【異世恋】 ジョブ『道化師』で無双する話。 ーそれ、ピエロ=殺人鬼っていう偏見じゃないですか?ー
ある社畜の日本人は過労で死んで、とある世界でサレナと言う少女(18)として生きている。いわゆる、『異世界転生』だ。
転生した世界は、ゲームのような世界。モンスター蔓延る、やや文明の遅れた環境だ。なぜか『ステータスオープン』ができて、自分の情報、あるいは友人登録をした相手の詳しい情報を見ることができる。他人なら、名前とレベルとジョブだけだ。
そんな世界で、モンスターを退治する者達の事を『冒険者』と呼んだ。冒険者たちは国や街、村などが出す依頼を受けてそれを解決する、いわゆる安上がりな傭兵だ。
話――と言うか、神話によると。ある『勇者』が、女神と契約した時に世界をそう作り替えたのだとか。
転生直後は「(なんか無双でもするのかな)」などと思っていたが、サレナにはそんな知識はなかった。精神が大人びただけの、マセた子供。
まあ、ただの一般人、でもなかったのだが。
×
「サレナ、お前はパーティから追放だ!」
唐突な宣言に、サレナは赤紫の目を瞬かせる。
突然両肩を押されて、尻餅を搗かされた。そしてこの宣言。
「……理由を、お伺いしても?」
顔を上げると、パーティリーダーのガルド・ヴェインが勝ち誇ったような顔をしていた。
「お前が邪魔になったからだ!」
「おや素直」
とサレナが口元に手を遣り呟くと、それが聞こえたのかガルドは激昂する。
「それに、『道化師』なんて気持ち悪い。ずっと白塗りで不気味なんだよ」
「レベルが高かったから、パーティに入れてやったんだからな。お前は人数合わせだ」
「そうだそうだ!」
周囲のパーティメンバー、レオ・カイト、マルク・トーン、ジル・ハーンもどこか冷たい顔だ。
LVは経験値で上がっていく。つまりモンスター退治だけでなく、薬草採取や経験を積むだけで上がるのだ。
「俺たちみたいなA級冒険者と一緒に旅できただけ、ありがたいと思え!」
ガルドに言われ、内心でサレナは首を傾げる。
「(本当にA級……なのでしょうか)」
確かに、ガルドたちはLVは高い。彼らは20代でLV70台に乗っているので、それなりに経験を積んだ冒険者とは言えるだろう。だが、LVが高いことと冒険者ランクは関係がない。
正直、サレナの目から見て彼らはA級冒険者には見えなかった。動きが甘いのだ。しかし、友人登録もしていないので、彼らの本当のランクはわからない。
「お前、戦闘も手伝わねぇし荷物持ちしかしてないだろ!」
「……そうですね」
ガルドに指摘され、サレナは肯定する。まあ、そう見えるように振る舞ったのだから、そう言われるだろう。とは思いつつ。
集団行動は基本的にコミュニケーションなので、パーティメンバーを不快にさせたらこちらが有責になるのだ。理不尽である。
「人数合わせ、と言うと。良いメンバーでも見つかりました?」
そう問えば、「こいつ全然反省してねぇ」と言わんばかりの顔でメンバーたちから睨まれる。だが、ガルドは違ったようだ。
「よくぞ聞いてくれた! ようやくお前の褒められる部分が見つかったな」
得意げに口の端を吊り上げると、森の陰に向かって手を振った。
「こっちに来てくれ」とガルドが呼ぶと、一人の女性が姿を現した。
木々の間から、一人の女性がゆっくりと姿を現す。長い髪を肩に流し、腰の曲線を強調するような軽装を纏っていた。歩くたびに、柔らかな布が肌に沿って揺れる。目元には薄く笑みを浮かべているが、その瞳は明らかにサレナを値踏みするように見ていた。
「アリス・サングよ。ジョブは踊り子、Aランク冒険者よ」
色気ムンムンの爆美女だ。性格は悪そう。
甘い声で自己紹介を終えると、アリスはわざとらしく肩をすくめ、ガルドの腕に軽く触れる。
「はぁ……。こんなのが荷物持ちしてたの? 正直、邪魔じゃない?」
ガルドが満足げに頷くのを見て、アリスはサレナに視線を戻した。嘲るような笑みを浮かべたまま、小さく舌打ちをする。
がっつりと、ガルドがアリスを受け入れた理由を察することができた。多分おっぱいに負けたのだ。今もムニムニと押し付けられて、ガルドは鼻の下を伸ばし満更でもない顔をしている。嫌悪の表情が顔に出ないよう、サレナは笑顔を張り付ける。
「へーぇ、良い方を見つけましたね」
サレナは静かにそう応じた。無論、皮肉である。道化師とほぼ同じじゃねーか、が本心だ。ドラクエで言えば遊び人の男か女かくらいの(外見の)違いだ。
「あなた、……レベルは高いようだけど。ランクはいくつ?」
問われ、逡巡する。
「A級ではない、ですねー」
そうサレナが言うと、アリスは嘲笑う。ガルドたちもゲラゲラと笑った。LVが高い事と冒険者ランクは関係が無い。いくら経験を積んでいたって、技能が無ければ冒険者ランクは上がらないのだ。
冒険者ランクはFから始まるが、ガルドたちの自称するA級冒険者はかなり少ない。基本、才能が無ければ最高でもB級冒険者で生涯を終える。
だから、彼らはサレナを『レベルが高いだけのB級以下の冒険者』だと嘲笑っているのだ。
ガルドは鼻を鳴らすと、サレナから荷物を奪い取る。
「もう用はねぇ。荷物は返してもらうぞ!」
レオが薄く笑い、マルクは無言で目を逸らし、ジルはどこか安堵した表情だ。それぞれ荷物を奪い取ると、5人は足早に街へ行く道を歩いていった。誰一人、振り返らない。
サレナは尻餅をついたまま、しばらく動かなかった。
「(ま、……予想通りですね)」
肩の力が自然と抜けていく。最初から、この結末は見えていた。
戦闘に積極的に参加せず荷物持ちに徹し、会話も最小限に抑える。それも、サレナのジョブが『道化師』だったからだ。『役立たず』だと思われて、そう振る舞うようガルドたちに指示された。
「指示通りにやっていたのに、クビですかー」
サレナはゆっくりと立ち上がり、残っていた自分の小さなトランクを持つ。中身は最低限の食料と水、それに小道具だけだ。
サレナは徐に腕に着けているギルドタグに触れた。そしてステータス画面を開き、『友人』の項目に触る。そこには一人だけ、名前の登録があった。
「あ、リリィですか。パーティ追放されました」
通話が繋がり、開口一番にそう告げる。瞬間、通信の向こうから怒号が聞こえた。
『君、これで何度目だと思っているんだ!』
『君の安全性を証明しないといけないのに!』
『これではいつまでたっても、君の立場は変わらないぞ! 君を守れないじゃないか!』
いつもの説教なので、そのまま無視して通話を切った。
「私を守りたいのなら、直接一緒にパーティを組めばいいのに。何、意地を張っているのでしょうね」
サレナは首を傾げる。リリィは、幼いころから一緒に居る。なのに、頑なに一緒にパーティを組もうとしないのだ。
「……さて。ギルドにでも行きますかねぇ」
小さく呟き、街の方へ歩き出す。ガルドたちも居るだろうが、もう興味はなかった。
×
「こ、これでギルドタグの登録は終わりです……っ!」
怯えたギルド受付嬢の声に、「またか」の気持ちが湧き上がる。だがそれを一切表に出さずにサレナは、にこ、と笑みを見せた。
「ありがとうございます」
「ひっ!」
……逆に、もっと怯えられてしまった。内心でしょんぼりするも、それも表には出さない。受付を後にし、サレナはクエスト掲示板の方へ向かう。掲示板の近くの壁に寄りかかり、腕のギルドタグに触れた。
「……うん、登録は終わってますね」
現在地の確認をして、頷く。たまに、登録を詐称されることがあるからだ。
「見て、あれ……」
「なんでこんなとこに」
ひそひそ、と暗い声がする。
「(聞こえてますよー)」
それに顔を上げ、にこ、とサレナが笑って手を振って見せると、周囲の人間達が表情を引きつらせ、足早に去っていった。手をゆっくりと降ろし、「(そんなに怖がらなくても)」と内心でため息を吐く。あくまでも、表面では笑顔だが。
クエスト掲示板を見れば、薬草採取やゴブリン討伐など低ランクの一般的なクエストが張り出されていた。こういうクエストはどこの街でも村でもあるが、やはり大きい街だからか報酬は高めだ。
用も済んだのでギルドを後にし、サレナは自身の泊まる宿へと向かう。ギルドに向かう前に、既にチェックインは済ませていた。
着いた場所は酒場だが、3階以上が宿屋になっている。格安の宿屋で、銅貨10枚で一泊することができた。壁は薄いし風呂はなくトイレは共同。
来店と同時に、サレナは宿の客である証の鍵を見せた。
「おっ、おかえりなさいませ!」
酒場のウェイターに怯えられながら、サレナは上にある宿屋に向かおうとする。
「おいおい! なんでこんな所に『道化師』がいやがんだ? おまけに『涙メイク』だと?」
酒場から上がった、酔っ払いの声を無視して進もうとする。
「おい、待てよ!」
がっ、と肩を掴まれる。
サレナはゆっくりと振り返った。幸い、殴られることはなかった。
酔っ払いの男は赤ら顔に酒の匂いを漂わせ、じろじろとサレナを値踏みしている。隣には同じく酒に酔った仲間が二人、ニヤニヤと様子を見ていた。
「なんだよ、その化粧。……おい、お前、本当に『道化師』のピエロなのか?」
男の声には、明らかな侮蔑が混じっていた。周囲の客たちも、ざわついた空気の中でこちらを見ている。酒場のウェイターは遠くから心配そうに、しかし介入する気はない様子で固まったままだ。
サレナは掴まれた肩を少し動かして、男の手を外そうとした。しかし男は力を込めて離さない。
「……はい、ピエロですよ」
静かに答える。事を荒立てて、この宿に泊まれなくなるのは困るのだが。
「ははっ! マジかよ。おまけに女のピエロだとよ! この宿を殺害現場にでもする気か?」
男の仲間がどっと笑い、テーブルを叩く。誰かが「ピエロが冒険者? 冗談きついな!」と声を上げた。
『道化師』のジョブを聞いた瞬間、人々の目が変わる。役に立たない弱者だと。涙メイクは、さらにその印象を悪い方へと傾ける。
サレナは、にこ、と笑った。
「それ、ピエロ=殺人鬼っていう偏見じゃないですか?」
どこぞの人物がピエロのホラー観劇を大量に作ったおかげで、妙な偏見が広まっている。サレナはそれの被害者だ。言い返すも、男は馬鹿にしたように笑うだけ。
「冒険者登録して、しかもそのメイクで堂々と歩いてんのか。それが何の役に立つってんだ? 踊って見せてみろよ。ほら、笑わせてみせろ! 女なんだから、身体ぐらいは役に立つだろうがな!」
「ほら、化粧落として服を脱いで、酌でもやれ」と下卑た笑いで、男たちは酒場で騒ぎ立てる。こうして、『女だから』と色々を強要されるのも数えきれないほどだ。
「申し訳ありませんが、今は少し疲れているので。……お酒の席を楽しんでください」
「はあ? 逃げんのかよ。おい、ちょっと遊べよ」
男が腕に力を込めた瞬間、サレナはわずかに体をひねった。掴まれた肩を軸に、柔らかく重心をずらす。男の指が空を切り、よろけた男が「うっ」と声を漏らす。
「……おっと」
サレナは、倒れそうになった男の腕を軽く支え、すぐに離した。舞台の上で相手のバランスを崩すための、小さな仕草のように。勢いは殺されたものの、男は床に倒れた。
「危ないですよ。転ぶと怪我をします」
男が顔を上げる。怒りと、わずかな戸惑いが混じった表情。周囲のざわめきが、一瞬だけ止まった。
「てめぇ……小細工しやがって」
「いえ。ただ、酷く転ばないようにしただけです」
サレナは一歩、下がった。宿屋の階段がすぐそこにある。これ以上、絡まれるのは避けたい。だが、男は引き下がる気配がない。
「ふざけんな! 底辺職のくせに!」
男が拳を振り上げた。その瞬間、サレナの指がほんのわずか動いた。袖の中に隠していた、薄い紙切れのようなものを素早く翻す。
ぱちん。
小さな音と共に、男の目の前で何かが弾けた。白い煙がふわりと広がり、男が咳き込む。煙はすぐに消えたが、男の動きが鈍った。
「な、何だ!?」
「煙の小道具です。舞台用の、弱いものですよ。害はありません」
サレナは、にこ、と微笑んだまま、階段を上り始めた。背後で男が「待て、この……!」と叫ぶが、慌てるばかりで追いつけない。あの煙には軽い麻痺薬も入っているが、酒のせいだと思うだろう。
3階の廊下に出て、サレナは自分の部屋の前で立ち止まった。鍵を開け中に入り、扉を閉めてからようやく肩の力を抜く。
「……ふぅ」
小さく、息を吐く。鏡に映った自分の顔を見た。白く塗られた顔に、黒い涙の線が落ちている。
「そんなにダメですかね、これ」
『道化師』。
誰もが笑い、誰もが見下すジョブ。
ジョブとは神から与えられる先天性の才能で、ジョブは変化しない。一生、授かったもののままだ。
道化師は戦闘向きでないとされ、ただ「人を楽しませる」ための職。ジョブが発現した瞬間から、こうして馬鹿にされる。
「私は、結構好きなのですが」
人を笑わせる瞬間が、好きなのだ。固まった人の心を柔らかくして、和ませる。それは、普通の職業ではできない特別な事。
部屋の隅に置かれた、小さなトランクを開けた。中には、舞台用の小道具が整然と並んでいる。煙玉、薄い布、そして奇妙な形状の杖。
サレナは、その杖を手に取り、静かに呟いた。
「ピエロが、何もできないなんて……誰が決めたのでしょう」
偏見は観劇のせいだけど。
窓の外から、酒場のざわめきが遠く聞こえる。
明日は、ギルドの依頼板をもう一度見に行こう。低ランクの、誰もが避けるような簡単な依頼でいい。そこで少しずつ、力を試していけばいい。
小さく息を吐き、サレナは浄化装置を起動させて身を清めた。顔に触れてメイクが落とされたか確認して、寝間着に着替える。
「うん、浄化装置は便利ですね」
呟き、自身の白味の強い銀の髪に触れる。整髪料が落ちているので、さらさらとして指通りが良い。
それから、薄いマットが敷かれたベッドに横たわった。明日はリリィに会えるだろうから、それが楽しみだ。
×
この世界では、7歳になると十字教の教会で洗礼を受けジョブを神から授かる。
今でも、サレナは洗礼の日のことを鮮明に思い出せた。
『あなたのジョブは――「道化師」っ!?』
そう、驚愕の声を上げた司祭の声を。
悲鳴を上げた周囲の大人たちの態度を。
親も居らず孤児院で育ったサレナは、思わず孤児院の職員たちを振り返る。――表情が凍っていた。
それで察した。いわゆる『失敗作』だったのだと。それから、周囲の大人たちが冷たくなり、やがてそれを真似してか子供たちはサレナを虐めるようになった。
だが、サレナは泣かなかった。前世の記憶があったからか忍耐強く、精神的にも大人で冷静だったからだ。子供の虐めなど、上司の激詰めよりマシだった。怒鳴り声も、無視も、冷たい視線も。前世で毎日浴びていたものに比べれば、子供のいじめなど可愛いものだ。
孤児院の空気は最悪だったが、気にしなければ良いだけ。ずっと、サレナは笑顔で耐えた。
10歳になり、サレナは『冒険者』としてほとんど身一つで冒険の旅に出る。
ただ、サレナは一人ではなかった。『道化師』のジョブを授かった翌日から、教団から護衛を派遣されたからだ。護衛として来たリリィは、サレナの一つ上で、聖司教としては随分と若かった。
それから、国中を、あるいは様々な国を旅してきた。
×
翌朝。
コンコン、とドアがノックされてサレナは目を覚ました。起き上がり、小さく伸びをする。
「……もう、時間ですか」
小さく呟き、ベッドから降りて顔に仮面をはめ込む。素顔を見られないためだ。
「はいはーい、起きてますよー。リリィ」
言いつつドアを開けると、簡素な白い法衣を纏った男性が立っていた。公式でないと表すための、教団員の平服だ。
「やっぱり、来てくれましたね」
にっこり、とサレナは仮面の下で心の底から笑う。
「なっ……だから、その恰好で出て来るなと言ってるだろう!」
サレナの格好を見た途端、彼は青紫の目を見開き動揺した。心なしか、耳が赤い。リリィの涼やかな表情や態度が崩れるのを見るのは、サレナとしては楽しい。
「何を今更。貴方しか居ないのだから、問題ないでしょう?」
内心を隠しそう流すも、
「君は女性なんだぞ、いい加減に慎みを持て」
周囲に配慮してか、小声でリリィは言い返す。自身の格好に視線を落とし、
「顔が分からないからセーフです」
「な訳あるか」
サレナは仮面の下で笑うが、リリィは怒ったままだ。ただの寝間着なのに。だが、確かにリリィ以外に見られるのは本意でない。
「ともかく、入ってください。誰かが通った時の方が面倒でしょう」
そう言い招くと、リリィは深くため息を吐いた後に部屋に入る。
リリィは背が高く、あたまを少し下げてドアを少し潜るようにして入った。
サレナはベッドに腰掛け、リリィを部屋に唯一ある椅子に座らせた。背の高いリリィと目線を合わせるためだ。
「水飲みます?」
「いや、いい。すぐに出る」
「……そうですか」
少しサレナはしょんぼりするが、表には出さなかった。改めてリリィの顔を見るが、鼻筋が通っていて彫刻と言っても差し支えがないほどに美形だ。
「(……本当に、綺麗な人)」
そう感じた自分に、わずかに驚いた。
前世でも、こんなにじっと誰かの顔を見つめたことはない気がする。
「……何を見ている」
「いえ。ただ、今日は運がいいなと思いまして」
「は?」
「リリィの顔が見られたので」
仮面の下で微笑むと、リリィの耳がわずかに赤くなった。
「……変なことを言うな」
彼は咳払いをして、視線を逸らす。
「どうしてこうも、狭くてボロい宿を選ぶ」
リリィは自身の黒味の強い銀の髪をくしゃりと撫でつつ、ぶつくさと文句を垂れた。
「安いからですね」
サレナが素直に答えると、彼は顔をしかめる。
「君は本当に、自覚がないな」
「何の自覚です? 安い宿に泊まりたいと思うのは当然でしょう?」
「君は目立つのだから。もう少し防犯設備の整った場所に泊まってくれ、と言っているんだ」
「確かに、化粧や服は目立ちますけどー」
「……そっちじゃない」
何が『そっちじゃない』のだろう? 首を傾げるも、リリィは顔に手を遣り、頭が痛そうな顔でため息を吐くばかりだ。
「……また、他人と揉めたそうだな」
「いつもの事です」
「だから困るんだが」
「今が、一番自由なんです。とても楽しいですよ」
そうサレナが流すと、リリィは眉間にしわを寄せ、もっと深く息を吐いた。
「リリィは『道化師』の私の護衛なんですから、夜一緒に居た方がよかったのでは? 街には居たのでしょう」
「夜、男の聖司教が女の道化師と宿で一緒にいる方が悪目立ちするだろうが」
「そうですか? 厳格な教団なんですから、逆に安心感を与えそうですが……」
「馬鹿言え。酒場で騒ぐ奴らは、下世話な話が好きなんだ。いけ好かない教団の聖司教のゴシップなど格好の的だ」
「そうなのですねー」
じゃあ今の状況もかなりまずいのでは、と思ったが口にはしないでおいた。リリィも入室は少し躊躇していたので、考えていたようだが。
「ともかく。冒険者登録は」
咳ばらいをし、リリィは問いかける。
「終わってますよ。今日からこの街周辺のクエストも受けられます。今日は低ランクのクエストを受けるつもりです」
へらりと笑い、登録の証を見せた。
「それなら良い。朝食を食べたら、さっさと宿代を稼ぎに行け」
「言われなくとも」
サレナは自由な『冒険者』だ。だから、教団員のリリィと違い給金は出ない。その代わり、何でもできる。
「話は以上だ」
「揉めたことの確認ですね」
小さくため息を吐くと、リリィは移動魔術を使って部屋から出て行った。きっと、サレナの部屋から出る姿を見られないためだろう。
人の気配が無くなったことを確認し、サレナは仮面を外す。トランクからタオルを取り出し、
「水の加護」
呟いて水で湿らせる。それで顔を軽く拭い、化粧水、乳液、美容液を塗った。
「今日はどんなメイクにしましょうか」
呟きつつ、顔を白塗りにする。首元や鎖骨付近まで塗り、乾いてからメイク筆に色を乗せた。
×
朝の酒場は随分と静かだ。朝特有の冷えた空気が漂い、調理場から仕込みをしているのか何か野菜を切る音がする。
「すみません、朝食をください」
声をかけると、「あいよ」と気さくな声が返ってくる。振り返ったおかみさんは一瞬固まるが、何事もなかった様子で調理に取り掛かった。
朝食は硬いパンとペラペラのベーコン、野菜くずの入った薄いスープだ。運が良いと、期限ギリギリの卵を使った目玉焼きが付くらしい。……今日はついてなかったようだ。
朝食を終え、化粧直しと歯磨きをしてからサレナは冒険者ギルドへ向かう。
「長かったな」
「化粧と下準備には、時間がかかるのですよ」
冒険者ギルドの前に着くと、リリィが待ち構えていた。護衛という体裁のため、サレナがパーティから外れるとリリィはいつもクエストに同行する。いっそのこと、二人でパーティを組んだ方が早い気がするのだが。
「本当に、低ランクでいいのか?」
「何ですか。もっと派手なことをした方が良いですか?」
リリィの顔も見ずにサレナが問えば、
「……いや、悪かった」
彼は何を思ったのか、顔をしかめたままで顔を逸らした。
「あ、そうだ。リリィ」
「……なんだ」
何を言うか察しているのか、リリィは少し嫌そうな顔をしている。
「パーティ組みましょう。ソロだとクエスト受けられないかもしれないので」
ギルド前の掲示板を指す。そこには『※ソロだと受けられないクエストがあります』と書かれていた。
「……仕方ないな」
ため息を吐き、観念した様子でリリィは腕のギルドタグを差し出した。それに、サレナは自身のギルドタグを充てる。少しして、パーティ登録の終了を告げる音が鳴った。
「ふふ」
「なんだ」
「ようやく、パーティ組んでくれましたね」
「……覚悟しておけ」
「何をですか?」
ともかく、リリィとようやくパーティが組めてよかったとサレナは安堵する。
「……やけに嬉しそうだな」
「だって、リリィは『女だから奉仕しろ』なんて言わないじゃないですか」
「……は?」
リリィの問いに素直に答えると、彼は低い声を返した。何か変なことを言っただろうか、とサレナは首を傾げる。
「君、そんなことを言われていたのか?!」
「ええ、他にも『もう少し隙を見せろ』とか。私が基本的に風呂を浄化装置で済ませると知ったら露骨にがっかりする方もいました。トイレについて行こうとする方も「もういい。言うな」……そうですか」
低い声で、リリィは唸った。
「……望まぬ行為は、されていないか?」
「えぇ。誰にも服の上以外では接触はしていませんし、人前でどこも脱いでませんよ」
そう答えると、リリィは小さく息を吐く。
「……今までの、君からの報告には上がっていないのだが?」
「些細なことですし、不要な情報かと」
「必要な情報だ! この馬鹿!」
リリィがなんだか、不機嫌になってしまった。
「……悪かった。……これから一生、絶対にそんな目には遭わせさせない」
「(……何か、覚悟を決めたらしい?)」
よく分からないが。リリィは、真っ直ぐにサレナを見つめる。
「これからは、私が隣にいる。だから、もう耐えなくていい」
その言葉の重みに、サレナは一瞬だけ言葉を失った。
「そうですか。パーティメンバーとして、守ってくれると言うことですか?」
「……違う。パーティメンバーとか護衛とか関係なく、君個人を守ると言っている」
「それは、ありがたいですね」
流しつつ、「(彼から直接守られるのは、悪くないですね)」と彼女は小さく頷いた。
×
ギルドの建物に入ると、昨日と同じ受付嬢がいた。少し眠そうな彼女はサレナの姿を見るなり、わずかに肩をすくめる。
ギルドの奥にあるクエスト掲示板に近づき、サレナは貼られている依頼書を眺めた。
上位の依頼は派手なものが並んでいる。魔獣討伐、盗賊団の掃討、遺跡調査……。どれも『道化師』には無縁そうな文字ばかりだった。
その下の方に、ほとんど人目を引かない小さな紙が貼ってある。
『【Fランク】街外れの水路に巣食うスライムの駆除』
報酬は少なく危険度も低い。だからか、誰も受けたがらないようだ。
スライムは弱いが、水辺で粘液を撒き散らすため後始末が面倒なのだ。しかもこのクエストには数が多めだと書かれている。
「これにします」
サレナが指を指すと、リリィは嫌そうに顔をしかめた。
「なぜ、そんな面倒そうな依頼を。宿代程度なら、薬草採取やモンスター討伐でも良いだろう」
「(まあそう言うでしょうね)」と思いつつ、サレナは「誰もやりたがらないのが、良いのですよ」と受け流す。
「ええと、この『討伐クエスト』を。二人で受けます」
「わっ!」
受付嬢に声をかけると、眠そうだった受付嬢が飛び上がった。そして、受けるクエストを確認して受付嬢は目を丸くする。
「え……本当に、これで? もっと他にも……」
「大丈夫です。これ、ギルドタグです。ほら、リリィも」
腕のギルドタグを受付嬢に差し出しつつ、リリィを促す。リリィもギルドタグを差し出し、受付嬢は緊張した様子で手続きを進めていく。
「ど、どうぞ。クエスト発注、登録いたしましたっ!」
「ありがとうございます」
サレナがお礼を述べると、「い、いえ……」と受付嬢は俯いてしまった。
「……ほら、さっさと行きますよ」
丁寧口調のリリィに促され、サレナはギルドを後にする。
少し歩くと、リリィが隣でため息をついた。
「また、変な依頼を選んだな」
「変、ですか? 低ランクで、誰もやりたがらない。私には最適です」
「最適、ねぇ……」
リリィは呆れたように首を振ったが、止める様子はない。
街外れの水路へ向かう道中、リリィは袖の中を確認した。トランクから持ち出した小道具は、今日もきちんと用意してある。回復薬も、身代わりのぬいぐるみもあった。Fランク依頼だろうが、用心に越したことはない。
×
その頃。
ガルド率いるパーティは、街外れにある禁止区域の遺跡に足を踏み入れていた。
「本当に大丈夫なのか? ここ、ギルドが『絶対に入るな』って言ってたよな」
レオが不安そうに周囲を見回す。
古びた石造りの遺跡は、苔むし、奇妙な紋様が壁に刻まれていた。空気が妙に重い。
「大丈夫だって。俺の勘がそう言ってる」
ガルドは得意げに胸を張った。
アリスが彼の腕にすり寄り、甘い声で言う。
「ガルドったら頼りになるわ。こんな場所で宝が見つかったら、大儲けよね」
「ああ。サレナみたいな荷物持ちがいなくなって、かえって動きやすくなったな」
マルクとジルも、渋々といった様子で後に続いていた。
遺跡の奥で、彼らは小さな祭壇を見つけた。
祭壇の中央には、赤く透き通った宝玉が静かに置かれている。時折、内側で炎のような光が揺らめいていた。
「おい、見ろよこれ……」
ガルドが目を輝かせる。
「すごい貴重そうだぞ。持ってけば、貴族に高く売れるはずだ」
「でも、なんか嫌な感じがするんだが……」
レオが止める間もなく、ガルドは宝玉に手を伸ばした。
指が触れた瞬間。
――世界が、低く鳴動した。
遠くから、地鳴りのような音が聞こえた気がした。
宝玉が急に熱を持ち、ガルドの手の中で強く脈打つ。
「なっ……熱っ!」
思わず手を離すと宝玉は転がり落ち、石床で軽い音を立てた。
しかし、それと同時に、遠くで何かが目を覚ましたような、重く長い気配が広がっていく。
アリスが不安そうにガルドを見る。
「ねえ……今の、何? 大丈夫なの?」
「き、気のせいだ。とにかくこれを持って街に戻るぞ。早く換金すれば問題ない」
ガルドは焦った様子で宝玉を拾い上げ、袋にねじ込んだ。
「行こう。ここに長居は無用だ」
パーティは足早に遺跡を後にした。
彼らが街への道を急いでいる頃。
空の向こうで、巨大な翼がゆっくりと開かれ始めていた。
×
街外れの水路に着いた。薄暗い水路沿いに、半透明のスライムが複数群れている。周囲は粘液でぬめぬめしていた。
リリィが「やっぱり面倒だな……」と顔をしかめ、サレナは静かに状況を観察する。
「数は多いですが、個体としては弱いですね。動きも単調です」
と冷静に分析しつつ、袖から小道具を取り出す。
サレナが杖を軽く振り、水路の両岸に薄い布を張った。布は風に揺れ、まるで舞台幕のよう。
「何をしている」
リリィが聞くと、サレナはにこやかに答える。
「観客がいないと、興が乗りませんから」
実際は布で視界を制限し、スライムの動きを誘導するための仕掛け。サレナが杖の先端を軽く叩くと、小さな音と共に色付きの煙がふわりと広がる。これは、スライム系のモンスターに効く誘引剤だ。
スライムたちが煙に反応して、一斉にそちらへ寄ってくる。
「はい、こちらですよ。ごゆっくり」
サレナはわざと大げさに身振りを交えながら、水路の端へとスライムを誘導する。
煙と布で、スライムは狭い範囲に集められていった。
集まったスライムに向けて、サレナが杖を振る。
すると杖の先端から、きらきらと光る粉が舞い落ちた。
これは舞台用の発泡粉で、水と反応すると激しく泡立つ性質がある。
スライムの粘液と反応し、一気に泡が膨れ上がった。スライムたちは泡立った自身の粘液に包まれ、動きを封じられる。
「……きれいですね。まるでシャボン玉のようです」
サレナは汚れない位置から、静かに眺めた。
「もう良いか」
「大丈夫ですよー」
リリィが声をかけ、サレナは手を振る。
泡に包まれて動けなくなったスライムを、リリィが安全な距離から聖属性の魔術で浄化した。これで、スライムの駆除はおしまいだ。
サレナは最後に、布を回収しながら小さく息を吐く。
「ふぅ。終わりましたね」
疲れた様子を見せるも、メイクは全く崩れていない。
「……君、本気で戦う気がないな」
「戦うんじゃなくて、楽しませるんですよ。相手がスライムでも」
「……スライムをか?」
「私自身を、です。それに、これは練習ですから。小道具たちを使わなきゃ、意味が無いのです」
「そうか。練習を大衆に見せるつもりが無いから、人が忌避する依頼を選ぶ訳か」
「そうです」
しばらく無言で並んで歩いたあと、彼がぽつりと口を開く。
「……君は、本当に変わらないな」
「良いことですか?」
「……そうだな。少なくとも、私は嫌いではない」
思わぬ言葉に、サレナは足を止めた。リリィも立ち止まり、少し困ったように彼女を見下ろす。
「……何だ」
「いえ。ただ、リリィにそう言われるのは、初めてなので」
サレナが微笑むと、リリィは「そうか? ……そうだったかもな」とため息混じりに呟いた。
打ち漏らしが居ないか確認をしてから、二人は水路を後にした。
×
街へ戻る道中。
サレナは杖を軽く振り、袖口に付着したわずかな粘液を払い落とした。リリィが後ろから、疲れた声で言った。
「……本当に、汚れることなく終わったな」
「練習舞台の上では、衣装を汚すのはご法度ですから」
サレナがにこやかに答えると、リリィは深くため息をついた。
「次からは、もう少し普通の依頼を選べ」
「わかりました。次は、格安の薬草採取にしましょうか」
そんな会話を交わしながら、二人は街の門に近づいていた。
その時だった。
空が、暗くなる。
雲ではない。何か、巨大なものが太陽を覆い隠したのだ。
近くにいた人間が上を見上げ、声を上げた。
「な……なんだ、あれは!?」
次の瞬間、轟音が響いた。
街の上空を、巨大な影が横切る。鱗が陽光を反射し、一瞬だけ虹色に輝いた。長い尾が風を切り、街の屋根瓦が揺れ、窓ガラスが振動する。
「ドラゴンだ!」
誰かの叫び声がした。
翼を広げたその体躯は、街の広場をすっぽりと覆い隠すほど大きい。喉元が赤く膨れ、熱を孕んだ吐息が地面を焦がす。
「ひっ……!」
周囲の人間が、腰を抜かした。街の中から、悲鳴が連鎖していく。
「ドラゴンだ! ドラゴンが来たぞ!!」
「S級だ! S級モンスターだ!!」
「逃げろ! 城の地下に逃げろ!!」
広場に人が溢れ、押し合いへし合いしながら逃げ惑う。果物屋の屋台がひっくり返り、野菜が散乱する。子供が母親の手を離して泣き叫び、兵士たちが慌てて武器を手に取るが、足がすくんで動けない。
サレナは、その光景を静かに眺めていた。
リリィが隣で低く呟く。
「……最悪だ。なぜ今、この街に」
「タイミングが悪いですね」
サレナは、いつものように微笑んだ。
ドラゴンがゆっくりと旋回する。翼の一振りで、街路樹が根元から折れた。瓦が飛び、埃が舞い上がる。ドラゴンの喉がさらに膨れ、赤い光が集まっていく。
吐息の準備だ。
「リリィ」
サレナが静かに呼びかけた。
「なんだ」
「準備は、できていますか?」
「……当たり前だ」
リリィが法衣の袖をまくり、移動魔術の術式を組み始める。だが、周囲のパニックは酷い。人が多すぎて、安全に転移できる場所がすぐに見つからない。
ドラゴンが、低く咆哮した。
空気が震える。鼓膜が痛み、地面が軋む。誰かが転び、誰かがそれを踏みつける。悲鳴と怒号が混ざり合い、街全体が混乱の渦に飲み込まれていく。
サレナは、袖から小さな煙玉を一つ取り出した。
「(……これは、舞台には使えないですね)」
内心でそう呟きつつも、表情は崩さない。彼女はただ、微笑んでいた。
ドラゴンの視線が、街の中心へと向く。
このままだと、どれだけ甚大な被害が出るだろうか。
「久々に出しましょうか、本気」
サレナが呟いた時、リリィのため息が聞こえた。
それにくすり、と笑い、サレナは袖から杖を取り出した。
「そーれ、変化」
それは、——金属製の、奇妙な形状の物体に変わる。
柄の部分に歯車のような機構が組み込まれ、刀身に当たる部分はギザギザの歯が連なっている。明らかに、この世界の技術水準では作られない代物だ。
リリィが目を細めた。
「……出すのか、それ」
「ええ。本気を出さないと、街が燃えてしまいますから」
サレナが静かに答える。
×
ドラゴンの咆哮が街を揺らし、人々が逃げ惑う中。
広場の端で、ガルドが青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「な、なんだあれは……S級だと? 嘘だろ……」
隣でアリスが彼の腕にしがみつく。
「ガルド、どうするのよ! 早く逃げないと死ぬわよ!」
レオやマルク、ジルも同様に動揺し、武器を握ったまま足がすくんで動けない。
その時、広場の中央で起きた異変に、彼らの視線が釘付けになった。
場違いな程に派手な格好の者が、巨大なドラゴンの方へ歩き出していた。
隣には白衣の男。
「あれは……」
ガルドの喉が引きつる。
「……サレナ?」
誰ともなく、小さな声が漏れた。
アリスが目を見開く。
「荷物持ちの……道化師? っていうか、あのイケメン誰よ!」
「道化師と聖司教って、まさか……」
×
周囲の兵士や冒険者が、現れた二人を見て息を呑んだ。
「あ、あれは……」
「道化師が手に持っているアレは……いや、待て。あの二人、まさか」
誰かが叫んだ。
「S級だ! 『血濡の道化師』と『白衣の枢機卿』だ!!」
ざわめきが一気に広がる。逃げ惑っていた人々が、思わず足を止めた。
サレナは仕方なしに、ギルドタグに触れた。外向け用に、ステータスが展開される。
そこに開示された冒険者ランクの表示は『S』。リリィも同様だ。普段は見られないランクを、表示させたのだ。
そして――
「な、れ、LV200!?」
誰かが叫ぶ。正しいLV表示をしてやったからだ。LV差によるステータス差の問題を防ぐため、通常はLV99以上は表示されない。ステータス値も、LV99に抑えられているのだ。
S級冒険者は、この世界に一握りしか居ない。LV200など、もっと少ない。
「行きますよ、リリィ」
「わかっている」
リリィが法衣の下から、銀の杖を取り出した。先端に聖なる紋章が浮かび、淡い光を放つ。
サレナはチェンソーの始動レバーに指をかけた。
「(前世で、作業用で使っていた頃を思い出しますね……)」
エンジンがかかると、甲高い轟音が響いた。ギザギザの歯が高速で回転し、空気を切り裂く。この世界の人間にとって、それは聞いたこともない機械の咆哮だった。
ドラゴンが、二人に視線を向ける。赤い瞳が細められ、明らかに獲物として認識した目だ。
サレナは、チェンソーを構えた。
「演目、開幕です」
そう呟いて、彼女は地面を蹴った。
リリィが同時に移動魔術を展開する。二人の姿が瞬間的に消え、次に現れたのはドラゴンの真上だった。
「聖なる枷——拘束!」
リリィの杖から無数の光の鎖が伸び、ドラゴンの翼と四肢に絡みつく。完全に封じるほどの力はないが、動きを一瞬だけ鈍らせるには十分だった。
その隙に、サレナが急降下する。
チェンソーの刃が、ドラゴンの鱗に食い込んだ。
甲高い金属音と、肉を抉る鈍い音が重なる。鱗は硬く、普通の剣なら弾かれるはずだった。だが回転する刃は、摩擦熱と破壊力で少しずつ、確実に深く沈んでいく。
回転する歯が肉を抉り、血と脂を巻き上げた。ドラゴンが大きく体を跳ねさせ、サレナを振り落とそうとする。彼女は刃を深く食い込ませたまま、体を回転させ、傷口をさらに広げた。
ドラゴンの咆哮が、苦痛を帯びて歪む。
サレナは刃を引き抜き、後方へ跳躍した。着地と同時に、袖から小さな煙玉を数個投げ入れる。白い煙が傷口の周囲に広がる。視界を奪うためではない。煙に混ぜた刺激性の粉が、傷口に染み込み、痛みを増幅させるためのものだ。
「舞台用の、少し強い煙です。害は……まあ、ありますね」
にこ、と笑うサレナの顔に、血しぶきが少量かかっていた。だが彼女はそれを気にした様子もなく、チェンソーの回転を維持したまま次の間合いを測る。
リリィが上空から光の矢を連射する。矢はドラゴンの翼膜を貫き、飛行を阻害するように狙いを定めていた。
「飛ばせるな!」
「わかっています」
サレナが地面を蹴る。リリィの転移魔術が彼女の体を捉え、瞬間的にドラゴンの首筋へと移動させた。
チェンソーが振り下ろされる。
刃が太い首の鱗に食い込み、火花と血が同時に散った。ドラゴンが激しく首を振り、サレナを振り払おうとする。彼女は振り落とされかけながらも、先端を傷口に押し当てた。
ドラゴンの体が大きく傾く。
翼のバランスが崩れ、巨体が街の広場の端へと沈み込まれた。建物の一部が押し潰され、瓦礫が舞い上がる。
サレナは着地し、小さく息を吐いた。
血の飛沫を浴びたまま、それでも笑顔を崩さない。
「御覚悟を」
そう告げて、サレナはチェンソーを構えた。
ドラゴンが、全てを燃やし尽くす吐息を解き放つ——その直前に。
ドラゴンの喉元が臨界に達した瞬間、サレナはすでに動いていた。
「リリィ」
「わかっている!」
リリィが杖を地面に叩きつけた。足元から光の紋章が広がり、サレナの体を包む。瞬間移動ではない。加速だ。
サレナの姿が、残像を残して消えた。
次に現れたのは、ドラゴンの顎の真下。
吐息が放たれるより早く、彼女はチェンソーを斜めに振り上げた。
「——さぁ、ド派手に行きましょう!」
刃が、ドラゴンの下顎から喉へ一直線に突き入る。
回転する歯が鱗を削り、肉を裂き、太い血管を断ち切った。熱を帯びた吐息の源を、物理的に破壊する。
ゴリゴリゴリと首の骨が砕ける感触に サレナはさらに刃を深く沈めエンジンを吹かした。
直後、ドラゴンの首が千切れた。
首が吹き飛び、鈍い音を立てて地に落ちる。
放たれるはずだった炎は、自らの喉を焼きながら噴き出した。首の無い巨大な体が痙攣し、翼が虚しくばたつく。
「これにて、閉幕」
彼女はチェンソーを下げた。
ドラゴンの巨体が、力なく横倒しになる。地面が震え土煙が舞い上がり、広場を埋め尽くした。
沈黙が落ちる。
しばらくして、誰かが小さく声を上げた。
「……倒した?」
「本当に……倒したのか?」
ざわめきが、波のように広がっていく。兵士たちが武器を下げ、冒険者たちが呆然と立ち尽くす。逃げていた人々が、恐る恐る顔を上げ始めていた。
サレナはチェンソーのエンジンを切った。
刃に付着した血と肉片を、布でさっと拭き取る。動作は丁寧で、舞台装置を片付けるような手付きだった。
リリィが隣に歩み寄る。額の汗を拭いながら、低く言った。
「……派手にやりすぎだ」
「仕方ありません。相手が相手でしたから」
サレナが答える。白塗りの顔に血しぶきがかかっているが、笑顔は崩れていない。黒い涙の線が、赤黒い染みと混じって、妙に禍々しくも綺麗に見えた。
リリィは彼女の頬に付いた血を見て、わずかに眉を寄せる。
「……顔が汚れている」
「はい?」
言われるままに顔を向けると、リリィが袖から白い布を取り出した。
「あ、ちょっと顔を拭くのはやめてください」
「何故だ」
手で顔を隠すようにすると、彼のムッとした気配を感じる。
「化粧が落ちます」
「化粧より血を拭いたいのだが」
腕を顔からどかすと、リリィの少し不機嫌そうな顔が見えた。彼の拗ねた顔は、なんだか可愛く思える。
「あとでやりますから。それを言ったら、リリィは……汚れてませんね」
リリィを見れば、真っ白なままであった。
「結界で守ったからな」
「潔癖症ですねー」
言いつつ、いつもより派手だったかなと内心で反省する。
「(……でも。リリィが傍にいてくれるなら、少しくらい派手にやっても構わないのかもしれない)」
彼女は自分でも意外なほど、素直に思った。
安全を確信したのか、街の人々が徐々に二人を取り囲み始める。
「S級だ……本物のS級だったのか」
「道化師が……あんな武器を」
「助かった……本当に助かったんだ」
誰かが泣きながら跪いた。別の誰かが、声を上げて歓声を上げる。それが連鎖し、広場に大きな拍手と歓声が広がっていく。
サレナは、その声を静かに聞いていた。
「(……拍手は、嫌いじゃないですね)」
内心でそう思う。前世で、誰からも認められなかった日々を思い出す。過労で倒れるまで働き続けても、誰も感謝などしなかった。
今は、違う。
リリィが小さくため息をついた。
「ほら、早く片付けろ。それを出しっぱなしだと目立つ」
「はい」
サレナはチェンソーを変化させ、袖へ戻した。
彼女は改めて、周囲に向かって軽く頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました。これにて、演目は終了です」
にこ、と笑う。
血と埃にまみれた道化師の笑顔は、しかし、どこか清々しく見えた。
リリィが、サレナの背を軽く押す。
「行くぞ。報告が必要だ」
「ええ」
二人は、瓦礫と人混みを分けて歩き出した。
×
人々が徐々に顔を上げ、誰かが「助かったんだ!」と叫ぶ。
拍手が広がる中、ガルドたちは人混みの端で固まったままだった。
サレナと白衣の男が易々とドラゴンを追い詰める姿を、ガルドたちはただ呆然と見ていた。
「ランクが……あんなに高かったのか」
「俺たち、何を追放したんだ……」
呟くレオとマルクの声に、ガルドは首を振る。
「はん! あんなやつがS級なれんなら、俺たちだってS級になれる! 惜しくなんかねぇ!」
叫ぶガルドを、ジルとアリスはジト目で見ていた。
サレナがチェンソーをしまい、軽く頭を下げて人々に応える。
その視線が、ふとこちらに向いた。
一瞬だけ、目が合う。
サレナは、にこ、と微笑んだ。
それ以上でも以下でもなく、ただ軽く右手を上げて、小さく手を振っただけだった。
「……っ」
ガルドが息を飲む。
アリスは顔を強張らせ、思わず彼の袖を掴んだ。
サレナはすでに視線を戻し、リリィと並んで瓦礫の中を歩き始めている。
2人は、元パーティの方を振り返りはしなかった。
レオが掠れた声で呟く。
「……手、振られたな」
「ああ」
マルクが頷いた。それ以上、誰も言葉を継げない。
周囲の歓声が、ひどく遠く聞こえた。
×
背後で、ドラゴンの死骸を処理する兵士たちの声が聞こえる。誰かの歓声も聞こえた。
サレナは空を見上げる。
雲の切れ間から、薄い光が差し込んでいた。
「……次は、もう少し地味な依頼がいいですね」
「君が言うな」
リリィが呆れたように返し、サレナは小さく笑った。
メイクは崩れている。服は血で汚れている。それでも、彼女の足取りは軽かった。
「君のチェンソー、ドラゴンの骨も切れるんだな」
ぽつりとリリィが呟く。だが、サレナは首を振った。
「ああ、あれは幼体だったからできたことです。成体でなくてよかったですよ、本当に」
成体のドラゴンだったら、さすがにS級の冒険者2人でも抑え込めなかっただろう。
「……だが、それにしてもあのドラゴンはどこから来たんだ。宝でもあったのか?」
「調査、お願いしますよ」
「分かっている」
ギルドに戻ると、受付嬢が叫び、周囲の人間たちが軽くパニックになった。サレナが血塗れで帰ってきたからだ。
「大丈夫ですよ、モンスターの返り血ですから!」
そう言って宥めても、効果は薄い。落ち着かせるのに時間がかかった。
「……ピエロは、怖くないのに」
「偏見を広めているのは、君だろうが。チェンソーでモンスターの首を吹っ飛ばして」
「人を殺してないのでセーフです」
「な訳あるか!」
×
翌日。
ギルドの一室に、リリィは立っていた。
部屋には、教団の紋章をつけた調査官が数名と、街のギルドマスターが控えている。
「……結論から言います」
調査官の一人が、机の上に赤い宝玉を置いた。ギルドの換金場所で、昨日出されたものらしい。
「この宝玉は、古代の封印具です。ドラゴンを封じるためのもの。無断で持ち出され、封印が解け幼体のドラゴンが呼び出されました」
ギルドマスターが重い声で続ける。
「今回の被害は甚大だ。建物の損壊、怪我人、そして何より、街の防衛戦力を大きく削いだ。責任は重い」
リリィは腕を組んだまま、静かに聞いている。
「犯人は、すでに特定している」
調査官が書類を広げた。
「ガルド・ヴェイン率いるパーティです。彼らは『禁止区域』に無断で侵入し、宝玉を持ち出した。そして、その宝玉がドラゴンを呼び出した直接の原因です」
その瞬間、部屋の扉が開いた。
ガルドたちが、護衛の兵士に囲まれて入ってくる。
レオ、マルク、ジル、アリス。全員、顔色は青ざめていた。
「ち、違う! 俺たちはただの冒険者だ! 宝玉なんて、たまたま拾っただけだ!」
ガルドが声を張り上げる。
しかし調査官は冷たく言い放った。
「遺跡内部の痕跡、宝玉に残された魔力反応、そして複数の目撃証言。すべてがお前たちを指している」
「それに——」
リリィが初めて口を開いた。
「君たちは、昨日までサレナと同じパーティでしたね」
ガルドたちの顔が、さらに強張る。
「……は?」
「彼女を『荷物持ち』と呼び、戦闘にも参加させず、人数合わせだと嘲り、追放した。その後、すぐにこの宝玉を禁止区域から持ち出した」
リリィの目が、ガルドたちを捉える。
「彼女から止められていたのでしょう、『禁止区域に入るな』と。だが君たちは彼女を『役立たず』だと切り捨てた」
サレナが居れば『彼がここまで明確に感情を出すのは珍しい』と揶揄っただろう。
「……知らなかったんだ」
ガルドが言い訳するように叫ぶ。
「あんなピエロがS級だなんて、誰が思うかよ!」
「知らなかった、では済みません」
リリィが静かに言い切る。
「君たちは彼女を不当に扱い、そして街に災害を招きました」
そのとき、アリスが一歩前に出た。
慌てた様子で、しかしどこか計算めいた笑みを浮かべている。
「あの、聖司教様……? いいえ、枢機卿様ですよね」
彼女はリリィに近づき、しなを作るように身を寄せた。
「私、何も知らなかったんです。ガルドたちに言われるままについていっただけで……。枢機卿様のような立派な方が、あんな下品なピエロと一緒にいるなんて……もったいないと思いませんか?」
アリスの手が、リリィの腕に触れようとする。
その瞬間、リリィは静かに一歩下がった。
「……触るな」
声は低く、冷ややかだ。
「私は、彼女の護衛です。君のような人間に、触られる覚えはない」
アリスの手が虚しく空を切り、彼女の笑顔が固まる。
「ほ、本気で……あのピエロを? あんな白塗りの変な女を?」
「変、かどうかは、君が決めることではありません」
リリィは、淡々と言った。
「少なくとも、彼女は街を守りました。だが君たちは、街を危険に晒した」
アリスの顔から、血の気が引いていく。
ガルドも、他のメンバーも、何も言えなくなっていた。
調査官が口を開く。
「ガルド・ヴェイン、および同行者たち。お前たちは冒険者資格を一時停止し、教団とギルドの合同取り調べを受けます。宝玉の盗難と、ドラゴン召喚の責任を問うために」
兵士たちが、彼らを囲む。
ガルドは唇を噛み、アリスは蒼白な顔で立ち尽くしていた。レオ、マルク、ジルは諦めた表情だ。
調査官が書類をめくり、冷ややかな声を落とした。
「それと、もう一つ確認しておきます」
ガルドの肩が、びくりと震えた。
「お前たちは、この街に来る以前から『A級冒険者』を名乗っていましたね」
「……と、当然だ。俺たちはA級だ」
ガルドが強がるように言い返す。
しかし調査官は首を横に振った。
「嘘です」
短い一言が、部屋に落ちる。
「教団とギルドの合同記録を確認しました。お前たちの正式な冒険者ランクは、全員『B級』だ。A級昇格試験すら受けていない」
レオとマルクの顔から、一気に血の気が引いた。
ジルは俯き、アリスは小さく息を呑んだ。
「な……何を言って——」
「ランクの表示は任意であり、通常は確認する術はない。だから、高を括っていたのだろう。ギルドタグの記録は改竄できない。お前たちが提示していたとされる『A級』の表示は、簡易的な幻術か、あるいは不正なタグ改造による偽装だ。どちらにせよ、重罪に当たる」
リリィが静かに口を開く。
「彼女を『A級冒険者と一緒に旅できただけありがたいと思え』と嘲っていたそうですね」
ガルドの顔が強張る。
「本当は自分たちがB級なのに、彼女を『レベルが高いだけのB級以下』だと見下していた。その傲慢さが、今回の騒動を招いた」
「ち、違う……! 俺たちは近いうちにA級になる予定だったんだ! ただの時間の問題で——」
「予定など関係ない!」
調査官が書類を机に叩きつけた。
「冒険者は、自分のランクを偽って活動してはならない。特に上位ランクを騙り、他者を見下す行為は、ギルド規約でも教団法でも明確に禁じられている」
兵士たちが一歩近づく。
ガルドは唇を噛みしめ、拳を震わせていた。
「お前たちは、ランクを偽った詐欺行為と、禁止区域への不法侵入、そして封印の解除によるドラゴン召喚。三重の罪を負うことになります」
調査官の声に、アリスが青ざめた顔でリリィを見た。
何か言いかけたが、リリィは彼女の方を見もしなかった。
×
部屋から出て、リリィは小さく息を吐く。
「……お話、終わったのですか?」
「っ、サレナ。今日は休みだろう」
かかった声に振り返ると、サレナが立っていた。目元に仮面を着け、髪を下ろしている。服装も一般的なもので、珍しい格好だった。
「ええ、そうですが。リリィを待っていたのです」
「私を?」
「なんと言うか、一緒にお茶を飲みたくてー……みたいな?」
「その疑問系はなんだ」
頬に手をあて首を傾げるサレナの仕草がなんだか可愛らしく思えて、リリィは深く息を吐く。彼女は無自覚に、可愛らしい行動をよくするのだ。
「まあ、とにかく。お仕事は終わったのでしょう?」
「そうだな。あとは、私が居なくても回る仕事だ」
「だったら、お茶しましょう。リリィの奢りです」
「なるほど。タダ飯を食う気だな?」
ふっと軽く笑うと、「バレましたかー」とサレナもくすくすと笑う。外へ向かう2人の足取りは、軽かった。




