第十六話
少しすると、講師の方がやって来た。
私はその方を見て少しびっくりする。顔には出ていないと思うが。
「今日からミシェル王女の講師を勤めます、イヴァンカ・フェルトです。よろしくお願いいたします」
と頭を下げた女性は所謂『人間』だった。
ミシェル殿下も少し驚いたようだが、特に何も言わなかった。
私は部屋の隅に控えながら、二人の様子を見守る。
きっと、殿下が獣人を嫌がっているのを理解した上で、このフェルト女史を講師として遣わせてくれたのだろう。
その気遣いは有難いが、このままでは殿下はこの国の人々と殆ど交わる事なく、アーベル殿下に嫁がなければならなくなる。
ミシェル殿下にとって、それが幸なのか不幸なのか…今の私には判断がつかなかった。
しかし…二人の勉強している内容について、ふと思うことがある。
…これって…王子妃教育なのかしら?
はっきりいえば、この国の基本的な淑女の振る舞いを教えられている殿下は、今更感が半端ない。
しかし、それすら殿下が出来ていない事も問題なわけで…。
殿下は私の話を聞かず恥をかいたベルガ王国流の挨拶について、レクチャーを受けていた。
絶対、アルティアの教師達だって、教えた筈なんだけど…。
殿下は本気でこの婚姻が無くなる事を信じていたのだろう。
今までは何でもワガママが罷り通って来たのだから。
切りの良い所で休憩になる。私はお茶の準備をし、二人の前に置く。
殿下は、
「貴女…人間よね?どこの国の人なの?」
とぞんざいな感じで疑問を口にした。
フェルト女史はそんな事は特に気にした様子もなく、
「私はランバンの出身です。ランバンではある公爵の娘でした。…もう関係ありませんけど」
とにこやかに答えた。色々とあるのだろう事が伺える。
これは詳しく訊くのは失礼にあたるな…と私が思っているところに、
「へぇ~。ねぇ、なんでベルガ王国へ?公爵家と関係ないってどうして?」
…殿下は空気を読むなんて芸当は出来ない人だった…
「私はランバンの…王族に連なるある御方と婚約をしておりました。
もちろん政略結婚でしたが、お互い良い関係を築ける様、努力しておりましたし、実際良い関係を築けていると思っておりました。私は、ですが。
しかし、その御方には別に好きな人が居たのです。
身分の差から、添い遂げる事は出来ないとそう思って諦めようとされたみたいですが…結局、その御方は私より、そちらの女性を選びました。
それだけなら良かったのですが…私はその方の想い人である女性を害した罪で、国外追放を言い渡されてしまったのです。
そして、追放された先が、この国ベルガ王国でした」
…フェルト女史は、パッと見ると30代後半~40代前半と言ったところか?
だとすると、今のランバンの国王陛下と同年代。
私は学園時代に学習した、近辺諸国の王族の知識を必死に手繰り寄せる。
という事は、陛下のご兄弟や、従弟…その辺りの方の婚約者であった可能性が高いかもしれない。
確か、今のランバンの王妃は下位貴族の出身で、陛下との身分の違いを乗り越えたシンデレラストーリーが、王妃になった当時、恋愛物語として小説にもなっていた。
しかし、その王妃は物凄い浪費家で、国民の税率を上げさせ生活を困窮させた張本人として、幽閉されたと聞く。
王妃を選んだ陛下にも、もちろん厳しい目は向けられたが、王妃を処分した事でなんとか面目を保ったと、そう聞いた。
……まさかね?
「え?害したって何をしたの?」
殿下…興味津々ですね。
それぐらいお勉強にも意欲的になって貰えると有り難いんですけどね。
しかし、私もこの話には興味がある。
ランバン王国と我がアルティア王国とに、国交はない。
そして、ランバン王国とこのベルガ王国にも国交はなかった筈。
フェルト女史をこの国に国外追放したという事は、彼女がこのベルガ王国で殺されても文句は言わないという事だ。というよりは、死んで欲しいと思われていたのかもしれない。
フェルト女史は困ったように、
「今更、ここで私が何を言っても仕方ありませんが、身に覚えの無いことなので、何をしたか…には答えられません。
しかし、その女性を殺害しようとした…そう罪状には書いてありましたわ」
「え?してない事で罪に問われたの?」
殿下は前のめりに、グイグイと質問する。
「そうですね、その当時は。
でも、今ではそれは冤罪であったと認められておりますし、ランバンに帰国しても良いとも言われておりますが、帰る気持ちは御座いません。まぁ、もう帰る家もありませんのでね」
「冤罪ってランバンの皆もわかってるんでしょ?なんで帰らないの?」
「冤罪だと知っているのは、ごく一部の貴族のみ。
私を犯罪者と断罪した方が高貴な御方なので…公には出来なかったのです。
それに、私の実家は私が罪に問われた段階で、直ぐに私を除籍しました。
私はこの国に来た時はただの『イヴァンカ』でしたの」
「じゃあ、フェルトって…」
「私の主人はバーナード・フェルト。この国の宰相をしております」
……宰相の奥様!
「へぇ~平民になったのに、宰相と結婚するなんて、玉の輿じゃない!」
…殿下…腐っても王女なのですから、少しは言葉を選んだらどうだろう…。
「そうですわね。確かに。私はこの国に来て、心から良かったと思っておりますの。
ランバンに居ても、きっと幸せにはなれなかったでしょうから」
そう言って微笑んだフェルト女史の顔は本当に幸せそうだった。
その後、休憩を終えた二人はまた勉強に戻る。
私はそこを少し離れ茶器を片付けながら、さっきのフェルト女史の話を思い返していた。
…はっきり言って、あの話…今のランバン国王の話じゃないだろうか?
だって、フェルト女史は元は公爵令嬢。
それを冤罪で犯罪者に仕立て上げ、国外追放までしてしまうとは…かなりの権力者じゃなきゃ無理だ。
それが出来る人物は…限られるのではないだろうか?
まぁ、フェルト女史から真実が語られる事はないだろうが、どこの国でも、愚かな人間は居るものだ。
そう思いながら、私は片付けを終えた。