第二十二話 天駆ける閃光
マーキスク国・宿舎。
窓の外をのぞいたひよりの目に映ったのは、慌ただしく避難する国民たちの姿だった。
群生警報を受け、親が子を抱え、成人が老人を支えながら逃げる人々の列が続いている。
「魔物……来たんだ……」
胸の奥がざわつく。
その時、勢いよく扉が開かれた。
「ひより!」
セリアが駆け込んできて、真剣な眼差しで叫ぶ。
「急いで避難しなさい!」
言葉が喉まで出かかった。私も戦います、と。
けれど、今はまだ迷惑をかけるだけだと、理性がその言葉を押しとどめる。
「……はい!」
ひよりの返事を確認し、セリアは小さく頷く。
「今度こそ、戦闘に参加しないでね」
「……わかりました。セリアさん、頑張ってください!」
憲兵の指示の声が響き渡る。
「住民は順に北区の避難所へ!」
ひよりは国民の列に混ざり、胸の奥にわだかまる悔しさを押し隠しながら、避難路を進んでいった。
マーキスク城門前。
整列した兵士たちが槍や剣を構え、戦闘態勢を整えていた。空気は張り詰め、緊張の匂いが漂う。
その最前線に立ち、ガロスが声を張り上げる。
「いいか!今回の魔物はいつもの獣だけじゃねぇ。虫みてぇなやつらが混ざってる!まずは足を狙え!動きは遅い!足止めして潰せ!」
「はっ!!」
統制の取れた兵たちの声が、重く響き渡る。
兵士たちは、武器を握る手にさらに力を込めた。
その時、後方からセリアとコーが駆け寄ってきた。
「ひよりは避難所に向かわせたわ。しっかり念を押したから、大丈夫だと思う」
「それは、ご苦労だったな」
コーがふと、ガロスの手にある武器へ目をやる。
「……ガロス。その斧、新調したのか?」
「おう。エドマール国王がよ、『雷神になれ』なんて言って押し付けてきやがった。ったく、人を政治利用しやがって…」
セリアが目を細める。
「武器に術式が刻まれてる……かなり高度な加工ね」
「まぁ、本番で披露してやるさ。さぁ、開幕だ」
重厚な正門がギギギと音を立てて開いていく。
軍隊は一斉に前進し、地響きを上げて城外へと飛び出した。
その視線の先には。
馴染みの獣型の魔物が群れをなし、さらに甲虫のような外殻を持つ異形の魔物が、黒い波となって迫ってきていた。
獣型は機敏に飛びかかり、虫型は鈍重ながらも数を頼みにじわじわと迫ってくる。
ガロスの怒号が戦場に響いた。
「獣型は接近戦で内臓を狙え!虫型は解放で足止めしろ!」
兵たちは一斉に応じ、隊列を組み直す。
マーキスク軍はレストリアの兵とは違い、魔術に特化している精鋭。
赤、黄、青と解放が次々と放たれ、群れを効率よく削っていった。
ガロスが斧を担ぎ直し、前へ躍り出る。
「さて……奥のデカブツは俺がやる!」
地を蹴って跳躍。
巨大な斧が地面へ叩き込まれた瞬間。
バチチチッッ!!
稲妻が地表を奔り、周囲一帯の魔物を一気に焼き尽くした。
甲殻を持つ虫型さえ、砕け散り黒煙となって吹き飛ぶ。
「すげぇ……!」
「流石だ、ガロスさん!」
兵士たちが思わず息を呑む。だが歓声をあげる暇もなく、別の魔物が後方から襲いかかる。
「うわぁっ!!」
兵士が悲鳴を上げた次の瞬間――。
轟音を伴って回転する斧が飛来し、魔物を粉砕。破片が地面に散らばった。
斧はピタッと空中で静止し、やがて吸い寄せられるようにガロスの掌へ。
パシッ。
「まぁまぁだな」
構え直すガロスに、兵士たちはさらにどよめいた。
セリアが斧を興味津々に聞く。
「へぇ……黄属性の雷撃に加えて、自動帰還機能まで?
流石マーキスクの技術。侮れないわね」
ガロスは肩をすくめる。
「古の神話の武器を真似たんだとよ。
使えるもんは何でも使うさ……む?」
振り返ったガロスの背後には、なおも数えきれぬほどの虫型魔物が押し寄せていた。
セリアが前に出る。
「ガロス、下がって」
指先が描いた軌跡に沿って、魔法陣が展開される。
その中心から放たれたのは、黄属性の高密度の解放。
キィィィンッッ――!
眩い閃光が奔り、群がる魔物たちをまとめて吹き飛ばした。
甲殻は砕け、焼け焦げた虫の死骸が地に雨のように落ちる。
ガロスが片眉を上げる。
「ほぉ……ネイヴの術を解析したんだな?」
「ええ。でも、あまり良い魔術じゃないわ。魔力の消耗が激しすぎるもの」
「それに、見て……」
セリアが指を差す。
「大きい個体はまだ健在。私の魔力じゃ雑魚掃除にしかならないわ」
奥から迫るのは、重戦車のような甲虫型魔物。
鋼鉄を思わせる外殻を纏い、他の個体とは段違いの威圧感を放ちながら進軍を続けていた。
しかし――。
ゴァッ!!!
突如、爆ぜるように砕け散った。
抜けて立つのは、拳を突き出したままのコーだった。
「……君は探究心が強く、優秀な魔導師なのは知っている」
「だが、その技を俺の目の前で使うのは控えてほしい」
「……そうね」
戦場は勇者一行の奮闘もあり、マーキスク国軍が優勢に見えた。
しかしガロスの胸中には妙なざわめきがあった。
(ベラフの黒属性は石や木など自然物を魔物化させると聞いたが…種類が多種多様…。
だとしたら、既存の虫までもが変異している可能性があるな)
嫌な予感を拭いきれず、ガロスは声を張り上げた。
「おい! そこのお前!」
兵士の一人が振り向く。
「はい! ガロスさん!」
「お前、名前は?」
「ライナンです!」
「そうか……ライナン、すぐに伝令を出せ。国に残っている憲兵に対空の備えを急がせろ!」
「た、対空……ですか?」
ライナンは一瞬戸惑ったが、すぐに頷き直した。
「了解です!」
ーーーー
マーキスク王国・避難所。
突貫で設立された広間の中、国民たちが肩を寄せ合い、息を潜めて待機していた。
ひよりもその輪に混じり、小さな祈りを胸に抱いていた。
「みんな……無事でいますように……」
勇者一行と国軍の戦いを思い浮かべ、不安で胸が張り裂けそうになる。
その時、外から憲兵の声が響いた。
「手が空いている者、早急に屋上へ回れ!」
「屋上?なぜだ?」
「ガロス指揮官の指示だ!対空の備えをしろとのことだ!」
「対空……?魔物が空を飛ぶっていうのか?」
ざわめきが広がる中、小さな子供が母親の袖を引いた。
「お母さん、あれ……なに?」
その小さな指が、空の彼方を指し示していた。
ひよりも思わず目を凝らす。
遠くの空に、黒い霞のような影が揺れていた。
「……え……?」
最初はただの雲かと思った。
だが、それは確かにこちらへと向かってきている。
やがて、その輪郭がはっきりと見え始める。
巨大な羽を震わせ、ブンブンと重苦しい羽音を響かせながら迫る、羽虫の大群、虫型の魔物だった。
「ひっ……!」
誰かの短い悲鳴を皮切りに、避難所は一気にパニックへと陥った。
「きゃあああああ!!!」
「魔物だ!空から来るぞ!!」
「逃げろ!!!」
憲兵たちが必死に制止する声を上げるが、人々は恐怖に突き動かされ、出口へと殺到していった。
混乱の渦は収まるどころかさらに膨れ上がっていた。
押し合う人々の悲鳴、憲兵の制止の声がかき消され、避難所はまるで暴風の中にいるかのようだった。
「兵士は急いで屋上に上がれ!武器でも魔術具でもいい、とにかく迎撃しろ!」
憲兵たちの必死の声の奥で、空を覆う羽音が近づいてくる。
その時、ひよりは決断していた。
「……空の大群。私なら……」
フードを深く被り、瞳を真っ直ぐに前へ向ける。
魔力を滲身へと変換すると、体内を熱が駆け巡るような感覚に包まれる。
胸の鼓動は早鐘のように鳴っていたが、その足はもはや迷わなかった。
人の波をすり抜け、正門へと駆け出す。
「おい!そこの!どこへ行く!?」
憲兵の目が驚愕に見開かれる。
「……すみません!すぐ戻ります!」
言い残した瞬間
ギュインッ!!
爆音のような衝撃を残し、ひよりの身体は常人離れした速度で走り出した。
蹴るたびに風が巻き起こり、憲兵たちは呆然とその背を見送るしかなかった。
「なっ……!速い……!?あれは……」
本人でさえ驚くほどの速度。
けれど訓練で研ぎ澄まされた感覚が、迷いなく最短の道を導いてくれる。
「皆さん……ごめんなさい。でも……ここは、私が!」
一方その頃、マーキスク正門の外。
戦場ではすでに軍と勇者一行が死闘を繰り広げていた。
「解放と結界の二人一組で備えろ!とにかく上に撃ちまくれ!」
ガロスの怒号が響く。
その言葉に従い、兵士たちは必死に結界を張り、解放の光弾を撃ち上げた。
しかし数は減らない。焼け落ちた羽虫の代わりに、さらに後方から新たな群れが押し寄せる。
「ちっ……数が多すぎる!」
ガロスは斧を上空に投げ放ち、それが宙に静止すると同時に電撃が放射状に奔る。
空を覆っていた羽虫が焼け焦げ、次々と落ちていった。
「おお……すげぇ……」
「流石、討伐隊……!」
兵士たちが目を奪われる中でも、群れの勢いは衰えない。
セリアは広範囲の光を放ち、コーは連続の気弾を叩き込む。
だがそれでも削れたのは全体の三分の一。
「このままじゃマーキスク本土に突っ込まれる!」
歯噛みするガロスの視線の先。
国の正門から、凄まじい速度で飛び出してくる影があった。
その異変に最初に気づいたのは、勇者一行の三人だった。
「ひより嬢ちゃん……!? 馬鹿な!」
ガロスの目が大きく見開かれる。
「あんのぉ……!!小娘がぁ!」
セリアも絶叫するように声を漏らした。
そして誰よりも早く動いたのはコーだった。
「君が……ここまで愚か者だったとは! 間に合ってくれ!」
地を蹴り、全力でひよりのもとへ走る。
だが次の瞬間、彼だけでなく戦場の誰もが、想像すらしなかった光景を目撃することになる。
疾走するひよりは、自らの中で静かに復習を繰り返していた。
「滲身を覚えてから……なんとなく、できる気がしてた……。
解放と、滲身……うまく組み合わせれば……!」
強く地を蹴り、空へと飛び上がる。
その勢いは衰えるどころか、むしろさらに加速していく。
やがてひよりの身体は、まるで引力を無視するかのように空中で静止した。
「……と、飛んだ!?ひよりが!」
至近距離で目撃したコーが、驚愕に声を失う。
「なんてこった……!」
「信じられない!」
セリアも、目の前の少女の姿に息を呑んだ。
戦場にいるすべての兵士が、一瞬だけ攻撃の手を止めてしまうほどの、衝撃的な光景だった。
空に舞い上がったひよりは、群れなす羽虫の魔物を前に杖を構えた。
「沢山いるなら……これだ!」
声高らかに詠唱する。
「――ラブリー☆フラッシュ!!」
カッ!!
杖の先から迸る光線は無数に枝分かれし、まるで意志を持つかのように羽虫の魔物へと殺到していく。
ドドドドドドドッッッ!!!
逃げる間もなく、一匹一匹を正確に撃ち抜く光弾。
瞬く間に数を誇った群生は蜂の巣を突かれたように崩れ、空は晴れ渡ったかのように開けていく。
その光景は、もはや戦場にいる者たちの常識を凌駕していた。
「あ、あの群生を……一人で……?」
「なんだあれは……人か? 人間の仕業なのか……?」
兵士たちの口から漏れるのは歓声ではなく、動揺の声だった。
彼らの目には、空に浮かぶひよりが人類を超えた存在のように映っていた。
ひよりはガロスに向けて強く叫ぶ。
「上は任せてください!!」
地上で陣を張るガロスが、舌打ち混じりに叫んだ。
「……クソッ!総員!地上の魔物に集中しろ!上空は奴に任せる!一気に畳み掛けるぞ!」
セリアが焦りをにじませてガロスに叫ぶ。
「まさか!?あの数を一人に任せるなんて!」
「さっきの一撃で半分は落とした!それより俺たちは地上に集中だ……!あとで説教してやる!」
ガロスの声に、セリアは苦々しくも頷いた。
「くっ……そうね!」
ひよりの奮戦により、兵たちは目前の敵へと意識を集中できる。
戦況はじわじわと軍勢側に傾きつつあった。
だが、それでも地上の魔物は尽きない。
疲弊した兵士に、獣型の魔物が牙を剥く。
「うわぁぁっ!」
絶望の声が響いたその前に影のように舞い降りたのは、フードを深くかぶった小さな人影。
「ラブリー☆フラッシュ!!」
ズババババッ!!
放たれた光が兵士を襲う魔物を次々と焼き払う。
「……あ、ありがとう……」
呆然とつぶやく兵士。
その背後から響いたのは、ガロスの怒鳴り声だった。
「ひよ……おい!アンタ!上空の魔物はどうした!?」
ひよりは杖を掲げたまま、息を荒くしながら答える。
「終わらせました!これからは、こちらに合流します!」
ガロスが空を見上げると、そこにあったはずの黒い霧の塊はすでに消え失せ、晴れ渡った空が顔を覗かせていた。
「……おいおい、マジかよ」
信じがたいものを目にして、兵士たちはざわめく。
こうして、ひよりを加えた勇者一行とマーキスク国軍はついに魔物の群れを討ち払った。
負傷者は多かったものの、犠牲者は奇跡的に一人も出なかった。
静寂を取り戻した戦場に、誰もが胸の奥に熱を抱えながら、ただ一人の少女の背中を見つめていた。




