第四十四話 雷鳴の絶望、魔王の一声
つい先ほどまで――
兵士たちが汗水を流し、作業の進捗を報告し合っていた。
完成間近だった陣地の設営地。
だが今、その場所は一瞬で更地と化していた。
焼け焦げた土、溶けた鉄。
空気にはまだ電撃の臭いが残り、焦げた肉の匂いが漂う。
強烈な広範囲の雷撃だった。
その余波だけで、屈強な兵士たちが数百名単位で薙ぎ払われていた。
どの死体も、まだ体温が残っている。
――ほんの数分前まで、生きていた者たちだ。
「う……ぐ……」
瓦礫の中で、かろうじてコーが意識を取り戻す。
身体のあちこちが焼け、皮膚は焦げ、息をするたびに肺が軋んだ。
「……どうなった……? ひより……みんな……」
周囲を見渡す――そこは、まさに地獄の光景だった。
崩れた建築資材、焼け焦げた兵士の影。
生存者の声は、どこにもない。
ふと横を向くと、すぐそばに倒れている少女の姿が目に入る。
自分と比べて、損傷も少ない
肉体の強度の差だ。
「う……うぅ……」
「ひより……!」
顔を上げたひよりが、かすかに目を開けた。
生きている…その事実に、コーは胸を撫でおろす。
(……生きてたか……よかった……)
しかし安堵の暇などなかった。
ひよりが小さく声を絞り出す。
「コ、コーさん……」
「しっ……!今はこのまま動くな……!」
瓦礫の隙間から見上げる空。
そこには、未だゼルハザが静かに佇んでいた。
その巨体は戦場の中心で動かず
ただ無言で地を睨み据えている。
コーは、全身の痛みと焦げた空気の中で必死に思考を巡らせていた。
(奴の目的は……なんだ?ただの気まぐれか……?とにかく体勢を整えねば……)
動けば確実に見つかる。
二人は瓦礫の陰に身を潜め、息を殺してやり過ごそうとしていた。
――だが。
パリッ……。
ゼルハザの巨大な翼が再びゆっくりと広がる。
空気が震え、青白い電流が細い線のように辺りへと散っていく。
(これは……微弱な電気?…まさか索敵か!?)
コーの全身をかすめるように、微かな電気が走る。
その瞬間、背筋に氷のような悪寒が走った。
(クソッ……!見かけによらず器用なことを……!)
そして――。
ギロッ。
ゼルハザの赤い瞳が、ぴたりと瓦礫の陰を捉えた。
そこに、ひよりとコー。
生き残った二人がいる場所を。
「……っ!」
ゴォォォ……ッ!!
ゼルハザの口腔に、膨大な魔力と炎が凝縮していく。
その輝きは太陽のように眩く、次の瞬間――。
ゴァァァァァァァ!!!
咆哮と共に、灼熱の光線が一直線に二人を呑み込もうと放たれた!
「くっ……!ここまでか……!ここで終わるのかッ!?」
爆炎が迫る中、コーが歯を食いしばる――その瞬間。
「――ラブリー☆バリヤー!!!」
キィィィィン!!!
轟音と閃光の中、ひよりが立ち上がっていた。
両手に杖を構え、涙を浮かべながらも解き放つ。
巨大なハート型の結界が瞬時に展開し、灼熱の炎を正面から受け止めた。
ギリギリギリギリッ!!!
結界が悲鳴を上げるように軋む。
それでも、ひよりは一歩も引かなかった。
「うっ……ぐぅっ!!コーさん……今のうちに……!!奴を……!!」
「……あ、ああッ!!任せろ!!」
コーは残る力を振り絞り、拳を構えて立ち上がる。
静かに左手を握り締めた。
(ここで決める。例え腕が砕けようと、命を落とそうと構わん……!)
全身の魔力を滲身へと集中させる。
筋肉が軋み、骨が悲鳴を上げ、皮膚の下で魔力が奔流する。
「はああああああああッ!!!」
ギュンッ――!!
その一瞬、コーの姿が掻き消えた。
視界からすら消えるほどの速度。
轟音と共にゼルハザの目前へ――!
ゴシャッ!!!
炸裂音とともに、コーの拳がゼルハザの左眼を貫いた。
厚い鱗を粉砕し、魔力の光が内部で弾け飛ぶ。
「ギィオアアアアアアアア!!!!」
地鳴りのような咆哮が響き渡る。
ゼルハザは苦痛にのたうち、炎の攻撃を止めて頭を振り回した。
「よし……!これで戦力を大幅に……下げた……!」
全身の魔力を使い果たしたコーは、力尽きたように落下する。
着地を取ろうとしたその瞬間――。
ゴシャッ!!!
鈍い破裂音。
ゼルハザの巨顎が、反射的にコーの胴体へ噛みついた。
牙が肉を裂き、腹部を貫通する。
「おごっ……がっ……ぐあぁぁぁあああああ!!!」
ゼルハザの顎に噛みつかれ、コーの身体は宙に吊られていた。
ぶらりと揺れる上半身。腹部から溢れ出す血が、地面に赤い筋を描いて滴り落ちる。
「……ぐっ……ぁ……!」
骨が軋み、臓腑が潰れる音が自分の耳にまで届く。
下半身の感覚はもうない。
冷たい感覚がゆっくりと腰から上へと這い上がってくる。
「コーさんっっ!!!」
「ひ……ひより……ッ!!俺ごとでいい!!撃てぇ!!!」
「そ、そんな……!でも……!!」
「構うなッッ!!今しかない!!!」
ひよりは歯を食いしばり、杖を構える。
震える両腕に、限界を超える魔力を叩き込んだ。
「……グルルルルル……」
ゼルハザもまた、咥えていたコーを放り捨て、口腔内に魔力を収束させ始める。
「――ラブリー☆ビーム!!!!」
ゴォォォォォォッ!!!!
凄まじい閃光が大地を貫いた。
ひよりが放つ最大出力の光線その全てを、ゼルハザの顔面めがけて叩き込む。
「ギギギギ……ギャリギャリギャリ……!!!」
溜めてる最中への一撃、タイミングは完璧だった。
鱗が焼け、肉が裂け、灼熱の光が左側の頭部を抉る。
「これ以上……奪わないで……!!
コイツを……ここで倒す……!!殺すッ!!!」
ひよりの叫びは悲鳴でも祈りでもなかった。
全身全霊の怒りと憎しみ、そして失われた命への報い
その全てを乗せた一撃だった。
「ギィッ……ギャァァァァ!!」
ゼルハザが苦悶の咆哮を上げ、のたうち回る。
だが――。
シュゥゥゥ……。
白煙を吐き出しながらも、奴はまだ立っていた。
ブルン、ブルンと頭を振り、焦げた鱗の間から赤い光が再び灯る。
「フーッ…フーッ!…ハァッ……」
ひよりの身体は魔力を使い果たし、膝が震えていた。
怒り、憎しみ、殺意
負の感情が肌の表面から滲み出るように揺らめく。
それでも、杖を離さなかった。
倒れたコーが、血の泡を吐きながらかすかに呟く。
(……俺は……もう……駄目だ……だが……このままじゃ…)
兵士たちはすでにほぼ全滅していた。
地面には黒焦げた鎧と焼け落ちた槍が散乱し、
コーは瀕死の状態で血の海に沈み、ひよりも魔力を使い果たして満身創痍
戦況は、誰がどう見ても絶望だった。
その中で、ゼルハザだけがなおも健在。
ひよりを真っ直ぐに見据え、怒りを孕んだ瞳で睨みつけている。
竜に表情などあるはずがない。
それでも、ひよりには確かに伝わった
これは怒りだ。明確な、憎悪の意思。
「……ッ」
ひよりの足が、無意識に後ずさる。
ゼルハザの胸部に雷が集まり、再び強力な解放が放たれようとしていた。
その瞬間
『待て…』
低く、天空から響くような声が聞こえた。
空気が震え、時間が止まったかのように静まり返る。
あのゼルハザが、ぴたりと動きを止め、
どこか遠くを見上げた。
「……声……?どこから……?空……?」
ひよりが困惑して周囲を見回す。
『そこまでにしろ……私にも、楽しみを残しておけ。』
静かな声。しかし、その一言にはゼルハザをも屈伏させる程の存在感があった。
ゼルハザは低く唸り
「……グロロロ……」
不満げに咆哮を漏らすと、巨翼を広げた。
バサッ……バサッ……!
轟音と共に巻き起こる突風。
瓦礫が宙を舞い、ひよりは腕で顔を庇う。
その隙に
ゼルハザは、夜空へと飛び去っていった。
「帰った……?どうして……?」
ひよりはただ、その空を見上げた。
焦げた地面、動かぬ兵士たち、血に濡れたコー
すべてを奪っておきながら、まるで遊び飽きたかのように去っていった竜。
「……これだけ奪っておいて……何が楽しみなの?…」
「あ……ぐ……去った……のか……?」
瓦礫の中、コーがかすかに声を漏らした。
その声は、風にかき消されそうなほど弱々しい。
「コーさん!!」
ひよりが叫びながら駆け寄る。
崩れた石を払いのけ、血に染まったコーの体を抱き起こした。
その背後から、重い足音と共に声が響く。
「おい……おいおいおいおい!!一体どうなってやがる!!ひより!コー!!」
ガロスだった。
騒動を察知して駆けつけたが、到着が遅かった。
目に飛び込んできたのは、壊滅的な敗北の人類…
「コー!!しっかりしろ!!もう死なせねぇぞ!!」
「……はぁ……っ……ぐっ……」
「やだ……やだやだやだ!!なんで……?なんでコーさんが……!」
ひよりはその身体を抱き上げ、涙と共に叫んだ。
「お願い!コーさん!!奥さんは!?奥さんはどうなるの!?
コーさんが死んだら……!!!」
声は震え、喉が張り裂けそうだった。
横ではガロスが拳を握りしめ、必死に声をかける。
「おい、コー……!これ以上……失いたくはねぇ……!」
しかし、コーはもう悟っていた。
自分の命の灯が、確実に消えかけていることを――。
(……俺は……もう……死ぬ。
ひより……ガロス……頼むから、そんな顔をするな。
お前たちは最後の希望だ……このままじゃ折れてしまう……
せめて、最後くらいは――)
「ぐっ……うぉ……!!」
コーは残されたわずかな魔力を滲身に集中させた。
すべて上半身に注ぎ込み――
ゴッ!!
乾いた音が響いた。
次の瞬間、ガロスの頬を拳が打った。
「……!?コー……!」
「……なんて顔してやがる……ガロス……!!
戦場じゃあ、隣の奴がいつ死んでもおかしくねぇ……
そう言ったのは、お前だろうが……!!」
「……」
「俺やセリアだけじゃねぇ……これまで犠牲になった人にも……
だから、特別扱いなんてするな……」
荒い息の合間に、かすれた声で吐き出す。
もはや声を出すだけで血が口からこぼれた。
「はぁ……はぁ……頼む……ガロス……
お前は……冷静な指揮官でいろ……それが……お前の役目だ……」
そして、ゆっくりとひよりに目を向けた。
その瞳には、どこまでも穏やかな光が宿っていた。
「……ひより……君は……優しいな……」
(……君だけは、もう戦ってほしくなかった……
どうか……どうか……この地獄から……救われてくれ……)
だが、最後に出た言葉は、まったく違うものだった。
「ひより……頼む……世界に……平和を……!!
世界を……救ってくれ……君なら……出来る……
君なら……乗り越えられる……大丈夫だ……」
血に濡れた手が、震えながらひよりの手を掴んだ。
ひよりは泣き崩れ、必死にその手を握り返す。
「う……ううっ……コーさん……!!お願い……死なないで……!!!」
「……コー……すまねぇな。ありがとよ。
こっちは任せな。魔王は、俺たちが必ず倒す。
……セリアに、よろしく伝えてくれ。」
ガロスの声は震えていた。
怒りも、悲しみも、すべて飲み込んだ上での、戦友への最期の言葉だった。
「……ふ……ガロス……こちらこそ……すまない。
……俺は……ここまでだ……」
コーは苦しげに笑いながらも、どこか安らいだ顔をしていた。
二人は互いに理解していた。
もう、これ以上の言葉は要らないことを――。
「ひより……」
コーは血に濡れた手を、震える指でひよりの方へ伸ばした。
「……死にゆく愚か者の……最後のわがままを……聞いてくれ。
……憎しみや怒りに……囚われるな。
この世界に……慈悲を……もたらしてくれ。
……アレリアの代わり、なんだろ……?
それくらい……やってくれれば……もう、俺は安心できる…………」
ひよりは泣きながら、必死にその手を握り返す。
涙が止まらず、嗚咽が漏れた。
しかし、やがて強く頷く。
「コーさん……!今まで……ありがとうございました……!
絶対に……絶対に!世界を救ってみせます……!!」
その言葉を聞いたコーの唇が、わずかに笑みを作った。
「あぁ……よかった……頼むぞ……」
そのまま静かに目を閉じ――穏やかな表情のまま、息を引き取った。
戦士として、仲間として。
誇り高く、逝った。
「……コー……お疲れだったな……」
ガロスは低く呟き、握った拳を胸に当てて黙祷する。
ひよりはただ、静かに泣いていた。
嗚咽が止まらず、それでも涙の奥には――確かな決意があった。
また一人、大切な仲間を失った。
だが、それでも前に進むしかない。
“今までの犠牲を無駄にしないために――”




