第18話 車内広告と宇宙のハッチ
土曜の昼下がり。
星野あかりは、美咲と二人で電車に揺られていた。
ショッピングモールで映画を観る約束をしていたのだ。
が、あかりの視線は目の前の窓でも、隣の美咲でもなく、天井の吊り革の上に貼られた広告に釘づけになっていた。
――【肛門科クリニック 日帰り痔手術 最新レーザー治療】
「……っ!!!」
全身がビリビリと痺れる。
「ど、どうしたの? さっきから顔こわばってるけど」
美咲が小声で囁くが、あかりの耳には届いていない。
(……レーザー治療……! それってつまり……光子砲!?)
脳内に、宇宙船のドックが広がる。
巨大なハッチ——肛門。
そこに「痔」という名の小惑星が詰まっている。
「艦長! ハッチが塞がっています!」
「よし、光子砲で除去しろ! 日帰りだ、ワープ帰還も可能だ!」
脳内艦隊戦が始まっていた。
「……ひっ……ふっ……」
あかりは無意識に呼吸を乱し、シートの上で姿勢をくねらせる。
向かいのサラリーマンが怪訝そうな目を向けた。
(手術はハッチの開閉……つまり人体は、もともと宇宙船なんだ……!)
妄想のボリュームはさらに上がる。
広告の「痔」という文字が、彼女には「地球」に見えた。
人類を苦しめる地球的束縛を、肛門宇宙論が解き放つ——。
「もしかして……痔って……重力そのものの比喩なのでは……!?」
電車の揺れに合わせて、思わず声が漏れた。
「じ……じ……じ、じゅうりょくぅぅ……」
周囲が一斉に振り向く。
あかりは真っ赤になって口を押えた。
「ちょ、ちょっと! 何やってんのよ!」
美咲が慌てて袖を引っ張る。
「違うの! これは……これは真理……! 痔は重力で、レーザーは光子砲で、肛門は宇宙船のハッチで……!」
「意味不明すぎる!!!」
美咲は全力でツッコみながらも、心の中では涙が出るほど笑っていた。
(ほんと、この子の頭ん中どうなってんの……! やばすぎでしょ……!)
電車は次の駅に停まり、ドアが開く。
あかりは深呼吸をして席から立ち上がった。
「——でも、分かってしまったの。人体は、重力と戦うための宇宙船だったって!」
その決意めいた宣言に、美咲はただ呆れるしかなかった。
「……もう知らない。宇宙にでも飛んでけ」
あかりはにやりと笑い、吊り革広告にもう一度視線を送った。
彼女には確かに、そこに新たな銀河への扉が見えていたのだった。