第三十二話
ちなみに、職場復帰した私を、なんの労りもなく扱き使ってくれた殿下から、
「休んだ分ぐらい、しっかり働け」
と言われて、絶賛、私は労働中。
そんな私にフェルト女史は、
「体調はどう?もう大丈夫?」
と優しく気遣ってくれた。ありがたい。泣いちゃおうかな?
殿下の勉強時間が終わり、フェルト女史が廊下に出た時を見計らって、私は女史を呼び止めた。
私はフェルト女史に、お茶会の顛末を打ち明ける。
殿下の名誉挽回の為に、私に何か出来ることはないか、せめてヒントが欲しい。
「お茶会の件は…聞いていたわ。主人から」
…宰相にまで話がいってるの?もしやお試し期間の三ヵ月を待たずに、アルティアに戻されるのではないだろうか?
「そう…でしたか。ミシェル殿下は……アルティアに戻されるのでしょうか?」
「ごめんなさい。それについては、私も知らないの。でも決まったのなら、私がこうして授業をしに来なくなるはずよ。
そうは言われてないわ。でも、状況は良くないわね」
そうフェルト女史に言われて、私は落ち込んだ。
なんであの大事な時に、私は熱を出してしまったのだろう。そんな私の様子を見てフェルト女史は、
「シビルさん。貴女が責任を感じる必要はないわ。ミシェル殿下はアルティアの王女。
今までお茶会に参加した事ぐらいあるでしょう?
この前の様な振る舞いを常日頃からされているのであれば、それを咎めなかった周りにも問題があるし、咎められているのに改善しなかったのなら、それはミシェル殿下本人の問題よ。
ただ…アーベル殿下はますます、この婚姻に乗り気でなくなった事は確かね」
と、フェルト女史は困ったように微笑んだ。
暗い気持ちのまま、私は午後のお茶菓子を用意しに、厨房へ向かう。
最近は、私が挨拶をすれば、そこに居る人達の半分くらいは、挨拶を返してくれるし、その中の二、三人は言葉を交わしてくれるようになった。
私が今日の分のお菓子をワゴンに乗せていると、
「…あんたも大変だな」
と料理人のトムさんが声を掛けてくれた。
トムさんは、私と言葉を交わしてくれる貴重な使用人の一人だ。
アライグマの獣人らしい。シマシマの太い尻尾がめちゃくちゃ可愛い。
厨房の料理人にまで、ミシェル殿下とアーベル殿下のお茶会の件が広まっているのかと思うと、泣きたくなってくる。
私は、
「いえ…私は…。もう少し此処で働きたいなぁ…って思ってたんですけど。いやいや、弱気はダメですね。最後まで足掻けるだけ、足掻きます」
「いや~無理だろう。あの人から逃れるのは」
とトムさんは腕組みしながら首をゆるゆると横に振った。
…あの人から逃れる?なんの話?
私が不思議そうにトムさんを見ていると、
「え?俺、不味い事言っちゃったかな…アハ、アハハ。忘れてくれ。じゃ!またな」
と言ってそそくさと持ち場に帰って行った。
……?一体、何の話だったんだろう?
そう言えば最近、クリス様を見かけない。
私としては、仕事が捗るので、会わなくて万々歳なのだが、アーベル殿下がミシェル殿下との今後をどう考えているのか、訊ねる事が出来るとするならば、クリス様しか居ないと思っていた。
もし会えたら、それとなく訊いてみたいと思っていたのだが…。
会えないのなら、仕方ない。
今日の殿下は、語学の勉強中だ。
ゲルニカはほんの少し前まで他国の領地であった為、そこの領地にある建物の看板などは、ベルガ王国のそれとは違っている。
少しずつベルガ王国の領地として統治していくのだろうが、その道のりは長い。
せめて、その国の言葉を少しは理解出来ていた方が良いとのフェルト女史の心遣いだったのだが…。
「どうして、隣の国の言葉を覚えなきゃならないの?」
と殿下は不服そうだ。
殿下は、婚姻後、アーベル殿下がゲルニカへ行く事をまだ知らない。
私も言うべきかどうか、まだ悩んでいる。
今の所、アーベル殿下との仲が好転しているとは言いがたい。
もうすぐお試し期間が終わり、本来なら婚約式が執り行われる筈なのだが、このまま殿下とアーベル殿下の関係が改善しなければ、その話はなくなるだろう。
しかし、もしミシェル殿下とアーベル殿下との婚約が白紙になるような事になれば、アルティアとベルガ王国との関係悪化は免れない。
アルティアにとってベルガ王国の軍事力は何を置いてでも欲しいものだろう。
前にクリス様も言っていたが、この婚姻はアルティア主導で進められたモノで、ベルガ王国にとっては然程重要視されていなかった。
この婚約が白紙になって困るのは、アルティアの方だろう。
代わりに何かを差し出すとしたら…関税の引き下げだけでは済まないかもしれない。
アルティアに戻される事になったら、ミシェル殿下の立場はどうなるのだろう。
更に他国との婚姻を用意されるのか、それともアルティアの高位貴族へ嫁がされるのか。
しかし…第二王女であるパトリシア殿下が公爵家に嫁入りしている。アルティア王国の貴族にこれ以上嫁がせても、王家としては、あまり利益はないのかもしれない。
私は部屋の隅に控えていたが、思考の海を漂っていた。
その私の意識が急に浮上する。殿下の声で。
「ゲルニカ?!ゲルニカって何よ!私はそんな事は聞いていないわ!そんな所には絶対行かないから!」
…何が起こったのか、一瞬状況を掴めなくて、私は呆けてしまったが…ユリアが横で青い顔をしている……もしや…バレた?