第十一話
この国の王太子であるクリスティアーノ・ベルマン殿下は、現在のベルガ王国国王の息子ではない。
国王ブルーノ陛下の王兄、セシリオ・ベルマン公爵の嫡男だ。
ブルーノ陛下にも三人の王子が居るが、王太子にはクリスティアーノ様が選ばれた。
これは実力的な問題で、この国では当たり前の事。
ブルーノ陛下だって、前国王の息子ではない。この国では、それが当然なのだ。
実力がある者が王位に着く。もちろん、それでも王位継承権の無い者から選ばれる訳ではないのだが。
そして、この国の王族は、他国から伴侶を娶る事が殆んど無いに等しい。絶対にないわけでは無いが、この大陸にベルガ王国の他に獣人の国は少なく、人間が治める国が殆んどである為、人間をあまり好ましく思っていない獣人にとっては、他国と婚姻関係を結んで、繋がりを強化するよりも、戦をして支配下に置く方が、利益があると考えられているのだろう。
殊更、今回のミシェル殿下とアーベル殿下の結婚は稀なケースだと思われた。
ミシェル殿下が戻る前に部屋に戻らなければと私が廊下を急いでいると、
「おい」
と、私を呼び止める声がした。
私が振り向くと、クリス様が立っている。仮面はまだ着けたままだ。
「クリス様。この城までの道中、護衛に着いて頂きありがとうございました」
と私が改めて感謝を口にすると、
「ああ。そんな事はどうでも良い。この後、何かあるのか?」
と訊ねられた。
何かあるか…って私には殿下のお世話をするという仕事がある。
「謁見から殿下がお帰りになる前に、居室へ戻りませんと…」
と私が答えると、
「他の侍女に任せれば良いだろう?」
と言われる。
流石に、この城に到着した当日に、殿下の側を離れるのは可哀想だし、何より他の侍女などいないのだ。
「申し訳ございません。今日は殿下もこの城に到着したばかり。些か心細くもあるでしょうし、それに、殿下の専属侍女は私しかおりませんので」
と私は頭を下げた。
「心細いねぇ…至って元気に吠えていたがなぁ。まぁ、それは置いといても、専属侍女が、お前だけとは?どういう事だ?」
…待って、聞き捨てならない言葉があったんだけど?
殿下…謁見の間で何かしたの?
「あの…もしや、クリス様は謁見の間におられたのですか?」
「あぁ、居たぞ」
「では、もう謁見はお済みになったという事ですね?」
「まぁ、そう言う事だな」
私は慌てた。
もう殿下が部屋に戻っているかもしれない。不味い!
「クリス様、お話の途中ではございますが、私、部屋に早く戻らねばなりませんので、これにて失礼いたします!」
と、私は走らないギリギリの早足で部屋に向かう。
後ろでクリス様の、
「おい!ちょっと待て!」
と言う言葉に振り返りもせず私は先を急いだ。
殿下に用意された部屋に着く。
私はノックをしたが、何の気配もしない。
そっと、扉を開けると、まだそこに殿下の姿はなかった。
私がホッと胸を撫で下ろした瞬間、荒々しく私の背後で扉が開かれた。
…殿下だ。
その後ろから大きな体躯の騎士が現れた。多分、ここまで殿下を護衛してきてくれたのであろう。
その騎士は、
「はじめまして。私は近衛騎士三番隊副官のクレメンテ・バーレクと申します。
この度アルティア王女殿下の護衛を仰せつかりました。よろしくお願い致します」
と、私に挨拶をしてくれた。
私も、
「殿下の専属侍女をしております、シビル・モンターレと申します。これからお世話になります。よろしくお願い致します。私の事はシビルとお呼び下さい」
私達が挨拶を交わしていると。
「シビル!私は疲れてるの!早くお茶!」
といつの間にか長椅子にドッカリと座った殿下が私に声を掛ける。
かなりご立腹のようだけど…何かあったんだろうなぁ…
私は、バーレク様に頭を下げ、
「申し訳ありません。殿下のお茶のご用意をしませんと…」
と言うと、
「?他に侍女は?」
と訊かれるが、
「シビル!」
「はい!直ぐに!…申し訳ありません。詳しい事は後程…」
と言って私は小走りでお茶の用意に向かう。
それを見ながら、
「では、私は廊下に控えておりますので、何か御座いましたらお声掛け下さい」
といってバーレク様は退出した。
「お茶で御座います」
と用意したお茶を殿下は、
「遅いのよ!」
と言って、私の顔を目掛けかけてきたが…
私はさっと横へ避けた。
肩に少し掛かったが仕方ない。まだ新しいお仕着せに着替える前で良かった…。
こんな風にお茶を引っ掛けられるのなんて、日常茶飯事だ。
殿下と居ると私の能力はグングン上がる。反射神経には自信があります!と今なら堂々と言えるだろう。
殿下も、私が避けた所で気にしない。
『私はイラついているんだぞ!』というパフォーマンスなので、それさえ果たされれば問題ないらしい。
「申し訳ありません。では、殿下、先にドレスを着替えましょう」
と言う私に殿下は、
「なんで教えなかったのよ!」
と睨みながら言ってきた。
…何の事だろう…。私が不思議そうな顔をしたからか、
「この国の礼の仕方よ!」
…だから言ったじゃないか。この国の礼の仕方はアルティアとは違うと…。言ったのに聞かなかったのは、殿下だし、元々、アルティアに居る時に真面目に勉強に励んでいたら、何の問題もなかったのだ。
全て自業自得だが、絶対そう言っても納得しないのは分かっている。
「…申し訳ございません。再度殿下にご注意をするべきでした」
と私が謝罪すると、
「恥をかいたわ。野蛮な獣人のくせに…」
とぶつぶつ呟いている。
とにかく、誰かに八つ当たりしたい殿下は、一頻り私に当たり散らすと、落ち着いたようだった。
ドレスから着替えた殿下に、私は改めてお茶を淹れる。
今回のそのお茶は宙を舞う事はなく、殿下の喉を潤す事に成功した。
「で、殿下。第三王子のアーベル殿下はどのような御方でしたか?」
と私は殿下に訊ねる。
王族の絵姿は私も確認してきたが、第三王子殿下はなかり容姿の整った方だった。
金髪に琥珀色の瞳。体つきまでは絵姿では分からなかったが…。
訊いても答えが返って来ないので、私はチラリと殿下の顔を見ると、何故か殿下の頬が赤い…もしや…これは…
「…別に普通だったわ」
と言葉少なに呟く殿下に、私は確信を持った…これ、間違いなく惚れたな?




