第6話 叡智なる宇宙、エイナル
英語の授業。
黒板には先生の白いチョークが走っていた。
He fell down and got a bruise on his butt.
「はい、これは“彼は尻もちをついてお尻にあざができた”という意味ですね」
その説明の途中で、後ろの席の男子が手を挙げた。
「先生! “お尻”って hipじゃないんですか?」
「いい質問ですね」
先生は軽くうなずいてチョークを置いた。
「日本語で“ヒップ”といえばお尻全体を指しますが、英語の hip は腰の横の部分。
実際のお尻は buttや buttocks。やわらかく言うなら bottomですね」
男子が首をかしげて、さらに食い下がる。
「え、でも but って“でも”“しかし”じゃなかったですか?
“お尻”と“しかし”が同じって、なんか変じゃないですか!?」
教室に小さな笑いが広がった。
先生は苦笑いしながら答える。
「発音は同じですが、単語の成り立ちは別物なんです。
butt は末尾が二つの“t”。“but”とは違いますよ」
「なぁんだ、そうなんだ~」
男子は照れ笑いをしながらペンをくるくる回した。
――そのやり取りを聞いた瞬間。
(……な、なにぃ!? お尻はヒップじゃなくてバット!?
じゃあ……肛門は!? そもそも肛門って英語でなんて言うの!?)
あかりの心臓がどくん、と鳴った。
彼女は机の陰にそっと手を伸ばし、和英辞典をパラパラめくる。
anus【名】肛門
anal【形】肛門の
(アヌス……!? なんかローマ神話の神様っぽい響き!!
しかも“アナル”はネイティブ発音だと“エイナル”……
叡智なる宇宙……エイナル!!
なんて神秘的な響き……!)
脳内で天使のラッパが鳴り響く。
宇宙の始まりのように、頭の中に閃光が走った。
(やっぱり間違ってなかったんだ、私の方向性……!)
(……ん? 似ているけど、同じじゃない……?)
あかりの脳裏で電流が走る。
ノートをにぎりしめながら、彼女の意識は暴走していった。
(but と butt。似て非なるもの!
そういえば、さっき辞典で見た――肛門=anus、肛門の=anal。
名詞と形容詞。これもまた、似て非なる!)
鼓動が高鳴る。
頭の中では既に宇宙の映像が広がっていた。
(そして、地球とケプラー1649c。
NASAが発見した“地球そっくりの惑星”。
でもほんのわずかな違いが、生命の有無を決定づける……!
そう……似て非なるものこそが、宇宙の本質!)
机に突っ伏しそうになりながら、あかりは両手を震わせた。
(but と butt。anus と anal。地球とケプラー。
全ては“似て非なるもの”でつながっている……!
私が歩む肛門宇宙論の道に、一点の曇りもなし!!)
「……あかり? なんか顔がニヤけてるけど、英語の授業楽しい?」
前の席から振り返った女子に声をかけられ、慌てて姿勢を直す。
「た、楽しいっ! すごく!! 宇宙的に!!」
(やばい……! 授業中なのに、宇宙に行ってた……!)
顔を真っ赤にして小さく震えるあかり。
しかし周りから見れば、ただ辞書を熱心に見ている優等生にしか映らない。
――けれど彼女の胸の内では、またひとつ新しい宇宙が広がっていた。




