第十九話
私は殿下のドレスを脱がせ、湯浴みをさせる。
本来なら、湯殿にいる侍女と、外で体や髪を拭き、乾かし、整えるのは違う侍女が行うのだが、なんせ、此処には私一人。
あっちもこっちも私一人だ。
重労働が終わり、殿下が寝台へ行けば、やっと私の夕食の時間。
私は殿下が寝室で休んだのを確認し、自分の夕食を取りに、厨房へ向かおうと扉を開けて、叫びそうになる。
そこには、クリ…王太子殿下が腕を組んで仁王立ちしていた。
既のところで、叫び声は堪えるも、びっくりして私は思わず扉を閉めようとした。
王太子殿下はその扉に閉まる寸前で足を挟む…閉められなかった…。
「おい!何故閉める?」
「いえ、あの…びっくりして…」
と私は答えるも、扉のノブからは手を離せない。
出来れば閉めたい。
だって、何故か王太子殿下が不機嫌そうだから!
「後で話があると言ったろう?」
と王太子殿下は言うが、そんな事、真に受ける訳がない。
だって、この国の王太子殿下が、侍女に話がある訳がないだろう。
普通なら、王太子殿下なんて雲の上の人。話し掛ける事も、話し掛けられる事も滅多にないのだ。
「はぁ…確かにそうお聞きしましたが…」
と私がゴニョゴニョ言っていると、
「とりあえず、此処ではなんだ。ついてこい」
と言われる。
……私は殿下の湯浴みでヘトヘトだし、お腹も空いている。何故今なのか?
「あの…私、夕食を取りに厨房へ…」
と私が言いかけると、
「わかってる。夕食は用意しているから、早く来い。これは命令だ」
と言われてしまった。
命令……私の主は、王太子殿下ではないのだが…断る事は出来ないですよね…。
扉の前に控えている護衛も、私達のやり取りを唖然としたまま見つめている。
そりゃそうだろう。これだけ見たら、私が何かして、王太子殿下から罰せられる様に見えるのではないだろうか?
私は何もやっていない。…筈だ、多分。
私は先を行く王太子殿下の後を追う。
扉の前の護衛には、少し部屋を離れる事を伝え、くれぐれもミシェル殿下を頼みますと言付けた。
王太子殿下はそのまま、医務室に向かっている。
「あの…王太子殿下。私のこの傷はもう診てもらっております。
お薬も頂いておりますので、どうぞお気になさらず…」
と私は言うが、
「血が滲んでいる。黙ってついて来い」
と私の意見は丸っと無視だ。
私は結局その後を黙ってトボトボとついて行った。
医務室の扉を王太子殿下が開けると、
「あれ?クリスティアーノ?どうした?怪我でもしたか?それとも、食あたりか?」
と聞き覚えのある声がする。キャンベル医師だ。
「違う。俺じゃない。彼女を診てくれ」
と言って、王太子殿下で隠れた私を、殿下はそっと前に押し出した。
「あれ?シビルちゃん?どうしたの?頬の傷が痛みだした?それとも別の傷?」
と私の顔をキャンベル医師は覗き込んだ。
「おい!知り合いか?」
と私の肩を掴んで、王太子殿下が訊ねる。
…だから、一度診てもらっていると言ったじゃないか…。
私の答えより先にキャンベル医師が、
「頬の傷、僕が診たんだ。薬、合わなかったりした?」
と私にキャンベル医師は優しく訊ねてくれる。
私は、
「いえ。ガーゼを外していたら、また血が滲み始めたみたいで…痛みはないですが…あの…王太子殿下にご心配をお掛けしたみたいで…」
と、ボソボソと答えると、
「なんだ~。そっか。また痛みだしたのかと心配したよ。確かに、血が滲んでるね。じゃあ、こっち座って?ガーゼ、なんで外したの?」
とキャンベル医師は私の頬の血を拭い、傷口に薬を塗りながら私に訊く。
「あの、今日はミシェル殿下が陛下の晩餐会に招待されておりまして。流石にそこで、頬にガーゼを当てたままだと、目立ち過ぎると思ったんです。
晩餐会が終わってからも、色々と仕事をしてる内に、すっかりガーゼを着ける事を忘れてしまって…」
そう私が答える間も、キャンベル医師は、手当てをサクサク終わらせていく。
王太子殿下は、それを黙って見守っているだけだ。
「さ~てと。これで大丈夫だよ。薬、沁みなかった?大丈夫?」
「はい、大丈夫です。お手数お掛けしました」
と私がお礼を言うと、
「いいよ~。いつでもおいでよ。なんなら、毎日でも、僕が手当てしてあげようか?
僕としてはその方が、毎日シビルちゃんに会えて嬉しいんだけどな。
考えるとその方が、僕にとっては得だよね?だって、シビルちゃんに僕の事、知ってもらえるチャンスだし。それに、シビルちゃんが、僕を好きになってくれる確率も上がるでしょ?」
とキャンベル医師が無邪気に私に提案すると、今まで黙っていた王太子殿下は、
「おい!オットー!何を口説いてるんだ?!」
と慌てたように、キャンベル医師に言う。
すると、
「え?だって、僕、シビルちゃんに交際申し込んでるんだもん」
と事も無げにキャンベル医師は答えた。
「なに?!どういうことだ?!俺はそんな事聞いてない!」
…王太子殿下が焦ったように大声を出す。
「あーもう。煩いなぁ。大きな声を出さなくても聞こえてるよ。どうして僕がシビルちゃんに交際申し込んでる事をお前に言わなきゃいけないんだよ…って何でお前が騒いでるのさ?」
とキャンベル医師は飄々と答える。
私は自分が怒られた訳でもないのに、王太子殿下の声にびっくりして固まった。
「ほら~お前が大声出すから、シビルちゃんがびっくりしちゃったじゃないか!シビルちゃん大丈夫?びっくりしたよね?」
今度は私に優しく話しかけてくれる、キャンベル医師。
「あ、あの…少しびっくりしてしまいましたが、大丈夫です」
……多分顔には出てなかったと思うのに、私が驚いている事に気づいてくれたキャンベル医師にもびっくりする。
私は自他共に認める能面顔だ。
「あ、いや、すまない。だが、オットーが馬鹿みたいな事を言うから…」
と王太子殿下が拗ねたように言うと、
「馬鹿みたいな事ってなんだよ!僕は真面目にシビルちゃんを口説いてる最中なんだから、クリスティアーノも邪魔しないでね?」
とキャンベル医師は王太子殿下に反論した。
……いや…私…断りましたよね?その話し。
「邪魔するなって…!いや、ダメだ。それはダメなんだ!」
ダメを連発する王太子殿下。それを無視して、
「あの…発言よろしいでしょうか?
私、キャンベル様のそのお話、お断りしましたよね?」
と私がおずおずとキャンベル医師へ告げると、
「え~!だって僕は諦めてないもん。
ほら、僕って結構お買い得だと思うよ?
侯爵家の次男だけど、宮廷医師をしてるから、給金は良いし、顔も結構自信あるよ?それに女の子には優しいしさ」
確かに、キャンベル医師はお買い得男子だと思うけれど、私は婚約解消した傷物女子だ。結婚適齢期もギリギリだし。
しかも頬に傷まであるし…。
貴族と付き合えるようなスペックがない。
平民なら…なんとかいける?いやいや、此処でずっとあのミシェル殿下の下僕として支えなければならないのだから、お付き合い自体無理な相談だ。
私にはそんな時間はない。
「オットー。しつこい男は嫌われるぞ。フラれたならさっさと諦めろ」
…王太子殿下はさっきの刺々しさは鳴りを潜め、にこやかになる。
さっきから、王太子殿下とキャンベル医師の関係性が気になる。かなり気安い関係なのか?二人の口調はお互いにかなり砕けていた。
「諦めが悪いのは僕の長所だからね。
シビルちゃん、今は僕の事、好きじゃないだろうけど、これから好きになって貰えるように僕は努力するから!ね、ゆっくり愛を育んでいこう!」
って手を出されても…。
キャンベル医師が私に差し出した手を、王太子殿下が叩き落とす。
「もう、手当ては終わりだろう?なら、俺達は行く。じゃあな、オットー」
と言って、王太子殿下は私の手を掴み、医務室を出た。
後ろで、
「え!ちょっと何処に行くの?僕も連れていってよ~」
と言うキャンベル医師の声が聞こえたが、王太子殿下は 無視してズンズンと進んで行く。
握られた手が少し痛むが、今はそれを言える雰囲気ではなかった。




