第三十二話 陽光の街、影の侵入
マーキスク国を出発して数時間
太陽は夕暮れの色を帯びていた。
「ガロス、あとどれくらいで着くの?」
「この調子なら、明日の昼過ぎだな。……何事もなければ、だが」
「ふぅん。しかし移動中は退屈ね」
後部座席ではコーが仮眠を取っていた。
ひよりは窓の外を眺め、揺れる景色に目を細める。
ゴトゴト……ゴト……。
「……ふぁ……」
思わず欠伸をこぼすひより。
「ひより、無理に起きてなくてもいいわよ」
「えっ!?あっ、大丈夫です!」
慌てて背筋を伸ばすひより。
「ふふ、マーキスクじゃずっと気を張ってたでしょう? 幹部も残り二体、魔物の遭遇も減ったし、少しくらい気を抜いてもいいのよ」
「そうですね……」
「ほら、コーも見てごらんなさい」
「すぅ……すぅ……」
静かな寝息を立てるコーに、ひよりは思わず吹き出す。
「普段はあんなに闘気を放ってるのに、寝てる時は子供みたいでしょ」
「あはは……確かに」
そんなやりとりを続けるうちに、ひよりの瞼も自然と落ちていった。
眠りに落ちたひよりを見つめ、セリアは小さく呟く。
「……ごめんなさいね。こんなことに巻き込んで。全部終わったら、必ずあなたを帰す方法を見つけるから」
魔車は夕暮れの中を走り続ける。
確実に、しかし静かに、スピーリン国へと近づいていった。
翌日。
「そろそろだな。お前たち、ゆったりした時間はここで終わりだ」
「まずは現地調査と探索ね」
「それもだが、まずは挨拶が先だな」
コーも起きており、いつものように警戒を促す。
「目撃情報が少ない以上、何が起こるかは分からん。油断はできん」
車内に漂う空気は一気に張り詰めていった。
門をくぐった瞬間、ひより達の目に飛び込んできたのは、マーキスクとはまるで違う空気だった。
両脇に並ぶ建物は白壁に赤茶色の屋根。強い日差しに照らされ、窓辺には色鮮やかな布や花が吊るされている。
通りを抜ける風には、市場から漂う香辛料や焼き立てのパン、香ばしく焼いた肉の匂いが混ざり合っていた。
広場では楽師が陽気な旋律を奏で、人々は手を叩きながら笑い、子供たちが追いかけっこに夢中になっている。
その光景は一見すると平和そのものだったが
街路の角ごとに鎧姿の兵士が立ち、巡回を繰り返す様子に、緊張感の影が潜んでいた。遠くには荘厳な大聖堂の尖塔がそびえていた。
ふと、パンの香ばしい匂いにひよりが鼻をくすぐられ、つい呟く。
「懐かしい匂い…」
セリアが気付いて微笑む。
「ひよりの国にも似たようなのがあるのね。……それじゃ、ちょっと買ってみましょうか」
「え? いいんですか?」
セリアは屋台の店主に声をかける。
「焼きたてを四つ、いただけるかしら?」
「これはこれは勇者一行のお方……! お代などとんでもない、どうぞお持ちください」
恭しくパンを差し出され、セリアは軽く会釈した。
「ありがとう。はい、ひより」
「ありがとうございます……! それにしても、皆さんに顔が知られてるんですね」
セリアは苦笑して答える。
「まぁ、この世界の宗教と密接に結びついてるから、どうしても目立ってしまうのよ。私はあまり得意じゃないけどね」
「おーい、お前達。何道草食ってんだ?行くぞ」
ガロスに呼び止められ一行は国王の元へ
スピーリン国 王城にて。
王座に腰掛けるのは、アルフォンソ・デ・セラーノ王。
白髭を蓄え、その姿は威厳に満ちていた。
「ようこそ、勇者一行。スピーリン国は貴公らを歓迎する。」
「歓迎に感謝いたします」
ガロスは礼を尽くし、落ち着いた声で答える。
「伝達用の魔獣からは既に報せを受けておる。……アレリア殿が不在であると。そして――そちらが代行人を務めると聞いたが」
「ええ。彼女はアレリアただ一人の弟子。名をヨーレと申します」
セリアが淡々と紹介する。
ひよりも深くフードをかぶり、緊張で声を震わせながらも言葉を発した。
「ヨ、ヨーレです! よ、よろしくお願いします!」
アルフォンソはしばし彼女を値踏みするように見つめ、低く唸る。
「……ふむ。まあ、よかろう。」
謁見の間に微妙な沈黙が落ちた。
国王の言葉に否定はなかったが、その響きはどこか冷たく、受け入れがたいものを含んでいた。
「では、さっそく調査に取りかかります」
ガロスが場を収めるように言う。
「うむ……頼んだぞ」
城の廊下を歩きながら、一行は小さく息をついた。
最初に口を開いたのはセリアだった。
「はぁ……どうやら国王も、かなり信仰心の厚い方のようね。ご立派な事」
「簡単に切り替えられるものではない。信仰とはそういうものだ」
「なんか……ちょっと冷たい感じがしました」
ひよりが不安そうに漏らすと、コーは淡々と応じた。
「先ほど城門の外にアレリアの石像が建てられていた。わざわざ造るほどには、この国が彼女を信じているということだろう」
「俺達は俺達のやるべきことをやるだけだ。
さ、調査に取りかかるぞ」
国を少し離れた森の入口。
勇者一行は衛兵の案内で、魔物の目撃現場へとやってきた。
「……ここが現場です」
地面にはまだ乾ききらない血が広がり、黒ずんで土に染み込んでいる。空気は生臭く、ひよりは思わず顔をしかめた。
ガロスがしゃがみ込み、痕跡を眺めながら問いかける。
「被害は?それと状況も詳しく話してくれ」
衛兵は苦い顔をして頷いた。
「……門兵が一人。巡回中に突然現れた幹部と思わしき魔物に襲われました。体長は大人四人分ほど。油断していたところを捕食され、そのまま森の奥へと姿を消したと」
「なるほど……そいつがトカゲのような姿だった、というわけか」
「はい。生き残った者がそう証言しています」
その場に漂う重苦しい気配を感じ取り、セリアが静かに推測を口にした。
「突然姿を現した……か。透明化か、あるいは瞬間移動か。どちらにせよ厄介ね」
「探知用の結界は張ってあるのか?」
「門は二人体制で警備し、交代で常に警戒を続けています」
「そうか。……なら明日、討伐準備に入るとしよう」
「私、結界の具合を見てこようかしら」
「おう。明日までに身体を休めておけ。準備は抜かりなくな」
「私も行ってみたいです!」
ひよりがすぐに手を挙げ、セリアに並んで歩き出す。
術式の刻まれた大きな石碑が街外れに立っていた。
そこから淡い光が放たれ、空へと伸びていく。それは国全体を覆い、魔物の気配を感知するための探知結界となっていた。
「……おっきい。これが探知用の結界なんですね」
ひよりは見上げながら目を丸くする。
「ええ、マーキスク国が開発した魔物感知用の結界よ。黄色属性の魔術を応用しているの。ちなみに、私もこの術式を扱えるわ」
「へぇ~……セリアさん、やっぱりすごいです!」
セリアは肩をすくめ、小さく笑った。
「ふふ。異界の魔法少女に褒められるなんてね。ひよりは……魔法、好きなの?」
「最初はそうでもなかったんです。でも、ここで色々なことを覚えて……どんどん興味が出てきて……今は楽しいって思えるんです」
セリアは柔らかい目でひよりを見つめた。
「そう。なら、もっと覚えていいのよ。魔法は苦しみを増やすこともあるけれど、同時に人を救う力にもなるんだから」
討伐を控えた緊張の中でも、こんな他愛もないやり取りが、不思議と心を落ち着けてくれる。
その夜――。
宿舎の食堂で一行は簡単な夕食を終え、それぞれの部屋へと散っていた。
「とりあえず軍との詳しい陣形は明日打ち合わせる。寝坊すんなよ」
ガロスは声を張り連絡する。
「私、少し出かけてくるわ。結界の調子を確認しておきたいの」
「おう、変な奴に――」
「絡まれないわよ。こう見えて私、強いんだから」
ガロスの軽口に呆れ気味に返し、そのまま宿を出ていった。
やがて、コーも立ち上がる。
「……俺も少し外へ出る。暇つぶしだ」
「おーう、迷子になるなよ」
ガロスが肩を揺らして笑うと、コーは無言で手を振り、無骨に背を向けていった。
宿舎の外では、街路灯に仕込まれた魔石がほのかな光を放ち、石畳の道を照らしていた。夜風は乾いて涼しく、遠くからは市街の喧騒がまだわずかに聞こえる。
「ひよりはどうするんだ?」
ガロスが振り返って尋ねる。
「私は……もう寝ようかなって思ってます」
「そうか。いい子は寝る時間だな」
「あはは……」
ひよりもつられて微笑み、ランプの灯る廊下を歩いて自室へ戻っていった。
夜は更け、静けさがスピーリン国を覆っていた。
ーーーー
――正門。
冷たい風が吹き抜け、灯の淡い光が石畳を照らしている。
「交代の時間か…ったく、朝まで気を張り詰めるのは骨が折れる」
片方の門兵が気を緩めるように呟く。
「何を言う。俺たちの仕事は国の命運に関わるんだ。しっかりせんか!」
隣の兵が叱責する。
「わ、分かってるよ…だが正直、この緊張は堪える」
愚痴をこぼしつつも、彼らは交代しに向かった。
やがて、二人は正門へと近づいていく。
「おーい、交代だぞ。ご苦労だったな」
「帰ってとっとと休んでくれ」
お疲れの言葉を送ったつもりだったが…
次の瞬間、彼らの足が止まる。
そこには、地面に広がる二つの血痕。鉄の匂いが夜風に乗り、重苦しい気配を漂わせていた。
「……なっ……!!?襲撃……だと!?」
「結界が突破されたのか!?」
慌てて夜空を仰ぐ。
だが、空を覆う探知結界は何事もなかったかのように淡い光を放ち続けていた。
「結界は無事……!?どういうことだ……!」
「おい!!!ちんたらしてる暇はねぇ!警報を鳴らせ!」
緊張が一気に爆発し、兵士たちが鐘へと駆け出す。
スピーリン国の夜に、強大で狡猾な影が忍び寄っていた




