第一話 未知との遭遇
夕食を終えるやいなや、星野あかりは「ごちそうさま!」と半ば叫ぶように勢いよくに立ち上がった。
食器を片付けるのもそこそこに、足早に階段を駆けあがろうとした。
「おやおや、そんなに慌てて。どうせまた、いつもの天体観測会だろ?」
挽きたてのコーヒーを淹れながら、父が半分呆れ顔で声をかけてくる。
「うん! 天体観測会!」
自分で言って、自分で笑った。別に会員なんていない。会員一名、開催場所は二階の自室。
でも、あかりにとってそれは毎日の大切な行事だった。
「星なら毎日出てるのに、よく飽きないなあ」
父のぼやきを背中で聞き流し、あかりは二階へと駆け上がる。
窓をがらりと開けると、ひんやりとした夜気が頬を撫で、胸の奥まで澄んだ空気が流れ込んだ。
空を見上げる。
そこには、無数の星々が宝石のようにきらめいている。
「オリオン座、冬の大三角、あと……ふふん、今日も一番きれいなのは、やっぱりカシオペア座かな」
声に出して星座を数えながら、にやける。まるで誰かに聞かせたいように。
だが聞いているのは星空と、夜風と、机の上に置きっぱなしの参考書くらいのもの。
その横顔は、まるで星と会話しているかのようだった。
「ふふ、宇宙の秘密を解き明かすのは、きっと私だもんね」
胸の奥でつぶやいた。
この瞬間の自分は、世界で一番大きな謎に触れている気がした。
――ただ、この夜までは、彼女はまだ知らなかった。
自分がたどり着く「宇宙の真理」が、誰も想像しない方向にあることを。
⸻
翌朝。
校門へ続く坂道は、通学中の学生たちでにぎやかだ。
「ふあぁぁ……」
大きなあくびを手でおおいながら、あかりは通学路をとぼとぼ歩いていた。
「おーい、あかり! おっはよー!」
背後から元気な声が飛んできた。
声の主は幼馴染の東雲光。
背は少し高く、どこか涼しげな目元。
将来の夢は医者になることで、整った髪型に真面目さが服を着て歩いているような男の子だ。
「朝から大あくびか。どうせ夜遅くまで星見て夜更かししてたんだろ?」
「うっ……図星。」
「夜更かしじゃないもん。ただ観測してただけだもん。」
「それを夜更かしって言うんだよ。俺は医学部目指してるから、夜は勉強。お前は天文学者目指してるから、夜は観測。ほんと正反対だな」
光は軽く笑いながら肩をすくめる。
その一言に、あかりはちょっとむっとした。
「べ、別に天文学者になるなんて言ってないし! でも……宇宙の秘密は解き明かしたいよね!」
「はいはい、がんばれ未来のコペルニクス」
「馬鹿にしてるでしょ!」
そんな軽口を交わしながら、二人は学校へと歩いていった。
⸻
教室に入ると、すでにクラスはにぎやかだった。
「おはよー、あかり!」
「昨日の宿題やった?」
「ねえ聞いた? 隣のクラスでカップルできたって!」
明るい女子グループに声をかけられ、あかりは苦笑いしながら席へとつく。
隣の席では、光がすでにノートを広げていた。
一時間目、国語。
先生の声が単調に響き、あかりはノートの端にシャーペンで星を落書きする。
五芒星、六芒星、そして自分だけがわかる「オリジナル星座」。
ふと、窓の外の青空を見上げてしまう。
(こんなときに宇宙旅行とかできたらなぁ……)
先生に当てられ、慌てて立ち上がったときの赤面もまた、彼女の日常の一部だ。
「え…えーっと……」
「37ページの2行目から…」
小声で光がつぶやく
授業は進行したものの、光はやれやれといった感じだ。
⸻
放課後。
いつものようにあかりは図書室に立ち寄った。お目当てはもちろん天文書。
けれど、背伸びして本棚を眺めていたそのとき――
「わっ!?」
足が机の脚に引っかかり、勢い余って腰をぶつける。
「あたたたたた……!」
その衝撃で、机の上に置いてあった一冊の本が床に落ち、自然とぱらりと開かれる。
「……っ!」
目に飛び込んできたページには、円環状の図。精緻に描かれた筋肉の構造。
タイトルには大きく――「肛門括約筋」。
「……なに、このカタチ!?」
「き、綺麗……」
あかりの息が詰まる。
まるで星々の輪郭をなぞるように、彼女の指先はその線を追っていた。
喉がひゅっと鳴る。心臓がばくばく跳ねる。
その造形は、どこか宇宙のブラックホールにも似ていた。
いや、ブラックホールよりももっと身近で、もっと不可思議で……。
あかりの頭の中で、星座の点と点が線で結ばれていくように、何かが一気につながっていった。
星座の点と点が結ばれるみたいに……肛門と宇宙が……つながった……!?
「肛門が宇宙で…宇宙は肛門…!?
ちょちょちょ、いや、そんな…まさか…!?」
胸が熱くなる。頭の奥で火花が散る。
宇宙と肛門。誰も結びつけたことのない二つが、今この瞬間、あかりの中でひとつになった。
「わ、わたし……とんでもない真理に辿り着いちゃった……! 嘘…これって……まさか…肛門宇宙論!?」
言った瞬間、顔が真っ赤になる。
肛門なんて単語を、女子高生が口に出してしまった恥ずかしさ。背徳感。
そのとき――
「あっ、やべ! 図書室に医学書忘れてたんだった!」
聞き慣れた声が廊下から近づいてくる。
「ひ、光!?」
反射的に本を抱きしめ、机の影に隠すあかり。
胸がどきどきと暴れ、冷や汗がにじむ。
「おーい、ここにあった医学書知らない?」
「し、知らないよ!」
「あっれー?おかしいなぁ、確かこのへんに置いてたはずなんだけどなぁ…」
「よ、よく分からないけど もう暗くなるから一緒に帰ろっ!
光の問いを遮るように、あかりは彼を半ば強引に図書室の外へ連れ出した。
胸の奥では、まださっきの図が焼き付いて離れない。
それはただの医学書ではなかった。
彼女にとっては「宇宙の真理が眠る禁断の書」になっていたのだ。
(これは……運命だ。肛門と宇宙を結ぶために、私は選ばれたんだ!)
肛門と宇宙。
全人類未体験の真理が、いま彼女の中で輝きはじめていた。