第四十二話 愚かな対立、雷鳴の訪問
ドーツル国――。
フリードリヒが聖剣教会の合同会議へ向かってから、一週間が経過した。
司令室の片隅、ガロスは重々しいため息をついた。
「……ふむ。参ったな」
「どうした?ガロス」
コーが顔を上げる。
「先ほどフリードリヒ剣議卿から連絡が入った。
……どうやら今、マーキスクのサマエルと真っ向から対立しているらしい。
“代行人に協力するのは邪道”だと、そう主張している」
「……なにっ!?なぜだ!?」
「俺たちがマーキスクを離れてから、裏でいろいろと動いていたのだろう。
情報操作……信仰煽動……まったく、クソが」
ガロスの拳が机を叩いた。
大国マーキスク――。
その地にいる剣議卿サマエル・ロドリスは、勇者一行が去った直後、
猛烈な勢いで布教活動と政治工作を進めていた。
“聖剣を抜かぬ者が教会を背負うことは、神への冒涜である”
“代行人など偽りの象徴だ。人類を惑わす異端者である”
そのような説教を各地で広め、
民の信仰心を利用して、徐々にヨーレの存在を否定する流れを作り上げていた。
たとえ魔王の脅威が薄れ、人類に一時の平和が訪れようとも――
宗教の影響力はいまだ絶大である。
そして、人の心に宿る“信仰”と“恐れ”を操ることなど、サマエルのような男には造作もなかった。
「……本当に、人間ってやつは……魔族より厄介だな」
「信仰と恐怖は、どちらも生きるための力だ。
だが、それが戦争の火種にもなる……情けない。」
「とりあえず、今は出来るだけの準備をする。
まぁ、エドマールとイザベラ剣議卿、それにフリードリヒ剣議卿はヨーレ推奨派だ、時間の問題だろう。」
ガロスは書類を手に、ドーツル国軍のメンバー
一人ひとりの名簿を確認していた。
彼は的確に配置を指示し、兵士や魔導士たちへ淡々と命令を下す。
一方その頃、コーは休憩所へと向かっていた。
中庭のベンチに座ると、そこにはひよりの姿があった。
「ひより……腹は減ったか?」
「あ……コーさん。いえ、大丈夫です。」
「そうか。……横、座るぞ。」
コーは隣に腰を下ろし、ひとつ深いため息をついた。
「魔王討伐を目指して、もう数年か……。
それなのに、なぜ人類同士が争わねばならんのだ。」
「……聖剣教会、ですか?」
「ああ。ヨーレを信仰する者と、否定する者。
同じ人類同士で、今まさに対立しているらしい。……くだらんな。」
「そうですね。……どうしてこの世界の人たちは、そんなに神様に強く期待するんでしょうか。」
「俺にもよく分からん。だが、人は不安に押し潰されそうな時どうしようもなくなった時、“すがる何か”が欲しくなるらしい。
その対象が、時代によって違うだけの話だ。」
ひよりは静かに頷く。
「……いつ死んでもおかしくない世界ですもんね。」
「ああ。……君も、ずいぶん重荷を背負っているようだが。大丈夫か?」
ひよりは少し微笑み、首を振った。
「はい。私は、私のやることをするだけです。
信仰とかはあまり……詳しくありませんし。」
「ははっ、それでいい。
戦闘以外のことは、俺やガロスに任せておけ。」
魔王討伐という緊張感と不安が重くのしかかる中、
二人の何気ない会話だけが、心の拠り所となっていた。
翌日――。
ドーツル国では、今日も魔王討伐に向けた準備が続いていた。
「今日、俺は戦闘員の人選がある。
コーとひよりは……まぁ、適当にしててくれ。」
「わかった。」
「はい!」
そう言われても、ただ待つだけというのは落ち着かない。
ひよりとコーは、少しでも手伝えることを探して外へ出た。
――ドーツル国郊外、陣地の設営現場。
魔術と機械を組み合わせた建築部隊が、巨大な防壁と補給線を作っている。
その一角で、ひよりは荷物の運搬をしていた。
「ふぅ……」
「ヨーレ様、わざわざお手伝い頂き恐縮です!
ですが本当に助かります…十人分の荷を一人で運ばれるなんて……」
「い、いえっ……!私にできることって、これくらいなので……!」
ドスンッ!
「ここでいいか?」
「はい!、そこでお願いします。」
コーもまた、無言で重い資材を次々と運び込んでいた。
ふたりの協力により、運搬作業の速度は倍以上に上がり、
現場の兵士たちも驚きを上げる。
「ひより、滲身をずいぶん使いこなせるようになったな。」
「あはは……使ってみると、本当に便利ですね。
ちょっと自分でも引くくらい、力が湧いてきます。」
「コーさんは……魔王を討伐したら、次は何をするんですか?」
ひよりの問いに、コーは少しの間、空を見上げてから答えた。
「……元々は復讐のためだったからな。
正直、その先のことはあまり考えちゃいなかった。」
「奥さん……は、生きてるんでしたっけ?」
「ああ、生きてはいる。
だが、まともに会話はできない。心を壊してしまってな……。
そうだな、まずは娘の墓参りをして……その後は、妻のそばにずっといてやろうと思っている。」
「……元気になると、いいですね。」
「大丈夫だ。魔王さえ討てれば――
今よりずっと良くなるはずだ。」
コーの言葉には、静かな決意があった。
ひよりは少し間をおいて、小さく笑った。
「ひよりは……どうするつもりだ? この世界に残る、なんてことはないだろう。」
「そうですね……ここでお世話になった人たちもいますし、
離れるのは少し淋しいです。
でも、やっぱり帰りたいです。元の世界に。」
「そうか。……俺も寂しいが、それが君の願いなら応援する。
俺はセリアほど魔術に詳しくはないが、
すべてが終わったら帰還に協力しよう。」
「ありがとうございます!」
ひよりの笑顔に、コーもようやく表情を和らげた。
そんな穏やかな会話の中、
陣地の工事は着々と進み、兵たちの声が夕闇に響いていた。
気づけば空は薄紫に染まり、
太陽はゆっくりと沈みかけていた。
穏やかな光が、戦いの前のわずかな平穏を照らしていた。
ゴロゴロ……。
空が低く唸り、雲行きが怪しくなってきた。
「む……雨か?」
コーが空を見上げると、黒い雲が渦を巻いていた。
その時、指揮官の声が響く。
「総員ー!本日の作業は終了!休憩後に解散せよ!」
どうやら今日の建設作業はここで一区切りのようだ。
「ふぅ……気づけば、もうこんな時間か。」
「そうですね。あっという間でした。」
「飯にしよう。ここの国は軍規がカチッとしてる割に、
食事は意外とうまい。期待できるな。」
「私は……久しぶりにお米が食べたいです!」
ひよりが嬉しそうに笑う。
緊張が少しだけほどけ、今日の夕食の話をできるほどには気分が和らいでいた。
周囲の兵士たちも作業の終わりと同時に談笑を始め、
この重苦しい国にも“人の笑い”がまだ残っていることを、ひよりは感じた。
宿舎へと向かうひよりの背を見ながら、
コーは静かに拳を握る。
(ルーリー……セリア……見ていてくれ。
俺は……俺たちは、必ずやり遂げる……!!)
決戦の時が近づく。
その分だけ、彼の覚悟は一層固くなっていた。
だが――
ドガァァァンッ!!!!!
突如、地面が揺れ、爆音が轟いた。
「……なんだ?」
漆黒の鱗、巨大な翼、赤く輝く眼。
その姿は、まさに“邪悪な竜”そのものだった。
体長十メートルを超える巨体が、雷鳴を伴って静かに直立している。
「………………」
兵士たちは声を失った。
誰もが知っていた
この存在が国に降り立った時、
その地は“必ず一夜にして消える”と。
人の手では到底抗えぬ、絶対的な破壊の象徴。
普段は魔王の傍に控え、
普段は決して戦場に姿を見せぬはずの存在。
ひとたび現れれば、そこに救いなどない。
――魔王直属、幹部の最強。
「ゼルハザ……?ば、馬鹿な……なぜ今、ここに……!」
コーの声が震える。
空気が一瞬にして凍りついた。
「あ、あぁ……」
ドーツルの兵士たちが震える声を漏らす。
魔王の最も近くに存在する国
ここでは死も戦いも日常だった。
誰もが覚悟を決めていた。
いつ命を落としても構わない、と。
魔王に挑む者として、誇りを胸に抱いる者もいる。
――だが。
その覚悟は、突然現れた圧倒的な悪の前に、あっけなく崩れ去った。
兵士たちは自らを戦士ではなく人間として思い出してしまった。
恐怖が理性を塗り潰し、足が勝手に後ずさる。
武器を構えようとする者もいたが、震える手では刃すら持ち上がらない。
息を吸う音すら重く響き、まるで空気そのものが恐怖に支配されていた。
覚悟を決めた者たちが、人に戻される。
それが、魔王の側近ゼルハザという存在の恐ろしさだった。
「コーさん!!それ……まさか!!」
駆け寄るひよりの叫び。
だが、その瞬間――ゼルハザが咆哮を上げた。
「グロロロロォォッ!!!!!!」
翼を大きく広げ、そこから電撃が奔る。
バチチチチチチッ――空間が光に包まれる。
「ひより!!逃げろッ!!!」
グワァァァァァァァァアアアアアアアア!!!!
空を裂く轟音とともに、
濃縮された魔力の雷撃が地表を焼き尽くした――。




