第十八話 初代勇者
魔車が大通りへ入ると、ひよりは思わず目を見張った。
レストリアでは、戦時下の疲弊を感じさせていた。
だがマーキスクは違った。
建物の屋根には魔術灯が取り付けられ、淡い光を絶やさない。
広場には青属性の循環する噴水があり、子どもたちがその水で遊んでいる。
通りを行き交う人々の衣服もどこか鮮やかで、布地の質や色合いが明らかに豊かだった。
「同じ世界の国なのに、こんなに違うんですね」
思わず声を漏らすひよりに、セリアがうなずく。
「魔術の研究に最も力を入れてきた国だからね。
戦火に巻き込まれたレストリアとは違って、
この国は守るよりも研究することで発展してきた。だから生活水準は高いの」
行商人が大型の鉄製魔車を使って荷物を運び、
道端の屋台では、香辛料を使った料理が人々を惹きつけていた。
「……まるで、本の世界みたい……」
ひよりの呟きに、ガロスは苦い笑みを浮かべた。
「表はな。だが裏は面倒だぜ。
宗教と魔術が絡む国ってのは、一筋縄じゃいかねぇ」
セリアは少し疲れたようにため息をつき、
ガロスへ視線を投げた。
「さて……ここで、なんて言い訳すればいいんだか」
だがガロスは肩をすくめ、あっけらかんとした口調で返す。
「極秘任務でいいんだよ。熱心な奴ほどアレリアの名前出しときゃ勝手に解釈してくれるんだからな」
その軽い言葉に、コーが眉をひそめた。
「ガロス……ここはレストリアみたく楽天的には行かんぞ」
怪しげな話を交わす三人に、
ひよりは思わず落ち着かなくなる。
「あ、あわわ……だ、大丈夫なんですか?」
その肩を軽く叩き、安心させるようにセリアが笑みを浮かべる。
「大丈夫。ひより、しばらくは私と行動しましょうか」
「は、はい!」
場を仕切り直すようにガロスが声を上げる。
「それじゃ、俺は国王へ挨拶に行ってくる。詳しい任務が決まるまでは、ひとまず解散だ」
セリアがコーへ目を向ける。
「コー、あなたはどうするの?」
「俺は……適当にぶらついてる。セリア、ひよりを頼むぞ」
「はいはい。ご飯までには帰ってきてよね」
「子ども扱いするな」
レストリアと同じように、セリアと行動するひより。
「時間できたし、少し来てほしい場所があるの。いいかな?」
「はい、大丈夫です」
セリアは慣れた足取りで歩いていたが、ひよりにとっては映る景色の一つひとつが新鮮だった。
しばらく歩くと広場につき、大きな石像がそびえ立っていた。
それは聖剣の柄を両手で握り、剣先を地へ突き立てるように構えた勇ましい姿。
「勇者アレリアさん……?でも、男の人?」
ひよりが見上げた像は、逞しい体格に短い髭をたくわえ、衣装や台座は神殿の神像のように荘厳に装飾されていた。
セリアが説明する。
「ああ、その人ね。アレリアじゃないわ。
彼はウィール・マルシャ。人類で初めて魔力を観測し、魔族を倒せるよう魔術を体系化した偉人よ。今の全ての魔術は、彼の研究から始まったの」
「すごい……この人が原点を作ったんですね」
ひよりは尊敬の眼差しで石像を見上げる。
そのとき、後方から声が響いた。
「これはこれは……セリア殿、お疲れ様です」
現れたのは、淡い金糸の衣をまとい、胸には聖剣を象ったペンダントを掲げる人物だった。年の頃は五十代、落ち着いた物腰に鋭い眼差しを宿している。
セリアは小声でひよりに告げる。
「……できるだけ余計なことは言わないで」
ひよりは小さく頷き、フードを深くかぶる。
男は石像の前に立ち、恭しく両手を組んだ。
「我らが偉大なる祖、ウィール様への祈りに感謝いたします。彼なくして我らの魔術は存在しなかった……その功績は永遠です」
セリアも同調するように答える。
「ええ。このお方がいたからこそ、我々も魔族と戦えているのです。当然の祈りです」
男はふと、ひよりの方へ視線を移した。
「ところで……そちらは?」
ひよりは慌ててセリアを見る。
セリアは落ち着いた様子で言葉を選んだ。
「東方から流れてきた者です。今は訳あって匿っています」
「そうですか……珍しいお顔立ちだ。お名前は?」
一瞬ためらったが、セリアの穏やかな頷きに勇気づけられ、ひよりは答えた。
「……ひより、と申します」
「ひより……珍しい響きですね。どうかご安心を。我ら聖剣教会は、もはや人種や出自で誰かを隔てたりはいたしません」
そう言って微笑む男。
彼の名は 教導師サマエル・ロドリス。
マーキスク国における聖剣教会の重鎮。
聖堂の前。
サマエルはひよりの名前を聞くと、
待ってましたとばかりに語りだした。
「それでは、ひより殿の為にも……少しお話を」
聞いてもいないのに、聖剣教会の教義を滔々と口にする。
セリアは「ああ、また始まった」とばかりに、すでに聞き飽きた顔をしていた。
「150年ほど昔。魔族が人類を蹂躙する以前、人は豊かでなくとも、慎ましく暮らしておりました。
人々は太陽神に祈り、苦しみから神が救ってくださると信じていたのです。
ですが、魔族が現れて以来、多くの命が犠牲となった。そこで我々は気づいたのです。”神はいない”のだと」
「絶望の淵にあった人類の前に、一筋の光明が現れた。
それこそがウィール・マルシャ様。魔力を観測し、人に扱わせ、我らに戦う力を与えてくださった偉大なる御方。
そしてその後を継ぐようにして現れたのが奇跡の存在、勇者アレリア様なのです」
瞳を輝かせ、両手を胸の前で組み合わせるサマエル。
「不滅の希望、聖剣を手にした者こそが、
我らの導き手なのです」
ひよりは困惑しながらも、ただ一つ
この人が心の底から慕っているのは伝わった。
「今一度、祈りを……」
そう促され、三人は形式的に両手を合わせた。
祈り終えると、サマエルは柔和な笑顔を浮かべ、満足げに去っていった。
残された空気に、セリアがふぅとため息をつく。
「あ〜……毎っっ回、説明を挟んでくるのよね。
面倒くさいったらないわ。……ひよりも大変だったでしょ」
「でも、あの人すごく慕っていて。そんなに悪い人には見えませんでした」
「……その純粋さ、ちょっと羨ましいわ」
セリアに連れられて辿り着いたのは、一見すれば古びた本屋のような建物だった。
「久しぶりに来るわね……恥ずかしながら、ちょっとワクワクしてきたわ」
セリアは懐かしむように微笑む。
「本屋さんみたいですね」
ひよりは、並ぶ木棚を見てそう答える。
「皮はね」
セリアが扉を押し開けると、ひよりは思わず息をのんだ。
中は古そうな書物がズラリと並び、
剣や斧に謎の文字が刻まれており、
奇妙な図面が壁に掛けられている。
奥の壁には焼け焦げや煤の跡がまだ残っていた。
「ここはね、昔、当時の異端者達が研究に使っていた場所なの。教会に背いた学者たちが、星や錬金術を研究していたらしいわ」
古びた羊皮紙が無造作に置かれている。
ところどころは赤黒い染みに覆われ、読めない部分も多い。
「こ、これ……怖いですね」
「怖いでしょうね。でも……皮肉な話、魔王が来たことで、彼らの研究は役に立つものに変わったの。今じゃ私の家族が引き継いで、自分なりに改良して使ってる」
セリアは埃を払いながら、中央の机にひよりの杖をそっと置いた。
「今は私の研究所。マーキスクに来たら、必ずここに立ち寄るの。落ち着く場所なのよ」
ひよりは不思議そうにあたりを見渡した。
壁に残る削り痕、そしてそれを覆い隠すように並ぶ
魔術の道具たち不気味さと同時に、
確かな歴史の重みを感じ取っていた。
「少し、ここで貴方の魔術と杖を調べさせてもらえる?」
「はい!アレリアさんを帰す手がかりになるかもしれませんし」
「ありがとう。助かるわ」
セリアは軽く微笑み、杖の観測を始めた
研究所でひよりの「異次元の魔術」の解析を続けていた二人。
「ところで、ひより。異次元の魔術の詠唱、教えてくれる?」
「ええっと(ミラクル、エターナル 、ラヴァー)です」
セリアは呆れたように、それでいて楽しそうに笑う。
「やっぱり独特ね……。法則性から少し調べてみましょうか」
「お願いします!あ、私もアレリアさんの呪文も知りたいです!」
「そうね、あれはウィールの遺言書に刻まれていた言葉で――」
不思議な縁で出会った二人の魔法使い。
過ぎる時間の中で、確かに距離が近づいていくのをひよりは感じていた。
数時間後。
研究を終え、研究所を後にする二人。
ひよりは少し落ち込んだ声で口を開いた。
「結局、異次元の魔法は使えませんでした……」
セリアは肩を竦め、励ますように笑う。
「そう落ち込むことはないわよ。知らないことの方が多いんだし。私はとても有意義だったわ」
その時、建物の前に腕を組んで立つ男の姿があった。
「!?」
思わずひよりが身を固くする。
(コーさん!?セリアさん…に用事だよね?)
「ひより、君を待っていた」
落ち着いた声で言うコー。
セリアが呆れ気味に眉をひそめる。
「ちょっと。年頃の女子二人を待ち伏せなんて、どうなの?」
「む……それはすまん。だが色々考えた結果だ」
腕を下ろし、ひよりに向き直る。
「明日七時、宿舎玄関で集合だ。滲身について教える」
「! 本当ですか!?」
セリアが口を挟む。
「あら、どういう風の吹き回しかしら?」
「ガロスの指示だ。最低限の自己防衛…滲身なら感覚も強化され、奇襲にも強くなる」
「お、お願いします!」
「それなら、私も解放を教えてあげなきゃね」
思わぬ幸運に恵まれたひより。
だが、それは同時に想像以上に過酷な訓練の始まりでもあった。




