第三十八話 疑う者、信じる者
スピーリン国――王城の大広間。
国王アルフォンソが口を開いた。
「ヴァイスの討伐……感謝いたす。そして、セリア殿をはじめ、これまで多くの者たちが払った犠牲に、深い追悼を捧げよう。」
「……感謝します。」
ガロスが短く答える。その背後には、コーとひよりが並んでいた。
厳かな儀のはずだった。
だが、ベラフを討ったときのような誇りや歓喜は、そこにはなかった。
三人の表情は、勝利の報告を前にしてなお、曇ったまま静かに沈んでいた。
儀が終わり――
一行は正門へと歩みを進めていた。
待ち構えていたのは、品の高い装飾が施された魔車。
この国で霊柩車として用いられる特別な造りで、後部の広い空間には静かな棺が安らかに据えられている。
魔車は、セリアを故郷であるマーキスク国へと送り届けるためのものだった。
「……昔の恋人の隣に眠りたいとよ。遺言には、そう書いてあった」
ガロスのかすれた声に、コーが深く頷く。
「……そうか。それなら、安らかに眠れるだろうな」
二人の会話は、風に消え入りそうなほど小さく、重い。
その後ろでひよりは俯き、ぎゅっと拳を握っていた。
胸の奥から押し寄せる悲しみに、視界がじわりと滲んでいく。
声を出すこともできず、ただ足元を見つめながら涙をこらえきれずに零していた
一行が出立の準備を整えようとした時、衛兵の一人が駆け寄ってきた。
「ガロスさん……お疲れ様です。実は、国王陛下が直々に――」
「ほう」
ーーーー
王城・個室にて
王城へと再び案内された一行。今回は謁見の間ではなく、重厚な扉に閉ざされた小さな応接室だった。
「わざわざ呼び立ててすまなかったな」
国王アルフォンソは深く椅子に腰掛け、手を組んでいた。
「いえ、構いません」
「……少し個人的に話したくてな。セリア殿の件は……本当に、残念であった。胸が苦しくてならぬ」
「……お悔やみを感謝します」
コーが短く頭を下げる。その声には、抑えきれない悔恨が混じっていた。
国王は一瞬、目を伏せ、やがて低い声で言葉を続けた。
「だが……もう一つ、どうしても胸に引っかかることがある。もしこれがアレリア様であったならば……セリア殿は助かっていたのではないか?」
「……! と、いいますと?」
ひよりは思わず服の裾を握りしめ、俯いたまま震えていた。
その隣で、コーは拳を強く握りしめ、言葉を堪えていた。
「私は、聖剣を抜きし者こそ真なる勇者であり、人々を平和へ導く存在と信じてきた。……だが、代行人と名乗る者は聖剣の加護を受けられぬ。そうであるならば、セリア殿はその犠牲になったのではないか」
その一言は、ひよりの胸を鋭く抉った。
アレリアの代わりに世界を救うと誓ったはずなのに……結果はセリアの死。
自らの存在そのものが否定された気がした。
「お言葉ですが、国王…
ヨーレは、我々一行が認めた者です。セリア自身も鑑定で、アレリアに匹敵する魔力と適性を示したと断言しました」
「しかし聖剣は抜いておらぬだろう?
ウィール様の聖剣を手にしたのはアレリア様ただ一人だ。……そして、こう言っては失礼だが――そなたらの代行人は、今もこうして震えている。果たして本当に、人類の未来を託す器なのか?」
沈黙。
一行の誰もが口を閉ざした。
部屋には緊張が張り詰め、息をする音さえ響くほど重くなっていった。
ガロスは背後を振り返った。
そこには、生気を失い下を向くひよりと、静かな怒りに満ち、今にも反撃の言葉を吐き出しそうなコーの姿があった。
ガロスは深くため息を吐き、ゆっくりと国王を見据える。
「国王……あなた方聖剣教会がどう言おうと構いません。ヨーレは我々の仲間であり、アレリアの代行人です。もし気に食わぬというのなら――今後一切の支援もいりません」
その言葉に、アルフォンソ王の眉間がきつく寄る。
「ほう……今の発言の意味を、理解しているのかガロス? 支援や補助の問題ではない……これは人類の信仰そのものだ。お前たちの態度次第では、教会との対立は避けられんぞ」
室内に張り詰める緊張。
沈黙の中、空気が交わる一触即発。
その時――。
ガチャリ、と扉の音が響いた。
「大変興味深い話……私も同席してよろしいですかな?」
「……! イザベラ剣議卿……!」
国王が目を見開く。
「お疲れ様です、国王。貴方の個室に一行が入っていくのを見かけて……つい、盗み聞きしてしまいました」
イザベラ・グランセールは静かに入室した。彼女はサマエルやエドマールと同じ立場、聖剣教会の唯一の女性剣議卿。そして国外では国王すら凌ぐ影響力を持つ人物だった。
「人類の信仰、ですか」
イザベラは柔らかい笑みを浮かべつつも、言葉には棘があった。
「ええ。代行人などでは人類を導けはせぬ。聖剣の加護なき者を勇者と認めるなど……到底受け入れられん」
「否定はしません…ですが、一行そのものを否定することは、人類の存続を危うくするのではありませんか? そうなれば――信仰などという話では済まされませんぞ」
再び、室内の空気が凍りつく。
王権と信仰、そして現場を知る者たちの思惑が真っ向からぶつかり合っていた。
「アルフォンソ国王……私から言わせれば、少し考えが硬いです」
「……」
「時代は変化します。ウィール様の聖剣を誰も抜けず、誰が聖剣協会を導くか言い争っていた時、アレリア様が抜いた途端に情勢が一変しました。
今も同じです。アレリア様が聖剣を継いだように、そのアレリア様の意思を継ぐ者が現れた。私はそう解釈しています」
イザベラは一歩、国王へと進み出る。
「国王にも提案いたしますが……?」
アルフォンソ王はしばし沈黙し、やがて小さく息を吐いた。
「……検討しておきましょう。
一行も感謝の儀や葬儀で疲れているように見える……まずは次に備えて休んでくれ」
「感謝いたします。失礼しました」
イザベラは軽く一礼した。
一行とイザベラは静かに部屋を後にした。
廊下に出て、ガロスが低くつぶやく。
「……はぁ……助かりましたな、イザベラ剣議卿」
イザベラは微笑んだ。
「いえいえ、こちらこそ。常日頃から助けられているのは私たちの方です。
貴方たちがいてくれるから、私たちはこうして日常を守れる……忘れてはいませんよ」
その言葉に、ひよりは胸の奥に小さな温かさを感じた。
セリアを失った悲しみは消えない。
「俺からも感謝します……あのままだと、手が出ていました」
コーは低く、押し殺した声で言った。
「おいおい、コー。気持ちはわかるが、しょうもない争いは勘弁してくれよ」
「ふふ……恐ろしいですな。勇者一行の怒りに触れるなど、愚かなことをする者が未だにいるとは」
そう言うと、イザベラはひよりの前に歩み寄り、すっと跪いた。
「ヨーレ様……お会いできて光栄です。ヴァイスは貴方の閃光で討伐されたと聞きました。この国を守っていただき、心より感謝申し上げます」
「あ……そ、その……」
ひよりは言葉が出なかった。
戦いのショック、疲労、緊張――歩くだけでも精一杯だった。
ガロスがそっと前に出る。
「イザベラ剣議卿……すまないが、今日はうちの大戦力がお疲れだ。少し休ませてやってくれないか?」
「もちろんです。また改めて伺いますわ」
勇者一行はそのまま宿舎へと向かう。
スピーリン宿舎――
再び静かな夜が訪れていた。
だが、ひよりは当然ながら眠りにつくことができなかった。
「私のせい……アレリアさんだったら……セリアさんは死ななかったのかな……」
涙はもう何度も流れたか分からない。
しかし、その悲しみは止まらない。
「セリアさん……セリアさん……嫌だよ……なんで……」
思い返せば、時折心配して一番に訪ねてくれた。
一緒に魔術の話をし、笑い合い、親身に寄り添ってくれた。
だが、その訪問はもう二度と訪れない。
残酷な現実だけがひよりを覆っていた。
「うっ……うぅ……辛い……」
枕を濡らしながら、ひよりはただ耐え続けるしかなかった。
翌朝。
コンコン……。
「……まぁ出てこないだろうな……部屋にいるとは思うが」
ガロスはひよりの扉をノックするが、応答はない。
そのまま悩むように廊下を歩き、視線を移すと……
ベンチには、無言で座るコーの姿があった。
ガロスはその横に静かに腰を下ろす。
「……本来の立場ならな。戦場では死者が出るのは当たり前だ。隣の奴が死ぬ覚悟を決めているなら、何いつまでもしんみりしてんだ?さっさと責任を果たせ……なんて言うのが“正解”なんだろうな。だが、異界の少女の教育なんて初めてでよ。コー、お前なら娘のこともあって話しやすいんじゃないか?」
コーは目線を落としたまま、低い声で答える。
「やめておけ。説得を俺に託すってんなら……今すぐひよりを安全なところに逃がす手はずを整える……」
ガロスは短く息を吐き、腕を組んだ。
「……そうか……」
「……そこに、いらっしゃいましたか」
コツコツ、と床を叩く軽やかな靴音。
廊下の奥から現れたのは、イザベラだった。
「これは……イザベラ剣議卿。わざわざここまで?」
ガロスが立ち上がり、軽く頭を下げる。
「ええ。先日、また伺うと申し上げましたから……ヨーレ様にはお会いできますか?」
「彼女は今は……」
コーが口を開きかけ、反射的に止めようとした。
しかし、ガロスが片手を挙げて制した。
「案内しましょう」
「……ガロス!」
コーの目が細められる。
「大丈夫だ、コー。信用できる」
ガロスは静かに、しかし確信を持った声で言い切った。
コンコン……。
再び扉を叩く音が響く。
今度は落ち着いた、しかし芯のある声が続いた。
「ヨーレ様……先日のイザベラと申します。失礼ですが、入ってもよろしいでしょうか?」
ダメ元での挨拶だったが、しばしの沈黙ののち――
「……はい」
小さく、弱々しい返事が返ってきた。
「感謝します」
イザベラはそっと扉を押し開けた。
ガチャ――。
そこにあったのは、ベッドの上で小さく身を丸め、膝を抱えるひよりの姿だった。
その顔は青白く、目は泣き腫らし、髪が頬にはりついている。
「ひ…ヨーレ……」
コーは思わず前へ出て、心配そうに声をかけた。
イザベラは、静かにベッドの脇に歩み寄ると、
ためらいなく膝をつき、ひよりと目線を合わせた。
その動作は一切の侮りもなく、敬意だけがこもっていた。
「ヨーレ様……勇者の代行人。アレリア様の唯一の弟子……そして、希望そのもの――」
「いえ……私は……そんな大層な者じゃありません……私に代行人なんて……」
ひよりは絞り出すように呟き、視線を落とした。
「セリア殿が……失われて、さぞ辛いでしょう……」
イザベラが静かに声をかける。
「……アレリアさんの代行人として……情けないです……私が無力なために……犠牲者が……」
ひよりはうつむき、声を震わせた。
しかしイザベラは、やわらかい口調のまま続ける。
「実は、エドマール殿から貴方の事情を聞いております。……何かあれば力になってやれ、と。…ひより様…僅からながらお力になります…」
「……!??」
思いがけない言葉に、ひよりは顔を上げる。ガロスやコーも驚いた表情を隠せなかった。
「申し訳ありませんが……少しついてきてもらってもよろしいですか?」
ひよりは言われるがまま、静かに立ち上がった。
外へ出ると、空気は彼女の感情とはまるで違っていた。
ヴァイスと魔物の脅威が去った街は、歓喜と号泣、そして安堵の空気に包まれていた。
だがその中には、一行を疑問視する民の姿もあり、セリアの死を悼み悲しみに沈む者たちもいた。
「犠牲は出ましたが……この国に平和をもたらしたのは事実でございます……」
イザベラの声は静かだった。
「…………」
ひよりはフードで顔を隠し、黙ったままだった。
そして辿りついたのは、国で最も大きな教会だった。
荘厳な石造りの建物が空に向かってそびえ立っている。
「ここは、この国で最も神聖な教会です。どうか中へ」
イザベラが先に進む。
中に入ると、大勢の人々がひよりを待っていた。
彼らは涙を流し、感謝の念を込めて彼女に視線を送っている。
「ヨーレ様……感謝いたします……」
「ヨーレ様……」
その声に、ひよりは胸を締め付けられた。
自分は申し訳ないのに、民は自分へ感謝している。
罪悪感に押し殺されそうになり…
「私は……アレリアさんの……代わりには……」
ひよりが言葉を絞り出すと、イザベラは静かに首を横に振った。
「私は、貴方こそ代行人に相応しいと思っています。マーキスク国での宣言……私もそこに同席していました。
貴方はまだ幼く、人類を導くには荷が重いかもしれません。
ですがアレリア様と違い、貴方は“人類の前”ではなく“人類の横”に立つことができる――そう思うのです」
「……そう……ですか?」
「はい。少なくとも私や、私に属する者たちは、貴方の代行を信じ、希望を託しております。
心苦しいことは承知ですが……どうか、新たな導きを」
「貴方を疑う者もいます。しかし私たちは全力で補助します。今は人類同士の醜い争いをしている暇はありません。
打倒魔王それが全人類の掲げる唯一の目標でございます」
ひよりは小さく息を呑み、何も言えなかった。
胸の奥に熱いものがこみ上げ、かすかに震える手で杖を握りしめる。
その時、ガロスが一歩踏み出し、低く、だがはっきりと言った。
「ヨーレ、俺からも厳しい言葉だが……俺たちは魔王を倒すと決めた。あの時の言葉、覚えてるな?」
「……隣の奴がいつ死んでもおかしくない……ですよね」
「そうだ。だが――お前は一人じゃない。俺たちがいる。そうも言った。改めて言う……魔王を倒すのに、協力してくれ」
コーは止めたかったが、拳を握ったまま黙って立ち尽くしていた。
数日後――。
勇者一行は次なる目的地へと魔車を準備していた。
「さて……ここからが本腰だ。目指すはドーツル国いや、今は“元”だがな」
「ついに……魔王の本拠地か」
「ああ。その手前に仮ドーツル国がある。そこで兵力を要請し、共に攻め込む段取りだ」
セリアを失った悲しみはまだ消えていない。だが、彼らの眼差しはすでに次の戦場を捉えていた。
「ドーツル国……確か、あそこにはフリードリヒ殿がいたはず。勇者一行が本格的に魔王討伐へ動くのなら、必ず協力してくれるでしょう」
イザベラが口を開く。
「そうだといいがな……」
ガロスは険しい表情で頷いた。
彼はひよりの方を振り向き、真剣な声で告げる。
「ヨーレ。ここからは魔王の城を攻め込むことになる。待ち受けるのは魔王と、その唯一の側近ゼルハザ。そして高濃度の魔力に侵された数えきれぬ魔物たち……。これが最終決戦だ。覚悟しておけ」
ひよりは杖を握りしめ、強い瞳で答えた。
「はい!ガロスさん……!私は必ずやり遂げます!」
「ヨーレ様……どうか聖剣のご加護を……」
イザベラが祈るように言葉を添える。
「イザベラさん……ありがとうございます。救われました……」
ひよりの声は震えていたが、その奥に決意が宿っていた。
「ふふ……これは聖剣協会にとってもありがたい言葉。こちらこそ感謝いたします」
イザベラは柔らかく微笑む。
仲間の死を胸に刻み、民の祈りに見送られながら、勇者一行は正門を抜けた。
その先に待つのは、魔王との決戦――。
こうして、彼らはついに魔王へと歩みを進めるのであった。




