第八話 話してくれた人達
宿舎の一室。
ひよりは布団にくるまり、背を丸めていた。
呼吸はしているが、生きている実感がない、そんな姿。
ベッドの横で、セリアが静かにその様子を見つめる。
「人が殺される瞬間を見たもの。しばらくは……喋れなさそうね」
部屋の隅で腕を組んでいたガロスが、低く息を吐く。
「まぁな。助けてくれて、ありがとよ。コー」
「間に合ったのは、奇跡みたいなものだ。あと数秒遅ければ……魔族に殺されていた」
ガロスは一瞬だけ目を伏せ、それからセリアに向き直る。
「精神を安定させる魔術とかは、ないのか?」
「ないことはないけど、効いても気休め程度。それに、下手に脳を弄れば危険よ」
「……そうか。悪いが、そっちは任せていいか? 俺は再編成で手一杯だ」
「わかったわ。ひよりのことは私に任せて。あなたはあなたの仕事をして」
「頼む」
そう言い残し、ガロスは静かに部屋を出ていった。
セリアはベッドのそばにしゃがみ、ひよりに優しく声をかける。
「ひより……私、これからご飯を持ってくるけど……何か食べたいものはある?」
「……………」
答えはない。
ただ毛布の中で、わずかに肩が上下する。
「……大丈夫。私がついてるから」
それだけ告げ、セリアも立ち上がる。
扉を静かに開き、部屋を出て行った。
残されたのは
壁際のコーと、布団に包まれたままのひよりだけ。
静寂が、重く落ちていた。
「…………………」
言葉のない空間。
ただ、部屋の中を静寂が包んでいた。
「……隣、座るぞ」
そう言って、コーはぎこちない動きで、ひよりのすぐ隣に腰を下ろした。
少しの沈黙のあと、コーは低く、ゆっくりと語り出す。
「少し……俺の昔話をしてもいいか?」
「……!」
毛布の中で、ひよりがわずかに動いた。
顔を上げはしないが、確かにその声に反応していた。
「……俺は、少し前まで農夫をしていた。小さな畑を耕して、村で暮らしていた」
「妻と娘、三人でな。それなりに、平和な暮らしだったよ」
コーの声は穏やかだったが、どこか遠いものを思い出すような、かすかな痛みが混じっていた。
「そこに現れたのが……ネイヴ。君が転移したあの時、戦っていたアイツだ」
「奴は、村を一瞬で消滅した。何もできなかった。娘は……俺の目の前で殺された」
ひよりの肩が小さく震える。
「遺体の右腕しか、残らなかった……」
しばらくの間、コーは言葉を飲み込むように沈黙した。
「妻は、それからというもの、気を病み話すこともできなくなった。俺も……気がつけば、独りだった」
「…………」
「……いや、違うな。こんな話、今ここでするもんじゃないな……」
コーは拳を軽く握りしめ、言葉を探すように唇を噛んだ。
「……すまない。俺はこういうの、不器用でな」
「言いたかったのは……あのとき君を助けられて、本当に良かったってことと……」
「その前に、当たってしまったこと……悪かった。あれは……八つ当たりだった」
そう言ったとき、彼は初めて、真正面からひよりの方を向いた。
視線の先には、まだ毛布の中の少女
だが、次の瞬間。
「……ありがとう……ございます……」
かすかに震えながらも、はっきりと聞こえる声だった。
「……っ!? ……お、おう……いや、そんな……」
驚いたように目を見開き、戸惑ったようにうなずくコー。
その不器用な反応に、空気が少しだけ、柔らかくなる。
その時
キィ、と扉が開き、セリアが手に食事を載せた盆を持って入ってきた。
「……珍しいわね、貴方が過去話なんて」
「……たまには、いいだろう」
少しばかり気恥ずかしそうに言ったその一言に、セリアはふっと微笑んだ。
「ふふ。じゃあ私も……たまには過去の話をしてみようかしら」
そう言いながら、セリアは手にしていた木盆をそっと机の上に置く。
湯気の立つ夜食、今日という日を越えた者への、静かなご褒美のようだった。
それから彼女は、ひよりの隣へと腰を下ろす。
背中にそっと手を添えながら、柔らかな声で囁く。
ひよりは、うつ向いたままだったが
さっきよりも表情がわずかにほころんで見えた。
毛布の奥で、心が少しずつ、動き始めているそんな気配があった。
セリアはひよりの隣で、そっと息を吸い込むようにして語り始めた。
「私も……似たようなものなの」
声は静かだったが、言葉の一つ一つに重みがあった。
「15歳くらいの頃かな……恋人がいたの。アシュレイっていう人。穏やかで、頭が良くて、真面目で不器用で……本当に素敵な人だったわ」
セリアの目が少しだけ遠くを見つめる。
「二人で一級魔導師になるって、誓い合って……毎日、魔術の研究に夢中だった。楽しかった。あの頃は、本当に」
けれど、その優しい語り口に、わずかな震えが混じる。
「でも……ある日、突然、村に魔族が現れたの。何の前触れもなく、ただ侵略するために
アシュレイは……目の前で、噛み殺された。私のすぐ近くで。助ける暇なんて、なかった」
ひよりが小さく息を呑む。
「私は怒りに任せて……何も考えずに魔術を撃ち続けた。けれど、通じなかった。どれだけ叫んでも、撃っても、無駄だった」
そこに助けに来てくれたのが、アレリアだったの」
言葉の調子が、少しだけ変わる。
「私とそう年は変わらないのに、彼女は圧倒的だった。冷静に魔族を制圧して、私を助けてくれた」
「でも、私は……取り乱して、彼女に八つ当たりをしてしまった…それでも、彼女は申し訳ないって……たった一言、それだけ言ってくれたの」
「……今思えば、本当に酷いことを言ったなって思う。自分の無力さを、誰かにぶつけるしかできなかった」
沈黙が流れた後、ひよりがぽつりと呟く。
「……そう、ですか……」
その言葉に、セリアは静かに頷いた。
「だから私は誓ったの。人生の全てを魔族の討伐に捧げる。そして、あの時私を救ってくれたアレリアに尽くすって」
その横で、壁にもたれていたコーが口を開いた。
「……ガロスもな。ああ見えて、かつて村を魔族に襲われてる
明るく振る舞ってるが、心の奥に傷を抱えてるよ。」
ひよりは、静かに二人の話を聞いていた。
目は伏せられたままだったが、指先が、ほんの少しだけ動いた。
「……皆、それぞれに何かを抱えてるの」
「ひより、重たい話をしてしまってごめんね。今のあなたには……辛すぎたかもしれない」
けれど、ひよりはかすかに首を横に振った。
「……そんなこと、ないです」
声は小さかったが、確かな意志を感じさせる声音だった。
セリアとコーが、優しくひよりを見つめる。
「あ、ご飯……冷めちゃうわね。珍しく、今日は米が手に入ったの」
そう言って、セリアが机の上に木の器をそっと置く。
湯気こそ薄れていたが、中にはとろりとした白いお粥と野菜のような料理が湛えられていた。
ほんのりと香る、香辛料の香り。
どことなく中華風で、ひよりの世界でも時折嗅いだことのある、懐かしい匂いだった。
「頂こう。これは私の好物だ」
そう言いながら、コーが先に手に取る。
器を持ち上げ、慣れた所作で静かに一口すする。
セリアも隣で微笑みながら、それに続いた。
「ひより。あなたも……食べなさい。美味しいよ」
ひよりはしばらく黙ったまま、俯いていた。
だが、香りに誘われるように、震える手がゆっくりと布団の中から伸びる。
「大丈夫。ちゃんとゆっくり食べて」
器に触れ、手のひらに感じるぬくもり。
それを恐る恐る口元に運び、そっとひとくち、すくった粥を口に入れた。
やさしい味だった。
転移してからまだ一日も経っていない。
けれど、この世界で初めて口にした「米」は、驚くほど懐かしかった。
「…………美味しい……」
その言葉は、小さくて震えていた。
けれど確かに、心の奥からにじみ出た本音だった。
グスッ、グスッ……
止めどなく、涙がこぼれ落ちていく。
それでも、ひよりは止めなかった。
口元に持っていった粥をすすりながら、ぽろぽろと涙を流し続けた。
セリアはそっと、ひよりの背中に手を添えた。
「辛いのに……私たちの話を、ちゃんと聞いてくれてありがとう。ひより」
その声は、母親のようなぬくもりに満ちていた。
コーも、器を置いて静かに言葉を添える。
「……今は、休め。温水に浸かって、しっかり睡眠を取れ。この世界で、安心して休める時間なんて、そうそう得られない」
二人のあたたかな言葉が、ひよりの胸を優しく包む。
凍りついていた感情が、ようやく少しずつ、ゆっくりと溶けはじめていた。
心に刻まれた恐怖は、簡単には癒えない。
けれど――この瞬間だけは、世界がほんの少しだけ、優しくなった気がした。
ーーーー
程なくして、ひよりは宿の浴場で、温かな湯に身を浸していた。
湯気に包まれた空間は静かで、どこか現実から切り離されたような、優しい匂いが漂っていた。
湯に肩まで沈め、ひよりはじっと目を閉じる。
魔法少女の衣装は脱ぎ、今はこの世界の衣服
やや質素ながらも柔らかく温かい生地で仕立てられた、落ち着いた色合いのシャツとズボンを身につけていた。
鏡に映る自分は、戦うための魔法少女ではなく、ただの一人の少女だった。
けれど、その顔には少しだけ、光が戻っていた。
部屋に戻ったひよりは、ベッドに横たわる。
人の温もりを感じた。
話を聞いてくれたセリア。
命を救ってくれたコー。
言葉にせずとも、寄り添ってくれた彼らの存在が、今の自分をここに繋ぎ止めていた。
眠りに落ちる直前、ひよりの中にふと、静かに思考がよぎる。
(……セリアさん、コーさん……あんな辛い過去を、私に語ってくれた)
(……今日、助けられなかった人たちにも……家族や、友達がいたんだよね)
(……もしお父さんやお母さん、陽翔くん、学校のみんなが……)
(……もし、そんなふうに殺されたら……)
(……絶対、いやだ……)
きゅっと、布団の中で拳を握りしめる。
(もっと……もっと強くならなきゃ。守りたい……誰かを、ちゃんと守れるように)
心の奥で、ひよりはそっと決意する。
それはまだ、声にも形にもなっていない。
けれど、確かにそこに芽生えた“意志”だった。
静かな夜。
初めて異界で迎える眠りの中、
ひよりは、自分の中に生まれた小さな決意を、しっかりと抱きしめていた。




