第四十六話
私の話しなのに、本人は置いてきぼりで話しが進んでいく。
既に話しが婚約式の話しに移っている。
私は、たった今覚悟を決めたばかりの、言わば生まれたての小鹿だ。
プルプルしながらも自分の脚で必死に立とうとしているのに、全速力で今すぐ走れと言われている気分だ。全然、心がついていかない。
そんな私に気づいたイヴァンカ様が、
「ちょっと待って。婚約式も、シビルの護衛も、結婚式もとりあえず待って。
シビルは、ミシェル殿下がランバンに輿入れするまでは、ミシェル殿下の侍女で居たいのよね?」
と私を見て確認してくれる。
私はブンブンと必死に首を縦に振った。
何故かクリス様は不服そうだが、そう約束していた筈だ。私は侍女としての仕事を全うしたい。
イヴァンカ様はそれを受けて、
「ね。とりあえず、シビルには今はミシェル殿下のお世話に尽力してもらいましょう。
もう後一週間もすれば、アルティア王国の王太子殿下がいらっしゃるのよね?
せめてそれまでは、シビルはミシェル殿下の専属侍女でいさせてあげましょう。
ミシェル殿下も今、シビルと離されてしまえば、心細く思う筈よ。王太子殿下…それでよろしいですわね?」
イヴァンカ様の訊き方は有無を言わさないものだったので、クリス様も渋々頷いた。
イヴァンカ様は重ねて、
「それと…シビルが殿下の結婚を了承したからと言って、彼女の心が手に入った訳ではないのですよ?
彼女の心を動かしたいのであれば、殿下は今までと同じ態度では、無理かと思いますわ。
彼女の心が必要ないのであれば、それはそれでよろしいかもしれませんが、殿下のその自分本意の考え方を改めなければ、一生シビルの気持ちが殿下に向かう事はないとお覚悟なさいませ」
とクリス様を釘を刺した。
なかなか厳しい言葉ではあるが、その通りだ。
今、この状況で、クリス様を好きになれるかと言われれば、それは難しいとしか言えない。
クリス様は、
「わかっている。……努力する」
と呟いた。
今までの事を思えば、私にやたらと絡んできたのも、食事の時の『あーん』も、私に好意があった上での言動であったのだろうと思い当たるが、その時は、まさか私が一国の王太子殿下から好意を向けられているなど想像すらしていなかったのだから、ただ、困惑して恐怖を覚えただけだ。
そこから、私がクリス様を『好き!』とはなり難い。
クリス様が私に好意を持っているとわかった今なら、そういったクリス様の行動も、素直に受けとる事は出来るようになるだろう……多分。
クリス様は、私を王城に連れて帰りたがったが、私は明日、改めてミシェル殿下の元に戻る予定にしていたので、丁重にお断りした。
公爵領と王都は近いが夜なので馬に乗るのも危ないから、泊まってはどうかと言うイヴァンカ様の提案に、クリス様の『今日の仕事が殆んど手付かずなので、帰らなければならない』と言う答えを聞いて、申し訳なく思った。……間違いなく、私のせいだろう。
クリス様は結局、渋々ながら、王都へ帰っていった。
今夜は公爵邸に泊めてもらい、明日の朝私は、ミシェル殿下の元へ向かう。
公爵邸の侍女の方がついているとはいえ、やはり心配だ。
あんなに嫌い……いや、少しオブラートに包んで言えば苦手だったミシェル殿下だが、後一週間程でお別れしなくてはならないと思うと……何だか…うん。
寂しいって言ってしまうのは、ちょっぴり悔しいけど、やっばり寂しい……。本当にちょっぴりだけど。
なので後一週間は、悔いのないように殿下のお世話をしようと私は心に決めた。
しかし……公爵邸で私に用意された客間が、豪華過ぎて、身の置き所がない。
まず、広すぎる。
ベルガ王国の王城にある部屋も、三人用を一人で使っていたので、広くはあったが、所詮は使用人用の部屋だ。
華美ではないし、此処よりは狭かった。
実家なんて、貴族とは名ばかりの小さな屋敷だったし、アルティア王国の王宮の使用人用の寮なんて、辛うじて個室に入れていたが、ベッドと小さな机に、服を三着も掛けたらぎゅうぎゅうのクローゼットだけで目一杯の広さしかなかった。
なので、狭い所の方が落ち着くのは、貧乏性の私には仕方ない事だと思う。
この客間に案内された時、自分には相応しくないと固辞したのだが、
『貴女はこの国の王太子殿下の婚約者なのよ?当然の待遇だわ。
シビルはずっと侍女として働いてきたけど、これからは、使用人を使う立場になるの。
それ相応の振る舞いも必要になるのだから、これぐらいの事には慣れた方が良いわよ?』と言われてしまった。
そう言われると、何も反論出来なかった。
しかし……こんな豪華な寝台で眠れるんだろうか?私はベッドの肌触りの良いシーツを撫でながら溜め息をつく。そして、ベッドについてる装飾をみて、また溜め息。
こんな豪華な装飾……寝てる間に、壊したらどうしよう…。
お世話をする時には散々見てきた豪華な家具も、きらびやかな装飾も、こんな風に感じた事はなかった。
自分が使うと思うと……はぁ…。恐ろしくて仕方ない。
私、こんなんで、王太子妃なんてなれるのだろうか。




