三日目・3
真部社長がその日のうちに様子を見に来ることになったので、アヤは残業せずにまっすぐ帰宅した。
台所をのぞくと、権兵衛は相変わらず寝ていた。
アヤは、権兵衛の脇にしゃがんで、声をかけてみた。
「ただいま。社長に連絡したよ。もうすぐ来るから」
ありがとうございます
「早く治ってくれないと困るからね」
ぜんしょ します
「善処するのは、社長でしょ」
アヤは吹き出した。
真部社長がやって来た。
今日は、スーツを着ていて、髪も整え、別人のようにパリッとしている。
本当に真部社長だろうかと、アヤは思わずじろじろ見てしまった。
「もう壊れるなんて、どういうこと? 困ってるんだけど」
「大変申し訳ございません。すぐに確認いたします」
「頼んだわよ」
「お任せください」
社長は、権兵衛の横に座り込むと、権兵衛の顔の前で、指をせわしく動かし始めた。
「何しているの?」
「手話の一種です。高度なロボットなので、神経系統が無事か確かめる必要があります。これは、あらかじめプログラミング済みの意思疎通法です」
「ふうん」
権兵衛の両手がぐぐぐと上がって、真部社長に応えるように素早く指を動かした。
「あら、腕は大丈夫みたいね、よかった」
「そうですね……もうちょっと詳しく知る必要があるので、続けます」
真部社長と権兵衛の手の動きを見ることに、アヤはすぐに飽きた。すぐには終わりそうにない。
そういえば、見たい動画があった。同僚たちの話についていくためには、チェックしとかないと。
「わたしは向こうで、ちょっと用事をしているから」
「どうぞ、どうぞ」
手話は、二人だけの暗号にと、一路が考案したものだ。
なんと、わずか六歳の頃だった。
左は五本の指のいずれかを立てて、あいうえおの母音を表す。
右手は、あかさたなはまやらわん、の子音だ。たとえば、あ行なら、アヒルのくちばしのような形にする。か行はこぶしを作る。
話すのと同じ速度で操れるようになるまで、血のにじむような特訓をした。
主に、慈良が。
薬指も独立してピンと立てられるようになった。
おかげで、敵に囲まれていても非常になめらかな連携プレーができて、恐れられたものだった。