第二十八話
「えっと…それはどういう意味で?」
私はレジーに訊く。
「あ、ごめんなさい。私達、いずれはシビルが侍女を辞める予定だから、それまでにしっかりミシェル殿下の為人を理解して、勤めるようにって言われたの。
だから、シビルに頼れるのっていつまでなのかな?って。もしかして、違うの?」
レジーは少しばつが悪そうな顔をした。
「い、いやぁ。私、自分から辞めるつもりはないのよね?つまりはいずれクビになるかも…って事なのかな?」
私のその言葉に、レジーの方が驚いている。
「ごめんなさい。私、余計な事を言っちゃったのかも…気にしないで」
レジーは泣きそうだ。
気にしない……のは無理だけど、二人に同情されるのは何だか違う気がする。
「うん。何でそんな話になってるのか、今は分からないけど、その時までは精一杯働くし、二人には殿下をお願いしなきゃならなくなるから…殿下をお願いね」
と私は努めて明るく振る舞う事にした。
表情は変わらないから、私の今の不安な気持ちも、上手く隠せていると思いたい。
私とレジーは、殿下の朝食後、お互い交代で朝食を取り、フェルト女史を迎える準備をする。
今日は珍しく殿下が庭を歩いてみたいと言うので、フェルト女史が来るまで、少し中庭を散策する事になった。
此処には、アルティアにない花もあるようだ。私も名のわからない花がたくさんある。
すると、少し歩いた所で、アーベル殿下が庭師に混じって花の剪定をしているのが見えた。
何故殿下が?と私が不思議に思っていると、アーベル殿下がこちらに気付き、若干嫌そうな顔をした。
しかし、流石に自分の婚約者(仮)を無視するのはよろしくないと思ったのか、こちらに声をかけてきた。
「…散歩か?」
その問いにミシェル殿下は、
「見たらわかるでしょ?」
とこれ以上ないぐらいに可愛くない返答をする。
…が、顔はほんのりと桃色に染まっている。照れてるの?
しかし、例え照れているにしても、その答えを聞いたアーベル殿下には伝わらない。
アーベル殿下の顔は益々苦々しいものになった。
「そうか。じゃあ」
と言ってアーベル殿下は切った花を抱えて城に戻って行った。
私は、アーベル殿下と一緒に居た庭師に、
「アーベル殿下は花がお好きなのですか?」
と尋ねた。
その庭師はチラリとこちらを一瞥すると、
「ええ。殿下は小さな頃から花を育てる事に興味がおありで。今も暇があるとこうして花の様子を見に来るのです」
と笑顔はないまでも、答えてくれた。
私は、
「教えて頂いてありがとうございます。
こちらの庭のお花はとても色鮮やかで綺麗ですね」
と言うも、その庭師はこちらを見る事もなく、
「どうも」
と言って作業に戻った。
この一ヵ月、こういう反応には慣れてきたが、慣れる事と、傷つかない事は同義ではない。
ミシェル殿下も、庭にはすでに興味を失ったのか、
「帰るわ」
と言って来た道をさっさと戻っていく。
その後を私と護衛は慌てて追いかけた。
もしかすると、ミシェル殿下はここにアーベル殿下が来る事を知っていたのかしら?
そうならば、少し可愛いなと思ったのだが、さっきの返答は全く可愛くなかったな、と改めて思い不器用な主に溜め息をついた。
フェルト女史と殿下の授業が終わり、私は帰る女史に声をかけた。
殿下の事はレジーに頼んでいる。
「フェルト女史。少しお話をよろしいでしょうか?」
と失礼を承知で呼び止める。
女史は、
「あら、シビルさん。どうしたの?」
と目を丸くしたが、
「話なら、何処かに座りましょうか?」
と言って、ある部屋に案内してくれた。
…正直、畏れ多い場所である事は間違いないが一応私は訊いてみる。
「こちらは…」
「主人の執務室よ。隣に応接室があるから、そちらでお話しましょう」
と言って私を部屋の長椅子に座らせると、メイドにお茶の指示を出した。
「で、私にお話って?」
と私に向き合い、フェルト女史が尋ねてくれる。私は、
「あの…フェルト女史はこの国に来た時、何も当ては無かったんですよね?どうやって女性一人で、生きていく力を付けていったのでしょうか?」
と質問した。
フェルト女史は少し驚きながらも、
「私はこの国に来た時、ほんの少しの着替えとほんの少しの宝石しか持っていなかったのだけれど、たまたま国境を越えた後に出会った夫婦に親切にして頂いたの。
そのお家に住まわせて貰いながら、仕事を探したわ。
でも、私は人間だし、今まではただの貴族令嬢でしょう?最初は全く何処にも相手にされなかったの。
私に出来る事は、読み書きや、算術だったから、主に教師や家庭教師の仕事を探したけれど、全然無くて。
でも、職業紹介所にしつこく何度も何度も通っていたら、ある商会の経理の仕事をやってみないかって言って頂いて。そこで働き始めたわ。
最初は失敗ばかりで…本当に自分は何にも出来ない人間なんだって思い知らされたの。
でも少しずつ仕事を覚えて、なんとか人並みのお給金を頂けるようになった時、今までお世話になっていた家を出たの。
国から持って来た宝石は、そこに全て置いてきたわ。
お礼…なんて言うのは烏滸がましいかもしれないけど、今でも感謝しているし、父と母だと思ってるの。本当の父や母より、私を大切にしてくれたから」
…きっと、穏やかに話をしているけれど、当時は想像出来ない程の苦労があったに違いない。
「苦労…されたんですね」
…何だか軽い言葉に聞こえるが、それしか私には言えなかった。
「そうね。確かに大変だったわ。でも人って必死になれば何でも出来るものよ。
婚約破棄に国外追放、それに家族からの裏切り。あの時は死んでしまいたいと思っていたけれど、私が今は父母と慕っている二人がね、『死ぬのはいつでも出来るけど、生きる事は今しか出来ないよ』って言ってくれたの。今でもその言葉を胸に頑張っているのよ」
そうフェルト女史は微笑んだ。
此処をクビになるかもしれないと不安になっていたけれど、私も必死になれば、何でも出来る気がして、少し心が軽くなった。




