第六十六話
院長の計らいで私達は二人で話す事が出来た。
もちろん、リリーとベロニカが同じ部屋に居るが、離れた場所で待機してくれている。
「シビル……いやもうシビル様って呼ばなきゃな。まさか、お前がこの国にいて、しかも次期王太子妃だなんてな……びっくりしたよ」
「それは私のセリフよ。貴方が……その……駆け落ちをしたって聞いて。まさかこの国に来ていたとはね」
「そんな事まで知ってたのか。そうか……」
「少し前に父から聞いたの。その……子爵家のメイドと、駆け落ちしたって」
「はぁ~。本当に馬鹿な事をしたと思ってるよ」
「メイドと駆け落ちって聞いて、らしくないなって思ったんだけど、事実なのね」
「あぁ。結婚してから、子爵を継ぐために領地経営の勉強やら、なんやらで忙しくて、妻を放ったらかしにしていたら、いつの間にか、修復困難な程の溝が出来ていた。元々、女性にどうやって接したら良いかなんて、わからないぐらいの男だからな。どんどんと妻とは心が離れていった」
「オーランドは元々、昆虫にしか興味なかったじゃない」
「そうそう。学園時代からもっと領地の事とか、色々勉強しとけば良かったんだろうけどさ、お前と結婚するって思ってたから、お前が手伝ってくれるだろうって甘く考えてた」
「貴方、私に領地経営を手伝わせるつもりだったの?」
「シビル……様の方が優秀だったじゃないか。
それに、お前は俺が昆虫に夢中でも何も言わなかったし、結婚しても、なんか上手くやっていけると漠然と思ってた」
「何よそれ。私は子どもの頃から貴方を知っていたから、特に何も言わなかっただけよ。他のご令嬢じゃそうはいかないわ」
「みたいだな。結婚して初めて気づいたよ。お前が特殊だっただけだと」
「特殊ね……。まぁ、それで?奥様と上手くいってなかった事は分かったけど、どうしてメイドと?」
「魔が差した……とは言えないか。駆け落ちまでするぐらい、のめり込んだのは本当だしな。
なんか、自信がなくなっていた所に誉められたり、優しくされたりしてその気になったんだなぁ」
「駆け落ちまでする程でしょう?そのメイドの方は?彼女とこの国で暮らしてるの?」
「いや…。もう捨てられたよ。子爵家から持ち出した俺の私財が底をついてな。金の切れ目が縁の切れ目って事だ。
彼女も本当なら駆け落ちするんじゃなくて、子爵夫人になりたかったんだよ。
俺が離婚して、自分を選んでくれると思ってたのに、まさか駆け落ちって手段を俺が選ぶとは思ってなかったんだろう。
金が無くなった時に言われたよ『子爵家に戻って、私と再婚しろ!』ってね。
お金がなくなれば、俺が父親に泣きつくとでも思ってたのかな?
俺は駆け落ちする時に廃爵の書類を置いて出たから、もう戻れないし、俺はもう平民なんだって言ったら、速攻逃げられたよ」
「はぁ……。オーランド、本当に貴方って……馬鹿ね。もうキャンベル家には戻らないの?」
「どの面下げて戻れって言うんだよ。ぜーんぶ捨てて、家を出たんだ。流石に俺もそこまで甘くないさ。
あの女と別れてから、この国に来た。もうアルティアに居る事も辛くてさ」
「そうだったの……で、今は此処で?」
「あぁ。孤児院の雑用をさせてもらってる。それに、一応貴族だったからな、ここの子ども達に勉強を教えてるんだ。もう一年程になるかな」
「貴方がそれで良いなら、私は何も言わない。でも……髭ぐらい剃ったら?随分と、老けて見えるわよ?」
「そうか?渋くなったつもりだったんだけどな」
とオーランドは無精髭を撫でながら笑った。
それにつられて私も微笑んだ。
「……シビル……お前笑えたんだな」
「失礼ね。昔もたまには笑ってたでしょう?」
「いや?俺は見たことないな。いや待てよ?……お前が子どもの頃に一回見たかも。美味しいお菓子を食べた時だ」
「私が食いしん坊みたいじゃない。でも、覚えてる。オーランドのお母様がお土産で頂いたお菓子を食べさせてくれたの。とっても美味しくて感動したもの」
「あの時に、ちょっぴり嬉しそうなお前を見て、可愛いなって思ったんだ」
「……嘘つき。可愛いなんて、貴方に言われた事なんてないわ」
「はは。言ったことはないが、お前を可愛いとは思ってたよ。お前が婚約者で嫌だなんて思った事は一度もない。
まぁ……恋愛感情ではなかったな。親戚の女の子って感じだ」
「それは、私も同じよ。私だってオーランドを嫌だなんて思った事は一度もなかったわ。
例え昆虫に夢中で、私になんて興味はなくても」
「そっか。俺達はお互い同じ様に思ってたのかもな。
……幸せになれよ。王太子妃なんて、子爵家の領地経営なんかよりずっと大変だと思うけど」
「うん。オーランドも。いつか自分を許せる日が来たら、幸せになってね」
「おう。良かったよ。会えて」
「私も。オーランドの無事な顔を見られて、本当に良かった」
私達はどちらともなく、手を差し出して、握手を交わした。
私はオーランドに会えた事を嬉しく思いながら、孤児院を後にした。
「シビル、今日孤児院で会った男はお前の元婚約者と聞いたが」
ベロニカね。全部クリス様に報告するように言われてるみたいだから。
「はい。偶然で、驚きました」
「偶然……なんだな?」
「はい。彼……オーランド・キャンベルは、私と婚約解消した後、どこかの子爵令嬢と結婚をしたらしいのですが。いつしか、自分の屋敷で働くメイドと恋仲になったらしく、その挙げ句に子爵家から廃爵までして駆け落ちをしたらしいのです」
「不貞の上に、駆け落ちとは……」
「そうなんですよね。私もこの前、ここに父が来た時に聞いて、驚きました。
そんな事をするような人物ではありませんでしたし。
それに、私も婚約解消してから、彼がどうしているのかも気にしていませんでしたので」
「じゃあ、オーランド殿はそのメイドの女性とこの国へ?」
「それが、ここに来る前に別れてしまったようで。彼だけがベルガ王国へ」
「そうか……まさか、とは思うが、シビルを追って来たと言う訳じゃないよな?」
「とんでもない!彼も私がここに居る事など知りませんでした。それに、彼の方がこの国には長いようです。
もう一年程になると言っていましたから」
「あぁ……そうか。良かった。
てっきりシビルに未練でもあるのかと思って」
「未練も何も……最初から私達の間には恋愛感情などありませんから。
強いて言うなら、親愛の情ぐらいなものです。
でも、駆け落ちをしたと聞いて心配ではありましたので、元気そうな顔を見る事が出来て安心しました。
キャンベル子爵領は我が家の隣。
父には、オーランドが無事な事だけでも、便りを出そうかと考えております」
「そうだな。そのキャンベル子爵が息子の尻拭いで例え大変であったとしても、やはり無事かどうかは知りたいかもしれん。
伝えるかどうかは、シビルの父に任せると良い」
「はい。そのつもりでおります。
色々と気になる所ではありますが、これ以上は首を突っ込みません」
「ははは。それが良いだろう。俺も安心した。シビルにも未練など無さそうで」
「心配には及びません。私、アルティアでは、本当にこの手の話しには、無縁でしたので」
「それはお前に婚約者が居たからだろう。きっと狙っていた奴は多い筈だ」
……クリス様には、私がやたらと魅力的に見えているらしいが、それは惚れた欲目だ。痘痕もえくぼ。
あまり大っぴらに言わないで欲しい。恥ずかしいから。




