魔物。
その人の姿は、人間の形にこそ近いものの、およそ、その姿は人間のそれとは、
大きく異なっていた。
白い外殻。細長い体躯、身長は160cm台だろうか。自分が、少し見上げるくら
いだ。その顔は外殻に覆われ、表情を読み取れない。
頭には二本の大きな角が生えているが、その片方は無惨に折れている。
「何?ジロジロと、私のことを見つめて」
「ああ、すまん。見慣れた姿じゃないもんでな」
「なら慣れなさい。これから、何度も見ることになるから」
彼女は、深い青色をしたマフラーを直しながら、こちらを見据える。
白い外殻に、深い青色が非常に映える。 実を言えば、とても美しい。
同族からは、凄く好かれていたんじゃないだろうか。 月光を反射し、
蒼白色に光る剣も相まって、自分ですら惚れ惚れしてしまう。
「なぁ。その角はどうした?」
「⋯⋯これは、昔に負った傷よ」
彼女は、折れた方の角を右手で、撫でる。彼女は何故、片方の角だけを
折ってしまったのだろうか。
「私が初めての狩りへ出向いた時に、飛竜が乱入してきてね。
そいつに折られてしまったのよ」
「あんな化物と?良く生き残ったな」
「ルナティクスは、飛竜の中でも別格よ。私が襲われたのは、
知能が著しく低い、白痴の個体よ」
どうやら、飛竜という者たち全てが、会話できる訳では無いらしい。
あの、ルナティクスとかいう飛竜は、会話以前の問題だったが⋯
会話にふけっていて時間を忘れていたが、もう夕暮れのようだ。ポケットから、
羅針盤を取り出す。蓋を開けたら、相変わらず震えながらも一方向を示す針。やは
り何度見ても、面白い道具だ。
「⋯⋯これからは、私に付いてきてよね」
「?なんでだ?」
「そのコンパスは、方向こそ示してはくれるけど、道中の危険は教えてくれないから。貴方みたいな、子供であればなおさらよ」
ぐぅ⋯彼女の言っていることは、確かに的を射ている。ただ、頼れる人だという
事は、さっきの逃走劇から見て、明確だろう。
そういえば、彼女の名前をまだ聞いていなかった。今の内に、聞いておいた方が
いい筈だ。
「君の名前は、なんだ?」
「私は、マールよ。貴方は?」
「⋯⋯ちょっと、待ってくれ」
顎に手を添え、少しばかり思考する⋯⋯駄目だ、全く思い出せない。
マールには悪いが。
「すまん。自分の名前を覚えていないんだ」
「⋯⋯え?嘘じゃないの」
「嘘じゃないです」
「⋯⋯」
呆然と立ち尽くし、目を見開きながら硬直するマール。記憶喪失だという事に、
ここまで驚くものだろうか?
「ど、どうした?」
「⋯⋯いいや。何でも無いわ⋯自分の名前すらも、覚えていないだなんて⋯」
マールは顔に、手を当てながら悩む。
うーん。だからと言って、名前が無いのも不便だな。呼びづらい。
仮の名前を、自分に付けておくか。
どのような名前がいいだろう。例えば⋯⋯
「まあいいわ。もう、夕暮れだから急がないと。魔物に襲われる」
「魔物?」
「ええ。魔物は、夜の化身なの。旅人達は、夜の時間帯を避けるのよ」
『夜の化身』だと?そんなもの居るわけ無いじゃないか。
確かに魔術とか飛竜とかいう常識外れな概念もあるが、そんな抽象的な存在⋯
そんな思考を遮るように、彼女は、ガシッと自分の手を掴み、そのまま駆け出し
た。仕方無い、名前を考えるのは後にしよう。
⋯
森の中を、マールに抱えられながら疾走し始めて、かなりの時間が経った。
あの羅針盤は、彼女に預けてある。
マールの方が、自分より上手く扱えそうだからな。
だが、しっかりと方角通りで、しかも土地勘を持っている、彼女だというのに、
いっこうに森の中を抜けられない状態が続いている。
すっかり、夕暮れも過ぎて、夜の闇が訪れようとしている。もし、本当に魔物が
いるのだとしたら、この現象は魔物の仕業なのだろうか?
「なあ。いつになったら森を抜けられるんだ?」
「⋯⋯それは、もうすぐよ」
もうすぐ、か。それなら良かった―――
「危なっ!」
彼女にしがみついている姿勢が大きく、グラッと揺れる。いきなり、どうしたの
だろうか。彼女に問いかけてみる。
「どうしたんだ?」
「⋯⋯」
彼女は、返答を返さない。ただ無言で、自分を下ろしてくる。マールは姿勢を低
くし、身構える。どうやら、何かが近づいて来ているらしい。
彼女は、背中の剣にそっと手を掛ける。彼女が見据えるその先。そこから、得体
の知れない気配が漂ってくる。
森の奥から、這い出てくるように現れたそれは、月光を反射し、艶めかしくも、
恐ろしく視える、黒い異形の獣だった。
四肢には鋭い爪が並び、大きい口にはナイフのような犬歯がチラつく。目には飛
び出してきそうな程の殺意と共に、薄緑が輝いている。
「⋯⋯下がってて。”あれ”は普通じゃない」
彼女は、背中の剣を抜き、鋭い目つきで睨みつける。獣は、臆する様子も無く、
ゆったりと歩み寄ってくる。
獣の細長く、引き締まった身体。その肉体が月明かりに照らされた、その瞬間。
獣の姿が、音も無く消える。
彼女は、咄嗟に後方へとステップを踏む。空中から獣の爪が突き出され、そのま
ま地面をスコップのように抉る。
前方に、力強く踏み込み、抜身の無骨な剣による斬撃を、獣に対して放つ。
獣は横へと地面を蹴り、その銀色の軌跡を躱す。
そのまま、木々へと飛び移っていき、彼女の視界から消える。
獣は、彼女の背後を取り、その背中を爪で薙ぐ。しかし、彼女は跳躍を行い、
獣の背中を、瞬時に剣で切り刻む。しかし、その傷は浅い。
空中に居る、マールを鋭い爪が襲う。彼女は剣で爪を弾き、その反動を利用して、
獣から距離を取る。
間髪を容れずに、地面を蹴って肉薄をする獣。大きな口をガバリと開け、彼女に
喰らいつこうとする。スライディングをし、獣の股下を潜り抜けていく。
剣を構える。しかし、後方へと跳躍を行い、獣から距離を取る。瞬間、
彼女が居た所に、返しの付いた黒い棘が、無数に出現する。
獣はゆっくりと振り返り、低い唸り声を上げる。それは人の笑い声にも聞こえ
る、悍ましいもの。
彼女は再び剣を構え、獣と再び対峙する。獣は地面を踏み締め、低い体勢を取
る。獣が地面を蹴り、彼女との距離を詰める。
これまでとは、比較にならない程速い。彼女は剣の腹で獣の突進を、
受け止める。地面の土を、つま先が削っていき、押し出されていく。
瞬間、獣の目が輝き、地面から再び棘が生える。
それが彼女の身体へと突き刺さった⋯⋯かのように見えた。
生成された棘は、彼女の外殻に触れた瞬間。ズルリと”吸収”されていく。
獣は、それに狼狽え、後方へと飛び下がる。
しかし、彼女はそれよりも速く、肉薄する。獣の胴体へと向けて、一閃。
獣の身体は、一気に両断される。
獣は力無く倒れ、その身体は光の粒となって、散っていく。彼女はこちらに、
向き直りながら剣を背中に、掛け直す。
「さぁ、進むわよ」
その言葉と同時に、森の背景が消え、別の背景へと移り変わる。
森を抜けてすぐ近くの、街道に自分達はいたようだ。
まさか、魔物という存在が、本当に居たとは⋯⋯彼女の言う事は、大抵のものが
信頼性のあるものだという事が、さっきの出来事で証明された。
「もうすっかり夜だわ。だけど⋯」
彼女は視線を下げる。その先に、暖かな光が点々と光っている。
恐らく、家屋や街灯の光なのだろう。
「あそこで、か?」
「ええ。あの街で、宿を取るつもりよ。」
彼女は外套を翻し、街道を歩いていく。自分も、その後を付いて行く。
後ろから見える、その背中は初めて見た時より、頼りがいがあるような、そんな雰囲気を纏っていた。




