第四十九話
私はその日の夜、クリス様に呼び出された。
今回は、執務室ではなく、王城にある私室の方だ。
「呼び出してすまないな。今日、こちらに帰ったと聞いたものだから」
「いえ。私も殿下にお話したい事があったので、丁度良かったです」
「話したい事?それは何だ?」
「いえ…殿下のお話を伺ってからで結構です」
「俺の話しは後で良い。先に話せ」
「では。今日、ミシェル殿下に、私がこの国に残る事、王太子殿下の婚約者となる事をお話しました」
「そうか。王女はなんと?」
「『わかった』と」
「それだけか?」
「それだけです」
「随分とあっさりしてるな」
「私も少し拍子抜けしましたが、引き留めるような真似をするとも思えませんでしたから、らしいと言えばらしいのかもしれません。
それに、この数日で、ミシェル殿下は本当に変わられました。もちろん、良い方向にです」
「…そうか。アーベルも王女の事は気にしていた。自分にも足りない所が多々あったのに、全てを王女の責任にしてしまったと」
「……今さらです。ミシェル殿下は既に前を向いておられます。アーベル殿下にはそのようにお伝え下さい。
お気遣いありがとうございました」
「王女はランバンに嫁ぐ事を納得しているのだな」
「もちろんで御座います。今はご自分の立場をしっかりと理解しておられます。
それに、私はランバンへは付いて行けませんが、殿下が連れて来て下さいました、レジーとユリアがミシェル殿下に付いて行ってくれる事になりました。
もちろん、ランバンからも了承を得ております。
レジーとユリアを見つけて下さった事、殿下には感謝しております」
「俺があの二人を連れて来たと、お前に言った事があったかな?」
…あれ?もしかして、戸棚の中で聞いた話しだったかも?!不味い。
「イ、イヴァンカ様からお聞きしました」
「あぁ、そうか。フェルト女史からか。なるほど」
ふぅー。危ない、危ない。
「それで…私の事なのですが…」
「あぁ。話しの本題はそれか?」
「はい。ミシェル殿下がランバンへ向かうその日まで、侍女の仕事を全うしたい考えは変わりませんが、王太子妃教育を一日でも早く始めたいので、出来ればその時間だけでも、王城の侍女を貸して頂けませんでしょうか。
私の不安を取り除く為、いざとなったら補佐を付けると仰って頂いた事は、感謝しております。
しかし、なるべく、自分の力で頑張ってみたいと思うのです。
どうしても無理な時には、甘えさせて頂くかもしれませんが、最初から甘えてしまえば、私が努力を怠るかもしれません。
まだ、不安はありますが、何事も最初は誰でも不安に思うもの。
自分に自信をつける為にも、出来る限り努力したいと思っております」
と私はクリス様に頭を下げた。
クリス様は、
「頭を下げる必要はない。侍女の件は了解した。
しかし、今度は人間の侍女を用意する時間はないぞ?あの二人をまた王城に呼ぶか?」
「いえ。あの二人も、ランバンへ行く支度が御座いますので、今は彼女達の手を借りるつもりはありません。
もちろん、人間の侍女でなくて構いません。ミシェル殿下は、それに否を唱える事はないでしょう」
「そうか。本当に変わったのだな」
「はい。きっとアーベル殿下とはご縁が無かったのです。お互い、この結果が最善であったと思える日が来るでしょう」
「…わかった。では、侍女は直ぐに手配しよう。王太子妃教育については、フェルト女史に一任するつもりだが、それで良いか?」
「もちろんで御座います。ミシェル殿下も今、ランバンについて学んでいる所です。その後、少し私の教育に時間を割いてくれるとの事でしたので、その時に侍女をお借りいたします」
「あぁ。…その…嬉しいよ。前向きに…捉えてくれて」
「ミシェル殿下に負けぬよう努力をすると誓いましたので、私は私に出来る事を精一杯務めさせていただきます。
あの…殿下のお話と言うのは?」
私はクリス様に呼び出された目的を訊ねた。
「…まぁ…俺の為ではないよな…うん。わかってた」
「はい?何か仰いましたか?」
小さな呟きでは、私の耳には届かない。
「いや、呼び出したのは…これだ。この婚約証明書にサインを貰いたい。一枚はこの国。もう一枚はアルティアに提出する」
「はい。わかりました。では二枚サインをしたら宜しいのですね」
と、私は椅子に座り証明書の置かれた机に向かう。
その婚約証明書には、すでに二国の陛下のサインと私の父親のサイン、殿下のお父上であるセシリオ・ベルマン公爵のサインと、殿下のサインが書かれていた。
後は、私のサインを残すのみ。
…ちょっと緊張する。これを書けば、私はクリス様の婚約者になるのだと思うと、手が震えそうだ。
私は目の前のクリス様をチラリと見上げた。
「ん?何だ?今さら嫌だとは言わんだろうな」
と怪訝そうに私を見るクリス様。
「いえ。少し緊張しただけです。覚悟は決まりました」
と私は改めてペンを握り直しサインを書いた。
「よし。これで後は提出のみだ。許可はもう出てるからな。晴れてお前は俺の婚約者だ。婚約のお披露目は一ヵ月後だ」
「え?!一ヵ月後ですか?」
早くないか?それまでに、この国の貴族を覚えろと?
「堅苦しく考える必要はない。お前は俺の横に立っておくだけで大丈夫だ」
…そういう訳にはいかないだろう…あぁ…明日から猛勉強だと私は頭を抱えた。




