第三話
ドアをそっと開けて、侍女達が配置に付く。
日は既に高く昇っているが、殿下の部屋の分厚いカーテンは閉じられており、部屋はまだ薄暗い。
数人の侍女が、カーテンを開けた。
眩しい光が部屋へ差し込み一気に明るくなる。
そこで、徐にロレッタ様が殿下の寝台へと近づいた。
私はロレッタ様に頷かれたので、私も近づけという意味だと思い、ロレッタ様のすぐ後ろへ立つ。
「ミシェル殿下、そろそろ起床の時間でございます。お起きになって下さい」
とロレッタ様が少し大きめな声を殿下に掛けると…
「〇@%#※☆▼*♂」
ん?獣?獣の鳴き声?
どこからか、地を這うような低い獣の唸り声が聞こえたかと思うと、私の目の前に居たロレッタ様がさっとしゃがんだ。
……と思ったら、私の目の前に何かが物凄いスピードで近づいてきた。
もちろん、私に避ける余裕などなく、その何かは私の顔にクリーンヒットした。
……痛い…
そうして直ぐにロレッタ様が叫ぶ。
「ボーッとしてないで!また次が来るわよ!」
私はその声にハッとすると、また何かが飛んで来ていた。
今回はギリギリ何とか躱す。
落ちたその何かを認識する事が出来た。枕だ。
その後も、何個も何個も枕が飛んで来た。
何個枕を置いてるんだろう。私がそんな疑問を感じていると、
「さぁ、ミシェル殿下。もう投げるものはございませんよ?そろそろ起きて下さいませ」
とロレッタ様がミシェル殿下の寝台へ一歩近づく。
「うるさい!!!眠いったら眠いのよ!このブス!どっかいきなさいよ!」
今回の言葉はちゃんと言葉として認識出来た。
でも、ロレッタ様は美人ですよ?なんて、今は関係ない事を思い、目の前の惨状から気を逸らそうとしてみる……まさかこの口が悪く不機嫌な少女がミシェル殿下?
私の記憶にあるミシェル殿下は花の妖精のように愛らしかった。
薄い金髪の巻き毛がフワフワと腰の辺りまで伸びており、瞳は薄い水色。砂糖菓子のような甘さの漂う可愛らしい容姿であった筈だ。
私の目の前の不機嫌に顔を歪ませた破落戸のような目付きの少女ではない。
髪の色と瞳の色は確かにミシェル殿下と同じに見えるが……
「殿下。とうの昔に日は昇り、既に真上にまで来ております。
さすがにそろそろ起きませんと、午後からのお勉強に間に合いません」
ミシェル殿下は今、ベルガ王国について勉強中なのだそうだ。
かくいう私も昨日から勉強中だ。私は独学だが。
言葉についてはこの大陸の共通言語を使える為大丈夫だが、やはり慣習や風土、作法等々覚える事は多岐にわたる。
私も勉強は好きな方だが、なんせ時間がない。
「勉強なんてしたくないわよ!私は嫁ぎたくないの!あんな野蛮な戦狂いのいる国になんて、絶対に行かないから!」
そう言ってミシェル殿下はまたシーツへ潜ってしまった。
ロレッタ様がため息をつく。周りの侍女も皆、諦め顔だ。
「…しかしミシェル殿下。これは陛下のお決めになった事。謂わば王命です。
殿下が例え嫌がっても、この婚礼は決定事項なのです。
今、お勉強をしておかなければ、後々お困りになるのは殿下でございます」
「嫌よ!お父様もお母様も私が嫌と言えば今までは許して下さったもの!今回もきっと許して下さるわ!!」
シーツの中からくぐもった声が聞こえる。
今まで皆がワガママを許してきたのだから、これはミシェル殿下だけが悪いのではない。
散々ワガママを許したのに、ここに来て梯子を外す周り大人も悪いのだ。
ミシェル殿下はまだ十六歳。この国の成人の年齢とはいえ、まだ幼さが残っている。
しかし、このままでは埒が明かない。私はロレッタ様の横へいき、
「ミシェル殿下。私はシビル・モンターレと申します。
今回のミシェル殿下の輿入れに専属侍女としてベルガ王国への同行が許可されました。
これからは私シビルがミシェル殿下と共におります。
どうぞよろしくお願いいたします」
シーツに潜っている殿下には見えないだろうが、私は頭を下げた。
そうすると殿下はそっと頭を出して私を見ると、
「あなたも可哀想ね。あんな国に行かされるなんて。御愁傷様」
そう言うとまた亀のように頭を引っ込めた。
その様子をみたロレッタ様は、
「…今日はもうダメね。諦めましょう。
この件は王妃陛下へ報告する事になってるの。シビル、ついてきて」
とロレッタ様はミシェル殿下の寝台に背を向け、寝室を出ていく。
私も急いでその後を追った。
「まず、家庭教師の方に今日の欠席を報告に行きましょう」
そうロレッタ様は言うと、私と共に一つの部屋に入っていく。
そこはミシェル殿下と家庭教師が勉強する部屋だという。
「またですか?これでもう何日目でしょうね?
というかまともにこの席に着いた日の方が遥かに少ないのですが……仕方ありませんね」
ロレッタ様が殿下の欠席を告げた後の教師の第一声がこれだった。
どうもミシェル殿下が勉強をサボるのは今日が初めてではないらしい。
教師の方は大きな溜め息をつくと、部屋を出ていった。
ロレッタ様は、
「さぁ、次は王妃様へ報告書を書くわよ」
「報告書ですか?」
「ええ。ベルガ王国への輿入れが決まってから、ミシェル殿下のワガママが更に酷くなったの。
今まではそのまま放置だったんだけど、手に負えなくて。
王妃様へ助けを求めたんだけど…一々報告に行くのも馬鹿らしいぐらいに多いのよ。
だから、まとめて報告書を上げる事にしたの。
ミシェル殿下の発言と、私達の対応。それと、被害ね」
「被害ですか?」
「そう。今はあの寝起きで投げつけて来る物は枕しか置いてないけど、最初のうちは寝台の周りに色々と置いてたものだから、かなりの物が壊されたわ。
それに、私達だって、毎回避けられる訳じゃない。
花瓶が当たった侍女もいて、怪我をした者もいるの」
「…だから、被害…」
「そう。壊れた物と、侍女が受けた傷の治療にかかった費用も合わせて報告するのよ」
「…わかりました。では、ミシェル殿下はこのまま寝台にずっといらっしゃるのでしょうか?」
「私と貴女が部屋を出て、教師に報告に行ったのをわかってるから、ソロソロ起きてくるでしょう」
「では、教師の方が帰るまで?なら、あの寝起きの悪さは演技なので?」
「いや、あれは元々。物を投げるのは、輿入れが決まってから始まったんだけどね」
……私は此処を出たら、あれに毎日一人で向き合うのかと思って目眩がした。
この仕事…私には無理なんじゃないかしら?
「あ、でも明日からは貴女が起こすのよ?一刻も早くアレに慣れないと…ね」
私は此処を出るよりも早く、アレに向き合う事が決定した。
反射神経ってどうやったら良くなるんだろう…。