっかり日も落ち夜になって、三日月がにんまりと笑みを浮かべる夜空の中を帰宅してきた。娘は帰りの車の中でぐっすりと眠っていたため、おんぶで背負ってそのまま部屋に敷いた布団に寝かせてやる。何の不満も無さそうな屈託の無い寝顔、おでこを一度だけ撫でてあげると応じるように寝返りを打った。
******* *******
連休のせいでだらけてしまい仕事にも(もしくは授業など)身が入らない、そんな人はいないだろうか。皮肉を言うようだが自分はだらけているヒマなんてものは無く、娘との生活を支えていくのに精一杯な状況。
今日も保育園に娘を送り、スーツを着て朝から街風にさらされながら歩きまくる。通行人と成り得るのだ。傍から見れば、代わり映えの無いただの人混みと化した軍勢の一員になるのだ。全く逆の言葉で表すならば、十人十色。外から見ると人混みの仲の一人一人に個性なんてものは滅多に感じないであろう。
「では、コレも頼むよ」
上司との上下関係付き合い、接待、時には歯を食いしばって頭を下げるしかない事だってある。時折ふと切なくなるのは仕方の無い事なのか。
自分は小さい頃、こんな将来を望んだだろうか? 幼少の時、何になろうと思っていただろう。やっぱり大事な事は覚えていなく、……どうでもいいことばかりが記憶に残る。娘の例といい、そう悟らざるを得ない。
そうして何時しか日は暮れ始め、その日の仕事が終わる。
「この後どうよ、これこれ」同僚もしくは上司が拳を縦にして口元を小突くような仕草を見せる。悪いけど酒は飲めない。いや、決して”苦手”という意味ではない。娘一人を保育園に残して、泥酔して帰るわけにもいかないからだ。だからいつも、仲間たちとはそうして距離が生じてしまいがち。そして自分は、とぼとぼと家路を歩くのだ。
するとその時、一つの宣伝旗が偶然に視界へ飛び込んできた。街路に飾られている、子供の玩具店を宣伝するもののようだ。見るとその店はすぐ近くにあるらしい。
そういえば娘にはケーキしか買ってやれていない。先月、つまりあれから一ヶ月が経っている。しかし娘はあれ買って、これ買ってなどまるで言ってこなかったため、すっかり自分も忘れてしまっていた。
あんな幼い子に、自分は悟られているのだ。――無理を言えば父が余計に苦労することになる、と。偶然目に飛び込んできたその宣伝旗の示す店へ足を運んでみる事にした。あの子が喜ぶものを買ってやりたい。……切実な親心だ。
――すっかり夜になってしまった。
恐らく娘は保育園に取り残されたまま先生方に構ってもらってるのだろう。早めに上がったのに、何故か玩具店にうっかり長居してしまった。
「あっ、おとーさん!」
「はは……ゴメンな、遅くなって。すいません、先生方」
また頭を下げる。仕事でそうするよりも、どういうワケかしっくりきた。
「大丈夫ですよ、お父さん一人で娘さん育ててるんですものね」
優しい声色が自然と自分の顔を上げさせて、娘がぎゅっとしがみ付いてくる。
またね、娘はそう言って先生方に手を振った。
「今日は、お前にお土産があるんだぞ~」
「えーっ! なになに~?」
もったいぶるかの如く自分は子供の立ち位置でからかって見せた。手に持つ袋をチラッと何度か見せては隠すのを繰り返して娘の興味を更に示させる。
「……はい、誕生日プレゼント。遅れてゴメンな」
家に着いてから、わざわざ娘を目の前に座らせてから手渡した。開けてもいい? と何度も聞くので、落ち着いて開けなさいと言ってやると包装された箱を半ば不器用に開いていく。
小さい頃ぐらい、好きなユメを見ればいい。現実なんてまだ、知らなくていい。
魔女にだってなればいい。いっそ、幸せを運ぶという意味で魔女らしくなって欲しい。そう願って――、
「わー! ありがとうおとーさんっ!」
娘は笑ってくれた。
酒を飲んで愚痴を零して……、酔って得る快感とは天と地ほど違う。
娘は、買ってやったそのピンク色のステッキをくるくる回して……愛らしく笑った。
今この時代に生きる人々は、逆十人十色。
これは自分の尊敬する先生の言葉です。それをテーマにして書き下ろしました。
あなたは小さな頃、何になりたいと思ってました? また、それを覚えていますか……?