二日目・3
一路が、女と念書を交換しているのが見えた。
ふらつく頭で、とにかく汚い床から離れたくて、そろそろと立ち上がった。
埃が入り込まないような口の構造になっているのが、ありがたかった。
出ていく一路が気がかりそうにこっちに目配せしていったが、気が付かないふりをした。
どうせオレは、ただの実験ロボットだ。
慈良は、そうっと慎重に、電気コードのプラグを抜いた。
動き回っていて、急に抜けたらまた意識を失ってしまう。
女ーアヤーが帰ってくる前に差し込めばいいだけの話だ。
家電や家具の上に無造作に掛けてある、衣服を集めて回る。
洗濯表示のタグを確認して、洗濯機で洗えるものと、クリーニングに出すものに分ける。
洗えるものは洗濯機に放り込んで、洗剤を入れ、スタートボタンを押した。
クリーニングに出すものは、とりあえずハンガーに掛けておく。
クリーニングに出すかどうかは、アヤに判断させたらいい。ロボットはクリーニング店に行けないのだ。
クリーニング店どころか、食材を買いに出ることもできない。
そのことは、昨日、アヤにも念を押した。
一路が出て行った後。
こっちを穴が開くほど見つめている鋭い視線に、慈良は、どきどきした。
「権兵衛」
ひょっとして、正体がばれたのではないか。
「権兵衛、返事は?」
はい ごしゅじんさま
「ご主人様? なにそれ。まあ、そうだけど、ちょっとねえ。そうね、『アヤ様』って呼びなさい」
はい あやさま
よかった。バレているのではなさそうだ。
それに、案外まともな感覚を持っているのかもしれない。
「お前は、家事は全部できるのよね?」
はい
「今日の夕食は、鯛の煮つけが食べたいな」
???
しょうしょう おまちください
慈良は、冷蔵庫に近づき、冷蔵室のドアを開けた。
冷凍室、野菜室も全部開けてみた。
鯛なんて、影も形も無い。
それどころか、冷蔵庫はほぼ空と言ってもよかった。
入っていたのは、賞味期限の怪しい卵が三個とベーコン、野菜ジュース、しなびかけたリンゴが二つ。
台所を見回すと、食品らしいものは、食パンとインスタントコーヒー、粉末茶くらいしか見当たらない。調味料は、それぞれ小瓶の味塩、コショウ、しょうゆ、ウスターソース、七味。
こいつはいつも、何を食ってるんだ。
いや、それよりも。
この状態で「鯛の煮付け」を所望するなんて。ロボットは空気からなんでも作れると勘違いしていやしないか?
常識外れもいいところだ。