第七話
旅は続くよどこまでも。
いや、正確に言えば王宮を出発して早五日。
順調に行けばあと二日で国境の町へ着く予定だ。いや……だった。
殿下は毎日、『お尻が痛い』『疲れた』『帰りたい』『お前の顔は見飽きた』と文句をつけ、事ある毎に休憩を余儀なくされた。
なので、現在、予定の半分程しか来ていない。
このままでは、国境の町への到着は後五日程掛かるだろう。
そのせいで、何度、臨時の宿屋を探す羽目になったか…。
警備の関係もあり、どこでも良いと言うわけにはいかない。
しかも泊まるのは腐ってもこの国の王女。下手な所には宿泊出来ない。
それに国境付近には、ベルガ王国の護衛の方々もやって来るのだ。
道中で既に到着が遅れる事は予測された為に、こちらから早馬でその旨を伝えたが、きっとこちらの印象は最悪だろう。
最初からよく思われていないのに…どんどん自分の首を絞める殿下。ドMかな?
結局、私は実家に戻る事が出来なかった。
これ以上到着が遅れるのを防ぐ為だ。本当に迷惑な話。
「殿下、これ以上旅程を延ばす事は出来ませんので、休憩は然るべき時、然るべき場所のみとなります。ご了承下さい」
「!はぁ?それじゃあ、私の体調が悪くなっても良いって言うの?」
「もちろん、殿下の体調には私が細心の注意を払うように致します。
しかし、私が必要ないと思う休憩は取りません」
「あんたなんかに、何が……」
と殿下が言いかけたが、
「とにかく!これは、決定事項です!」
と私は言いきって、この話しを強制的に終わらせた。
一刻も早く、国境に着きますように!
結局、グダグタと文句を言われながらも、王宮を出て九日目、国境の町、ボリスに到着した。
この町を越えれば国境の関所があり、そこを通ればベルガ王国に入る。
いよいよ、殿下と私の二人旅だ。
正確には二人ではないが、侍女は私だけ、護衛はベルガ王国から派遣された騎士達。
そう考えるだけで、息が詰まりそうだ。
流石に此処まで来れば、逃げられないとわかって欲しい。
しかし、殿下は今度は泣き落としにかかってきた。
「私…野蛮な獣人に嫁がなきゃいけないなんて。
まだ十六歳なのよ?どうして好きな人と一緒に居る事すら出来ないの?酷いわ。私が何をしたって言うの?」
……涙は出ていない。所謂、嘘泣き。
「…殿下。ベルガ王国の方々に、我が国は助けて頂いたのですよ?そのお陰でたくさんの命が助かったのです。その事に感謝しなくては。
こうして殿下がベルガ王国に嫁ぐ事で、二国間の橋渡しとなるのです。
堂々と王族としての責務を果たして下さい。
それに、我が国では十六歳で成人としてみなされます。年齢については何の問題もありません」
「……そんな正論が聞きたいわけじゃないのよ!」
あ、やっぱり一滴も涙は流れていませんでしたね。知ってましたけど。
「では、私もはっきり言わせて頂きます。
此処まで来て逃げようなんて思わない事です。
そんな事をしたら、ベルガ王国に戦争を仕掛ける口実を作る事になりかねません。
もう諦めて下さい。それともご自分が戦争の種になりたいのですか?」
さすがの殿下も黙り込んだ。
戦争と言われれば、黙るしかないだろう。
無事(?)国境に着いた私達。
私は今まで着いてきてくれた護衛と、侍女の皆さんにお礼を言った。
ロレッタ様は、
「ここで、お別れね。貴女には……いえ何を言っても言い訳になるわ。ミシェル王女の事をよろしく頼みます」
と言って、私の両手を握りしめた。
ロイド卿も、
「シビル殿。私達は此処までだ。後はよろしく頼む」
と私に礼をとった。
……今生の別れみたいだ。まぁ、近いものではあるけれど。
流石の殿下も、ここまで来て逃げられない事を悟ったのか、メソメソと泣き始めた。今回は嘘泣きではなさそうだ。
そこへ、国境を挟んで向こう側、ベルガ王国の護衛の騎士達の中から、一人が近づいて来た。
ベルガ王国の騎士は顔に仮面を着けているので、口元しか見る事は出来ない。
近づいて来たその人は、顔の上半分は獣の顔を模した仮面を被っており、そこから覗く瞳は灰色掛かった青い瞳。
黒い髪の頭には銀色の三角の耳。
そして背後には大きな銀色の尻尾がユラユラと揺れていた。
……銀の耳と尻尾。狼の獣人だろうか?
確か、今の王族は狼の獣人ではなかったか?
まさか、此処までわざわざ、王族が護衛の為に来たりはしないだろう。
そう思うのに、その人のオーラはとてつもない威圧感を放っていた。
その騎士は私の前に立つと、
「……お前が王女に着いてくる侍女か?」
と私に訪ねてきた。私は、
「はい。私はミシェル殿下付きの侍女、シビルで御座います。ベルガ王国、王城までの道中よろしくお願いいたします」
と礼をした。
「そうか…俺の事はクリスと呼べ。この護衛団を指揮するものだ。まず、この馬車全てが輿入れの道具か?」
「いえ、この内の一台は、他の侍女が乗っておりましたので、道具や衣類の乗った馬車は十台になります」
「ふん。流石は王女と言いたい所だが…こんなに必要なのか?」
「もちろん、ベルガ王国への手土産も御座います故。
では、御者に次の目的地を知らせて来ても?」
「いや、それは、こちらが行う」
「では、私は殿下の元へ…」
「いや、お前にはまだ訊きたい事がある。少し此方へ来てもらおう」
と私はそのクリスと言う騎士に連れて行かれそうになる。
「ちょ、ちょっとお待ち下さい。私は殿下の側を、長々と離れるわけには参りません」
「すぐに済む。此方へ」
何故か有無を言わさぬ圧をかけられる。
私は馬車の隊列の真ん中にある、殿下の乗った馬車に目をやる。
「では、少しお時間を下さい。殿下へ許可を頂いて来ます」
私がそう言うと、
「仕方ない、俺も着いて行こう」
と言われた。
逃げたりしないんだけど…やっぱり歓迎されていないからかしら?
信用がないのかもしれない…。
私は仕方なく、クリス様と共に、殿下の馬車に向かう。
扉をノックし、殿下へ声を掛けた。
「殿下。すみません。少しの間、こちらを離れます。すぐに戻りますので」
「ちょっと、早く戻りなさいよ!私一人にするなんて、それでも私の侍女なの?クビにするわよ!」
…クビにしたら、侍女が誰も居なくなりますよ?
なんて正論を言った所で、通じる相手ではない。
「殿下、大変申し訳ありません。護衛の方はきっちりとこの馬車に付いて下さっておりますので。ご安心下さい。では、少しお待ち下さいませ」
と私は殿下に告げると、クリス様の方に振り返って、頷いた。
クリス様は私を連れて脇道へ行くと、何故か殿下の乗った馬車を自分の姿で隠してしまう。それでは、殿下の乗った馬車の様子がわからない、私が抗議しようと口を開くと、
「ところで、お前の名前はシビル…だけか?身のこなしは平民のように見えないし、きっと王女付きの侍女なら、貴族の娘なんだろう?」
…何で今、そんな事を訊くのだろうか?
もしかして、ベルガ王国の王城で働くには、平民はダメとか?
ベルガ王国は実力主義で、国王の息子や娘と言えど、実力がなければ王位を継げないと聞いた事があるのだが…やはり、王子に嫁ぐ者の侍女として、怪しい者は王城に入れられないとか?
「私の名前はシビル・モンターレ。一応伯爵家の娘です。王女殿下の侍女としては、身分は高くありませんが、もしかして、ベルガ王国では問題になりますでしょうか?」
そう私が訊くと、
「…いや、そういうわけではない。では、俺はお前の事をシビルと呼ぼう」
…きっと、このクリス様の方が身分が高いんでしょうけど…いきなり呼び捨てってちょっとどうよ?偉そうじゃない?
「どうぞ、お好きに」
私は少しムッとしながらも答えた、
「で、お前の歳は?」
…なんで、わざわざ、こんな脇道まで連れて来て年齢を訊かれなきゃいけないわけ?
「…この質問の意味はなんでしょう?」
「いいから、答えろ」
…本当に、威圧感が半端ないんですけど?!
「二十歳になります」
「………意外に若いな」
…ちょっとどういう意味?確かに私は表情筋が死んでるせいか、老けて見られる事が多いけど…ここまであからさまに驚かれないわよ?!
こいつマジで失礼だな!
「もう、殿下の元へ戻ってもよろしいでしょうか?そろそろ出発……」
そう言う私は、このクリス様の背の向こうに砂埃が立ち上がっているのを認めた。
「ちょ…ちょっと、何で出発してるんです!?私、まだ乗ってないんですけど?」
私が、慌てて馬車を追いかけようとすると、その腕をクリス様が掴んだ。
「走ってる馬車に近付くのは危ないぞ?」
それぐらい、私だってわかってる。
しかし、私はこのまま置いていかれるわけにはいかないのだ。
「でも、殿下がお一人で…困ります!
もしかして…殿下を何処か違う場所へ拐うつもりですか?貴方達、本当に、ベルガ王国の騎士団?まさか!山賊とか…!」
私は最悪の想像をして青ざめる。
「ま、待て。落ち着け!」
「落ち着いていられるわけないでしょ!離して!」
私はなんとか頑張って掴まれた腕を振りほどこうとするも、相手は獣人、全く歯が立たない。
「落ち着け!俺たちはちゃんとした、王家に支える王立騎士団の者だ。
何かの手違いで、お前を乗せ忘れたようだが、今から馬で追いかけるから、心配するな!」
「馬?」
「ああ、俺と一緒に…」
「じゃあ、馬を貸して!乗って行きます!」
「お前馬に乗れるのか?」
「乗れます!田舎の貴族を舐めないで!」
「馬鹿にしたわけじゃない。伯爵令嬢なのに珍しいと思っただけだ。
だが、生憎余ってる馬はない。俺と一緒に乗れ」
今は、選んでる場合じゃない。
「では、お願いします」
その言葉を聞いたクリス様は、ご自分の馬に跨がると、私に手を伸ばした。
私がその手をつかむと、まるで重さを感じないように、ひらりと私を馬の背に乗せた。
初対面なのに、こんな密着するのはどうかと思うが、四の五の言っていられない。
私達を乗せた真っ黒な馬は、馬車の隊列を追いかけた。