五十年後・8
一路が権兵衛になっても、何にも変わりはないだろう、とアヤは思っていた。
今までだって、一路は自宅にはほとんど帰ってこなかった。
たまに顔を合わせても、欝々とふさぎ込まれていると、アヤも気が滅入ったし、帰ってこないと分かっていた方が気楽だ、とさえ思った。
しばらくは、解放感でいっぱいだった。
一路がいなくなったからといって、死んだわけでも、行方不明になったわけでもない。外国に長期出張に行ったようなものだ。
会いたければ研究室に行けばいい。
変てこな外見になったが、中身は一路なのだから変わりはない。
ところが、張り切って外出しても、なんとなく楽しくないのだった。
今まではきらきらと魅惑的に見えていた景色や街や店や人々が、急に埃っぽく、やかましく、色褪せて見え始めたのだった。
楽しいはずだと自分を奮い立たせながら、その中を進むと、ねっとりといやな感じが、どこまでもまとわりついてくる。
まるで、見たくもないものを見ることを強いられ、欲しくもないのにお金を使わされながら、あてどなく彷徨い続けているようだった。
今までは、研究しか興味が無い夫への当てつけで遊び回っていたのかもしれない。
当てつける相手もいなくなると、おもしろくもなんともないことに、アヤはやっと気が付いた。
自分はつきあいが広いと思っていたが、その中に本当に会いたいと思う人間はいなかった。
おもしろく談笑していた人々は、飽くまでもその場限りのつきあいか、一路の仕事関係の人たちでしかなかった。
アヤ自身が長く付き合いたいと思えるような人は誰一人としていなかった。
なんとなく気が塞ぐときに、連絡をとりたくなるような人間がいないことに、アヤは驚いた。
権兵衛は、いつ見ても研究室の床に寝転がっているだけだった。
大丈夫? と尋ねても、大丈夫だと答えが返ってくる。
初めは、慣れるまで時間がかかるのかもしれないと思っていたが、いつまでたっても研究など始める気配もなかった。
一年もたつと、権兵衛はひそかにナラヤマランドに送られた。
まだ仲間がいる所の方がいいだろうと、虎三郎が決断したのだった。
アヤにも他に名案があるわけではなかった。