第3話 おしり洗浄、宇宙的実験
日曜の昼下がり。
あかりは机に広げた分厚い医学書を前に、眉間にしわを寄せていた。
「なになに……“トイレットペーパーで拭くのは平均三回”……?」
彼女は思わず声を上げた。
「え、三回!? うそでしょ? 私、最低でも七往復はするんだけど!?
……ってことは、私は宇宙規模で見たら、統計外の異端児ってこと!?」
ノートに大きく《トイレットペーパー3回 vs 私7回》と書き込み、ぐるぐると丸で囲む。
さらにページを進めると、もっと衝撃的な記述があった。
——洗いすぎは粘膜を弱らせ、逆に病気の原因になる。
「……な、なんだって!? 今までの私の努力、全部裏目!?
私……無意識に自爆してたってこと!?」
あかりは両手で頭を抱えた。
さらに文章は続く。
——ウォシュレットの水流は強すぎるため、粘膜を傷つける恐れがある。
「はぁぁぁ!? ウォシュレット文明を全否定!?
じゃあ現代人、全員肛門絶滅危惧種ってことじゃん!」
そして極めつけに——。
——理想的な洗浄法は、「座浴」
たらいにぬるま湯を張り、肛門を浸すことである。
……。
あかりはページを閉じ、天井を見つめた。
「……たらい???
いやいやいや、今どき誰が持ち歩いてんの!?
“お昼休み入ってきまーす”って言って、給湯室でたらいにお尻突っ込むサラリーマンとか見たことある? ないでしょ!? ありえないでしょ!?」
机をバンッと叩いた。
しかし同時に、彼女の胸には奇妙なざわめきが芽生えていた。
「でも……これは研究のため……真理に近づくためには、誰かが犠牲にならなきゃ……!」
その“誰か”は、当然あかり本人である。
――
夕方。
浴室にこっそりたらいを持ち込み、蛇口からぬるま湯を注ぐ。
「こ、これが……宇宙に通じるたらい……」
服を脱いで、そろそろと腰を下ろす。
「……あっ……あったか……」
じんわりと肛門が温水に包まれる。
全身がふわりと緩むような感覚。
「な、なにこれ……安心感がすごい……。
宇宙に還ったみたいな……母なる銀河に抱かれてるみたいな……!」
勝手に感涙しながら、ノートに書き込みたい衝動をこらえる。
そのとき——。
「ちょっと! あかりー! お風呂で何やってんのー!?」
母の声がドア越しに響いた。
「ひゃあっ!? な、ななな、なんでもないーっ!!」
「“なんでもない”で十分長いんだけど!? のぼせるよー!」
慌ててお湯をかき回しながら、あかりは赤面した。
「ち、違うのよ……これは修行……いや研究……!
私は今、宇宙と交信してるのよ……!」
誰にも伝わらない言い訳を心の中で繰り返しながら、彼女はたらいの中でじっと耐え続けるのだった。




