第四十二話
翌日、私とミシェル殿下はフェルト公爵家にお邪魔していた。
殿下は、ベルガ王国に来てからと言うもの王城から一歩も外に出ておらず、今回の外出を楽しみにしているようだった。
そう思うと、軟禁に近かったし、殿下も可哀想だったなと思う。
もう、ミシェル殿下はアーベル殿下の婚約者でもないので、王家からも外出は特に咎められる事はなかった。
フェルト宰相の口添えがあった事も大きいだろう。
フェルト公爵家には、人間の侍女も居て、殿下のお世話を手伝ってくれる。とてもありがたい。
殿下とはここから、少し離れた湖まで足を運ぶ事にしており、その湖のある町に宿泊する予定だ。
湖に着き、ピクニックを楽しむ。綺麗な景色と綺麗な空気に、久しぶりに殿下も笑顔になった。さぁ、次は宿屋に場所を移そうとしたその時、私は、
「殿下、大変申し訳ありません!私、フェルト公爵邸に一度戻らなくてはならないのですが…私が離れても宜しいでしょうか?」
「別に良いわよ。公爵様の侍女は出来が良くてなんの不便もないし、なんなら此処に戻らなくても大丈夫よ。どうせ私も明後日には公爵邸に戻らせてもらうのだから」
と殿下はいつになく寛大だ。
久しぶりの外出に浮かれているのは間違いない。
それも想定済みだった。
そして、私は夕方を過ぎた頃、公爵邸に戻った。
「シビルお帰りなさい。とりあえず、手紙は書いた?」
「はい…イヴァンカ様の言う通り書いてみたのですが…これでどうでしょうか?」
イヴァンカ様から、『フェルト女史でははなく名前で呼んで?これからきっと長い付き合いになるから』と言われたので、私は、二人の時にはイヴァンカ様と呼ぶようにしているが、まだ慣れない。
「うん。これで良いと思うわ。じゃあ、貴女はその時になったら隠れて頂戴ね」
「あの…本当に大丈夫でしょうか?イヴァンカ様のお立場や、宰相様のお立場が悪くなったりしませんか?」
「大丈夫よ。主人も王太子殿下の貴女への物言いに腹を立てていたんだから。
それに、私がお願いして、主人が断った事はないの。私の立場も大丈夫。私はあの子達の『先生』だから」
「『先生』?」
「そう。私、あの子達の家庭教師をしていたの。特に王太子…クリス様には手を焼いたわ。色々と私にたくさん迷惑かけてくれたのよ。私もたくさん尻拭いしてきたしね。なので、あの子は私に頭が上がらないのよ。
それに、もしバレて私をクリス様が責めても、主人がなんとかしてくれる筈よ」
…フェルト宰相はどんだけイヴァンカ様に首ったけなんだろう…。
「どういう事です!先生!」
「王太子殿下…落ち着いて下さい。私も今、情報を集めている所です。女一人、しかも人間ですから、きっと目立つだろうと思うのですが…まだ足取りは掴めておりませんの。
…これ、彼女が残した手紙です」
私は、ある部屋の戸棚の中に隠れている。
まぁ、ある部屋ってのは、公爵邸の応接室なのだが。
そこにいるのは、イヴァンカ様と…血相を変えたクリス様だ。戸棚の隙間から、二人の様子は伺えるし、声も聞こえる。
クリス様はイヴァンカ様に手渡された手紙の文字を急いで目で追っているようだ。
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『フェルト女史、ミシェル殿下をくれぐれもよろしくお願いいたします』
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「これだけか?他には?」
クリス様は短すぎる置き手紙に、紙を裏返して見たり、封筒の中に残りがないか、逆さまにして振ってみたりしている。
残念ながら、それだけしか書いてない。
クリス様は、
「で、これを残してシビルは居なくなったと?」
「ええ。実はミシェル殿下と離れて一人、此処に戻ると言っていたらしいのだけれど…見ての通り。居なくなってしまったみたいなの」
「『居なくなってしまったみたいなの』って…そんな…簡単に言われても困る!探したのか?ちゃんと?」
「一応、ミシェル殿下の宿泊先から、この屋敷までの場所を中心に、公爵家の私設騎士団に探させています。
でも、これを見るに…彼女は彼女の意思で居なくなったのでしょうね。
王太子殿下…この間、二人で話をなさったのでしょう?
私を使ってまで時間を作らせたのですから…何があったのです?」
…イヴァンカ様は、事の顛末を全て知っているが、クリス様の口から言わせたいのかもしれない。
「何って…シビルを俺の嫁にすると言った」
「それだけ?」
「それだけって…他に何があるんだ。
俺の婚約者としてこの国に残る事。それがアルティアとうちが決めた事だとも伝えている」
それを聞いて、イヴァンカ様は溜め息をつきながら、
「シビルはそれを聞いて何と?」
「…王太子妃は荷が重いと言っていたが、これは決定事項だ。
本当なら侍女の仕事など、直ぐにでも辞めさせたかったが、ミシェル王女がランバンに行くまでは、侍女の仕事を全うしたいと言っていたから、それは了承した」
「…王太子殿下。彼女は嫌だったのではないの?貴方との結婚」
「うっ…た、確かに、荷が重いとは言っていたが、俺が嫌な訳じゃない筈だ」
「筈って…。彼女の気持ちは聞いたの?それより、貴方の気持ちをきちんと伝えたの?」
イヴァンカ様の口調が段々と教え子に諭すような話し方になっていくと、クリス様はばつが悪そうに俯いた。




